6,推理
事件から、一週間が経とうとしていた。湧奈は伸羅が亡くなってから、一度も会社に出勤していない。
「……っ!」
アタシがいつも通りに出社していれば……。
いや、それ以前に、ずっと二人で行動していれば、あの時、伸羅はアタシを待ってたはず……それなのに!
一方、BAKU本社では、警察による捜査によって、何人か犯人と思われる人間があがってきていたが、特定するまでには、まだ時間がかかりそうだった。
「……他に、何か気になった点はありませんか?本当にちょっとしたことでもいいんです」
宏忠は、同じ質問を何度もされていた。
「昨日もお話したように、もうそういうことはありません」
「……では、笠石さんを呼んでもらえませんか?」
「彼女は……」
できれば、今呼び出したくない。
「笠石さんが、最初に北郷さんを発見したと聞きましたが……」
しかし、宏忠の様子に気づき、警官、古谷悟は口を噤んだ。
「……」
部屋が重い空気に包まれた。
が、不意に扉が開かれた。
「笠石さん……?」
「すみません、全然出てこなくって……」
湧奈は、笑顔と共にそう言った。いや、湧奈はそういうつもりだったが、周りから見れば、湧奈のそれは『苦笑』であった。
「大丈夫か?」
「はい」
「あの……」
宏忠の隣にいる悟が声をかけてきた。
「あ、刑事さんですか?」
湧奈がそれに応えた。
「はい……お話を聞かせていただいても、よろしいでしょうか?」
「いいですよ」
彼女はあっさりそれを受けた。
「笠石さん、無理はしなくていいんだよ」
宏忠の言葉には応えず、悟に
「ちょっと待ってください。今思い出しますから……」
と言って、目を閉じた。
「……」
しかし、すぐ開いて、
「アタシはその辺りを、夢を探すために通ったんです」
早口でそう言った。
「現場を見つけたとき、他に不審な人影を見たりはしませんでしたか?」
「現場……」
「何でもいいです」
「え?あ、ああ、えと……」
顔を伏せて、考えた。いや、考えているフリをした。
「……」
「また今度でもいいですよ」
悟はそう言ったが、湧奈は下を向いたまま、首を振った。
早く、犯人を捕まえてほしい。
「伸羅が、な、にか……」
限界だった。頭の中にその時の様子が写真のようにハッキリと写しだされた。
「血が、違う、そうじゃない……」
湧奈はその場に崩れ落ちた。それを宏忠が受け止めたが、それもまずかった。伸羅が倒れてきた時の感覚が蘇ってきた。
「……っ!」
宏忠を突き飛ばすと、床に頭をつけて、泣き出した。誰も、声をかけることはできなかった。
悟は、帰っていった。ただ、その時に一枚の紙を宏忠に渡した。犯人と疑われている者たちの写真が印刷されたものだった。宏忠は何度か目にしているが、知っている人物は一人もいない。
湧奈は、自分の机の前に座ってはいたが、何をするでもなく、ただ、座っていた。その目に光はない。
「落ち着いたか?」
宏忠が声をかけると、振り向きはしなかったが、頷いた。
「……ちょっと来て、話さないか?」
宏忠は湧奈を休憩室に連れていった。部屋には、二人の他には誰もいなかった。
「うん、ちょうどいい。……座って」
彼女は、それに従った。
「……北郷君のこと、もしかして、自分のせいだと思っているのか?」
微かに反応があった。
「それは違うよ」
「違いませんっ」
不意に湧奈が口を開いた。と、急に早口で話しだした。
「アタシこの頃伸羅とは別行動してました。今まで通りに二人で行動してればあの時伸羅はアタシを待っていたはずです。競争なんかしていなきゃ」
「考えすぎだよ」
「それだけじゃない。伸羅を見つけた時アタシはパニックになって救急車を呼べなかった。冷静でいられなかった」
「誰だってそうなってしまう」
「そんなの言い訳ですっ!」
湧奈はまた下を向いて黙り込んだ。
「……じゃあ、仮に、君の言っていることが正しいとしよう」
宏忠は静かにそう言い、さらに続けた。
「そうだとして、北郷君は、君が自分を責め続けることを望むと思うか?」
また、反応があった。
「……『恨むな』……」
「え?」
湧奈が顔をあげた。その頬を、再び涙が伝った。
「伸羅が、最期に言ったんです。最初はアタシ、伸羅を恨むなって意味だと思ってたけど」
「笠石さんに、自分を責めるなって言ったんだね」
宏忠が続けて言った。
「……」
湧奈の目に、光が戻った。
「推関さん、」
彼女は言った。
「もう一度、刑事さんと話します」
「そうか。分かった」
と、ここで宏忠はポケットに入れたままにしていたそれを思い出した。
「そうだ、笠石さん」
「はい、……?」
「今、犯人と疑われている人たちの写真だよ。見覚えのある人とかいる?」
「うーん……」
そこに印刷されている六人は、全員、湧奈の知らない人物だった。
でも、何だろう、この違和感?誰か、似てる人でもいるのかな……?それとも……
湧奈はハッとして、再びその紙に視線を落とした。
「『女』」
言いながら、取りだしたペンで男の顔に×印をつけていく。
「笠石さん……?」
「『見たことある顔。親戚か、姉妹か』」
残った顔の中の一つに丸をつけた。
「『恨み』……そうか……」
「笠石さん、何か分かったの?」
「はい。伸羅の言葉を信じるなら。刑事さん、呼べますか?」
悟は、三十分ほどで会社にやってきた。
「早速ですが、お尋ねしたいことがあるのですが……」
先ほどとは別人のように言う湧奈に、少し戸惑いながら、悟は言った。
「なんでしょうか?」
「この人に妹はいますか?」
「えっと、藤井文佳は……」
手帳を取りだし、それを見ながら彼は答えた。
「いますね。二人」
「やっぱり」
「笠石さん、どうして……!」
言いかけて、宏忠はそれに気づいた。彼もこの女の家族に会ったことがあった。しかも、最近のことである。
「そうか……!」
「詳しく話してもらえませんか?」
悟の言葉に湧奈は頷き、話し始めた。
「はい。アタシが伸羅を見つけた時、彼はまだ意識がありました」
先ほどとは打って変わって、ゆっくりと話す。
宏忠には、湧奈が自分を必死に制御しているように見えた。
「伸羅はアタシに言ったんです。『女』『見たことある顔。親戚か、姉妹か』『恨み』……最初はおかしくなってしまったのかと思ったんですけど、この紙見て気づきました」
「犯人のことを言っていると?」
「はい。『女』だけじゃ分からないですけど、『見たことある顔。親戚か、姉妹か』ってとこでピンときました」
「どうして藤井だと?」
「最初は、会ったことがある人の名字だったからってだけでした。でも、顔もその人と似てたし、今、確認したら、妹が二人いるし……その妹の名前は『奈々子』ちゃんと『沙奈』ちゃんですよね?」
「えーと……!はい」
「伸羅もその子たちと会っています。だから、そう感じたんだと思います」
「『恨み』というのは相手の様子からと思われますね。それに関しては」
「沙奈ちゃんは、彼女の母親が言うには、長女の影響でBAKUを強く憎んでいるそうです」
「……」
悟は湧奈の話を手帳に書き込むと
「ありがとうございました。他に証拠になるものがないか探してみます」
「……絶対に、犯人を捕まえてください」
湧奈の目には強い光があった。
数日後、藤井文佳にこの話をしたところ、容疑を認め、その後彼女の住んでいたアパートの部屋から、ナイフが見つかり、それから被害者のものと同じDNAが検出されたと、警察署から連絡があった。