MCD探偵録 ――消えた切り札事件――
はじめまして。房部三吉と申します。
昔から『ズッコケ三人組』シリーズや『マガーク少年探偵団」シリーズなどの児童文学が好きで、子どもたちが活躍する物語を以前から書いてみたいと思ってました。
当サイトの存在を知ったとき「もしかしたら、自分でも……」と思い、今回、初心者ではありますが、小説を投稿させていただきました。
初心者ゆえ読みにくい文章があるとは思いますが、最後まで読んでいただければ幸いです。
第一章 探偵団誕生
忘れもしないよ。四月七日、ちょうど小学校の始業式の日だ。始業式がおわると、ぼくは急いで雄一の家に――。
おっと、ごめんよ! まだ、ぼくのことを教えてなかったね。ぼくの名前は宮田彰。紅葉西小学校に通う六年生だ。
そして……。驚かないでね、ぼくは探偵なんだ。あのシャーロック・ホームズやエルキュール・ポワロの同業者なんだ。勇気で悪を砕き、知識とひらめきで犯罪を暴く。それがぼくの仕事さ。
これから話すのは、ぼくら「紅葉町子ども探偵団」が最初にとり組んだ事件だ。最初にとり組むには、かなりやっかいな事件だったけど、この事件のおかげで、ぼくらは探偵として、とても大きく成長できたんだ。
ぼくらが最初にぶつかった事件。それが「消えた切り札」事件だ。
* * * *
始業式がおわると、ぼくは急いで雄一の家に向かった。空には真昼の太陽がさんさんと輝き、昼休みのサラリーマンやОLのお姉さんたちが、お気にいりのパスタ店へ向かっていた。
雄一の家は筑波ベーカリーっていう、ここらじゃけっこう人気のあるパン屋だ。ぼくも学校の帰り道は、いつもここでカレーパンを買うんだ。
走りながら、ぼくは昨日の夜のことを思いだしていた。昨日の夜、雄一はぼくに電話をかけてきたんだ。大切なことは何ひとつ告げないけど、意味ありげな怪しい電話だ。
「彰、明日、学校がおわったら、おれの家に集合な」
「なんで? 新しいゲームでも買ったの?」
「ちがう。でもゲームより楽しいことだぜ、きっと」
それだけいって、雄一は電話を切った。
ぼくが十三回目の雄一との会話を思いだしているときに、ちょうど筑波ベーカリーの緑色の看板が見えた。
ベーカリーの前には女の子が立っていた。
「麗奈さん!」
その子の名前を呼んだとたんに、くすぐったさが体中に走った。男の子ならわかるだろ? 帰り道、偶然にも好きな女の子と一緒になった、あの気持ちがさ。
麗奈さんの整った小顔が「本日のおすすめパン」から、ぼくのほうへ移った。
「あら、彰さん」
真昼の町に溶けこむ小川のせせらぎのような鷹揚とした声。モナリザがほほ笑むのをやめて、悔しさのあまり歯ぎしりしそうなほど美しい顔立ち。白くて長い四肢。日の光を浴びて輝く純白のスカートは、彼女がその空間で特別な存在であることを物語っていた――と、まあ、こんな感じさ。ぼく目線の麗奈さんはね。
ちょっと誇張しすぎた部分があるけど、麗奈さんがきれいなのは絶対にウソじゃないよ。
「麗奈さん、パンを買いにきたの?」
筑波ベーカリーの前までくると、荒い息を吐きながら、麗奈さんにたずねた。
「ちがいますわ。わたくし、昨日の夜、雄一さんから電話でいわれましたの。始業式がおわったら、ここにくるようにと」
「麗奈さんも?」
汗で鼻からずれたメガネをかけ直しながら、ぼくは麗奈さんの顔を見つめた。とても美しい顔だ。五秒と見つめてられないよ。だから、ぼくはすぐに視線をドアに移した。
「ぼくも昨日、雄一から電話でいわれたんだ。同じことを」
麗奈さんはとても驚いたようだった。両手で上品に口を覆って、驚きの声が口から出るのを抑えた。
「雄一は、ぼくらに何をさせるつもりなんだろう」
それを考える必要はなかった。なぜなら、そのとき、二階の子ども部屋の窓が開いたからだ。
そして、そこから鷹のように鋭い目を持った、学校一のイケメンの顔があらわれたんだ。
「おーい、そんなところで突っ立ってないで、はやくこいよ」
雄一はSOSの合図を送る船乗りのように大げさに手をふりながら、叫んだ。
「健も茜もきてるんだぜ」
「まぁ、おふたりも、そこにいるんですの?」
「ああ、だから、おまえらも、はやくこいよ」
雄一が勢いよく窓を閉めた。
「さては、あいつ、ぼくらにパン屋の手伝いをさせる気だな」
ぼくは顔をしかめて麗奈さんにいった。すると麗奈さんも苦笑しながら「どうやら、そのようですわね」といった。
雄一の部屋は二階の奥にある。木製の扉には「ゆういちのへや」って書かれた飛行機の形をしたプラスチックのプレートが飾られている。
でも、その日は飛行機のプレートはなかった。かわりにキテレツな紙がはられていた。
「まぁ……」
麗奈さんが素っ頓狂な声をあげた。ムリもないよ。五つ首のサツマイモ・モンスターが描かれた紙を見たら、だれだって、部屋主の画力を疑って、あんな声を出すさ。
「雄一が考えた、最強の怪獣かな?」
サツマイモの絵を指でなぞりながら、ぼくは麗奈さんにたずねた。
「ちがうよ。そいつは怪獣じゃない。もみじのマークだ。紅葉町子ども探偵団――MCDのマークさ」
扉の向こうから、雄一の不機嫌な声が聞こえた。
「雄一さんが最近、シャーロック・ホームズを図書館で借りているのは知ってましたけど、まさか、こんなことまで考えていたとは……」
麗奈さんはホッと小さなため息をついた。でも、そのあとの顔は笑顔だった。雄一の、この突拍子もないアイデアに呆れていない証拠だ。
「どうやらパンのお手伝いではないようですわね」
「そうだね」
ぼくは紙から指をのけて、ドアノブをつかんだ。
「でもパンを焼くより、めんどうかもしれないよ」
* * * *
部屋の中には三人の子どもがいた。雄一、それに十文字健と山岡茜だ。
ぼくの仕事は、この事件を正確にきみにつたえることだ。だから、そのとき健と茜が何をしていたかも教えるよ。
だってね……。そうすれば、ぼくらの個性や性格、そして、態度の悪さ(こいつが重要だ!)が十分につたわるからさ。
まずは健から。あいつはエラのはりすぎた四角い顔を楽しそうにほころばせながら、怪獣人形を二体使って、プロレスの技を再現していた。
次に茜。あいつは仔猫のようにゴロンと寝そべって、マンガを読んでいた。
茜は美少女の部類に入る女の子だ。けど、麗奈さんとはちがうタイプの美少女だ。麗奈さんが美術品のような「美しい」女の子だとしたら、茜は小動物みたいに「かわいい」に特化した女の子なんだ。だから、五年生の男子にはけっこう人気がある。
「よう、彰。お嬢」
健が四角い笑顔をぼくらに向けた。麗奈さんはアイスクリームで有名な水谷製菓の大事な一人娘だから、健は彼女のことを「お嬢」って呼ぶんだ。
「麗奈ちゃん、あの紙、見た?」
茜がマンガから顔をあげて、たずねた。小さな体とは対照的な大きな瞳がキラキラと輝いている。
「ええ、見ましたわよ。扉のまん中にはっているのに、見ないほうがおかしいですわ」
麗奈さんが笑いながらこたえた。
「雄一、きみは本気で探偵団をはじめるつもりなの?」
雄一は学習イスに座ったまま、不敵な笑みを浮かべた。
「本気さ。考えてみろよ。おれたちって、あと一年で学校を卒業するだろう」
「わたしは二年だよ」
今日、五年生になった茜の言葉を無視して、雄一は話を続けた。
「この五年間で、思い出に残ったことって、どんなことがあった?
運動会? 遠足? 合宿? ああ、全部楽しい思い出だったな。でも、それって全部、学校が、おれらにさせた行事だろ?」
雄一はぼくらの顔を見回した。新六年生だけじゃなく新五年生の顔もだ。
「考えてみたら、おれたち、自分で自発的におこなったことって、あんまりないんじゃないか? 自分たちで計画して、そして達成して感じた楽しい思い出ってないんじゃないか?」
反対する人はいなかった。だれも反対して雄一の演説を止めたくなかったんだ。
雄一の言葉には人を引きつける力がある。言葉の魔力ってやつかな。それに、雄一のいうことはもっともだった。この五年間、虫採りや花火大会以外で、ぼくらは何をしてきただろう? 成し遂げることによって、肉体的にも精神的にも成長したことって何かあっただろうか? こたえは、もちろんノーだ。
「このまま、いままでと同じ生活をしてても、つまんないだろ。『ぼくの人生はね、退屈から抜け出すための努力の連続なんだ。』」
「『赤毛連盟』ですわね」
雄一が麗奈さんにウインクした。そのとおり! て意味だ。
「だからさ、おれたち、探偵をしようぜ。おれ、店番しているときに、客の話を聞いてて気がついたんだ。紅葉町で困っている人って、けっこう多いんだぜ。結婚指輪がなくなって困っている人とか、空き巣に入られた人とか――」
「野菜の値上がりで困ってるやつなら、ここにいるぜ」
健が手を叩きながら叫んだ。あいつは八百屋の息子だ。だけど、トマトやみかんのように丸い顔はしていない。ふしぎだろ?
「値段が高いから、だれも野菜を買ってくれないんだ」
「そういうのは政府にいいな。おれたちが助けるのは、ものがなくなって困っている人や、空き巣に宝物を盗まれて困っている人だ。そういう悲しい思いをする人たちを、おれたちが助けてやろうぜ」
指輪の話には興味なかったけど、空き巣の話は、ぼくの興味を大いにそそった。なぜなら、ぼくの家も三か月前に空き巣に入られたからだ。犯人は逮捕されたけど、盗まれた、ぼくのウサギの貯金箱はハンマーで粉々に割られていた。
「たしかに困っている人はいっぱいいるもんね」
「それに去年のデータでは、神守県で起きた犯罪の数は日本一らしいですわ」
ぼくと麗奈さんの発言で雄一は水を得た魚さ。あいつはイスから立ちあがると、アメリカの大統領よろしく高々と腕をあげ、胸をはって、自信満々に演説をはじめたんだ。
「そうさ! おれたちの町は犯罪の町なのさ! それでいいわけないだろ! 犯罪者が多いってことは、それだけ悲しむ人も多いってことさ! おれはそういう人を救うために、そして自分のつまらない日常を変えるために、探偵団を結成することを決めたんだ。おれは本気だぜ。二週間、シャーロック・ホームズを読んでわかったんだ。おれには探偵の才能がある」
「へぇー、きみが?」
この自信過剰イケメンめ! これ以上、こいつを図に乗せちゃいけないぞ。だから、ぼくはあえて挑発的な態度をとった。
「きみがホームズと似てる? 冗談だろ? アイドル歌手のまちがいじゃないの?」
「似てるのは考え方さ。おれとホームズの考え方はすごく似てるんだ。ホームズ大先輩は自分に必要ない知識を全部、頭の中から捨てるのさ。必要な知識だけを、いつでもとりだせるためにな」
「きみも興味のない数式や漢字は頭の中にないもんね」
「そうさ。あんなもの、おれに必要ないからな」
おれに必要ないからな、だってさ。偉大な探偵だよ、ほんとうに。
「でも、おれは自分の興味のあることや、問題を解くのに必要だと思ったことは、とことん追求するぜ。ホームズだって同じさ」
雄一が興味のあることを深く追求することは、ぼくも知っていた。あいつは一か月もかけて、オオクワガタをたおす最強のカナブンの育て方を調べたこともある。そいつはメスのコクワガタに負けたけど……。
「でも、おれもひとりの人間だから、限界ってものがあるのさ。怪獣の名前は全部覚えられるぜ。でも、おれは彰ほど上手に工作はできない。探偵には優れた発明が必要なときだってあるんだ。相手を出し抜くためにな。そうだろ、彰教授?」
工作はぼくの取り柄であり、宮田彰最大の長所だ。夏休みには電気じかけで動く手製ロボットをつくるんだ。すごいだろ?
「そうだね。そして健には、ぼくや雄一以上のパワーがあるね」
ぼくは健のほうへ笑顔を向けた。ぼくもだれかをほめてあげたかった。雄一にほめられたときに感じた、うれしい気持ちを健にも感じてほしかったんだ。
「そうさ。おれは、この中じゃ一番バカかもしれないけど、一番力があるぜ。それにケンカなら、だれにも負けない自信がある」
健は黄色い歯をのぞかせながら、腕を曲げて、ソフトボールみたいに盛りあがった筋肉をパンパンと叩いた。
「ホームズだって、たまには相手とハデな取っ組み合いだってする……よな?」
健が麗奈さんにたずねた。
「ええ、モリアーティ教授と滝の側で取っ組み合いをしたこともありますわ。それ以外にもホームズは鞭を使うこともできるんですのよ」
健が「へぇ」と驚いた。それから、四角い顔に満面の笑みを浮かべて、麗奈さんにいった。
「探偵には、あたり前だけど、頭のいいやつがいるよな。算数も国語も理科も社会も得意で、いろんな知識を持っている、お嬢みたいなやつがさ」
どうやら健にも雄一のウイルスが感染したようだ。だれかをほめたくなる、善性の気持ちのいいウイルスだ。
「ありがとうございますわ、健さん。でも知識がいるだけじゃダメですの。探偵は――」
「せまいところに隠れたり、相手に気づかれないように尾行する能力が必要だよね!」
茜が待ち切れずに自分でいった。茜は五人の中じゃ一番運動神経がいい。健や雄一でも五十メートル走で彼女には勝てないよ。
それに茜は高いところにのぼるのも得意だ。それこそ猫のようにね。
「ええ、茜ちゃんは、まさにその役にぴったりですわ」
茜は大きな目を気持ちよさそうに細めた。
「うん! それで雄一はね……ええと……ええと……」
「おれがだれよりも優れているのはカミソリのように鋭い観察力さ」
茜が言葉に詰まったので、雄一は仕方なく自分で自分をほめた。
雄一は「鋭い観察力」を自分のセールスポイントにしたけど、ぼくはそれよりも、もっといい彼のセールスポイントを知っていた。観察力より数倍いいセールスポイントだ。
「雄一、きみの優れた点はもうひとつあるよ。きみはだれよりも仲間をまとめるのが上手いんだ」
男前の顔に驚きが走り、そして次に真っ赤な恥ずかしさが広がっていった。
「ああ……そうだな。うん、そうだ! だから、おれは探偵団のリーダーになろうと思うんだ。いいか?」
反対する人はゼロだ。みんな、自分のことをほめられて気がよくなっていたんだ。
はじめはパンを焼くよりめんどうだと思っていた探偵団が、いまでは、ほんとうにテレビゲーム以上におもしろいものに変わりつつあったんだ。
でも……。いざ、本物の犯罪に出会ったとき、おもしろいなんて感情は木端微塵に砕けたよ。
* * * *
きみにひとつ問題を出そう。探偵団を結成したぼくらが、最初にしたことはなんだったと思う?
こたえはビラづくりだ。ぼくらは五色のマーカーで、それぞれのセールスポイントを書いた派手な広告をつくったんだ。そして、これを小学校で配ることにしたんだ。
「さぁ、明日から忙しくなるぞ。筑波ベーカリーにパンを買う以外の目的でたくさんの人がくるぞ」
雄一が、ビラに書かれた自分のセールスポイントを見ながら、うれしそうにつぶやいた。
* * * *
紅葉西小学校の校門は八時にならないと開かない。だから、八時前に登校する生徒はいない。貴重な睡眠時間を削ってまで、朝早く登校する理由なんてないからね。
でも、その日に限って、理由もない登校をする人物が五人もいた。MCDの五人のメンバーだ。みんな、眠たそうに目をしばたかせ、大きなあくびをしながら、校門が開くのを待っていた。
「できそこないの食器洗い機や、すぐに壊れる掃除機を買ってしまう主婦はセールスマンの口車にだまされるんだ。でも、逆にいえば、言葉にはそれほど大きな力があるんだ。怒りの火炎放射、その目に焼きつけろ!」
雄一は大好きな怪獣映画のキャッチコピーをいいながら、ビラを指ではじいた。
「この広告は最高の出来だ。でも、これだけじゃダメだ。最後のひと押し――言葉の力だ。正義のセールスマンの極上の口車で、みんなにおれたちの有能っぷりを見せつけるんだ」
門が開くと、ぼくらは自分の教室へ飛びこみ、ランドセルを置いて、急いで校門の前へ戻った。まずはここで登校する生徒に広告を配ろうって作戦だ。
八時十五分。登校する生徒の姿が、やっと、ぼくらの目に止まりだした。
「紅葉町子ども探偵団だよー。事件があったら、すぐに相談してねー」
茜が低学年の子どもにビラをわたした。
「おねえちゃんたち、探偵なの?」
「そうだよ。すごいでしょ」
「すごーい! すごーい!」
子どもって純粋だろ? この子たちは目をキラキラ輝かせながら、五人の素人探偵を尊敬のまなざしで見てくれたんだ。
もう一度いうよ。子どもって純粋だろ? あの子たちは、シャボン玉のようにきれいで柔らかく、世の中のすべての汚れから守りたくなるような心を持っているんだ。
でも、ぼくらと同年代のやつときたら……あいつらの心のシャボン玉はとっくの昔に割れてるね。そして、いまはドブ川だ。
「おーい、何してんだよ!」
女の子みたいに高い声で叫ぶのは、ぼくらのクラスの麻生真だ。その隣にはクラス一の巨漢、瀬川昇もいる。こいつはその巨体ゆえ、あだ名がトドになった超ヘビー級小学生だ。
「よう、真! おれら、探偵団を結成したんだ。勉強以外で悩みがあったら、すぐに相談してくれよ!」
雄一は笑顔で真にビラを配った。
「探偵団? プッ――」
真が霧状のつばを吹きだした。
「おまえら、いまは二十一世紀だぜ。探偵をしたいなら、蒸気船が活躍していたころのイギリスにでもタイムスリップしな」
「真くん、犯罪はいつの時代でも起きているのだよ。そう、いままさにこのときもだ。そして、この混迷の闇をさまよう現代に光をさしこむのは、おれたち若い探偵――」
「アハハハハ! バカだ! こいつら本物のバカだ!」
真が腹を抱えて笑いだした。それにつられてトドも笑いだした。
「アーッハッハッハ! ああ、おかしい。おまえら、探偵をやめて道化師になったほうがいいんじゃないか? 紅葉町子どもサーカス団!」
「なんだと、この野郎!」
健が真に飛びかかろうとした。でも、雄一がそれを止めた。
「笑いたきゃ笑いな。でも、おれはサーカス団に転職する気はないからな。おれたちはあくまで探偵だ。ホームズの同業者だ」
雄一が真をにらんだ。あいつのにらみはすごいんだ。あの鷹の目でにらまれると、だれでも一歩あとずさりしてしまうんだ。
「……そうかい。なら、ガキンチョホームズ、ひとつ相談があるんだ。聞いてくれよ」
一歩だけあとずさりしたあと、真はひきつった笑顔で雄一にたずねた。
「いいぜ。どんな悩みだ?」
「今日の水谷のパンティは何色だ?」
麗奈さんの顔が真っ赤になった。そして、雄一の顔も真っ赤になった。こっちは怒りでね。
「うるせぇ! 消えろ!」
笑いながら走り去る真とトドに向かって、雄一が大声で怒鳴った。
* * * *
学校がおわると、ぼくらはビラの威力を期待しながら、急いで筑波ベーカリーに向かった。
筑波ベーカリーには、たくさんの人がきていた。いつも通りパンを買いにくるお客さんだ。探偵団に用事のあるお客さんはひとりもいない。指輪を探してほしいと依頼する婦人もいない。空き巣に入られるのを未然に防ぐために見張ってほしいと頼む資産家もいない。
「まぁ、あと三日もすれば、階段にものすごい列ができるさ」
雄一がムリして笑顔をつくった。でも、三日たっても四日たっても階段に列ができることはなかった。いまや探偵団の扉をノックするのは、さし入れのジュースを持ってくる、雄一のお母さんだけだ。
神守県は日本で一番、犯罪の多い県かもしれない。でも、すべての犯罪が紅葉町で起きているわけじゃない。もし、そうなら、そんな物騒な町にだれが住むもんか。
「人、こないね」
ビスケットをかじりながら、茜がつまらなそうにつぶやいた。
「結成してから何日たつんだっけ?」
「五日」
ビスケットピラミッドをつくりながら、雄一がこたえた。
「心配するな。そのうち、真っ青な顔した金持ちが飛びこんでくるさ」
「『トイレを貸してくれ!』って叫んでな」
野菜ジュースを飲みながら、健がいった。
「ホームズだって、三六五日ずっと働いているわけじゃないさ。よし、気分転換に音楽でも聴こう」
雄一がラジカセ(ゴミ捨て場で拾ってきた古いやつさ)のスイッチを押した。流れてきたのはホームズの好きなクラシック音楽じゃなく、おどろおどろしい怪獣映画のテーマ曲だった。
「雄一さん、音楽を聴きながら推理トレーニングでもしませんこと? いざ、事件の依頼があったときに、頭がさびついていては事件を解決できませんわ」
「いい考えだ、麗奈。よし、みんな、麗奈のいった通り、推理トレ――」
雄一の言葉はここでおわった。そして、ぼくたちは推理トレーニングをできなかった。なぜだって? だって、そのとき、やってきたんだ。とうとうやってきたんだ。はじめての依頼主が!
* * * *
探偵は相手で事件の規模を判断しちゃいけない。大人だから大きな事件を持ってきて、子どもだから単純なバカげた事件を持ってくる。そうじゃないんだ。事件の規模に依頼主の歳は関係ない。
でも、これは経験を積んだ玄人探偵だからわかることさ。結成五日の素人探偵にはわからない。
だから、はじめての依頼者が子どもで、なおかつ、ぼくらをバカにした麻生真なら大きな事件を期待できるはずもなかったのさ。
「おまえら、まだ探偵をしてるよな? やめたりしてないよな?」
いきなり真の声が聞こえたから、ぼくらは驚いて、お盆の中のビスケットをばらまいてしまった。
「おれだ。真だ。雄一、おまえら、まだ探偵をやめてないよな?」
「お、おお! やめてないぜ! 入ってこいよ!」
雄一の声はとても聞きとりにくかった。雄一は慌てすぎて、ばらまいたビスケットをお盆じゃなくて、口の中に入れてしまったんだ。
雄一の言葉が通じたのかはわからないけど、真がドアを開けた。そして部屋の中に散らばるビスケットと、それをお盆と口の中に片づけるマヌケな探偵の姿を目の当たりにした。
「それ、探偵の訓練か?」
リスのようにほほをふくらませる雄一に向かって、真がたずねた。
「ああ、そうさ。散らばった証拠を一秒でもはやく探しだす訓練さ」
雄一は胸をはって、モゴモゴとうめいた。
「真。ここにきたってことは、おれたちに用事があるってことだよな。そして用事ってのは、もちろん事件だよな?」
ビスケットを飲みこむと、雄一はイスに座った。ぼくたち四人のメンバーは、その間、色々なことをしていた。
麗奈さんは探偵団の記録係だから、メモ帳とシャープペンを用意していた。
ぼくは「あまり大きな事件じゃないだろうな」と思いながら、折りたたみイスを真にさしだした。
茜はマンガ雑誌を片づけて、健はお盆の中のビスケットを何個かつまみ食いしていた。
「真、おまえはついてるぜ。なんたって、MCDの最初の客だからな。あ、報酬なんていらないからな。大人は子どもが金を稼ぐのがいやがるんだ。うちの親父もそうなのさ」
報酬がいらないことがわかると、真は小さなため息をついた。
「それで真、なんの事件が起こったんだ? 殺人か? 麻薬密売か?」
ぼくは黙って、真の口を見つめた。そして、そこからどんな種類の犯罪の名前が出てくるのかを考えた。
殺人! 麻薬密売! いいや、そんな物騒な単語は真の口から出なかった。出てきた言葉はこうだった。
「助けてくれよ。おれ、無実の罪を着せられてるんだ」
第2章 盗まれた切り札
ぼくらの学校で一番、女の子のスカートをめくったのはだれだろう? 真だ。
ぼくらの学校で一番、図書室の本に落書きをしたのはだれだろう? 真だ。
だから、ぼくは最初、あいつが無実の罪を着せられているといわれても信じることができなかった。むしろ、ぼくたちを利用して、自分の犯した罪を隠ぺいしようとしているんじゃないかと疑ったぐらいだ。
彼を疑ったのは、ぼくだけじゃなかった。健もまた彼を疑っていた。
「その手は喰わねえぜ、真」
健は荒い鼻息をあげて、膝を叩いた。
「おまえ、おれたちをからかってるんだろ。トドにカメラをまわさせて、起こってもない犯罪を捜査するおれたちを撮って、動画サイトに載せるつもりなんだろ?」
健はもう一度、自分の膝を叩いて、立ちあがった。
「イケメンと美少女の動画を撮ったところで、批判のコメントは期待できないぜ。さあ、帰ってトドにつたえな。ダイエットには野菜が一番だってな」
真の顔が真っ赤に染まった。顔だけじゃない。両目に真紅の毛細血管が浮き出て、目が赤く染まった。あいつの目は涙で充血していた。
「ウソじゃない!」
それは外にも聞こえるほど大きな声だった。真の必死の咆哮は部屋の空気を変えた。緊張が部屋中にビリビリとつたわった。
これはほんとうの事件だ! だれもがそう思った。
「ウソじゃない! おれはほんとうに無実の罪を着せられているんだ!」
真の目から涙が落ちた。涙はビスケットの上に落ちた。
「ウソじゃない……ウソじゃないんだ」
真は鼻をぐずつかせながら、情けない声をあげて、泣きはじめた。
「真、説明してくれ。おまえはなんの罪を着せられているんだ」
雄一は右手をあげて、麗奈さんに合図を送った。「メモをとれ!」って合図だ。
「真、おれはおまえを信じるぜ。その涙はウソじゃない。だれかに助けを求める本物の涙だよな?」
真は泣きながら、うなずいた。
「真、ゴメンよ」
健が謝った。自分の過ちに気づくと、すぐに謝れるところが健の長所だよ。
「今度、イチゴを届けにいくからさ。だから、許してくれよ」
真は無言で、うなずいた。
イチゴの無償宅配サービスは真の傷ついた心をかなり回復させたようだった。一分もすると、真はビスケットを食べながら、ぼくらに事情を説明してくれた。
「おれが『デュエル・フロンティア』をしてるのは知ってるよな?」
『デュエル・フロンティア』ってのは、小学生の間で流行っているカードゲームだ。探偵団でも、雄一と健が少し前まで、おこづかいをはたいてレアカードを集めていたよ。
「知ってるも何も、おれと健を『デュエル・フロンティア』からやめさせたのは、おまえじゃないか。素人のおれらを痛めつけて――」
「あげくの果てに、おれの『筋肉ゴリラ』デッキをバカにした」
健は眉をひそめると、不機嫌そうに下唇をまくりあげた。その顔は、さながらエラのはりすぎたゴリラみたいだった。
「ああ……そうだな、ゴメン」
真は申しわけなさそうに頭をガリガリとかいた。真は、ぼくらの学校じゃカード四天王のひとりだ。〝ビーストキング〟なんてカッコいい異名まであたえられている。性格さえよければ、弟子のひとりやふたりいても当然の実力派プレイヤーだ。
「それで、カードゲームとおまえの罪にどんな関係があるんだ?」
「ああ。信夫のやつ、おれがあいつの切り札を盗んだっていうんだ。おれはあいつのカードを一枚たりとも盗んじゃいない。カードゲームの神さまに誓うぜ」
「信夫というのは近森信夫さんのことでしょうか?」
麗奈さんはペンを止めて、真にたずねた。
「ああ、そうだ。おれに着せられた無実の罪ってのは、いわば窃盗罪さ」
「盗まれたカードに無実の窃盗罪……『消えた切り札』事件だね」
ぼくはずっと、この事件の名称を考えていた。そこで思いついたのが、この名前だ。
『消えた切り札』事件。さしずめ、ミッシング・エース事件ってとこかな。うん! なかなかいい響きだぞ。
「よっしゃ!」
雄一がイスから立ちあがった。いや、あれは「飛びあがった」と表現したほうがいいかもしれない。両手で勢いよくイスを押して、その反動でピョン! 月世界の冒険に挑むロケットのようだったもの。
「真。おまえの疑いは、おれたちが晴らしてみせる。約束するぜ」
雄一が真に手をさしだした。真は、その手をじっと見つめた。
「……引き受けてくれるのか?」
「もちろん。MCDが最初に取り組む事件にはピッタリだ。ま、すぐに解決するだろうけどな」
雄一がぼくらのほうをふり返ってウインクした。おれたちなら簡単に解けるだろ? ウインクはまちがいなく、そういう意味だ。
「ありがとう、雄一」
真は照れ臭そうに笑いながら、雄一の手を握った。さあ、これでもう後戻りはできない。依頼を引き受けた以上、何があっても、ぼくらは事件を解決しなくちゃいけない。消えた近森信夫の切り札を見つけ出し、真犯人の正体を暴かなくちゃならない。なぜなら、それが探偵だからだ。
* * * *
そのあと、ぼくらは真から事件の詳細を聞き、六時になると解散した。
「みんな、これをよく読んで、事件を頭の中に叩きこんでおくんだ」
帰るとき、雄一は麗奈さんのメモ帳のコピーをぼくらにわたした。コピーには小さくてきれいな字がつらつらと並び、真のいったことを一字一句まちがいなく書き写している。だから、ぼくはこの事件を正確にきみに教えることができるんだ。
「盗まれたもの――『光竜暴君アポロ・タイラント』のシークレットバージョン」
帰り道の途中、健がコピーを読みはじめた。健の家とぼくの家は同じ方角にあるから、いつも一緒に帰るんだ。
「購入場所――紅葉東町にあるカードショップ〈ミモザ〉。価格――四二00円」
ぼくが続きを読んだ。カード一枚に四二00円か……。でも、それを買う人がいるんだよね。だから、お店も成り立っている。
「四二00円か……。まぁ、シークレットバージョンなら仕方ないな」
『デュエル・フロンティア』のカードには、ごく稀にノーマルバージョンとはちがうシークレットバージョンっていうのがあるらしい。強さや能力にちがいはないけど、カードの光り方やモンスターの体の色がちがうんだ。それが当たる確率が三千分の一だから、プレイヤーにとっちゃ、まさに究極のレアカードだね。だれでもつくれる図書館の利用カードとはワケがちがうよ。
「四二00円も出して買ったカードだからこそ、信夫も頭にくるんだろうな」
ぼくは近森信夫の怒りに染まった顔を想像しながら、いった。
信夫は六年二組の生徒だ。背は茜よりちょっと高いぐらいで、六年生の男子じゃ一番背が低い。ハムスターと会話できそうなほど大きな前歯が特徴だ。勉強も運動もそこそこだけど、ゲームだけはめっぽう強い。テレビゲームにしろ、トランプにしろ、勝負するタイミングがうまいんだ。自分が勝てるタイミングを見計らい、それがきたら、勝負に出る。あいつは生まれつきのギャンブラーだよ。
「信夫のやつ。それを買うために、金を貯めてたらしいぜ」
「真もかわいそうだけど、信夫もかわいそうだよね。お金を貯めて買ったカードを盗まれるなんてさ」
ぼくは信夫の立場を自分に置き換えてみた。お金を貯めて、やっと買えたプラモデルが組み立てる前に、だれかに盗まれたら……。ああ、想像しただけで気分が悪くなりそうだ。
次にぼくは真の立場を自分に置き換えてみた。雄一に怪獣人形の窃盗容疑をかけられたら……。アイスクリーム・ギフトセットを盗んだ犯人として、麗奈さんに疑われたら……。とてもじゃないけど、考えたくない。
この事件には「失ったもの」のほかに「失いかけそうなもの」がある。それが友情だ。消えたレアカードによって、四天王のふたりの友情に亀裂が入り、時間とともに友情が引き裂かれてゆく。引き裂かれた友情は修復できない。レアカードと同じで破れたら最後だ。
「健。この事件、かならず解決しようね」
「ああ、もちろんだ」
夕日で赤くなった顔を引き締めて、健は力強くうなずいた。
* * * *
次の日は日曜日で学校は休みだ。ぼくたちは午前十時に雄一の部屋――探偵団の本部に集合した。
ほんとうは、もっと早く集まることができたけど、なんせ日曜日は雄一の好きな特撮番組が二本もあるし、茜の好きな魔法少女アニメもあるから集合時間が遅くなるんだ。
「みんな、事件の詳細は頭に入れてきたな?」
みんな、こっくりとうなずいた。MCD最初の事件だ。これをしくじるわけにはいかない。だから、ぼくもみんなも事件の詳細は完璧に覚えていた。
「盗まれたカードの名前は?」
「『光竜暴君アポロ・タイラント』。価格は四二00円」
こたえたのは茜だった。茜は興奮した仔猫のように目を開き、口早に言葉を続けた。
「事件が起こったのは四月十日の金曜日。現場は近森信夫の家。犯行時間は午後四時三十分から五時の間。そのとき、家にいたのは――」
「四天王の四人だ」
そういって、健は指を四本立てた。
「『ドラゴンマスター』近森信夫。『インセクトカイザー』草野浩二。『魔法使い』瀬戸晴彦。そして『ビーストキング』の真」
「麻生さんが疑われている理由は、三人がコンビニにいっている間、彼が留守番をしていたからですわ」
「真が近森家を出たのは午後五時。これは六時からはじまる塾のためだ。真が帰ったあと、信夫と浩二が対戦したけど、そのときアポロ・ライジングはすでに信夫のデッキから姿を消していた」
「完璧だ!」
雄一が手を叩いた。パーンと大きな音が、怪獣だらけの部屋に木霊した。
「完璧だぞ。さすがMCDの団員だ」
リーダーってのは部下をほめる技術を持ってなくちゃいけない。その点にかけていえば、雄一は実にリーダーにふさわしい男だ。部下の手柄を横取りするわけでもなく、また、部下のアイデアを自分のものにしない。雄一は部下を輝かせる男なんだ。もっとも、自分が最高のアイデアを持っているときは、それを世界の心理とでもいわんばかりに輝かせるけどね。
「雄一。この事件は案外、はやく片づくと思うぜ」
健は本だなの上に飾られた二体のヒーロー人形を手にとった。
「カードを盗んだのは草野か瀬戸のどっちかだぜ。このふたりを徹底的に調べあげるんだ」
ぼくも健の意見に賛成だ。信夫は被害者だし、真だって無実の罪を着せられた被害者だ。必然的に真犯人はふたりの内のどちらかってことになる。もちろん、真の涙がウソじゃなければの話だけど……。
「ふたりの内のどっちかがカードを盗んで、真に無実の罪を着せようとしているんだ」
「でも、麻生さんが帰ったあと、ふたりは、まだ、近森家にいたんでしょ?」
茜がたずねた。
「カードがなくなったのは、麻生さんが帰ったあとなんだよ? ふたりが、いつカードを盗んだの?」
「そりゃ、信夫が見ていないときさ。信夫だって、二十四時間、ずっとデッキを見ているわけじゃないぜ。テレビだって見るし、トイレにだっていく。その間に盗めばいいんだよ」
「そっか……」
茜は腕を組んで、うんうんとうなずいた。
「健、その可能性は十分にあるぜ。でも、おれたちは真実を突きとめなくちゃいけない。 真実を突きとめて、真犯人を暴かなくちゃいけない。そこでしなくちゃいけないことは何か?」
雄一は麗奈さんのほうへ顔を向けた。彼女はすでにリュックを背負い、出発の準備をしていた。
「被害者の事情聴取と現場検証ですわ」
* * * *
午前十時十七分。近森家に到着した。
玄関のインターホンを押すと、家の中から信夫が出てきた。でも、これは当たり前だ。昨日のうちに、雄一が聴取のことも現場検証のことも電話でつたえていたからだ。
「あら?」
クツを脱いで、いざ、おじゃましますってときだ。麗奈さんが素っ頓狂な声をあげた。サツマイモ・モンスターを見たときと同じ声だ。
「麗奈さん、どうしたの?」
ぼくがたずねると、麗奈さんは無造作に置かれているクツを指さした。
「近森さんは四人家族のはずですわ」
麗奈さんの白い指の先には二十足――合計十人分のクツがあった。
「近森さん、だれかきていらっしゃるのですか?」
「ああ。でも、心配すんな。見たことあるやつばっかりだからさ」
信夫の言葉は正しかった。近森家のリビングにいたのは、ぼくらが一度は見たことのあるやつばかりだった。
四天王の草野浩二に瀬戸晴彦。あと、五年生の野崎太一、大盛桜、山田信吾の五人だ。みんな『デュエル・フロンティア』の実力派プレイヤーだ。
「雄一、話は聞いてるぜ」
晴彦はソファから立ちあがると、ぼくらの元へやってきた。
「いまから現場検証〝ごっこ〟をするんだろ? つき合うぜ」
晴彦は嘲りをこめた冷やかな笑みを浮かべながら、雄一に手をさしだした。でも、雄一はその手を握らなかった。
「信夫、おまえが呼んだのか?」
「ああ、証人は多いほうがいいだろ。もっとも、今日、こいつらを呼んだのは別の理由さ。捜査協力じゃなくて、四天王のことでな」
「それ、どういう意味だ?」
健がたずねると、信夫は三人の五年生を指さした。三人とも「六年生の前だぞ。でしゃばっちゃいけない」って思っているのか、カード・バインダーを抱いて、部屋の隅でじっと突っ立っている。
「四天王をやめなくちゃいけないやつがいるんでな。そいつの代わりに新しいプレイヤーを加えるんだよ。この三人の中からな」
「四天王は人のカードを盗まないような、正々堂々(せいせいどうどう)としたプレイヤーじゃないとな」
晴彦がつけ加えた。
「おい、待てよ。いくらなんでも、それはひどすぎるんじゃないか?」
雄一は目の前の晴彦を無視して、信夫の元へ向かった。
「まだ、真が犯人だって決まったわけじゃない。それなのに、あいつをやめさせるなんて、そりゃ、あんまりだぜ」
「あんまりだと!」
信夫の悲鳴は、機関車の急ブレーキのようだった。大きくてかん高くて、耳をふさぎたくなるようないやな音だ。そして、何かと何かがぶつかり合う前兆の音だ。
「そりゃ、おれのセリフだよ!」
怒りのせいか、そのときの信夫は、いつもより一回りも二回りも大きく見えた。一種の熱膨張ってやつかな?
「おれは被害者なんだぞ! 〝あんまり〟なのは、おれのほうなんだぞ! おまえは、あのイカサマ野郎の味方なのか? それとも、あいつの代わりに殴られにきたのか? ええ!」
信夫は全身をわなわなと震わせて、こぶしを握りしめた。怒りで紅潮したこぶしは、まるで小隕石みたいだ。
ぶつかり合うのは雄一と信夫か? でも心配ご無用。雄一は信夫の怒りをサッと回避したよ。でも、手のひらを返したわけじゃない。真を裏切ったわけじゃない。
ただ、彼は提案したんだ。真にとっても信夫にとっても公平な提案だ。
「おれは真実を調べにきたんだ。殴られにきたわけじゃない。もし、ほんとうにカードを盗んだのが真なら、そのときは四天王をクビにするなり、ゲンコツするなり好きにしな。でも、いまはあいつに手を出すな。いいな?」
な? 実に公平な提案だろ。それに加えて、あいつは信夫をひとにらみしたんだ。あの鷹の目でジロリだ。それだけで信夫は握りこぶしをほどいたよ。
「……まぁ、そうだな。わかったよ。だけど、犯人はあいつで決まりだと思うぜ」
「決めるのは、おれでもおまえでもないよ。真実さ。さあ、諸君。ここにいる証人から事件当日のことを教えてもらおうぜ」
雄一がぼくらのほうをふり向いた。その目は真犯人を見つけ出す情熱で輝いていた。
第三章 駅裏の決闘
ぼくらは手分けして聴取をおこなうことにした。そのほうが効率的だからだ。
ぼくの担当は瀬戸晴彦だった。
「カードがないことに、最初に気づいたのはだれだったの?」
「信夫だよ。持ち主なんだ。当然だろ」
「それは何時ぐらいのこと?」
「さあな。対戦がおわったあとだから、五時十分ぐらいじゃないか」
「その間、きみは何をしていたの?」
「おれのしていたことなんて、どうでもいいだろ? おれは犯人じゃないんだぜ」
これが晴彦の態度だ。メガネをかけた男子にたいする態度だ。これじゃあ、ノートに何も書けない。だから、ぼくは麗奈さんに変わってもらうことにした。
相手がクラス一の美少女になると晴彦の態度は一変さ。まあ、麗奈さんの結果を見てくれよ。
「カードがないことに、最初に気づいたのはだれでしたの?」
「信夫だよ。対戦がおわったあとに気づいたみたいなんだ。時間はたしか……五時十分、いや、五時十二分だったよ。おれ、そのとき、テレビのニュース番組を見ていたから覚えているんだ。そうそう、コンビニで買ったアイスクリームを食べながら見ていたんだ。きみの会社のアイスだよ。ダイヤカップアイスのチョコ味!」
男ってのは(特にモテないやつは)こういう生き物さ。結局、四天王の聴取は麗奈さんと茜がおこなうことになった。
その間、ぼくたち男子組は事件現場を調査することにした。どこかに、うっかりカードを置き忘れていないか。ソファやテレビの下に入りこんでいないか。でも、アポロ・タイラントはどこにもなかった。
聴取のあと、信夫たちを別の部屋に移動させて、ぼくらは五人でもう一度、現場検証をおこなった。
「対戦をしたのは、ここですわ」
近森家のリビングには、ご丁寧に対戦用のテーブルとイスまで用意されている。学校の机より、ちょっと高いぐらいの黒のテーブルだ。
「信夫と浩二が対戦している間、晴彦はソファでテレビを見ていた」
雄一はソファに座って、リモコンのボタンを押した。
「アイスを食べながらね」
茜が麗奈さんのメモ帳を見ながら、つぶやいた。
「健、彰。ちょっと、そこのテーブルでカードゲームするフリをしてくれ」
ぼくらはイスに座って、おたがいの手元を見つめた。何も持っていない手だけど、ずっと見続けていると、だんだんほんとうに手札を持っているような気分になってきて、ついにぼくはカードをテーブルに置くマネまでしてしまった。
「対戦中の不正はなかった」
雄一はえらそうに脚を組むと、人さし指でこめかみを叩いた。
「ここからテーブルまでは遠すぎる。歩いて十歩って距離だ。麗奈、歩いてみてくれ」
雄一の推測は当たっていた。ソファからテーブルまで、子どもの足で十歩の距離だ。五人で試してみたところ、茜だけが十二歩かかったけど、それ以外は十歩だった。
「なんにしろ対戦中にふたりが信夫のカードを盗むことはムリだぜ。やっぱり、カードを盗んだのは信夫がデッキから離れたときさ。そのスキを見計らって、犯人はカードを盗んだ」
健は麗奈さんの手から、そっとメモ帳を抜きとって、顔の前にかかげた。
「それ以外に方法はないぜ」
「でもね、健」
茜は健の手からメモ帳を抜きとって、麗奈さんに返した。
「対戦のあと、すぐに三人は消えたアポロ・タイラントを探しはじめたんだよ。対戦がおわったとき、すでにアポロ・タイラントは消えてたんだよ。これって、やっぱり、対戦をしているときにカードが消えたってことじゃない?」
「それとか、対戦がはじまる前とか」
ぼくは、ここで一度、みんなの気持ちを整理しようと考えた。五人とも情に流されすぎちゃいないか? 真のあの熱い涙にだまされちゃいないか? あの涙が演技だってことも十分に考えられる。真が犯人だって可能性を捨てちゃいけない。たとえ、あいつが、この事件の依頼主だったとしてもだ。
「真が犯人だって可能性はゼロじゃない。それを否定しちゃ、真実にたどり着けないよ」
「彰のいうとおりだ。麗奈、メモを見せてくれ」
雄一はメモ帳を受けとると、ソファに座ったまま、それを読みはじめた。
「なんだい、なんだい。信夫のやつ、おれが聴取したときは、こんなに詳しく教えなかったじゃないか」
ソファの上で雄一がブーブーうなった。
「近森さんと瀬戸さんは、麻生さんのことを、あまりよく思ってなかったみたいですわね」
「そうみたいだな」
雄一は「ううん!」とわざとらしく咳をすると、前歯を突き出して、信夫のマネをしながら供述を読みはじめた。
「『だいたい、あいつ程度の実力で四天王なんてお笑いさ。あいつはなんにもわかっちゃいない。ガイア・ユニコーンをデッキに二枚も入れる必要ないんだよ。あんなの一枚で上等だ。そんな基本的なこともわからないから、あいつはおれに勝てないんだ』」
次に雄一は晴彦の供述を読みはじめた。
「『あいつは、四天王の中じゃ最弱だよ。パワーで押す戦いなんて、幼稚園児だってできるさ。弱いから、あんな卑怯なマネをするんだ。強さに自信のあるやつが、そんなきたない手を使うもんかよ。あ! それと、あのアイス、すごくおいしかったよ。今度、また、買うからね!』」
「うへぇ! 気持ち悪いセリフ!」
四角い顔をめいっぱいひそめながら、健が肩をすくめた。
「四天王って、みんな、仲が悪いんだな」
「そうでもないよ」
茜は雄一の肩越しにページをめくると、草野浩二の供述を指さした。
「この人は麻生さんのこと、悪く思ってないよ。むしろ、心配してたもん」
「茜ちゃんのいうとおりですわ。草野さん、麻生さんのことをとても心配していましたわ」
「ああ……。あいつはそういうやつだからな」
雄一はもう一度、咳をすると、声を落として浩二の供述を読みはじめた。
「『ぼくらがコンビニにいっている間、たしかに留守番をしていたのは真だよ。でも、ぼくは真が人のカードを盗むようなやつとは思えない。ねえ、お願いだから、きみたち、真を助けてやってくれよ。お願いだよ』」
「この人は、犯人じゃないといいな」
茜がひとりごとのようにつぶやいた。そのつぶやきは、ぼくら四人の心の代弁でもあった。
草野浩二は、顔も体もふっくらした、肉だんごみたいな子だ。運動はぼくと同じくらいダメだけど、勉強はぼくよりもずっとできる。ぼくが台形の面積を求めることができるのも浩二がやさしく教えてくれたからだ。
「浩二のやつ、おれが算数の追試テストを受けたき、二時間もかけて、数式の解き方を教えてくれたんだぜ。いやな顔ひとつせずに、丁寧に」
雄一がいった。
「だれが犯人なんだろうね」
「茜、それを調べるのがおれたちの仕事だ」
雄一はメモ帳を麗奈さんに返すと、ソファから立ちあがった。
「よし! 事情聴取も現場検証もこれでおわりだ。さあ、本部に戻るぞ」
* * * *
筑波ベーカリーに戻ると、ぼくらはメモ帳の情報をノートにまとめることにした。
次にあるのは、事件が起きた日の四天王の行動だ。
●午後二時……浩二、晴彦が近森家に到着。真は十分、遅れて到着。
●午後二時二十分……晴彦と真が対戦をはじめる(信夫の勝ち)。信夫と晴彦が対戦をはじめる。(信夫の勝ち)
●午後二時三十分……浩二と信夫が対戦をはじめる(信夫の勝ち)。晴彦と真が対戦をはじめる(晴彦の勝ち)。
●午後三時……近くの公園でハンドテニスをはじめる。途中、信夫がトイレのため帰宅(その公園にはトイレがなかった)。
●午後四時……近森家に戻る。その十分後に信夫、浩二、晴彦の三人がコンビニに向かう。遅れてきたバツとして、真は留守番をまかされる。
●午後四時二十分……三人がコンビニから戻る。真はその間、テレビゲームをしていたと主張。そのあと、四人でテレビゲームをはじめる。
●午後五時……真、塾へ向かう。その五分後に信夫と浩二が対戦する(信夫の勝ち)。
午後五時十二分……対戦終了後、アポロ・タイラントがないことに信夫が気づく。三人とも、すぐに探しはじめる。アポロ・タイラントは晴彦と浩二のデッキにも混ざってなかった。
「たしかに――」
雄一はホッとため息をついて、畳の上に寝そべった。
「これじゃあ、真が疑われるのも仕方ないぜ」
「二十分もひとりで家にいたんだもんね」
茜が〝午後四時〟の部分を指でなぞった。
「盗むチャンスは、いくらでもあったってわけだ」
健が四角いアゴをなでながら、うなるようにつぶやいた。
麗奈さんは黙って、ノートを見つめていた。この事件を解くカギが、二時から五時までのどこかに隠れているんじゃないだろうか……。多分、そんなことを考えながら。
「近森さんは、一度、ひとりで家に戻っていますわ」
麗奈さんが急に〝午後三時〟の部分を指さした。その目には、かすかながらも希望の光が宿っている。
「自分のカードを盗むために?」
健がヒューッと口笛を吹いた。そして、麗奈さんのほうへ体を向けた。
「なあ、お嬢。なんために信夫がそんなことする必要があるんだよ。アポロ・タイラントは信夫のカードなんだぜ。四二00円も出して買った、あいつの宝物なんだぜ」
「……そうですわね」
麗奈さんの目から希望の光が完全に消えた。
さあ、いよいよ困ったぞ。困りすぎて、ぼくらはだれも口を利けなくなってしまった。五人とも口を閉じて、天井や怪獣フィギュアを見ながら、必死に頭の中で犯人を考えている。
でも、どれだけ考えても、浮かびあがるのは真の顔だ。盗人の仮面の下からあらわれるのは、ニセモノの涙を流す真の顔なんだ。
「くそ! ダメだ!」
雄一は頭を押さえながら、悔しそうに足をバタバタ動かした。
「よし!」
雄一は起きあがると、自分のおなかを叩いた。
「腹が減ってるから、頭がまわらないんだ。まずはランチだ。推理はそれからにしようぜ」
壁かけ時計に目を向けた。時刻は十二時五分だった。
* * * *
その日のランチは、ぼくの大好きなオムライスだった。けど、事件のせいで味なんか全然わからなかった。ライスを噛むたびに、四天王の顔が浮かびあがって、ケチャップの味を消してしまうんだ。
筑波ベーカリーに到着したのは午後一時だった。ぼくが本部に入ると、雄一が麗奈さんと健に午後からのプランを説明していた。
「彰、午後からは二手に分かれて事情聴取だ」
「事情聴取? また?」
「ああ。でも、これは四天王じゃない。あの五年生の三人にするんだ」
「どうして? 事件の日、あの子たちは現場にいなかったんだよ」
「そうだな。そのとおりだ。でも、あの子たちは四天王の人間関係を知ってるぜ」
「ぼくも知ってるよ。浩二以外は真のことをよく思ってない」
「その程度は、おれも知ってるよ。でも、あの子たちは、それよりも、もっと多くのことを知ってると思うぜ。だれがだれに恨みを持っているとか、カードを盗むような、きっかけとか――」
「四天王の人間関係を客観的に見ることのできる人物ですわ」
「なるほど……」
「この事情聴取は麗奈と茜にやってもらう。おれたちは、ほかの人物の聴取だ」
「ほかの人物?」
「真さ」
雄一は壁かけ時計に目を向けた。一時三分。茜は、まだやってこない。
「茜のやつ、まだ、こないのかよ」
そのとき、ちょうど、茜がドアを開けてやってきた。
「三分、遅刻だぞ。仔猫団員」
「ごめん、ごめん。山田くんの家を調べるのに、ちょっと、時間がかかっちゃって」
「それで、訪問はできるのか?」
「ばっちり。わたしと麗奈ちゃんがいくって電話でつたえたら、アイスとジュースを用意して待ってるだってさ」
「そのアイス、きっと、お嬢の会社のやつだぜ」
健がニヤッと笑うと、麗奈さんも茜も笑った。
「でもよ、雄一。この組み合わせで大丈夫か?」
「健。それ、どういう意味だ?」
「女の子組はいいさ。〝女の子〟だからな。美少女二人組がきたら、あいつらも、丁寧にありのままを教えてくれるぜ。だけど、おれたちはうまくいくかな? 真のやつ、イケメンとメガネと八百屋がきて、気を損ねたりしないかな?」
「心配ないさ」
雄一はリュックを背負って、立ちあがった。
「あいつの涙が本物なら、おれたちの聴取にちゃんとこたえるはずさ。濡れ衣をさっさと脱ぎたいだろうしな」
結局、組み合わせはこれでよかった。まさに「これ」でよかったんだ。男の子と女の子にわかれてよかったんだ。
女の子グループとわかれたあと、ぼくたちは真の家に向かった。真の家は隣町の紅葉西町にある。
ぼくたちは少しでも早く真の家にいくために、近道を通ることにした。
紅葉駅っていう、大きなもみじの看板がトレードマークの駅の裏を通れば、五分も早く、あいつの家に到着することができる。事件はそこで起こったんだ。
「おい!」
駅の裏側にまわったときだ。先頭を走っていた健が急ブレーキをかけて、叫び声をあげた。
「真だ!」
駅の裏には、有刺鉄線をはり巡らされた空き地がある。真はそこにいた。五人の中学生に囲まれながら。
真は怯えていた。顔は蒼白で、いまにも泡を吹いて気絶しそうだ。
「彰はここで待機! 健、いくぞ!」
雄一は自転車をその場にたおすと、壊れた門をくぐって、健とともに空き地に飛びこんだ。
「やあ! やあ! やあ! 新しいチョコレートの試食会だな! おれも混ぜてくれよ!」
「チョコもいいけど、たまには野菜も食べなよ!」
雄一と健は、わざとおどけた調子で大きな声を出すと、中学生と真の間に割りこんだ。
「なんだよ、おまえら」
中学生のひとりが雄一をにらんだ。顔じゅうニキビまみれで、あれならチョコレートの食べすぎだといわれても仕方のない顔だ。
「パン屋と八百屋だよ。あんたらが仔犬のようにかわいがってる、真くんのお友達さ」
「じゃあ、教えといてやるよ。友達はちゃんと選びな。こいつは人のカードを盗む犯罪者だぜ」
別の中学生が真の胸ぐらをつかんだ。真がニワトリのようにかん高い悲鳴をあげた。
「真、それ、ほんとうか?」
雄一がたずねた。真は震えながら、首を横にふった。
「ウソつくなよ!」
ニキビ面が叫んだ。
「おれの『火炎綱渡り』を盗んだのはおまえだろ!」
「ち……ち……ちがう」
真が蚊の羽音のように小さな声であえいだ。
「ちがうだってさ。本人がちがうっていってんだから、ちがうんだろ」
雄一はにんまりと笑いながら、大げさに肩をすくめた。
「枕の下はちゃんとさがしたかい? トイレにいったとき、パンツの中に入れたのかもしれないぜ」
ああ……また、はじまったぞ。雄一って、いつも、こうなんだ。ケンカするとき、あいつは相手を挑発するクセがあるんだ。本人は相手の冷静さを奪うためだといってるけど、あれじゃあ、自分からケンカをしかけているようなものだよ。
「こいつ!」
ニキビ面が雄一に躍りかかった。雄一はニキビ面につかまれて地面にたおれた。
だけど、やられたらやり返すのが、ぼくらのリーダーだ。雄一は両手を大きくふりかぶって、ニキビ面のほほを思いきり叩いた。ニキビ・サンドウィッチだ!
ひるんだニキビ面が雄一の体から手を離した。雄一は、その一瞬のスキを見逃さなかった。
雄一はニキビ面の肩を押して、相手を自分の体から引きはがすと、すばやく立ちあがった。
「真、逃げろ!」
これが雄一の作戦だった。相手の怒りを自分に向けさせて、そのスキに真を逃がそうって作戦だ。
真はハッとして、胸ぐらをつかんだ相手を突き飛ばすと、そのまま、ぼくのほうに向かって走ってきた。
「彰、真と一緒に逃げろ!」
雄一がぼくに向かって手をふった。けど、ぼくはふたりが心配で、その場から動くことができなかった。
「彰、何やってんだ! 逃げるぞ!」
真がぼくの手を引っぱった。
「逃げろ! 逃げて警察に通報するんだ!」
その瞬間だ。ボウズ頭の中学生が雄一の背中に飛びかかった。
「うわ!」
雄一はバランスを崩して、また地面にたおれた。
「雄一! いま、助けるぜ!」
健は、ボウズ頭の脳天にチョップを叩きこんだ。健の得意技のひとつ、十文字ゴリラチョップだ。
ゴリラチョップを受けたボウズ頭が悲鳴をあげて、雄一の背中から離れた。そして、頭を押さえて、泥まみれになりながら、地面の上を転げまわった。
「有刺鉄線デスマッチか! おもしれぇじゃねえか!」
健は鼻の頭をこすると、雄一を蹴ろうとする中学生にタックルをかました。
「まだまだ!」
健は、立ちあがろうとするニキビ面のお尻に破壊力抜群のゴリラキックをお見舞いした。
でも、相手は五人だ。五人の中学生だ。いくらふたりがケンカ慣れしていても、このままじゃ、数の差で負けてしまう。
「雄一! 健!」
ぼくはあたりを見回した。近くに大人の姿はない。たったひとりいたのは、三輪車に乗った幼稚園児だけだ。
ぼくはその幼稚園児に向かって、大声で叫んだ。
「おまわりさーん! たすけてー!」
ニキビ面がハッとして、ぼくのほうをふり返った。ニキビ面からは隣の建物がジャマして、幼稚園児の姿が見えない。ぼくは幼稚園児に向かって叫び続けた。
「おまわりさーん! ケンカでーす! ぼくの友達が殴られているんです!」
「くそ! 警察がくる! 逃げるぞ!」
ニキビ面のひと言で、中学生たちは急いで空き地から出ていった。
「ふたりとも! 大丈夫?」
中学生がいなくなると、ぼくはふたりの元へ走った。体じゅう泥だらけだけで、口から血を流しているけど、ふたつの脚で力強く大地に立つ姿は、ひとりの人間を守り抜いた「漢」の姿だった。
「……大丈夫だ。でも、体じゅうがいたい」
雄一が地面につばを吐いた。血の混ざった赤いつばだった。
「健、大丈夫か?」
「あれぐらい平気さ」
健がアゴをなでながら、いった。
「アゴを殴られたのか?」
「ああ。これでアゴが細くなったら、おれもイケメンの仲間入りだな」
健が雄一に手をさしだした。雄一はその手をがっしりと握りしめた。
「ところで彰、警察は?」
「あそこだよ」
空き地の入り口には、目を丸くさせた幼稚園児が三輪車に乗って、ぼくらを見ていた。
* * * *
さて……一度、ここで語り手交代だ。語り手の交代とともに捜査の視点も女の子グループに交代だ。ぼくらの活躍ばかりをつたえるのは、せっかく、がんばってくれた麗奈さんと茜に失礼だものね。
さあ、ここからは少しの間、山岡茜が語り手を務めるよ。準備はいいかい?
それじゃあ、茜、あとは頼んだよ!
* * * *
それじゃあ、ここからはわたし――山岡茜が事件を伝えていくね。
雄一たちと別れたあと、わたしと麗奈ちゃんは大盛桜の家に向かった。桜ちゃんはわたしと同じクラスで、二年生のときに転校してきたの。もともとドッジボールとかキックベースとか、男の子が好きな遊びが好きな子だったけど(わたしも人のこと、いえないかな?)カードゲームにハマっているのを知ったのは、わたしが四年生のときだった。
桜ちゃんの家に到着すると、麗奈ちゃんは腕時計(銀色でカッコいいの!)で時間を確認して、時刻をメモ帳に書きこんだ。ああいうのが「できる女」っていうのかな?
インターホンを押すと、桜ちゃんのお母さんが出迎えてくれた。元女子レスリング部員だけあって、腕がすごく大きかったよ。あれで顔が四角だったら、女版健だね。
桜ちゃんは自分の部屋にいた。わたしたちは、そこで事情聴取をおこなった。
でも、それはあまり意味がなかった。桜ちゃんの知っている四天王の人間関係はわたしたちが知ってるのと同じものだった。
次にわたしたちは山田信吾の家に向かった。途中、のどが渇いてコンビニに寄ったけど、そこで麗奈ちゃんがジュースをおごってくれたの。やっぱり、麗奈ちゃんはできる女だね!
信吾くんは家の前でわたしたちを待っていた。わたしたちを見つけると、急に体をモジモジさせはじめたけど、トイレでもガマンしてたのかな?
「だれにもいわないでね。実は、ぼくは晴彦さんが犯人だと思ってるんだ」
聴取がはじまると、信吾くんは真っ先にそういった。いきなりこんなことをいうから、麗奈ちゃんもわたしも、思わず口を開けちゃった。
「『このモンスターがバトルゾーンにいる間、相手は光属性以外の呪文カードを使用することができない。』――アポロ・タイラントの効果だよ。晴彦さんは呪文カード主体のデッキだから、このカードを出されたら、ほとんどのカードを使えなくなるんだ。そうなると、晴彦さんが勝てる可能性はゼロさ」
「なるほど……。〝魔法使い〟にとっては、やっかいなカードですわね」
麗奈ちゃんはメモ帳にアポロ・タイラントの効果を書きこんだ。
「あの人たちの人間関係はあんまり知らないけど、盗まれたカードの効果を考えたら、晴彦さんが一番、怪しいんじゃないかな?」
なるほど……。そういう考え方もあるんだね。探偵として覚えておかなくちゃ。
山田家での収穫はこれだけだった。でも、わたしたちには十分に意味のある訪問だった。これで、新しい切り口から犯人を見つけ出せるかもしれないもんね!
でも、次の訪問はもっともっと大きな収穫があった。野崎太一くんの聴取はとても意味のあるもので、同時に真さんの印象を、とても悪くさせるものだった。
* * * *
「真さんは不正をしていたんです」
「不正?」
麗奈ちゃんはペンを止めると、床を見つめる太一くんにたずねた。
太一くんはわたしたちが家にきたときから、ずっと暗い顔をしていた。暗くて、悲しそうで、それでいて自分を責めるみたいで……まるで、世界にあふれる、すべての悲しみを一心に背負っているみたいだった。
わたしたちは太一くんの部屋で聴取をおこなった。カードを入れるバインダーは、カードの種類ごとにわけられているし、机の上もきちんと整理されている。整理係りの太一くんらしい、整った部屋だった。
「それについて、詳しくお話ししていただきませんか?」
麗奈ちゃんはメモ帳に「重要!」と書いて、その下に太一くんの証言を書きはじめた。
「真さん、一週間前に隣町で開かれた大会で不正をしたんです」
「どのような不正ですの?」
「スリーブにマークを――」
「スリーブ?」
麗奈ちゃんはもう一度、手を止めると、申しわけなさそうに眉をひそめた。
「すみません。カードゲームについては初心者なものなので……」
「スリーブっていうのはカードを保護する袋のことです。だいたいのプレイヤーはこれにカードを入れてゲームするんです」
「そういえば、信夫さんや晴彦さんもカードを袋に入れてましたわね」
「どうして、そんなことするの? トランプで、そんなことする人、見たことないよ」
わたしがカードを切るマネをすると、太一くんは笑いながら、こたえてくれた。
「カードゲームプレイヤーにとって、カードってすごく大切なものなんだ。だから、レアカードにキズがつかないようにスリーブに入れるんだ。ちょうど、ゴッホの絵画を額に入れるのと同じだよ」
そっか……。たしかにすごく価値のあるものでも、キズがついたり、汚れたりすると価値が落ちちゃうもんね。お醤油のついたアポロ・タイラントじゃ、四二00円の価値なんかないよ。
「真さん、すごく小さなマークをスリーブにつけて、自分が引くカードがなんなのかを、わかるようにしていたんです。それで、大会のベスト4になった」
「どうして、太一さんは麻生さんが不正をしていることを知ったのですか?」
「ぼく、二回戦で負けちゃって、あとは真さんの対戦を見ていたんです。そのときに不正に気づいて……。
ほんとうは止めなくちゃダメだったんです。不正を告発しなくちゃダメだったんです。でも、ぼくはできませんでした」
「どうして?」
わたしがたずねると、太一くんは目をつぶった。それは、まるで、わたしの質問から逃げるみたいだった。
「……ぼく、真さんに憧れていたから」
太一くんは目をつむったまま、静かにこたえた。
「ぼくに『デュエル・フロンティア』を教えてくれたの、真さんなんです。ぼく、もともと友達づくりが下手で、友達も少なかったけど、カードゲームを通じて、いろんな友達をつくることができたんです。真さんはカードだけじゃなく、友達づくりの方法もぼくに教えてくれたんです」
太一くんは目を開けると、自分の机に向かった。そして、引き出しの中からデッキ(カードの束)をとり出すと、それを持って、わたしたちのところへ戻ってきた。
「ぼくが獣モンスター主体のデッキを使うのは、真さんに憧れているからなんです」
「あなたは、憧れている麻生さんの不正を公にしたくなかった。だから、何も見ないフリをした――」
太一くんは何もいわずに、首を縦にふった。
「ショックと同時に、絶対に真さんを守らなくちゃいけないって思ったんです。だから、だれにもいわなかった。それがもとで今回みたいな事件が起こってしまった……ぼくのせいです。ぼくがあのとき、ちゃんと不正を告発していたら、真さんはこんなことしなかったかもしれない。ダメなことをダメだってわかる人間になっていたかもしれない」
「太一さん。まだ、麻生さんが犯人だと決まったわけではありませんわ」
「そうだよ。真犯人は、きっと別のだれかだよ」
「でも……」
「大丈夫」
麗奈ちゃんはメモ帳を閉じて、太一くんの手をそっと握ったの。その瞬間、太一くんのほっぺたが真っ赤になったよ。ははぁ、さては太一くん、麗奈ちゃんにホレちゃったな。
「大丈夫ですわ。麻生さんは、ちゃんと限度のわかる人ですもの。女の子のスカートをめくっても、人の宝物を盗むようなことはしませんわ。ところで、太一さん。ひとつ、お聞きしたいのですが、よろしいですか?」
「なんですか?」
「太一さんが麻生さんの不正に気づいたとき、ほかの四天王は何をしていましたか?」
「みんな、真さんの試合を見ていました」
「なるほど。試合のあと、不正のことで、四天王のだれかが麻生さんを怒りませんでしたか?」
「だれも怒りませんでした。多分、だれも不正に気づいてなかったんじゃないでしょうか」
「いいえ。麻生さんの不正に気づいた人が太一さん以外に、もうひとりいますわ」
そのときの麗奈ちゃんの目を、わたしは絶対に忘れないよ。火花が散るみたいに目の奥がキラキラって輝いて、その輝きのせいで、麗奈ちゃん自身が金色の光を放っているみたいに見えたの。
「麻生さん、お電話を借りてもよろしいでしょうか?」
「いいですけど……」
麗奈ちゃんが急ぎ足で部屋から出ようとしたから、わたしはもっと急いで、麗奈ちゃんの手を引っぱったの。
「ねえ、麗奈ちゃん。どこに電話するの?」
「麻生さんの家ですわ。ですが、お話しするのは麻生さんではなく、雄一さんですわ」
麗奈ちゃんは自信に満ちた『名探偵』の目でわたしを見た。
「雄一さんにあることを確認してもらうのです」
「あること?」
「ええ。真さんのデッキのカードについて確認してもらうのです。そうすれば、犯人がわかりますわ」
* * * *
さて……。ここからは、また宮田彰の語りで捜査を伝えていこう。(ぼくたちだって、女の子グループに負けないぐらいがんばったんだ。いいだろ?)
茜と麗奈さんが五年生の家をまわっている間、ぼくらは真の聴取をおこなっていた。
「じゃあ、あいつらがコンビニにいっている間、おまえはだれのカードにも触れてないんだな?」
「ああ。自分のデッキにすら触れてないぜ。ずっと、信夫が新しく買ったゲームをしてたんだ」
「そうか……」
雄一はノートと真の顔を交互に見ながら、低いうなり声をあげた。
「うーん……どうやって、犯人は信夫のデッキからアポロ・タイラントを盗み出したんだろう」
「ところでよう、真」
健があごをさすりながら、顔を真に近づけた。殴られたあごは細くなるどころか、腫れて、四角い顔をさらに大きくさせていた。
「あの中学生たち何者なんだ? どうして、おまえを脅してたんだ?」
「あいつらは紅葉中学のデュエル・フロンティア同好会のメンバーさ。あの、ニキビまんじゅうみたいなやつがリーダーの進藤隆二で、ほかのやつは全員、一年生だよ。カードの腕も二流だし、五人がかりじゃないと小学生も脅せない、腰抜け野郎さ」
真のやつ、よくいうよ。その腰抜け野郎相手に震えあがっていたのは、おまえじゃないか。
「進藤のやつ、大会でおれに負けたから、腹いせに、おれがあいつのカードを盗んだっていいやがるんだ。おれは『火炎綱渡り』を四枚も持ってるんだぜ。これ以上、いらないよ」
「おまえ、大会に出てたのか?」
「ああ、一週間前に隣町で開かれた小さな大会だよ。それでもベスト4だぜ。すごいだろ?」
真が得意げに笑ってみせた。
「大会か……。そういや、おれと雄一も一回だけ、カードショップの大会に出たことあったな。雄一、あれ、いつのことだっけ?」
「去年の八月さ。夏休みの宿題をさぼって、ふたりで必死にデッキをつくったじゃないか」
「ああ、そうだ。思いだしたよ。おれ、美少女とゴリラのカードをいっぱい入れた『セクシーゴリラ』デッキをつくったんだっけ」
「おれは相手の手札を奪うデッキをつくったな。結局、ふたりとも初戦で負けたけどな」
「あのころは、昼でも夜でもカードのことばっかり考えてたな」
健は深いため息をつくと、遠い目をして、窓の外の青空を見つめた。きっと、美少女やゴリラと過ごした日々を思いだしていたんだろうな。
健のため息に感化されたのか、雄一まで遠い目をして、青空を見つめはじめた。
「懐かしいな……たった半年ぐらい前のことなのに」
雄一の目線が真の顔に移った。
「真、おまえ、ふたつデッキあるか?」
「あるけど……」
真はカード専用のたなをアゴでさした。それから、何かに気づいたみたいに口を大きく開けた。
「雄一。おまえ、まさか――」
「ああ、ひさしぶりにやろうぜ」
雄一は男前の顔でニヤッと無邪気に笑うと、ノートをリュックの上に投げた。
「聴取はいったん、お休みだ。こいつはカードゲームの事件なんだ。カードのことをよーく調べないと、真犯人に、たどり着けないぜ」
それから三十分――。あいつはカードのことをよーく調べたよ。
よく調べ、よく遊び、そして、よく負ける。雄一も健も一度だって、真には勝てなかった。
「くそ! また負けか」
雄一は真のバトルゾーンにいる二体のガイア・ユニコーンをにらみつけた。人間ならいざ知らず、相手はカードだ。いくら、雄一の眼力がすごいからって、ひるんでデッキに戻るなんてことないよ。
二体のガイア・ユニコーンは真の勝利を祝うようにライトの光を浴びて七色に輝いている。ガイア・ユニコーンはホログラム加工されたスーパーレアカードなんだ。
「なんで勝てないんだろうな」
雄一の手札をのぞきながら、健がつぶやいた。
「あのな、おれが使ってるデッキは、二日前につくった最新デッキなんだぜ。二軍のデッキに負けるはずないだろ」
「二日前っていうと、ちょうど事件が起きた日だね」
ぼくは雄一と健を三流カードプレイヤーから少年探偵に戻すために、あえて、こんな発言をした。
「ああ。このデッキをつくるのに、すごく時間がかかったんだ。だから、おれ、信夫の家にいくのに遅れたんだよ」
「てことは、おまえは自分の家を出るまで、ずっと新しいデッキをつくってったってことか?」
雄一がたずねた。
「そうさ。午前中に〈ミモザ〉で新しいカードを何枚か買って、それでデッキをつくったんだ。苦労したぜ。『モンローラビット』を三枚入れるかどうかで二十分も迷ったんだ」
雄一の目が変化しはじめたのは、このときだ。でも、このときは、まだ、ちょっとした変化だった。線香花火みたいに、いまにも消えそうな仮説の光が、目の奥にひとつ宿っただけだ。
雄一は、リュックの上のノートをとって、ページをめくった。
「……午後二時二十分。信夫と真が対戦をはじめる」
「雄一、何をしてるの?」
ぼくがたずねても、あいつは無視だ。じっと、一心不乱にノートを見つめている。
「午後二時三十分。浩二と信夫が対戦をはじめる。晴彦と真が対戦をはじめる」
雄一の目が輝きはじめた。線香花火のように弱弱しかった光が、ロケット花火のような強い輝きに変わったんだ。
「おい、真!」
雄一はノートを投げ捨てると(あんまり強く投げたもんだから、ノートが天井にあたった)カードを片づける真にたずねた。
「なんだよ。あんまり、大きな声、出すなよ。姉ちゃんが隣の部屋で――」
「おまえ、事件の日の対戦で召喚したモンスターカードを全部、覚えてるか?」
「全部って……そりゃ、覚えてるわけないだろ」
「じゃあ、せめて、あのカードを――」
そのとき、真のお姉さんが部屋に入ってきた。雄一があんまり大きな声を出すから、怒って、やってきたんだろうな。そのときは、そう思っていた。
でも、彼女は雄一を怒るためにきたわけじゃなかった。彼女はつたえるためにきたんだ。ぼくら宛てにかかってきた電話のことをつたえるために、やってきたんだ。
「雄一くん、水谷って女の子から電話だよ」
「さては麗奈も何かつかんだみたいだな。健、彰、ついてこいよ」
一階に降りると、雄一は受話器の向こうの麗奈さんに向かって、大きな声で話しはじめた。
「麗奈か。おれは、いま、犯人につながるかもしれない情報を――そうさ! まさに、そのとおり! 真のデッキのカードを確認する。それを、おれもいまからやる予定だったのさ! いま、野崎の家にいるんだろ? 真の家にこいよ。そこではっきりさせるんだ。おまえのメモ帳と照らし合わせてな!」
第四章 犯人はおまえだ!
ぼくらが真の家を出たのは、午後五時だった。
「これで、すべてつながったな」
麻生家の灰色の屋根を仰ぎながら、雄一がつぶやいた。
四天王の供述。事件の日に真が使用したカード。そして真の不正。すべてが繋がって、この事件の犯人をはっきりとぼくらに教えてくれた。
「さて諸君。家に帰ってやることはわかってるな?」
雄一はぼくらのほうへ顔を向けた。
「もちろんだ」
健は指の関節を鳴らしながら、雄一の顔をまっすぐ見つめた。健だけじゃない。ぼくたち全員が、このあと、家に帰って、うがいと手洗いの次にすることをわかっていた。
家に帰ると、ぼくはある人物に電話をかけた。これがぼくらの使命さ。ぼくらがやらなくちゃいけないことってのは、真を除く四天王と三人の五年生に電話をかけることさ。
「あ、浩二。ぼくだよ、彰だよ」
ぼくの担当は草野浩二だった。浩二は夕食前の間食――あのパリパリ音はポテトチップスだな――を食べながら、ぼくの電話に出た。
「彰くん、どうしたの?」
「うん。実は明日の放課後、六年一組の教室にきてほしいんだ」
「どうして?」
「カードを盗んだ犯人がわかったんだ」
ポテトチップスをかじる音が消えて、それと一緒に浩二の声も消えた。でも、浩二は電話を切ったわけじゃない。すぐにあいつはぼくに質問してきた。
「――それ、ほんとうなの?」
「ほんとうだよ。だから、きみに電話したんだ」
「彰くん、犯人はだれなの? もしかして真じゃないだろうね?」
「いまは犯人をいえない。明日じゃないとダメなんだ」
「どうして?」
「どうしてもさ。だから、明日の放課後、ぼくらの教室にきてくれるかい?」
「わかった。いくよ」
それから、ぼくは「あること」を浩二に確認した。この事件において、とても重大なことだ。ぼくらの切り札になるかもしれない重大なことだ。だから、いまはきみにはいえないんだ、ゴメンよ。
浩二の電話がおわると、ぼくは筑波ベーカリーに電話をかけた。
「もしもし、筑波ベーカリーです」
電話に出たのは、雄一のお母さんだった。
雄一のお母さんは、とてもやさしい人で、コアラみたいに、いつも眠そうな顔をしているんだ。でも、眠そうなのは顔だけじゃないよ。声まで眠そうなんだ。赤ん坊の雄一が夜泣きしなかったのは、きっと、あの声で子守唄を歌ってもらったからだろうな。
「あ、おばさん。ぼくです。宮田彰です。雄一に変わってもらえますか?」
電話はすぐに雄一に変わった。
「彰、どうだった?」
「ばっちり。ほかのみんなは?」
「麗奈と茜から連絡はあった。あとは健だけだ。それで……浩二はあのことを認めたか?」
「うん、認めたよ。真のいったことはほんとうだよ。ウソじゃない」
「ウソなんて思っちゃいないさ。ただ、ちょっと不安になっただけだよ」
「やっぱり、きみも不安なの?」
「ああ。犯人がミスをおかしたみたいに、おれたちもどこかでミスをしたんじゃないかって思っちまうんだ」
「大丈夫さ」
ほんとうのこというと、ぼくも百パーセントの自信はなかった。理由は雄一と同じだ。でも、ここで雄一を怖気づかせるわけにはいかない。だから、ぼくはMCD最大のセールスポイントを活用することにした。
「ぼくたちは〝五人〟の探偵団なんだよ。どんなに頭のいい犯罪者でも、ひとりならミスを防ぐことはできない。でも、ぼくらは五人いるんだ。みんなでミスを防いでいけばいいさ」
MCDは五人いる。五人全員がホームズのような推理力を持っているわけじゃない。五人全員がアメコミヒーローのようなスーパーパワーを持っているわけでもない。ぼくらはただの五人の小学生だ。
でも、五人だからこそ、ひとりじゃできないことができる。足りないものを補うことができる。みんなで知恵をふしりぼって、別々の考え方から真実にたどり着けることができる。それがMCDの一番のセールスポイントだ。
「五人いるんだ。絶対に大丈夫さ」
「そうだな。MCDは五人も優秀な探偵がいるんだもんな。よっしゃ!」
雄一はきっと、自分のほほを叩いたんだろうな。ピシャン! て大きな音が受話器を通して、こっちまで届いた。
「彰。今日はしっかり夕飯を食って、はやく寝ておけよ。明日に備えるんだ」
「はいはい」
「そうだ。それと、給食は食べすぎるなよ」
「どうして?」
「なあに。明日のお楽しみさ」
「楽しみって――」
ここでガチャンだ。ぼくが質問するよりも早く、雄一は一方的に電話を切ったんだ。
結局、ぼくは雄一にいわれたとおり、しっかり晩ごはんを食べて、いつもより一時間も早く寝床についた。明日はいよいよ犯人との直接対決だ。どんな、お楽しみが待っていようが、それに心を弾ませる余裕なんてなかった。
* * * *
月曜日――。運命の日だ。正義と悪の全面対決の日だ。
「よーし。全員、集まったみたいだな」
雄一は教壇の机に手を置くと、ぐるっと教室に集まった子どもの顔を見わたした。
教室にはMCDの五人、麻生真、近森信夫、瀬戸晴彦)、草野浩二、そして五年生の野崎太一、大盛桜、山田信吾の十二人が集まっていた。
「今日、集まってもらった理由は電話でつたえたとおり、この事件の真犯人がわかったからだ。でも、理由はそれだけじゃない。もうひとつの理由があるんだ」
「もうひとつの理由ってなんだよ?」
晴彦がたずねた。あのスケベ魔法使いめ。あいつは、ぼくたちが教壇にいるのをいいことに、麗奈さんの席に座ったんだ。
「それは真が話してくれるさ。真、みんなに話してやりな」
真はイスから立ちあがると、カード仲間の顔をゆっくりと見回した。
そして――。あいつはつくり笑いの顔で、こういった。
「わりぃ。おれ『デュエル・フロンティア』をやめるよ」
みんなが、その瞬間、言葉を失った。真相を知っているぼくたちでさえ口を開けなかった。
「おい! これは何かの冗談か!」
晴彦がイスから立ちあがった。
「冗談じゃないさ。おれは『デュエル・フロンティア』をやめるんだよ」
「どうして!」
叫んだのは野島太一だった。太一くんは立ちあがると、真の元へ走り寄った。
「真さん、どうして!」
「どうしても、こうしても、こんなことが起こったんじゃ、やめるしかないだろ」
真は太一くんの肩を軽く叩くと、ため息をついて、四天王のほうへ顔を向けた。
「おまえらが、おれのことをどう思ってたのか知らないけど――まあ、ある程度は見当がつくけどな。それでも、おれはおまえらのこと、仲間だと思ってたぜ。
でも、おれだって、もう六年生だ。カードゲームで友達を失うことが、どんなにバカげたことかはわかる。だから、おれは、もう『デュエル・フロンティア』をやめる。遊びで人生を壊したくない」
「でも、それはおまえが――」
「おれがなんだ? 信夫のレアカードを盗んだっていいたいのか?」
真の顔はとても悲しかった。それは、仲間に無実の罪を着せられた男の言葉にできないほどの悲しみがあふれた顔だった。
「雄一。あとはまかせたぜ」
「ああ。まかせな」
真がイスに座ると、雄一は息を大きく吸って、静かに話しはじめた。
「信夫のアポロ・タイラントを盗んだのは真じゃない」
「じゃあ。だれが盗んだっていうんだよ!」
晴彦が机を叩いた。
「おれ、もうわかんねぇよ! アポロ・タイラントはなくなるし、真は『デュエル・フロンティア』をやめるし……もう、何がなんだかわかんねえよ!」
晴彦はもう一度、机を叩くと、教室から出ていこうとした。
「逃げるなよ、晴彦」
真のひと言で晴彦は立ち止まった。真の言葉が晴彦の体を締めつけているようだった。
「逃げるなよ。どうして、雄一がおれたちを集めたかわかるか? これはおれたちの問題なんだよ。カード四天王とそれにかかわるやつの問題なんだ。もう、こいつらは犯人がだれだかわかってる。おれたちを集めたのは、おまえや野島たちに犯人を知ってもらったうえで、これからの四天王をどうするか決めるためなんだよ」
「真のいうとおりだ」
雄一がいった。
「犯罪を暴くまでが探偵の仕事だ。それ以上は何もしない。あとはおまえらの好きなようにしな」
「犯人は一体、だれなの?」
大森桜がたずねた。雄一は彼女に無言のほほ笑みを返した。そして、すべてをおわらせるために麗奈さんの名前を呼んだ。
「麗奈」
「はい」
麗奈さんはメモ帳を開くと、四天王の供述を読みはじめた。
「『ガイア・ユニコーンをデッキに二枚も入れる必要ないんだよ。あんなの一枚で上等だ。そんな基本的なこともわからないから、あいつはおれに勝てないんだ』――これは近森さんの供述ですわ」
次に麗奈さんは晴彦の供述を読みはじめた。
「『弱いから、あんな卑怯なマネをするんだ。強さに自信のあるやつが、そんなきたない手を使うもんかよ。あ! それと、あのアイス、すごくおいしかったよ。今度、また、買うからね!』――これは瀬戸さんの供述ですわ」
「おれ、あのあと、ほんとうにアイスを買ったんだよ」
晴彦は照れ臭そうに笑うと、近くの席に座った。
「おれも男だ。逃げないで、最後まできみたちの話を聞くよ」
「ありがとうございます。次は草野さんの供述ですわ」
麗奈さんは少し間を開けて、浩二の供述を読みはじめた。
「『ぼくらがコンビニにいっている間、たしかに留守番をしていたのは真だよ。でも、ぼくは真が人のカードを盗むようなやつとは思えない。ねえ、お願いだから、きみたち、真を助けてやってくれよ。お願いだよ』――以上が、昨日とらせていただいた三人の供述です」
「ありがとう、麗奈」
雄一は麗奈さんにウインクを送った。麗奈さんはほほを赤らめて、うれしそうにお辞儀をした。
「さて……犯人はここでひとつミスをおかした。そのミスとは一体、何か?」
雄一は言葉を切ると、鋭い鷹の目で犯人を見据えた。
「真は、あの日、家を出る直前までデッキをつくっていた。だれにも見せたことのない新しいデッキだ。でも、悲しいことに真は、それをうまく使えなかった。試運転が足りなかったんだろうな」
雄一は教壇を降りると、犯人の元へ歩み寄った。一歩、一歩……まるで獲物を追いつめる狩人ように、あいつはゆっくりと犯人の元へ向かった。
「真はあの日〝おまえ〟と晴彦と対戦をした。だけど、どっちの試合においても、あいつはガイア・ユニコーンを一体しか召喚できてないんだ。なのに〝おまえ〟はガイア・ユニコーンがデッキに二枚入っていることを知っていた。そうだろ、信夫?」
* * * *
みんなの視線が近森信夫に集まった。
「でも、信夫さんはカードを盗まれたんじゃないんですか?」
信吾くんは信夫と雄一の顔を交互にながめながら、たずねた。
「アポロ・タイラントは盗まれてなんかいない。多分、こいつの机の引き出しにでも入ってるさ」
「雄一。いい加減にしないと、おれも本気で怒るぞ」
信夫はイスに座ったまま、雄一をにらみかえした。でも、雄一は一歩もあとずさりしなかった。信夫の青ざめた顔を見ながら、ゆっくりと話しはじめた。
「おまえは真が大会でイカサマをしたことを知っていた。だから、おまえは、あの日、おれにいったんだ。『おまえは、あのイカサマ野郎の味方なのか?』ってな」
信夫はハッとして、目を大きく開いた。あいつは血走った目で雄一をにらみつけると、悔しそうに下唇を噛みしめた。
「もう隠す必要もないから、おれの口から話すよ。おれ、一瞬間前に開かれた大会でイカサマしたんだ。それでベスト4になったんだ」
「マジかよ……」
晴彦は瞬きもしないで、真の顔を見つめた。真はイタズラがばれた幼稚園児みたいに、恥ずかしそうに頭をガリガリとかいた。
「イカサマ野郎――盗みを働いたやつを罵るときは、ふつう『泥棒』とか『盗人』とか使うんもんだぜ。だけど、おまえは真のことをイカサマ野郎といった。そう、おまえは知っていたんだ。真が大会でイカサマをしていたことを」
信夫は下唇を噛みしめたまま、何もいわない。ただ、血走った目で雄一をにらんでいる。
「おまえはあの日、一度、トイレをしに家に戻っている。きっと、そのとき、この計画を思いついたんだろうな。
これはおれの推測だけど、おまえは最初、真のデッキにアポロ・タイラントを入れて、真がカードを盗んだように見せるつもりだったんじゃないか。でも、真のデッキを見ている間に考えが変わった」
「どんなふうに?」
信夫は雄一をにらみつけたまま、うなるようにつぶやいた。
「もっと確実に真をおとしいれる――だれが見たって、真がカードを盗んだように見せるために、おまえは計画を変更したんだ。
コンビニへいくのに、わざわざ三人でいく必要なんてない。おまえは真をひとりにさせるために、わざと浩二と晴彦を連れていったんだ。こうすれば浩二と晴彦にアリバイができるし、だれも被害者のおまえを疑ったりしない。
そして、おまえは真が帰ったあとに、アポロ・タイラントがないことに気づいたフリをした。どうだ、まちがってるか?」
「まちがってるね」
信夫の顔が人から悪魔に変わった。他人を見下し、蔑み、あざ笑う、まさに悪魔の笑顔だ。そして、自分の勝利を確信した顔だ。
「たいした推理だよ! だけどな、おまえらは大切なことを忘れてるぜ!」
信夫は雄一をにらみつけると、弓を放つように真を指さした。
「おれが真のデッキを見ただって? そんなことしなくても、あいつのデッキの中身はわかるんだよ!
真がしたイカサマは、スリーブに小さなマークを入れることだ! あいつのデッキにガイア・ユニコーンが二枚入ってることを知ったのは、あいつとの対戦中にスリーブのマークを見つけたからさ! 同じ種類のマークをな!」
「……」
雄一は反論できず、目をつむった。信夫はそれを敗北の合図だと受けとったようだ。
信夫は立ちあがると、両手で雄一の胸ぐらをつかんだ。
「この三流探偵が! おまえなんか犯罪者の味方でもしてろ!」
「マークなんてないぜ」
目を閉じたまま、雄一はつぶやいた。
「え?」
「スリーブにマークなんてないんだよ。そうだろ、浩二?」
雄一は目を開けて、浩二にたずねた。浩二はゆっくりとうなずいた。
「信夫。真のイカサマに気づいたのはきみだけじゃないんだ。ぼくも気づいていたんだ。だから、大会がおわったあと、二度とイカサマをしないよう真に注意したんだ。そして、新しいスリーブを買ってあげたんだ」
「浩二はおれのために、わざわざ、イカサマデッキに使っていたスリーブと同じ種類のやつを買ってくれたんだ。新しいデッキのカードは、全部、その新品スリーブに入れてるよ」
真は席を立って、信夫の元へ向かった。
「おまえらしくないぜ。そんなミスするなんてよ」
「……まったくだよ」
信夫は両手を震わせながら、うつむいた。
「雄一のいったとおり、おれはおまえのデッキを見たよ。どうして、そのときに気づかなかったんだろう……。思いこみって怖いもんだな」
信夫は雄一から手を離し、崩れるようにイスに座った。それはまさに崩壊だった。計画の崩壊。自信の崩壊。そして、勝利の崩壊。信夫はとうとう自らの敗北を認めた。
「雄一。どうして、おれがこんなことしたか、わかるか?」
「……なんとなくだけど、わかるよ。おまえ、守りたかったんだろう?」
「何をだよ? 信夫、おまえは何を守りたかったんだよ?」
晴彦が信夫にたずねた。信夫はうなだれたまま、こたえた。
「ブランドさ。おれは四天王っていうブランドを守りたかったんだよ。強くて、特別で、みんなが憧れるレアカードみたいな存在――おれはそれを守りたかったんだよ」
信夫は顔をあげて、真を見つめた。敗北を認めた戦意のない目は、真の顔を見たとたん、もう一度、憎悪の黒い炎を燃やしはじめた。
「真は四天王のブランドをけがしたんだ。おれたちが築きあげてきた、強くて、正々堂々と戦って勝つ四天王のイメージを壊したんだ。そんなやつが四天王であっていいはずがないんだ。こいつが――」
信夫はいきなり立ちあがると、雄一は突き飛ばして、真に飛びかかった。
雄一は突き飛ばされた拍子にバランスを崩してしまい、机の角に背中をぶつけて、床にたおれた。
たおれた雄一に目を奪われて、ぼくも健も麗奈さんも動くことができなかった。
「こいつが四天王であっていいはずないんだ!」
信夫は真を床に押さえつけると、真の顔を殴ろうとして腕をふりあげた。
雄一はダメージで動けない。ぼくたちからじゃ距離が遠すぎる。だれも信夫を止めることができない。九人の子どもは、ただ見ることしかできない。
だけど、十人目の子どもはちがった。その子はジャガーのように力強く床を蹴ると、急降下するオオワシのように、信夫めがけて一直線に走り寄った。
十人目の子ども――それは茜だった。茜は信夫のこぶしが真の顔にあたる寸前に、信夫の腕を蹴りあげた。
「茜、離れろ!」
雄一は立ちあがると、力にまかせて、信夫の体を真から引き離した。
「離せ! 離せよ!」
信夫は狂ったように手足をふりまわした。足が茜の腕にあたり、こぶしが雄一の顔面を襲った。だけど、雄一は絶対に信夫を離そうとはしなかった。
そのころになると、ぼくらも動き出していた。
「信夫、いい加減にしろよ!」
健が信夫の腕をつかんだ。ぼくは脚に飛びついて、信夫の動きを封じた。その間に麗奈さんと茜は真を避難させた。
「きみだって、四天王をけがしてるんだぞ!」
ぼくが叫んだ。それを否定するように、信夫がつま先で、ぼくの胸を蹴った。
「四天王のブランドを崩壊させたのは真じゃない。信夫、おまえだ!」
雄一が叫んだ。その言葉で、信夫は体を動かす力を失った。
信夫はぼくらに体を押さえつけられたまま、泣きはじめた。手足に力はない。だけど、ぼくらは信夫から離れなかった。真に襲いかかると思ったからじゃない。手を離してしまえば、信夫が壊れてしまいそうな気がしたからだ。
信夫は泣き続けた。長い間、泣き続けた。教室から出ていこうとする者はひとりもいなかった。
* * *
四日がたった。
時間がキズを癒すってのはウソじゃないよ。だって、真も信夫もいまじゃ、ふたりそろって仲よく、お昼の放送係りをしているもん。
結局、信夫は四天王をやめることになった。だれかにいわれてやめたんじゃない。自分の意志でやめたんだ。いまではカードアドバイザーとして、初心者プレイヤーにデッキのつくり方なんかを教えているよ。
浩二もまた、自分の意志で四天王をやめた。でも、浩二の場合、四天王だけじゃなく『デュエル・フロンティア』自体をやめることにしたんだ。
「実は前から悩んでいたんだ。来年、中学生になるのに、いつまでもカードゲームなんかしていて、いいのかなって……。でも、あの事件のおかげで決心がついたよ。もう、カードゲームからは卒業する。もっと人生の役に立つ趣味をはじめるよ」
浩二がそう話してくれたのは、お昼休みのときだった。ぼくがそのことを真につたえると、あいつは――
「いいじゃねえか。おれも、やめたとたんに気づいたんだ。カードなんて時間と金のムダだよ。これからは金のかからない趣味に手を出そうっと」
そういって、トドとデッキブラシ剣道をはじめた。(あいつとトドの掃除場所はトイレなんだ。)
ホームルームがおわっても、浩二と真の言葉はぼくの心に残っていた。いや、時間を増すごとに大きくなって、心の中に広がっていった。
学校がおわると、ぼくは筑波ベーカリーに向かった。今日は特別な日なんだ。日曜日に雄一が電話でつたえた「お楽しみ」をする日なのさ。つまり『消えた切り札事件解決記念パーティー』を筑波ベーカリーで開くのさ。
――え? どうして、事件を解決した日にしなかったかだって? そりゃ、あんな信夫を見たあとじゃ、いくら雄一でも笑顔満開のパーティーなんて開けるわけないよ。だから、延期して今日にしたってわけさ。
本部に入ると、すでにパーティーの準備ができていた。小さな手作り三角帽子をかぶった怪獣たちが机の上でバンザイをしている。これは、まちがいなく主催者のアイデアだな。
猫のぬいぐるみが『事件解決!』と書かれたミニ横断幕を持っているのは茜のアイデアだし、ラジカセからプロレスラーの入場曲が流れてくるのは健のアイデアだ。
麗奈さんのアイデアはというと……こいつがすごいんだ。さすが製菓会社の令嬢だよ。麗奈さんはファミリーサイズのアイスクリームボックスを持ってきてくれたんだ。
このアイスは溶けかけていた。でも、これでいいんだ。これに揚げたパンの耳をディップして食べるんだ。これは雄一のアイデアだから、ふたりの共同アイデアってことだね。
「でも、すごかったよな」
アイスのついたパンを食べながら、健が思いだしたようにつぶやいた。
「ほら、信夫が真を殴ろうとしたとき、茜がすごいスピードでとめただろ。あれなんかアクション映画のワンシーンみたいだったぜ」
「真さんを見たときの信夫さんの目がすごく怖かったでしょ。だから、もしかしたらと思って、わたし、ずっと走る準備をしてたんだよ」
「へぇー。おまえ、将来、SPになれるんじゃないか?」
それを聞くと、茜は得意そうにパンの耳をかじった。
「茜だけじゃない。みんなががんばったから、あの事件は解決できたんだ」
雄一はバケットからパンの耳を一本とると、それを麗奈さんに投げた。
「麗奈が、信夫のイカサマ発言に気づき、それを真の不正と結びつけなかったら、スリーブのことはわからなかったかもしれない」
次に雄一はパンの耳を健に投げた。
「健がいなかったら、おれも真も中学生にボコボコにされて、事件の捜査どころじゃなくなってたかもしれない」
「そのとおり! あ、それで思いだした。あのニキビ野郎のレアカード見つかったってよ。ニキビクリームと一緒に机の下に落ちてたんだってさ。真がいってたぜ」
「そりゃ、よかった。そして、彰がいなければ――どうした、彰? 腹でも痛いのか?」
「ちがうんだ。ねえ、雄一。意味のないことなのかな?」
「何が?」
「カードゲームだよ。カードだけじゃない。テレビゲームにしろ、スマートフォンのソーシャルゲームにしろ、やめてしまえば、それって、その人にとって意味のないことになっちゃうのかな?」
みんなが口をつむって、ぼくを見た。ぼくは言葉を続けた。
「ぼくはカードゲームをしたことがないからわからないけど、雄一や健はわかるんじゃないかな? レアカードが出たときのドキドキとか、デッキをつくってるときのワクワクとか」
「まあな……」
雄一は立ちあがって、机の引き出しを開けた。中には雄一のデッキが入っていた。
「意味のないものなんかじゃないさ」
雄一はデッキをとると、カードを一枚一枚めくりはじめた。
「カードに夢中になってたときの情熱とか楽しみって、そのときにしか味わえないものなんだ。ほかのやつから見たら、ただの紙切れかもしれない。でも、あのときのおれは、それを集めるのに夢中になってたし、レアカードが出たら、本気でうれしかった」
「意味のないもの――なんていいたくないよな……」
健は雄一に手をのばした。雄一はその手に自分のデッキを握らせた。
「かけた情熱と熱意はニセモノではありませんわ」
「昔、自分が好きだったものを見ると、懐かしい気持ちになれるもんね」
茜は麗奈さんの肩に寄り添った。麗奈さんは実の妹をかわいがるみたいに、茜の頭をやさしくなでた。
「ねえ、雄一、みんな。もし……もし、探偵団が解散になっちゃっても、ぼくら、そのときの思い出を自虐的な笑い話にしないよね? 昔はバカなことしたな、なんて思わないよね? そのときの自分を誇りに思えるよね? 大人になっても、探偵団をしていた自分をバカだなんて思わないよね?」
「絶対にバカになんてするもんか」
雄一はみんなを見下ろして、力強くいい放った。
「バカになんかするもんか。おれは他人にウソをついたことは何度もあるけど、自分の人生にウソをついたことは一度もない。それは多分、これからも変わらない。だから、大人になっても、自分の人生のためにはじめた探偵団をバカにしたりするもんか」
「団員のこともですか?」
麗奈さんがたずねた。雄一はこっくりとうなずいた。
「ああ、そうだ。おまえらと協力して解決した事件をバカにしたりするもんか。そうだ!」
雄一の顔が真夏の太陽みたいに輝いて、ぼくらに降り注いだ。
「おれ、大人になったら、探偵を続けながら作家になろうかな。MCDの事件記録を本にするんだ。題して『MCD探偵録』!」
「雄一、きみは探偵だけに専念しなよ。探偵録はぼくが引き受けるよ。そっちのほうがもうかりそうだしね」
全員が大声をたてて笑った。真と浩二の言葉は、もう、ぼくの心の中になかった。
(完)