3,封筒
午前十一時半。伸羅はまた、会社の前で湧奈を待っていた。しかし、前とは気持ちが違う。
「早いね!」
湧奈は言ってから、念のため訊く。
「……十時半だった、とかないよね?」
「ないない」
伸羅はテンションが低かった。……いや、もともと低いが、今日はさらに低かった。
昨日のことだった。湧奈に、一緒に食事に行かないかと誘われた。伸羅はすぐに受けたわけだが、そのあとに、湧奈はこう呟いたのだ。
「……あいつと一対一は疲れるからなあ……」
伸羅は、今日何度目か分からない溜息を吐いた。
「?伸羅、大丈夫?」
「うん、まあ」
「……あ、そういえば、」
「!」
「今日、もう一人来るから。……って昨日言ったっけ?」
「いや……」
「まったく……この前の件で働いた分奢れってうるさくてさ」
「……」
「伸羅?……あっ、来た来た」
伸羅はその方向を向いた。そして、
「えっ?」
「ん?」
相手の方も、伸羅を見て驚いているようだ。
「明里、北郷伸羅っていうんだよ。アタシと同じコピー班の」
「ええっ?ちょっと湧奈、聞いてないよ?」
「何を?」
「だから……ああ、違うのか」
湧奈の顔を見て、明里は言った。
「は?何?」
「いや、もういいよ。北さ……いや、伸羅、ヨロシク!」
「……女の人だったのか……」
「うん?」
「ああ、いや、何でもない。よろしく……えっと……」
伸羅は湧奈を見る。
「え?あっ、そかそか、編集班の室橋明里だよ。入社式の時に知り合ったんだ」
「え、この人も?」
「あは、アタシあちこちウロウロしてたから」
伸羅が湧奈と知り合ったのも、入社式の時だった。
「あ、えと、よろしく」
「うん!」
よく笑う人だなあ、というのが伸羅の明里に対する第一印象であった。
「……ああっ」
「……どうしたの?」
「あのね、あたしも一人呼んだの……」
「いいけど、アタシは四人分も奢れないからね?」
湧奈は念のため、というように言った。
「分かってるって。……ってアレ?あそこにいるじゃん」
三人がそちらの方を向くと、相手もこちらに気づいたようだった。
「なんだ、明里いたんだ」
「要……あたしさっきからここにいたよ?」
「あのさ……」
湧奈が声をかけた。
「え?あっ、そうか。……えっと、この子は仕分け班の籤先要だよ」
「ちょっと、『この子』ってやめてよ。同い年なんだし」
「気にしない気にしない!……そろそろ行こーよ」
「うん。そだね。じゃ、ヨロシク、要」
喫茶店に向かう女子三人組の後を、少し距離をおいて、伸羅は追いかけた。
その店の四人席に腰を下ろしてから、湧奈は言った。
「伸羅……なんか、ゴメンね……」
「あ、いやいいんだけど……」
正直居づらかったが、そうも言えず。
「まあドンマイってことで!」
明里は気楽にそういって、話題を変えた。
「ところでさ、湧奈、矢波修斗って人知ってる?」
「ちょっと明里!?」
なぜか要が慌てる。
「矢波?」
湧奈はそれを気にもとめず、記憶をさぐっていた。……しばらくして、
「……知らないな」
しかし、伸羅はその名前を知っていた。
「そっかあ」
「……あのさ」
「うん?」
「多分、知ってると思う」
「ホントッ!?」
「うん。僕と同じ大学にいたやつで、BAKUにも一緒に入社したんだよ」
「ラッキー!伸羅、あのね」
「待ってよ!」
またも要が割って入った。
「……なんでよ?」
「だってさ……」
今度は湧奈も疑問を感じたようだ。
「明里のことなんだから要が入ってくることないんじゃ」
「私のことだもん」
「……へ?」
伸羅と湧奈は、同時に言った。
「……へへっ」
明里は誤魔化そうと笑った、が、誰にも通用しなかった。
「余計なお世話だよね、それ」
湧奈は明里に説教し始めた。
「……で、どうする?」
伸羅は、一応要に聞いてみた。
「修斗に何か用あるんでしょ?」
「……」
要は少し考えるような様子を見せていたが、
「……よく会う?」
「うーん、最近はあんまり会わないなあ」
「そう……」
「ああ、でも、会おうとすればいつでも会えると思う」
「じゃあ、さ。これ、渡してもらったりできる?」
少し厚みのある封筒だった。
「え?ああ、いいけど……これは?」
「えっと、夢……」
それだけ言うと、要は下を向いてしまった。
「……?そう、分かった」
「お願いします!」
「!あ、ちょっと!?」
次の瞬間、要は立ち上がり、店を飛び出していった。
「いい?あんたはさあ……って、え!?」
「要!?」
湧奈と明里も驚き、そちらの方を見たが、要の姿は、もう見えなかった。
「……伸羅、要に何言ったの!?」
「え!?何も言ってないって!」
「ホントに?」
「あたし、行くよ。ちょっと心配だし」
そう言うと、明里も店を出ていった。それを見送った湧奈は、伸羅の側にある封筒に気がついた。
「それは?」
「ん?コレ?籤先さんが修斗に渡してくれって……」
「何入ってるの?」
「『夢』とは言ってたけど……」
「ふーん……」
湧奈は封筒をじっと見ている。
「中、見てみようか」
「いや、マズイでしょ」
「だよねぇ……」
彼女は天井を見上げた。
「……でもさ、これってラブレター……」
「まさか!」
「そうだって。アタシ恋愛には敏感なの」
「それも違うと思うけど……」
「何で?」
「え!?いや……」
「まあいいや。それ、修斗……だっけ?……に渡したら後で中身訊いてみよ?」
「それっていいのかなあ……?」
「いいのいいの……って、あぁ!?」
「どしたの?」
「払ってない……お金……あの二人……」
「あ」
「……」
湧奈はそっと請求書を置くと、
「伸羅、アタシ行」
「いやいやいや、協力しよう」
その次の日。伸羅は『第一配達班』という札が掛けられている扉を叩いた。
「はい?」
「失礼します……あの、修斗はいますか?」
「修斗?ああ、いますよ」
その男性は机に突っ伏して寝ているもう一人の男を呼んだ。
「おい、修斗、呼ばれてるぞー」
「……ん?ああ、伸羅かあ」
修斗は大きく伸びをしてから、伸羅のところにやってきた。
「……お前、寝てていいの?」
「ああ……今暇だし……」
また伸びをしつつ、修斗は言った。
「で、何?」
「ああ、えっと……修斗、籤先要さんって知ってる?」
「籤先?……うーん、知らない」
「そう」
「あ、まてよ?……そうだ、この前の講習の時に仕分け班にいたな。でも、少し話しただけ」
「そうなんだ」
「で、そいつがどうかしたのか?」
「うん、コレ渡してくれって」
「?何?」
「分かんない。湧奈はラブレターじゃないかって」
「はぁ!?」
「僕も、その時はないって思ったんだけど、今になって思えば、そんな気もするんだよなあ」
「でしょ?」
「!?」
気がつくと、湧奈が立っていた。
「いやあ、気になって気になって」
「こいつが、お前が言ってた湧奈?」
「うん」
「ヨロシクー」
「……まあいいか。よし、中見てみるか」
修斗は封を切った。
「うわあ、なんかワクワクするね!」
「いいのかなあ……」
封筒から出てきたのは、夢を記録してあるディスクと手紙だった。
「あれ、ディスク?」
「えーと」
修斗は折り畳まれた手紙を開いた。
「『これを次の住所の場所へ配達お願いします。この夢は早く届けたかったんです。友達に訊いたところ、矢波君が一番速いということだったので、お願いすることにしました』……だって」
「……あれ?」
「違った?」
「ほれみろ。仕事の依頼だ」
「なあんだ、つまんないの」
湧奈は戻っていった。
「……あー、まあとにかく、仕事は引き受けるんだね?」
若干の気まずさを感じながら、伸羅は言った。
「おう」
修斗の方は特に気にしていないようで、そう言うと部屋に戻っていった。
部屋に戻った修斗は、もう一度手紙を開く。
俺は一回も速いなんて言われたことねえし……
「……」
「どうした?」
先ほどの男性が声をかけた。
「いや」
修斗は手紙を机にしまった。
「仕事だ」
部屋に帰る途中、伸羅は要に会った。
「あ、伸羅、渡してくれた?」
「うん、引き受けたって」
「よかった」
「でもなんで、この前は急に」
「あ、それは……その、自分でもよく分かんなくて……じゃあね!」
それだけ言うと、要は走っていってしまった。
「……?」
要が息を切らして走ってきたので、明里は驚いた。
「何、どうしたの!?」
「ハア、ハア……危なかった……」
「何が?」
「明里が余計なこと言うからだよ!?」
「ああ、そのことかあ。でも上手くいったんでしょ?」
「うるさい、明里だって」
「あああ!?わかったって、もうしないって」
入社から、もうすぐ二年が経とうとしていた。