黒の声
ストーリーが現在に戻ります。
ーー長い回想を経て
私は今もう見慣れた街を歩いている。
ちなみに初めての転生先は人道だった。男の子だ。
一般家庭に入り、極めて普通の人生を八十余年過ごし永眠。
その次は…ええと……あ、修羅道だったかな。
三回目は流石に忘れた。
その後も五回、十回と繰り返し、数えるのをもう止めた。
そのくらい私は転生を繰り返している。
『天道』にも一度行ったことがある。いい所だった。でも、あまりここと変わらない、退屈な場所だった。
『地獄道』は……そいえばない。
近代化につれて地獄行きが多くなっていると思っていたけど、割とそんなことはないのかもしれない。
………暇だ。
目に慣れた白の光に瞳孔を縮こまらせながら思う。
ここに来たての自分ならば今何を思っていただろう。
下らない言葉遊びに興じていただろうか?不安に押しつぶされそうな表情をして周りを見渡していただろうか?人であった時では味わえない空想のような世界に期待を抱いていただろうか?
今はそのどれもない。
そもそも自分が以前どのような人間像であったのかすら覚えていない。
いや人間であったのか、すらも。
名前も生前も顔も口調も髪型も。
私に残っているのは白い大地から生える二つの足と、胴体から伸びる二本の腕しかない。
自分を証明する手立てが、私には存在していなかった。
きっと花の副作用か何かだろう。
一度目の吸引で『記憶』を記憶し、二度目でそれを返す。
いつか説明されたその花の特性。
誰が吸っても同じ機能を働かせるそれの香りは、街中に漂っている。
幽かな甘い香りは私の頭にまとわりつき、記憶を、人格を霞のように不確かにしていた。
でも、それでいいのかもしれない。
それでこそ、この世界は成り立っているのかもしれない。
みんな平等に記憶を無くしていき、最後にはただの魂となる。
魂とは平等なのだ。猫だろうと人だろうと、その本質は変わりない。
だから別にこれでいいのだ。
転生をする度に新しい名前を付けられるのに、本来の自分のそれを覚えるなど不毛ではないか。
「私」でいいのだ。「魂」でいいのだ。
自分の証明を求めるから、犯罪が起こるのだ。
平等に無知であることが、平和への一歩なのだ。
平等な喪失にこそ、平和が宿るのだ。
歩き慣れた帰路の果て、辿りついた自宅の玄関へ手をかける。
「あの~すいません」
響く、高い声。
私達を管理するあの職員達とはまた違う、ありふれた声。
久方ぶりに感じるその響きに、振り向くと、女性が立っていた。
「はい」
私の声。
無機質で冷たく、白へと溶けていった。
「あ、人間違いじゃなければいいんですけど……11544さん…ですか?」
「…はい、そうですが」
「あ、よかった~。……覚えてます?あたしの事」
「……お会いしたこと…ありました?」
「ええ~…。酷い……。ほら、私ですよ!笛坂ことみですよ!」
…覚えていない。
考える振りをしてみるが、全く浮かばない。
やがて笛坂と名乗った彼女は妙案を思い付いたかのように顔を上げる。
「あ!髪型変えたからわからないんですかね!あ、あとメガネ……」
懐から眼鏡を出しかけると、ゴムを取り出し髪をいじり始めた。
やがて、拗られた尻尾が顔の左右に垂れ下がる。
「ほら!思い出しませんか!?迷ってる時に案内したんですけど……」
「…すいません、人違いみたいですね。では」
「え!ちょっと?すいません!あのーー!!」
構わずドアを開け、中に入る。
……なんだ、あの人は。
唐突なコミュニケーションに疲れを覚え、いつものようにソファーの上に横になる。
どろっとした眠気を最後に、私の意識は薄れていった。
だから、気が付かなかった。
目の前にあった矛盾に、この世界に余るほどの不適合に。
私は、気が付かなかった。




