せっかちさん共
目を覚ました。
前は暗闇が広がっている。
仰向けになって寝ている様だ。背中にはふわりとクッションの様な柔らかさが体重を受け止めているのを感じる。
上半身を起こす。
すると頭に妙な重さを感じた。何かを被っている様だ。
両手でそれを掴む。返ってきたのは無機質で冷たい温度と質感。
ゆっくりとそれを持ち上げる。
暗幕が上がった向こう側は真っ白な空間だった。
余りの眩しさに僕は目を細めた。
「はい、お疲れ様でした。この書類を受付にご提示ください」
目が慣れるより早く声が僕の頭に響いた。
鈴の音のように高く、綺麗な声だった。
「11544番様?」
「え、あ……はい……?」
聞き慣れない番号に首をかしげつつ、少し語尾を上げて返事をした。
やっと目が慣れると、目の前にはまた白が広がっていた。
よく見るとそこには黒い蟻が這っている。空中に蟻。蟻がついに空を飛んだ。なんて世界だ。
「11544番様!」
「は、はい!すいません!」
それが紙と文字だとわかったと同時に鈴が激しく鳴った。なんとなく謝ってしまった。
紙を手に取ると見えた向こうの景色に立つその人は、金髪に上下真っ白な服を着た人だった。
顔と声からでは性別はわからず、まじまじと見ていると、「早く行け」と言わんばかりに眉をひそめられた。
大人しく僕がさっきまで寝ていた所から降りる。
ヒヤリ、と足の裏から頭のてっぺんに刺激が走った。いつのまにか裸足だ。ズボンも制服じゃない。あの人と同じ様な白い半ズボンを履いていた。
真っ白い部屋。
距離が掴みにくいが随分と広いようだ。
その空間に横に真っ直ぐベッドが並んでいる。
上にはそれと同じ数の人が横になっていて、頭には先程僕が被っていたものと同じものを被っている。
白いこの部屋には似合わないねずみ色の鉄のヘルメットだ。一部からアンテナの様なものが飛び出している。どこかと通信しているのだろうか。
そもそも何故僕はここにいるのだろうか。
電車にひかれてからの記憶がない。
ここは天国か?『あの世』とかいう所か?武闘会でもあるのか?
というか受付って……薬局か?さっきの服の人医者みたいだったし。
色々と考えを巡らせながらヒタヒタとタイル状の床を歩く。
そうすると出入り口らしきものを見つけた。これも白い。自動ドア。
部屋を出るとまたもや白い壁が姿を現した。
廊下が右と左に真っ直ぐ、たまに曲がり角を含めつつ真っ直ぐ伸びている。
「…どっ、ちだ……」
道がわからない。
この様子だとこの施設は全て白で塗りたくられているんだろう。迷うと洒落にならない。
右か左か迷っていると、右方向の曲がり角から声が飛んだ。
「あ、11544番さんですねー。こちらですー」
間延びした声と共にタレ目の黒髪が曲がり角から顔を覗かせた。性別はやはりわからない。
間延び声がさっさと言ってしまうので、僕は慌てて小走りで後を追う。
「いやーお疲れ様でしたー。どうでしたかー?また人間道だったんでしょー?」
「え、は?…に、人間道?」
「あ、すいませんーまだ吸ってないんですよねー。訳分からない話してすいませんー。ひとり言ですよー。ひとり言ーふふふー」
勝手に話を完了させられ、僕は口ごもる。
さっきと何も変わらない廊下を歩いていると、ひとつの部屋にたどり着いた。
あの部屋よりもはるかに小さいが、そこにはいくつかの長椅子が設置され、その正面にはカウンターがある。上にはわかりやすく『受付』と書いてあった。その横にはカウンター裏へと続いているのだろうか、扉。
「じゃあーその書類出して『花』を受け取ってくださーい」
「では」と間延び声は踵を返して行ってしまった。
どうすればいいのかわからずその場でモジモジしていると、また声がかかった。
「11544番様。こちらへ」
眼鏡をかけた茶髪の、多分これは男。
僕がそろそろと小股で歩いてくると、男は手を差し出す。
「書類を」
「あ…はい…」
書類を受け取った男は目を細め、文字を読んでいく。チラリと紙を見たが、何が書いてあるのかわからなかった。日本語じゃない、英語でもない。エジプトの象形文字を複雑化したような感じの文字が並んでいた。文字が蟻のようだ。
「はい、11544番様、お疲れ様でした」
言うが早いか、男はカウンターに何かを置いた。
カサっと音を立てて置かれた。
花だ。
赤い花弁に真緑の茎と葉。濃い色が掛け合わされてこの白い空間では目に痛いほどだった。
「落ち着いたらこの花の香りを嗅いでください。お一人の時に、ゆっくりと、水場の近くでお願いします」
「は、はあ……?」
またもや首をかしげ、詳しく聞こうかと口を開きかけたが、眼鏡はもう自分の作業へと戻ってしまった。
ここの人達はみんなせっかちのようだ。
花を受け取り、その部屋を出ようとすると。
「出入り口はこちらになります」
眼鏡がカウンターの横にある扉を指した。
「あ、ありがとうございます」
取っ手に手をかけ、扉を開けた。
次、続きます