2,不眠の少女
研修の一件から数日たったある日のこと。
「伸羅」
出勤してきた伸羅のところに湧奈がやってきた。何か悩んでいるような様子だ。
「どうしたの?」
「あのね、この前の女の子……夜はずっと起きてるんだって」
「え?毎晩!?」
「うん」
「昼と夜が逆転しちゃってるのかなあ……」
「それともう一つ。その家、以前は夢の契約してたみたいなんだけど、解約しちゃって、今は夢届けらんないみたい…」
「ああ、それで落ち込んでんのか……」
湧奈は首を振った。
「違う。夢届けらんないのは、この際、いいの。そうじゃなくてさ……夜寝ないって、よくないよ。なんとかしたい」
「……そういうことか……。でも、そういうことに関しては僕ら知識ゼロだよ?」
「いや、アタシだってそれは分かってるよ。けど、なんとかしたくて、だから……その……」
少し、間が空いた。
「?」
「……伸羅、付き合って!」
「ええっ!?」
「その子が夜眠れる方法を探したいの。お願い!」
「……あ、そういう意味ね……うん、いいよ……」
「ありがとっ!……どしたの?」
「いや、なんでも……ない……」
力が抜けて崩れ落ちそうになっている伸羅を、湧奈は不思議そうに見ていた。
次の日。午後二時前。伸羅は会社の前に立っていた。本当は一時半に待ち合わせのはずなのだが……。
「来ない……」
道行く人が、こちらを一瞥する。伸羅はこれが嫌で時間ギリギリに来たというのに、彼女はまだ現れない。
「ここで、いいんだよな……」
不安になり始めた頃、ようやく今回の計画立案者がやってきた。時間はすでに二時半になろうというところ。
「アレ?伸羅、早いね」
「いや、どちらかっていうと……」
「え?……待って、約束の時間って」
「一時半」
「うそぉ、アタシ二時半だと思ってた」
「……行こうか」
自分の正しさを証明する手段がないと悟った伸羅は歩きだした。
「……で、これからどうするの?」
「ええと、ね」
湧奈は少しの間下を向いていたが、
「あの女の子の家に行って……」
と続けた。明らかに無計画だった。
「……分かった。とにかくそこに行こう」
二人は『藤井』という表札のある家にやってきた。女の子のいる家だ。二人の記憶が正しければ、だが。
湧奈が呼び鈴を押す。
『どちら様でしょうか?』
「あ、えーと、BAKUの者です」
『BAKU!?』
驚いているようだ。
「あの、こちらに小学生くらいの女の子いますよね?その子のことで……」
『ええっ!?あの子が何かしたんですか!?』
「いえっ、そうではなく……」
『??』
一生続きそうなので、伸羅が交代した。
「その子が夜寝られるように、僕らに何かできないかと思ったんです」
『……何でそれを?』
「前に、この近くに仕事で来たときに、その子と話したんです」
『BAKUってそんなこともしてるんですか……』
「あー、いや、これは僕らの自主的な活動です」
『……中へどうぞ』
中に入ると、女の子の母親と思われる女性が迎えてくれた。
「わざわざすみません」
「いえ……。それより、どうしてあの子は……?」
「私にも、よく分からないんです。……奈々(なな)子があんな風になったのは最近のこと……六歳になってからなんです。昼間はほとんど寝てて……小学校でも、休み時間はずっと寝てるらしくて……」
「うわ、すご……」
「それで、夜はほとんど寝ないんですね?」
「そうなんです」
伸羅は目を瞑って唸っている。
「何か心当たりはないんですか?」
「いや……夜に何かあるわけでもないですし……」
「……分かりました。僕らも色々調べてみます」
「はあ、お願いします」
家を出た二人は、意味もなく通りを歩く。
「……謎だね」
「うん……ただ」
「ただ?」
「今浮かんだ。こういうの得意そうな人」
「えっ!?」
伸羅は携帯を取り出した。
「今かけてもいいかなあ?」
「大丈夫だよっ」
湧奈が根拠もなく言う。
「ま、とりあえずかけてみるか……」
しばらくコールしていると、繋がった。
『もしもし、北郷君?』
「はい。今、いいですか?」
『いいよ』
「推関さんって、心理学とか得意ですか?」
『心理学?……まあ、大学で少しやってたにはやってたけど』
「やっぱり。あの、今来られますか?場所は……」
十数分後、推関宏忠がやってきた。
「推関さん!?」
湧奈が驚くのも無理はないが、伸羅は精神的に辛い時にはいつも彼に助けてもらっていた。だからこそ、心理学に関係すると思った瞬間、彼の顔が浮かんできたのだった。
「……それで、何があった?」
二人が、ここまでの経緯を説明すると宏忠は
「そうか……」
と、言ってしばらく黙り込んでいたが、
「藤井さんって以前にうちと契約結んでたよね?」
「え?あ、はい」
「……そうか。その子に話は訊いたかい?」
「あ、いえ、まだ……」
「……うん。よし、じゃあ、その子に話を訊こう。だいたい見当もついたし、その子に訊けば確実だからね」
「え?」
三人は再び藤井家を訪れた。
「すいません。度々」
「いえ。……何か分かったんですか?」
「えーと」
「少しお伺いしたいことがあるのですが」
宏忠が言った。
「はあ」
「あの、確か、ご主人は他界されていましたよね……?」
「えっ……」
「あの事件があった当時から、私はBAKUにいましたので……」
あの事件?
伸羅は気になったが、訊くことはできなかった。
母親は泣きだした。
「推関さん!何でそんなことっ……!?」
湧奈が口を挟んだ。
「……申し訳ない。しかし、奈々子ちゃんが夜寝ないのは、それが原因なのではないでしょうか?」
「……?」
宏忠は続ける。
「会おうとしているんですよ。お父さんに」
「そんな、でも、主人の死については話したはず……」
「……奈々子ちゃんと話をさせてもらえませんか?」
母親は、頷いた。ちょうどそのとき、玄関の扉が開いた。
「ただいまぁ」
「……奈々子ちゃん、だね」
「……?」
宏忠に驚き、戸惑っていたが、その後ろに続いた伸羅と湧奈を見て、少し安心したようだ。
「あっ、この前の」
「こんにちは」
「バクの人」
「そうそう。このおじさんはアタシたちの上司……って言っても分かんないか……同じBAKUの人だよ」
「ふうん」
「どうして夜寝ないの?」
「秘密」
奈々子に話す気はないようだ。
「……お父さんを待ってるんだよね?」
「え?何で知ってるの?」
不思議そうな顔をする奈々子に、宏忠は微笑みかけた。
「おじさんはね、魔法がつかえるんだよ」
「魔法?」
「そう。……あのね、お父さんはもう帰ってきてるんだよ」
「え?どこに?」
「夜寝ていれば会えるよ」
「えっ?でも、お母さん、お父さんはお星様になったって言ってて、だから、夜起きてたらお星様がたくさんあって、でも、どれがお父さんか分かんなくて、でも、起きてれば私のところにくると思うから……」
奈々子は一気にそう言った。
「……うん。でもね、お星様になったお父さんは、目を瞑らないとわからないんだよ」
「そうなの?」
「うん。だから今日は夜寝てみてね」
奈々子はまだ納得がいかないようだったが、頷いて見せた。
そして宏忠は最後に、母親から父親の写真を借りた。
三人が藤井家を出ると、辺りは夕日で赤く染まり始めていた。
「いいんですか、あんなこと言って?」
「……私たちはBAKUだろう?」
そう言って、宏忠は先ほどの写真を取りだした。
「あっ、そうか!」
湧奈は携帯を取り出した。
「もしもし」
『もしもし?あ、湧奈か。何か用?』
「そこで仕分けられた夢の中に、『大切な人と話す』……そんな感じのない?顔は今から持っていく写真の人でお願い」
『あんた、また……』
「今回は仕事だって!」
「個人的に頼んだことあるんだ……」
隣にいる伸羅が呆れたように言った。
「いや、それはっ……!」
『なんだ、仕事なの?分かった』
「お願い!」
『ただし!』
「……何?」
『あたし、ホントは今月昼の勤務なんだよ』
「……分かった。今度なんか奢るよ……」
『サンキュ!』
「……ちぇっ!」
通話を切ると、湧奈はブツブツと呟いていたが、とにかく、上手くいった。
次の日の朝。伸羅と湧奈、そして宏忠は再び藤井家を訪れた。と、ちょうど奈々子と母親が外に出てきた。
「あっ、バクさん」
「いや、アタシたちはバクって名前じゃないんだけど……」
「昨日、お父さんに会えたよ!」
「それはよかった」
奈々子につられて、宏忠も微笑んだ。
「あ、学校行かなきゃ。またね!」
「うん」
「ありがとうございました」
奈々子が走っていくのを見ながら、彼女の母親が言った。
「あの子、本当に嬉しそうでした。きっと、これからは夜寝るようになると思います」
「お力になれてよかったです」
「お二人も……」
これは伸羅と湧奈を見て言った。
「あ、いえ、僕は何も……」
「どういたしまして!これからもよろしくお願いしまーす!」
四人がそうやって話していると、再び扉が開いた。
「……!お母さん!その人たち!」
高校生くらいの少女がこちらを睨み付けている。
「娘さんですか?」
「ええ……」
母親は少し動揺しているようだ。
「BAKUの方ですか?」
少女の言葉には刺があった。
「ええ。そうですが……」
宏忠が答える。
「お帰りください」
「なっ……!」
言い返そうとする湧奈を伸羅が止めた。
「帰って下さいっ!」
「沙奈!」
母親に叱られ、『沙奈』と呼ばれた少女は渋々学校に向かっていった。
「……すみません」
「あの子、何かあったんですか?」
「うちには娘が三人いるんです。あの子は長女に影響されたみたいで……」
「その子はBAKUが嫌いなんですか?」
「あの……気にしないで下さい。勘違いしてるんだと思いますから……」
「?」
その後、彼女がそのことについて話すことはなかった。
「……なんだったんだろ?」
帰り道、湧奈が呟いた。
「どこの家庭にも、親子のコミュニケーションが上手くいかない時期はあるもんだよ」
宏忠が答えた。が、その顔はなぜか悲しそうに見えた。
「推関さん、今回の件、本当にありがとうございました」
伸羅は少し戸惑いながら声をかけた。
「また困ったことがあったら、いつでも言ってね。私にできることなら、協力するよ」
宏忠はいつもの明るい表情に戻った。
「はい!」
伸羅は改めて、この人を大きく感じたのだった。