7,調査
湧奈は文佳と対面した。
文佳は落ち着いていた。が、湧奈の着ている服がBAKUのものだと分かると、湧奈を睨み付けた。
「……何ですか?」
湧奈は努めて、怒りを表に出さないように言った。
「BAKUの社員なんか来るな」
相手も静かに言った。
「なんでうちの会社を恨んでるのかを聞かせてください。それを聞くまで帰りません」
「うるさい、帰れ」
「帰りません」
「帰らないと、お前もこの間の男みたいに殺」
「このっ……!」
文佳に掴みかかろうとする湧奈を、側にいる警官が止めた。
「……とにかくっ、アタシは帰らない」
湧奈は怒りを静めながら、言った。
「……」
文佳はしばらくの間、黙っていた。湧奈もまた、黙っていた。
やがて、文佳が口を開いた。
「……私の父は、BAKUに殺されたんだ」
「えっ……?」
意外な言葉に、湧奈は驚き、戸惑いを隠せなかった。文佳はそれを気にも止めず、続ける。
「十年くらい前、父はBAKUに夢を依頼した。そして、その次の日、父は目を覚まさなかった。……亡くなっていた。夢を見たまま。それなのに証拠が不十分だからってBAKUは罪を問われなかった」
「……でも、夢のせいかは分からないし」
「夢が届いたその日に亡くなったんだ!そうに決まってる!」
湧奈は、それ以上言い返すことができなかった。
会社に戻った湧奈は、その日仕事に集中することができなかった。自分が誇りに思っていた会社が、殺人を犯したかもしれない。それを思うと、自分が今やっていることにも自信を持てなくなった。
「笠石さん、何かあった?」
宏忠にそう訊かれた時、湧奈はそれを言おうか迷った。宏忠はこの会社が設立された当時から勤めている。
「……いえ、何でもありません」
「そう。ならいいんだけど……」
今の湧奈は宏忠を信じることができなかった。
十年前の事件について、調べたい。しかし、アタシ一人じゃ厳しいかもしれない。
湧奈は、携帯をとりだした。
次の日の午前十一時半、湧奈は喫茶店で友人たちを待っていた。以前、要と明里、そして伸羅と来た場所である。
しばらくして、そこに要、明里、修斗、阿佐美の四人がやってきた。
「話って何?」
明里は早速訊いてきた。他の三人は黙って聞いている。
「……犯人が捕まったっていうのは知ってるよね?」
「うん」
「その犯人が、BAKUにお父さんを殺されたって言ってるの」
「え!?」
四人は驚きを隠せない。
「そんなの嘘に決まってる」
修斗が言った。
「アタシもそう思った。だから、その事件について調べてみようと思うんだけど……」
湧奈は、そこで一度言葉を切った。
「……手伝ってもらえる?」
「いいよ!」
「私も協力するよ」
明里と阿佐美は即答した。しかし、修斗と要はすぐには答えない。修斗は別のことを訊いた。
「お前、伸羅のことをどう思ってた?」
「え……?」
修斗は、事件が起きた直後の、湧奈の態度が許せなかった。
「お前は葬式を途中で抜け出した。そのあとも最近まで会社に来なかった」
「……」
「逃げた」
「……」
「人の、伸羅の死と向き合えなかった奴が、今更何を言ってんだ」
「アタシは……」
湧奈は俯いてしまった。他の三人も黙っている。修斗は溜息をついてから、言った。
「だから、もう一度、本当に伸羅を大切に想ってたのか言ってみろって言ってんだよ」
湧奈は顔をあげた。修斗は目をそらした。修斗の隣に座っている要が、湧奈に向かって頷いた。
「アタシは、伸羅のこと……」
頭を振る。
「伸羅は、大切な仲間だった。伸羅は迷惑に思ってたかもしれないけど、アタシは伸羅を信頼してた」
修斗はまた溜息をついた。
「伸羅は、迷惑とか、思ってなかった」
「え?」
「アイツ、最期まで言わなかったみたいだけどな、伸羅は……」
修斗はそこで言葉を切ったが、湧奈にそのことを伝えるには、それで十分だった。
「!?」
湧奈は驚き、同時に、伸羅が最期の時、湧奈に『恨むな』と言うまでに少し間が空いたその理由も分かった。
伸羅はかなり迷っただろう。しかし、自分の最期の時に気持ちを伝えても、湧奈の心にあける穴を大きくするだけである。だから、伸羅は未来の湧奈を助ける『恨むな』という言葉を遺したのだ。
「……」
湧奈は下を向いて、しばらく黙っていた。
今、口を開いたら、堪えているものが、溢れてしまう……。
「……まあ、お前の気持ちは分かった」
修斗は湧奈には目を向けずに言った。
「俺も協力する」
「……私も」
要がそれに続いた。
「……ありがとう……」
湧奈は、やっとのことでそう言った。
その日の夜、出勤した阿佐美と要は、早速『資料室』にむかった。ここに入ることができるのは、班長のみであったため、これは五人の中で、二人にしかできなかった。
「十年前だから……」
「あ、あそこじゃない?」
しかし、そこには阿佐美たちが思っていたよりも多くの資料があり、二人が探しているそれを見つけるのにも、時間がかかりそうであった。
彼女らが途方に暮れていると、後ろから声をかけられた。
「手伝おうか?」
「え……?」
振り返ると、隆介と雅史がいた。
「室橋さんから話は聞いたよ」
「俺も矢波から聞いた。協力しよう」
「ありがとうございます」
二人はBAKUが再び一つになろうとしているのを感じた。
湧奈は、阿佐美から連絡を受けた。
『会社の資料によると、十年前の四月六日の朝にBAKUは依頼を受けてる。で、その日の夜に夢を届けに行った。この時には異常なし。次の朝、その家から、依頼者が目を覚まさないとの連絡を受けた。そしてそのすぐ後に死亡が確認された……。事件に関してはこれだけ。だけど、一つ分かったのは、BAKUの作った夢に問題はなかったってこと』
「ってことはやっぱりこの事件にはまだ……」
『何かあるみたいだね』
次の日、湧奈、修斗、明里の三人は警察署に向かった。
「こんにちは」
「あ、どうも」
ちょうど悟が署から出てきたところだった。
「あれ、悟?」
修斗の声に、悟も目を見開いた。
「修斗か?」
四人は悟について、署の一室に入った。
「悟とは、同じ大学だったんだ」
修斗が話した。
「え?……ってことは」
「ああ、」
悟は口調を変えた。
「伸羅とは、よくあちこちに遊びに行ったりしてた。……でも、まさかこんなことになるとは思わなかったよ……」
誰も何も言えず、沈黙がその部屋を覆った。
しかし、その沈黙に堪えきれなくなり、明里が口を開いた。
「十年前に起きた事件について調べてるんだけど……」
「十年前の事件?」
湧奈がこれまでの経緯を説明した。
「……で、その事件のことを調べてるの」
「……分かった。ちょっと待って」
悟は出ていった。が、十分ほどで戻ってきた。
「もう少し待ってて、今調べてるから」
そして彼は続けた。
「……ところで、俺もBAKUの人に訊きたいことがあったんだ」
「?……何?」
「事件当時、伸羅は何か、特別な靴を履いてたよな?」
「あぁ、コピー班と配達班だけが持ってるやつのことだね」
「BAKUにしかないんだよな?」
「うん……?」
何でそんなことを訊かれるのか、不思議に思いながら、湧奈は答える。
「屋根の上に跳び上がれたりするんだよな?」
「そうだよ」
悟は、少し間を空けて言った。
「……藤井文佳は、伸羅に声をかけて屋根から降ろしてすぐ、靴を壊しにかかったそうだ」
「!……靴のことを知っていた……!?」
驚く湧奈に対して、修斗は冷静に返した。
「でも、BAKUの社員を見てれば、何かあるって考えるのは普通じゃないの?」
「いや、それだけじゃ、一撃で確実に靴を壊すなんてことできない」
「一撃で?」
修斗の目が、微かに見開かれたのを見ながら、悟は答えた。
「ああ。きれいにその靴の中枢部分がやられてる。靴の作りを知らなきゃできねえ」
「……」
三人は黙り込んでしまった。
まさか、BAKUの社員の中にスパイが……?
三人が互いに顔を見合わせているその中で、再び悟が口を開いた。
「警察署の中には、BAKUにスパイがいるんじゃないかって意見も出てるけど、俺は、そうは思いたくねえ」
「……」
「……だから、俺はこう訊く。……最近、BAKU社内に社員以外の人間を入れたことはあったか?」
「……」
三人は混乱していて、すぐには答えられなかったが、すぐにそれを思い出した。
「!……ある……」
「ホントか!?」
「社内を案内したんだ。つい最近、そういう要望があって……五人」
「そうか……」
言いながら、悟は手帳にそれらのことを書き込んだ。
「……よし。ありがとう」
と、ここで部屋の扉がノックされた。
「はい!」
悟が返事をすると、一人の警官が入ってきた。
「事件の資料、持ってきたぞ」
「ああ、助かった。ありがとう」
その警官が部屋を出ていくと、悟は三人の前に、その書類を置いた。
「修斗たちが見たいっていうのは、これだな?」
修斗がそれを手にとって目を通す。明里と湧奈もそれを覗き込んだ。
「……」
「あっ!これっ!」
明里が指さした所には、遺体の体内にあった物質のデータが印刷されている。
「ほらっ、『睡眠薬』って!」
「ああ、それか」
悟が口を開いた。
「その事件、遺体の解剖を遺族が断ったから、簡単な検査しかしてねえんだよ」
「でも」
「被害者は、普段から睡眠薬を使ってたんだ」
「……」
結局、その資料からも、有力な情報は得られなかった。
警察署の前で、三人は途方にくれていた。
「……どうする?」
明里の問いに、誰も答えることができない。
「……」
「俺らができるのは、ここまでか……」
修斗が呟いた。
「いや、まだ……」
が、湧奈に良い案があるわけでもなかった。
「でも」
「まだ!」
湧奈は考えた。そういうのは苦手だったが、考えた。このままで終わりにしたくない。
が、思いつかなかった。
「……行こう」
渋々、会社に向かう修斗に従った。
湧奈は今日も、仕事に集中することができなかった。これ以上こんな状態が続けばクビになりかねない。ただ、それでもこの会社にいられるのは、彼女が、他の社員が恐れて避けるようになったコピーの仕事を、何も言わずに引き受けていたからであった。湧奈にしてみれば、伸羅が最期までやっていた仕事を避けるなど、ありえないことだった。
彼女がクビにならずに済んでいるもう一つの理由は、一人の男が、彼女の活躍を常に報告していたことだった。
その男……宏忠は、湧奈の様子がおかしいことに逸早く気づいたが、何かあったのかと尋ねても、彼女は何もないと答えるだけだった。
が、今日は違った。湧奈は、宏忠にこう問い返してきたのだ。
「推関さんは、この会社ができてからずっとここで働いているんですよね?」
なぜそんなことを訊くのか、宏忠には分からなかったが、答えた。
「うん、そうだよ」
すると、湧奈の顔が強張った。
「……それがどうかしたの?」
宏忠はさらに訊いてみる。
「あの、十年前に、事件ありましたよね?それで、あの……」
そこまで聞いて、彼には、どうして湧奈が緊張した面持ちでそんなことを訊いているのか、だいたい分かった。
「大丈夫、少なくとも私の周りでは、危険な夢の開発とか、そういうのはなかったよ」
彼女は、少しほっとしたように見えたが、さらに話を続けた。
「アタシたち、今、そのことについて調べてるんです」
「今回の事件と、関係が深いようだからね」
「え、知ってるんですか!?」
「推測だよ。でも、あの事件の被害者の家族が今度は加害者になってるんだから、普通はそう考えるよね」
湧奈は、頷く。
「資料室には行ったのか?」
「はい、友達に見てもらいました」
「警察署には?」
「行きました」
「うーん……あとは、藤井さんかなあ?」
「藤井さん?」
「今回の事件の加害者じゃなくて、その家族の方。もしかしたら、まだ何か知ってるかもしれないしね」
「あ、そうか!」
湧奈は立ち上がり、言った。
「あの、手伝ってもらえますか?」
「もちろん」
宏忠は答えた。
次の日、二人は藤井家を訪ねた。呼び鈴を鳴らすと、
『はい、どちら様でしょうか』
意外に、落ち着いた声だった。
「数ヶ月前に伺った推関と笠石です」
宏忠は、『BAKU』という言葉を使うのを避けた。
『あ、はい』
相手は、普通に対応した。ただ、扉を開けて出てきたその人は、以前あった時よりも窶れて見えた。
「何のご用でしょうか?」
さすがの宏忠も、戸惑っているようだ。
「十年前の事件について、聞かせてほしいんです」
湧奈が言った。
「え……?」
相手は俯いてしまった。
「笠石さん……」
宏忠が止めようとしたが、湧奈は続けた。
「アタシも大切な人を失っています。だから、辛い気持ちは、思い出したくない気持ちは、分かっているつもりです。でも、お願いします!その事件を解かないと、アタシは失った仲間の信じた会社を信じることができないんです!胸を張って、この会社の社員だって言えないんです!」
今まで思っていたことを、全部吐き出した。
「……」
この被害者の妻であり、加害者の母は、俯いたままだったが、不意に顔をあげて言った。
「……私も、あの事件のことを有耶無耶にしたくありませんでした。でも、結局、解決しなくて……私は、何を話せばいいんですか?」
ほっと息を吐き出してから、今度は宏忠が口を開いた。
「以前、私が奈々子ちゃんのことで伺った時、沙奈さんのことについて『勘違いしている』と仰いましたよね?何か根拠があるのかと思ったのですが……」
母親は、何かを思いだしたようだった。
「中へ」
そう言って家の中へ走っていった。二人があとを追って中に入ると、もう、母親は何かを持って、階段を下りてきていた。
「これ……」
息切れしながら、彼女はそう言った。
「?」
睡眠薬だった。
「ご主人が使っていたものですか?」
「はい……」
息を整えながら、母親は答えた。
「あの日だけ、使っていなかったんです。それを私の母に言ったら、この薬に依存していたんじゃないかって、だから私は、自分をそう納得させていたんです」
「なるほど。しかし、睡眠薬に依存性があるっていうのは、ちょっと無理がありますよね」
「待って……ください」
突然、湧奈が言った。
「え?睡眠薬って、そんなずっと身体の中に残ってるもんなの?」
彼女が何を言っているのか分からず、宏忠は問い返す。
「ご主人はその日、飲んでいないという話をしているんだぞ?」
「でも、警察の簡易検査では、睡眠薬がはっきりと確認されてました!」
「!?」
少し間を空けて、宏忠が訊いた。
「睡眠薬を使わなかったということは、警察には言いましたか?」
「はっきりとは覚えていませんけど、確か、『普段から睡眠薬を使っていたか』って訊かれて、『はい』って答えただけだった気がします」
「……と、なると」
「誰かに大量に飲まされた可能性も……」
と、ここで湧奈の携帯が鳴った。
「あっ、すいません!」
見ると、修斗からのようだ。
「推関さん、修斗からなんですが……」
「でて」
湧奈は通話ボタンを押す。
「もしもし……」
『もしもし、湧奈、今、悟から連絡があった!』
「えっ!何て?」
『BAKUに見学にきた人の中に、文佳の恋人がいた』
「!?……な、名前は?」
『煤土准太』
「あのっ、煤土准太って知ってますかっ?」
これは母親に向けての問いだった。
「准太……あ!」
「知ってますか?」
「確か、文佳が付き合っているって……何度か家に来たことがありました」
『おい、お前今どこに』
「ゴメン、またあとで!」
修斗にそれ以上言わせず、湧奈は通話を切った。
「事件の日には来ていましたか?」
宏忠が訊いた。
「あ……」