とある騎士の回顧より
初めて彼を見たのは、彼の国の皇女が成人するという年の誕生パーティ。
年頃の若い王子たちがこぞって出席したその宴に、護衛として付き従っていた自分の目を一際引いたのは美貌といって良いその顔に走った傷跡。
失明こそ免れたのだろうが、長く右目のまぶたを裂いただろう傷跡は、醜いというより一つのアクセントとしてその美貌を際立たせていたように見えた。
兄が筆頭公爵という彼は、近衛騎士として使えているという。
皇女の結婚相手を探すという意味もあったはずの宴で、その皇女を守るべく背後に付き従う姿は、しかし並み居王子たちの誰よりも皇女とお似合いだった。
残念ながら、わが国の王子は彼の皇女を射止めることができずに終わったが、その数年後に王子の妹姫がかの国に輿入れすることが決まった。
またしても彼の国に赴いた時、数度顔を合わせ話をする機会があった。
昨年妻を娶り、間もなく子供が生まれるという事を知った。
自分のことも知っていて、ぜひ話をしてみたかったのだと、そう笑いながら云われた。
王女を送り届けるのが任務。
ほんの数日間だけ滞在し、自分はまた自国へと戻る。
王女が嫁いだとはいえ、そうそう行き来のあるわけでもなく、もう会うこともないだろと思っていたが、わずか一年ばかりで王女が儚くなる。
流行病だった。
王子を産んで弱っていたところに病を得て、あっけない事だった。
数年後、皇子が即位し、まだ幼い王子が皇太子となると、皇太子の伯父に当たる我が国の太子が祝いに向かう。
半年ほど前に新しく正妃を得た新たな皇帝は、亡き姫の故国に礼を尽くしてくれた。
彼の人と会うことはなかった…。
北の国で叛乱がおき、国王が斃されて新たな国がおきた。
斃された国王とは縁続きであるため、兵を出すことになった。
まだ幼い王子たちが無事かどうか。
彼の国からも助力を得ることができた。
赤の軍と呼ばれる皇帝直属の部隊だ。
指揮は彼の人、だった。
北の国は恐ろしく雪深い。
春とはいえ名残の雪が降り、また厚く積もった雪が溶けきらずに行く手をはばむ。
王都より放逐したとはいえ、まだその首級を挙げたわけではなく、敗走して散り散りになった反乱軍を追うのは容易ではなかった。
ましてや赤の軍は雪に不慣れ。
我が国よりも南に位置する彼の国では雪はほとんど降らない。
雪中行軍など無謀もいいところだったが、目と鼻の先に居ると知った赤の軍が先走ってしまった。
慌てて追いかけ、何とか合流するまでは良かったが、そこで雪崩がおきた。
気がついたときには彼の人と二人。
何とか雪から這い出て様子を見るが、だいぶ押し流されたのか、周囲には仲間の姿は見あたらない。
幸い、洞穴を見つけてそこへ避難することにした。
あまり広くはないが、獣の住んでいた形跡もない。
兵糧は身に着けていたし、水も雪を溶かせば何とかなる。
とりあえず燃やせそうな草木を集めて火をおこす。
寒さに凍えてしまいそうだ。
だがそれでも冷たい空気は容赦なく体温を奪おうとする。
よこしまな思いが無かったとは云わない。
だがそういう方法しかなかったのも確かだ。
熱い体だった。
おそらくこの先もずっと忘れられないだろう。
あの肌、あの香り、あの吐息、熱とその瞬間の、貌。
一晩熱を交わし、翌朝には太陽の方角で位置を確かめて何とか夕刻前には部隊と合流できた。
何名か命を落としたが、行軍を続け反乱軍の主な首級をあげることもできた。
雪夜のことには互いに触れぬまま、それぞれの国へと戻った。
あれから幾年が過ぎただろうか。
世界は彼の国の皇帝を中心に纏まりつつある。
我が国の王も、かつては義弟だった皇帝の下につくとことに意欲的ですらあった。
王女亡き後に正妃となられた方が、託宣により選ばれた皇后であると世に知れてからは、特に流れは急速になった。
昨年、病を得てなくなった北の将軍に代わり北の国に立つ。
まだ若い国王は生母を敬い、我が国の王の従兄弟にあたるかの姫は政に口を出すことなく我が子を見守る。
そんな姫との縁談もあった。
長いこと独り身であったし、自分もまたそれなりの血筋である。
まだ十分に若い姫を娶り、国王の後見となることを望まれていることも分かっていた。
このままおそらく自分はこの国王を見守り、この国に骨を埋めることになるだろう。
その覚悟はしていたが、それは姫を娶らなくてもできることだ。
恐れ多い話だったが断らせていただいた。
そのような意味で姫を幸せにすることはできないだろうからだ。
遅い春がやってきていた。
この国の雪が溶けきる頃には、彼の国の皇帝がいよいよ周辺の国をまとめて宣誓を行うことになっている。
各国の国王達も一同に集まり執り行われるそれに、国王とその生母の姫が行かれる。
その間の国を守るのは自分の役目である。
宰相などは今から気をもんでいるようだが、他所の国を知ることも重要だ。
きっと良い経験を得るだろう。
一緒に行けぬ自分に代わり、誰か軍をつけてくれる様に故国には願いを出してある。
間もなくやってくるだろう。
果たして誰が来るのか。
かつての僚友かそれとももはや知らぬ顔ばかりだろうか。
久しぶりに見れるだろう故国の人を思う。
見知った顔、知らぬ顔。
さまざまだったが、彼の人の姿をみて息を呑んだ。
相変わらずの美貌だった。
皇帝の側近中の側近だろう彼の人がわざわざこの地にやってくるとは。
「お久しぶりです」
そうして、少し時間をとって欲しい、と請われる。
「お独りだと、ききました」
夜、自室へ招いた。
いつ何時でも対応できるように王宮内に与えられた一室だった。
「太后さまとの縁談も断って、お独りだと」
「ええ、ずっと独りです」
「思う人がおありですか?望んでは、いけませんか」
酒のためかそれ以外の理由からか、赤く染めながらそう問われた。
「奥方は…」
あの時、間もなく赤子が生まれるのだと。
「…あの流行病で、二人とも亡くなりました」
「触れても…?」
伸ばした指先が震えている。
「私も、触れたかった」
伸ばされたその手を取り、震えている指先に口付ける。
「ただ一度だけ、と。…あの時の僥倖を忘れた事はありません」
自分のどこを気に入ってくれたのか分からないが、そう答える。
あの雪の夜。
再び触れることのできた身体はやはり心地よくて。
二人で喜びを分かち合った。
「陛下にはお許しを得ています」
宣誓後に再び国王を送り届けたのち、そのまま皇国の窓口としてこの国にとどまるのだと。
「傍に…居たいので最初で最後の我侭を言ってしまいました」
たとえ拒否されたとしても、少しでも姿を見れるところに居たかったのです、とそう告げられて絶句する。
そこまで思われていたとは。
「あの時、貴方まで危険にさらしておきながら、貴方のすぐ傍にある事がうれしくて仕方がなかったのです」
初めてあったときから10年。
これから先は離れることなく。