(無実の罪で)指名手配中の悪役令嬢、王子殿下のメイドになる?!
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「「――コーネリアお嬢様、大変です。殿下の暗殺未遂の罪で、お嬢様に捕縛状が出ています」
「ええっ!」
深夜、いつものように屋敷の寝室で眠っていた私は、執事のアルバスの叫び声でベッドから叩き起こされた。
「ただ今、王室近衛騎士団が、お嬢様の身柄を拘束するために屋敷へ向かっているとの報せが入りました。
ここは危険です、一刻も早くお逃げください」
「そ、そんなこと言われても……」
事態が呑み込めずに右往左往する私を、アルバスは容赦なく急かす。
さらに、戸口からメイドが数人駆け込んできて、寝ぼけ眼の私に無理やり着替えをさせはじめた。
なんとか支度を済ませた後、私はアルバスとともに、屋敷の裏口からこっそりと外へ抜け出した。
外はまだ足元もおぼつかない暗闇だった。幸いにも追手の気配はまだ感じられず、あたりはしんと静まり返っていた。
周囲を警戒しながら用意された馬車に乗り込むと、私は重い溜息をついた。
(やはり……私はどうあがいても、“悪役”の運命からは逃れられないようね……)
胸の内でひとりごちながら、私はこれまでの出来事を思い返していた。
***
――今から半年前、私は突如としてこの摩訶不思議な世界に転生してきた。
目が覚めた時、そこは見覚えのない豪華な一室だった。
「……こ、ここは、どこ?」
羽毛をたっぷり敷き詰めた布団に、つるつるのシルクのリネン。まるで雲の上にいるようなふかふかのベッドの上で、私は目を覚ました。
(確か昨日は、残業で深夜遅くに帰宅して、そのまま死んだように寝落ちしたはずでは……)
ここはどう見ても、元々住んでいた現代のマンションの一室ではない。
一体、何事かと。呆然とその場に座り込んで首をかしげていた、その時。
トントンッ。
戸口の方から、ドアをノックする音が聞こえた。
「コーネリアお嬢様、お目覚めでしょうか」
「……? コーネリアって、誰」
「どうかされましたか?」
警戒する私の前に現れたのは、おとぎ話から抜け出してきたような、フリフリのメイド服を着た若い女性だった。
メイドは、キョトンとしているこちらの顔を覗き込んでくる。
(一体何がどうなっているの……)
明らかに自分のものではない名前で呼ばれ、混乱はますます深まる。
訝しみながら立ち上がった時――壁にかけられた鏡に映る自分の姿に、私は目を剥いた。
「えっ……。これ、私、なの……?」
鏡の中にいたのは、見知らぬ少女だった。
珊瑚みたいに鮮やかなピンク色の長い髪、そして瞳はラズベリーみたいな赤色。まるでビスクドールみたいな美少女が、鏡越しにこちらを見つめ返している。それが他でもない自分の姿だと認めるまでに、暫く時間がかかってしまった。
――どうやら私は、この不思議な世界に転生してしまったらしい。
暫くして、私は自分がおかれた状況を受け入れ始めた。
私が転生した先は、グラン王国の由緒ある名門貴族――アーチャー公爵家の令嬢、コーネリアという少女だった。
――そして、どうやら彼女は、この世界ではある種の“悪役令嬢”みたいな立ち位置の女性だったらしい。
***
「お嬢様、本日は宮廷にて、春の園遊会が開催されます」
転生してから間もないある日、私はアルバスからそう知らされて、国王陛下主催の園遊会に招かれることになった。
朝早くから使用人たちに取り囲まれて、慣れないコルセットで締め上げたドレスを着せられ、髪を結い上げられて馬車に乗り込む。
家の紋章付きの豪華な馬車の窓から外を覗くと、街灯の立ち並ぶ、舗装された赤いレンガの大通りの先に、見事な白亜のお城が見えてきた。
金色に輝く王家のエンブレムが飾られた城門をくぐると、まず広がっているのが、見渡す限りの広大な前庭。区画ごとにバラ園や馬場、噴水のある芝生広場などがあるのが馬車道から見えた。
馬車は王城の広大な庭を横切り、暫く進んでから、お城の別邸前の車寄せに停車した。
周囲には、既にたくさんの馬車が停まっていて、そこから美しく着飾った令嬢達が次々に降り立っていくのが見える。
この日、私は豪華な臙脂色のドレスに身を包んでいた。淡い珊瑚色の髪は結い上げられて、首元には、金と真珠の首飾りをつけてある。着せ替え人形みたいにおめかしをさせられるのにはうんざりしたけれど、完成して鏡の前の自分の姿を見たときには、自分事ながら思わず見惚れてしまったことは否めない。
ドレスの裾を踏みつけないように馬車を降りると、周囲の令嬢たちが私の姿に気づいて近寄ってきた。
「コーネリア様、御機嫌よう」
「今日もお麗しいですわ」
「なんて豪華なドレスでしょう。流石はアーチャー公爵家のご令嬢ですわね」
「そ、そう……? どうもありがとう」
周囲の貴族たちは、私を取り囲んで口々に賛辞の言葉を投げかけてくる。未だコーネリアとしての生活に慣れていなかった私は、それを受けてタジタジしてしまった。
どうやら、アーチャー家は国内でも有数の大貴族であるらしかった。今日身につけているドレスや装飾品たちも、他の貴族令嬢達と比べると、確かに幾分か豪華に見える。そんなコーネリアを、周囲ももてはやしているようだった。
取り巻きみたいな令嬢達に囲まれながら、私は王宮の別邸へと入っていった。
中に入ると、そこは天井一面に絵画が施され、噴水みたいに雫がきらめく大きなシャンデリアの吊るされた、豪華絢爛な広間だった。大きく開け放たれた硝子扉の向こうは、そのまま薔薇の咲く庭園へと続いている。広間にも庭にも、大勢の貴族たちがごった返していた。
今日は国王陛下主催の春の園遊会である。側近や周辺貴族達が国王陛下と顔を合わせ、近況を報告し合ったり、情報収集をしたりする場でもあるらしい。
さらに、年頃の貴族令嬢達にとっては、ここは格好のお見合い会場でもある。昨今、令嬢たちの間では、国王陛下の第二王子でありながら、次期国王として最も期待を集めているランスロット様の話題で持ちきりなようだった。
広間で他の貴族達がランスロット様の噂話に花を咲かせているのを聞き流していると。高らかな喇叭の音とともに、ランスロット殿下が会場に姿を現した。
「きゃー、ランスロット様よ」
「今日もお美しいわ……」
「あら? 殿下の隣にいらっしゃる方って、もしかして」
貴族たちが小さく歓声を上げる中、私はある異変に気がついた。なんと、ランスロット殿下は傍らに見知らぬ女性を連れて会場に現れたのだ。
それを見た令嬢の一人が、声を上げる。
「あれは、リース子爵家の令嬢、シャーロットではなくて?」
「ええっ? 下級貴族のシャーロットが、どうしてランスロット様の隣に?」
令嬢達は不信感をあらわにして顔を見合わせていた。確かに、ランスロット様はまるで愛しい恋人を伴っているように、ピッタリとシャーロットに寄り添って歩いている。連れ立っているシャーロット自身も、まんざらではない様子で頬を赤らめていた。
(確かに、ランスロット様はどうやら、このシャーロットという娘に熱を上げているようね)
遠巻きに眺めている私にも、それは明らかだった。
すると、見かねた令嬢の一人が声を上げる。
「コーネリア様、よろしいのですか?」
「そうですわ、あのような下級貴族の娘がランスロット様の隣にいるなんて許せません。
ランスロット様もランスロット様ですわ。少し前まではコーネリア様に言い寄っていらしたのに」
(えっ……そうなの? 私が、ランスロット様と?)
私は声に出さないように目を見開いた。転生した別人であることがバレないよう、なんとなく成り行きに身を任せてはいたが、コーネリアがランスロット様と何某かの関係にあったというのは初耳だった。
「そ、そうね。でも、よろしいのではなくて。今日はたまたまかもしれないわ」
私はそれとなく口調を合わせた。
「ええー。コーネリア様、このまま黙ってシャーロットの好きにさせてよいのですか」
「そうですわ、きっとシャーロットがランスロット様を誘惑したに違いありません」
「下級貴族のくせに。コーネリア様、バシッと言って分からせてあげてください」
(ええ……そんなこと言われても)
私は困ってしまった。この場で大貴族としての威厳とプライドをちらつかせて、彼女を脅してみろとでも言うのだろうか。――どうやってやり過ごそうかと考えているときに、私は気がついた。
(……もしかして、これは小説に出てくるような、虐げられヒロインと悪役令嬢の構図なのでは?)
確かに、眼の前にいるシャーロットという少女は、下級貴族の娘でありながら王子の寵愛を受けている。そして、私はというと、大貴族の娘でありながら王子を取られて妬んでいる。よくある恋愛ものの王道ストーリーだ。
(となると、このまま彼女たちに言われるがまま、シャーロットに喧嘩を売ってはいけないような気がする……)
私の知る王道ストーリーでは、嫉妬に狂った悪役令嬢は、ヒロインの恋路を妨害するが、やがて度が過ぎて、最終的にはヒロインまたは王子に断罪されて破滅する。もし、この世界でも同じようなことが起こり得るのであれば、未然にそれを回避しなければ。
私は小さく息を吸うと、周囲にいた令嬢たちをたしなめるようにこう言った。
「いいえ、わたくしはそのようなことはいたしませんわ。ランスロット様が誰といらっしゃろうが、わたくしには関係のないこと。興味もありませんわ」
「ええっ……コーネリア様、本気ですか」
「シャーロットの良いようにさせてしまってよいのですか?」
「関係ありません。では、わたくしはこれで」
華麗に悪役回避ムーブを決めた後、私は令嬢たちに別れを告げて、颯爽と会場を後にした。
後で聞いた話だけれど、この私の行動は、社交界でも物議を醸したらしい。
アーチャー公爵家の令嬢たるコーネリアは、いずれランスロット殿下の妃となることを、周囲から半ば当然のように期待されていた。その上、いつもは社交界で幅を利かせていたはずの彼女が、ぽっと出の下級貴族シャーロットを放っておくなんて――そんな声が、あちこちで囁かれたそうだ。
令嬢達は、シャーロットとランスロット様を放っておいた私に対して、最初こそあれこれとまくし立てていたが、次第に興味をなくしたかのように、私の前から去っていった。
そんなわけで、私は社交界とも適度な距離を置きながら、異世界ライフを満喫していた。
破滅フラグは折った。あとは静かに暮らすだけ――そう思っていたのに。
でも、運命は私を放っておいてはくれなかったらしい。
***
「お嬢様には、安全が確認できるまで、この先の国境を越えた町に潜伏していただきます」
御者が馬車を全速力で走らせる中、私はアルバスとともに揺られていた。
周囲は未だ深い闇で、小窓から覗く空には満月が浮かんでいる。私達は、追手よりもひと足早く屋敷を抜け出していた。幸い、未だに追跡の気配は感じられない。
「でもアルバス、私、このまま逃げ延びてもよいものかしら」
アルバスに言われるがまま馬車に乗り込んだ私であったけれども、ここで一つの疑問が浮かんでいた。
だって、私はランスロット殿下の暗殺未遂なんて、まったく関与していない。あれは明らかに冤罪だった。
「冤罪なのだから、逃げ隠れしたりせずに、大人しく名乗り出て無実を訴えたほうがよいのでは?」
「いいえ、なりません」
アルバスはピシャリとはねつけた。
「……どうして?」
「お嬢様が無実であることは、わたくし共も存じております。しかし、この動きの早さを見るに――お嬢様は、どこぞの敵対する貴族か権力者によって陥れられたに違いありません」
「まさか……」
私は一瞬、言葉を失う。
「宮中とは陰謀の渦巻くところです。いつ足元をすくわれるか分かりません」
確かに、コーネリアは、かつては悪役令嬢みたいな性格の令嬢だったらしい。私はここへ来てからは人に恨みを買うような振る舞いはしていないけれど、それ以前のことは分からない。
それに、私の言動に限らず、社交界には私や私の家に恨みを抱く者がいないとも限らないのだ。
コーネリアが暗殺未遂をしたと確定すれば、私だけではなくアーチャー公爵家も責任は免れないだろう。私は、そんな誰かの陰謀に利用されたということなのだろうか……。
「もし捕まってしまったら、一体どうなってしまうのかしら」
「お嬢様の罪状は、王子殿下の暗殺未遂とありました。もし罪が確定すれば、極刑は免れないかと」
「そんな……」
アルバスは私の狼狽ぶりを察して、それをなだめる。
「ご心配には及びません。国境を越えた先の町に、我がアーチャー公爵家が別荘として購入した邸宅がございます。国境さえ越えてしまえば、流石に警備の手も及ばないでしょう。ひとまずは安全に暮らすことが出来ます。その間に、お父上であるアーチャー公爵や周囲の者が、お嬢様の無実を明らかにしてくれるはずです。苦しいでしょうが、今は身を潜めて時を待つのです」
「……わかったわ」
私は自分を納得させた。
そんなことを考えているうちに、馬車はさらに進む。アルバスが御者の男に合図を送ると、彼は馬にムチを入れて、さらに先を急いだ。
***
「お嬢様、もうすぐ隣国との国境付近に到達します」
私はハッと目を覚ました。いつの間にか眠りこけていたらしい。
眠い目をこすりながら、窓辺から外を覗き込む。そこは王都の町並みとは様変わりしていた。
窓の外は、どこまでも続く田園風景が広がっていた。あたりは未だ夜明け前で、一帯は白んだ霧に霞んでいる。開けた野道の先はどこまでも広い麦畑になっていて、まだ若い青々とした麦の葉先が、朝露を光らせていた。
「ずいぶん遠いところまで来たのね」
「この先の町を抜ければ、隣国との国境です。しかし、油断は出来ませぬ。このあたりはランスロット殿下の兄君である、ヴィンセント殿下が治める所領内ですので」
「――ヴィンセント殿下」
私は再び記憶を巡らせた。
ヴィンセント殿下は、ランスロット殿下の二歳年上の兄であるらしい。本来であれば王位は彼が継ぐはずであるのだが、今は王宮にも不在で、社交界にもほとんど顔を出していなかった。
「たしか、ヴィンセント殿下は、幼い頃から病気がちで、その療養のために北部の別邸に滞在されていると聞いたわ」
「その通りでございます」
ヴィンセント殿下は幼い頃から体が弱く、北部の地に住まって長い。公務などももっぱらランスロット殿下が担っている。そのため、最近では次期国王の座は、弟のランスロット殿下に期待がかかるようになっている。
「ヴィンセント殿下は、普段はほとんどお出ましになりません。しかし、殿下はランスロット殿下の兄君。国王陛下にも近しい間柄ですし、既にお嬢様の手配情報が回っている可能性があります」
「そうね。私はヴィンセント殿下とは面識が無いけれど、こちらへ逃げることを見越して警戒している可能性もあるわ。気をつけて行きましょう」
気を引き締めながら、馬車に揺られていた、その矢先の出来事だった。
***
「まずいです、お嬢様。この先の街道の関門で、衛兵が検問を敷いているようです」
「なんですって!」
私は慌てて馬車の窓からそっと外を覗く。すると確かに、少し先にある関門のところで、衛兵が数人集まって、通行する馬車を一台ずつ検めていた。
「ど、どうしましょう……。別の道に迂回することはできないのかしら」
「北部の国境までは、この一本道を通る以外に道はありません。それに、今から引き返したら、それこそ怪しまれてしまいます」
「そんな……」
私は青ざめた。
もちろん、私はここへ来る前に、庶民風の服装に着替えて変装している。けれど、自慢の珊瑚色の髪や、目立つ赤い瞳はそうそう隠せるものでもない。
この派手な容姿は国内でも非常に珍しく、そうそう見間違えるものではなかった。本来であれば由緒ある貴族家が、その血統を誇示するために受け継いで来たものだったはずだけれど、それが仇となってしまった形だ。
関門で検問が敷かれているということは、既に手配書がこの北部地方にも回っているということ。人相から正体がバレてしまうのは、火を見るより明らかだった。
そうしている間にも、馬車はどんどんと関門の方へ進んでいってしまう。
「お嬢様、隙を見て馬車をお降りください。私が先に検問を抜け、様子を見てからお嬢様を迎えに参ります」
「えっ、そんな、大丈夫なの? 見つかってしまわないかしら……」
私はためらったが、悠長なことを言っている場合でもない。アルバスが馬車の戸をわずかに開けて急かした。
「早く。このままでは二人とも捕まってしまいます」
「わ、分かったわよ……」
そう言って、私が意を決して馬車から転がり出た、その時だった。
「おい、そこのお前、何をしている!」
(ば、バレてしまったわ……)
私の渾身の脱出は、すぐさま衛兵達の目に止まってしまった。
それもそのはず。列に並んだ馬車は、既に関門のすぐ手前まで進んでいて、私が降りた場所は、衛兵たちの目と鼻の先だったのだ。
(アルバスのバカ、もっと早く言ってよ……!)
内心で悪態をついている間にも、数人の衛兵がこちらへ馬を走らせてくる。
(流石に馬相手では逃げ切れない。お、おしまいだわ……)
私は、降りた場所にへたり込んだまま、眼の前が真っ暗になった。――その時。
「一体、何の騒ぎだ」
衛兵が駆けてくるのとは別の方向から、聞き覚えのない声がした。
恐る恐る目を開けると、見知らぬ人物がこちらに近づいて来ているのが見えた。
その人物も馬に乗っていた。けれども彼は、衛兵の装いをしていない。ラフなシャツにピタッとしたベストを合わせた、まるで格式高い家柄の貴公子みたいな出で立ちだった。夜明け前の薄明かりに白銀の髪が淡く光り、澄んだ青い瞳が印象的だった。血の気の薄い、白磁のような肌をしている。
「殿下、こちらにおいででしたか。怪しい娘が、馬車から逃げ出そうとしたもので、確かめに参ったのです」
馬で駆けてきた衛兵の一人が、その人物を“殿下”と呼称した。
「この娘が」
「はい。検問を受けずに逃げ出そうとしました。詳しく身柄を検めた方がよろしいかと」
「ふん」
言われて、殿下と呼ばれた人物が、私の方を見下ろした。冴えた青い瞳が、こちらを射抜く。
慌てて、私は被っていたフードを深く被り直した。
「見たところ、なんということもない娘だろう。お前たちの検問の手際が悪いから、待ちくたびれて降りただけなのでは? な、そうなのだろう」
彼はどうしてだか、私のことを庇っているような素振りを見せる。
「は、はい。家に忘れ物をしてしまったので、私だけ引き返そうとしたのです。慌てていたので、馬車から落ちてしまいました。お騒がせをしてしまい、すみません」
私は、咄嗟に思いついた苦しい言い訳を口にした。
衛兵達は訝しんだが、殿下と呼ばれた人物は表情を崩さない。
「そういうことだ。ここは良いから、お前たちは検問に戻れ」
「で、ですが。よろしいのですか」
「私が良いと言ったのだから良いのだ。このままでは検問が終わるまでに日が暮れてしまう。通行人をあまり待たせるな」
語気を強めて睨みつければ、それきり衛兵達は黙って引き下がっていった。
後には私と、謎の青年だけが取り残される。
「すごい勢いで馬車から転がり落ちたみたいだけれど、大丈夫? 立てるかい?」
そう言って、彼は私に手を差し出した。
「あ、ありがとうございます。この通り大丈夫で……痛いっ!」
私がその手を取って立ち上がろうとした時。不意に足首に激痛が走る。
私はそのまましゃがみ込んでしまった。
「ほら、やっぱり。さっきの衝撃で挫いているようだ。掴まって。私の屋敷で手当てをしよう」
そう言うが早いか、彼は有無を言わさず私を抱え上げ、ひょいと馬上へ引き上げてしまった。
そして、呆然とする私を乗せたまま、白銀の髪の青年は馬を駆けさせたのだった。
***
「君、手配書にあったコーネリア嬢だろう」
「……ち、違います」
殿下と呼ばれたあの人物に連れてこられたのは、なんとヴィンセント殿下が療養されているという、北部の居城だった。
手当てを受けた後、私はすぐにここを抜け出そうとしたけれど、挫いた足首は腫れ上がっていて、廊下には常に人の気配があった。結局、私は与えられた一室から一歩も出られないまま朝を迎えていた。
そして彼は、手当てを終えた私のもとへ押しかけてくるなり、そう突きつけたのだ。
「珊瑚色の髪に、木苺みたいな赤い瞳。それはアーチャー家に代々伝わる、固有の色だ。どう見ても庶民には見えないし、そんな目立つ容姿をしていて、私が見間違えるとでも思ったのかい」
「…………」
ヴィンセント殿下の澄んだ青い瞳は、まるで全てを見透かしているようだった。
言われなくとも分かる。彼こそがこの城の主、ランスロット殿下の兄君である、ヴィンセント王子だ。
私は、流石に言い逃れが出来なくて口ごもる。
膠着状態が続く中、ここでもう一人、別の人物が部屋へ入ってきた。
「殿下、戻っていらしたのですね。まったく、朝から姿が見えないと思ったら――」
「彼は側近のロイドだ」
小言を言いながら駆け込んできた人物を横目で見ながら、ヴィンセント殿下が私に耳打ちした。
「朝から町を遊び歩いて、見知らぬ娘を城に連れ込んだかと思えば。……あのアーチャー家の、コーネリア嬢ではありませんか。まさか本当に、手配書にある本人なのですか」
「そのようだね」
私は否定しようとしたが、その前にヴィンセント殿下が言い切ってしまった。
「見慣れない娘が検問に引っかかったんだけど、怪我をしていたので保護したんだ。私も昔は何度か社交界に出ていたから、手配書にあるコーネリア嬢で間違いないと思う」
確かに、ランスロット殿下の兄君である彼ならば、私の顔を知っていてもおかしくはない。私が転生してからは一度も顔を合わせたことはないけれど、彼にとっての私は初対面の相手ではないのだ。
私は改めて、ヴィンセント殿下のことを観察する。
透き通るような白銀の短髪に、澄んだ青色の瞳。色白で、整った顔立ちの美しい青年だった。至近距離で見つめられて、思わず私も目を見開いてしまう。
――社交界では、この国の二人の王子はもっぱら噂の的だった。
二人の王子は、巷では“黄金の獅子”と“白銀の狼”と歌われている。弟のランスロット殿下は、輝く太陽みたいな黄金色の髪に、燃えるような橙色の瞳が自慢の王子。対するヴィンセント殿下は、近年ほとんど社交界に姿を見せていないけれど、噂に聞く彼の容姿は、ランスロット殿下とは対照的な、透き通る白銀の髪に澄んだ青い瞳をしているという。
彼は、まさに噂通りの人物だった。思わず見惚れてしまっていた私だけれど、ここであることに気がつく。
(あれ、ヴィンセント殿下って、病気がちでここで療養しているのではなかったかしら?)
眼の前にいるヴィンセント殿下は、一見して病を患っているようには見えない。顔色も悪くないし、ランスロット殿下ほどの華やかさはないけれど、落ち着いていて大人びた佇まいをしていた。
不思議に思って首をかしげていると、私の視線に気がついたヴィンセント殿下が口を開いた。
「名門アーチャー家のコーネリア嬢。君は今、国王陛下の暗殺未遂の疑いで、指名手配されているようだけれど」
「私は、決してそのようなことはしておりません」
私は即答した。
こうなったら、自分がコーネリアであることは認めよう。でも、身に覚えの無い罪を認めるわけにはいかない。必死になってヴィンセント殿下に訴えかけると、彼は少しだけ目を見開いた。
「しかし、手配書に書かれている文言は、ほとんど君の犯行だと断定しているようだよ。
ロイド、王都から回ってきた手配書の罪状と、事件発覚の経緯を、もう一度ここで読み上げてみてくれ」
ヴィンセント殿下が、後ろに控えていたロイドの方を振り返る。ロイドは手にしていた手配書を広げて読み上げた。
「罪人、コーネリア・ネーブル・アーチャー。アーチャー公爵家の令嬢は、三日前に王城にて開かれた収穫祭において、国王陛下ならびにシャーロット・リース子爵令嬢に毒を盛り、その命を狙った罪に問われている」
「私が、国王陛下に毒を? 確かに、収穫祭に出席した記憶はありますけれど。でも、決して陛下を陥れるようなことはしておりません」
一体どういうことなのだろうと訝しみながら、私は、王宮で収穫祭が行われたあの日のことを思い返していた。
***
収穫祭が行われた日、私は父であるアーチャー公爵らとともに、王城へと向かっていた。
この日も、私は目立つ豪華な濃紫のアフタヌーンドレスに身を包んでいた。
会場に足を踏み入れると、私の姿を見つけた令嬢たちがすかさず声をあげる。
「まあ、コーネリア様。ずいぶんとご無沙汰でしたわね」
「お変わりないようで安心いたしましたわ」
「ど、どうも……」
私は、まごつきながらも挨拶を交わす。
社交界に出向くのは、春の園遊会以来だった。取り巻きみたいな令嬢達を突き放して会場を去ってしまったきりなので、正直気まずい。けれどもこうした公式な行事を欠席するわけにもいかず、しぶしぶ出向いたのだ。
彼女たちは私を見つけると、一瞬顔を見合わせるような素振りを見せたけれど、以前と変わらずに、まるで取り繕うように私の周りへ集まってきた。
拍子抜けするほどいつも通りの様子に、私はほっと胸を撫で下ろす。
そのまま彼女たちの輪に入って談笑に興じていると、不意に聞き覚えの無い声が割り込んできた。
「まあ、コーネリア様、ご機嫌よう。お久しぶりですね。とても心配しておりましたのよ」
顔を上げると、眼の前にはあのシャーロットが立っていた。
彼女とは以前の園遊会で、ランスロット殿下と一緒にいるところを見かけたきりだ。今日のシャーロットは、見るからに値の張りそうな純白のドレスを身にまとっていた。ひらひらと広がる裾には淡いピンクのリボンがいくつも結ばれていて、襟や袖には惜しげもなくフリルがあしらわれている。
「ご心配をおかけしてしまってごめんなさいね。近頃は何かと立て込んでいたものですから。
……それにしてもシャーロット、今日はいつにも増して素敵なドレスですこと」
私は不在の理由をはぐらかした後、それとなく話題を変えた。
言われたシャーロットは、目をぱちくりさせてから、まんざらでもない笑みを浮かべる。
「ええ、本当ですか。ありがとうございますっ。実はこれ、ランスロット殿下が私のためにくださったものですの」
「へ、へえ……。とてもよくお似合いですわ」
シャーロットはそう言って、うきうきとドレスの裾を翻してみせた。私は特に興味もなかったけれど、それを見た令嬢たちが、一斉に視線をそらしたのが妙に気にかかった。
「ところで、コーネリア様の所領の収穫の出来はいかがです? 確かアーチャー公爵は、毎年地元産のワインを振る舞ってくださいましたね」
「ええ。今年は天候に恵まれて葡萄が豊作でしたから、質の良いワインが出来たと聞いておりますわ」
この収穫祭では、各貴族が自領の収穫物を持ち寄って振る舞い、その年の実りを祝うことになっている。同時に、自領の特産品で富を誇示したり、領地の統治状況を暗に報告する場でもあるらしい。
南部の大領主であるアーチャー家もまた、広大な所領を有している。中でも南部は葡萄の産地で、そこから作られる上質なワインを振る舞うのが、我が家の恒例になっていた。
そう言って、私は屋敷から運ばせたワインの瓶をシャーロットに差し出す。しかし、なんだかシャーロットはそれを見て難しい顔をした。
「あら、ごめんなさい。私、お酒が飲めない体質なんです。呑むとすぐに酔ってしまって。ランスロット様からも、お酒は控えるようにと言われておりますの」
「あっ、そうでしたのね。ごめんなさい」
「その代わり、葡萄のジュースはありません? それを一つ頂きたいですわ」
「では、これをお持ちになって」
私はシャーロットに、しぼりたての葡萄ジュースをひと瓶差し出した。
***
記憶にあるやり取りを、そのままヴィンセント殿下達に話して聞かせる。すると、彼は小さく頷いた。
「どうやらシャーロット嬢は、君から受け取った葡萄ジュースを、国王陛下にも分けて差し上げることにしたようだ。数日後、シャーロットが陛下と謁見され、その席で葡萄ジュースを勧めた。国王陛下はその葡萄ジュースを受け取り、先に口をつけた毒見役が、その場で血を吐いて倒れたそうだ。瓶からは致死量の毒物が検出された――と、手配書にはそう記されている」
「ええっ!」
思わず、私は椅子から立ち上がった。
「そんな……私は決して毒など仕込んでいません。それに私はシャーロットにジュースを渡したことは認めますが、それを国王陛下に渡すことは想定していないのでは?」
私はうろたえた。確かに状況だけを見れば、私が犯人だと思われても仕方がない。
けれども、国王陛下の暗殺というのは飛躍しすぎではないか。
私が訴えると、ヴィンセント殿下は軽くため息をついた。
「一理ある。なので手配書には、国王陛下の暗殺未遂、ならびにシャーロット嬢の暗殺未遂と書かれている。巷では、近頃ランスロットと親しくしていたシャーロット嬢に嫉妬して、毒を盛ったのだという話も聞いたよ」
ヴィンセント殿下はこともなげに付け加えたが、私は全然納得がいかない。
「そんな滅茶苦茶な……。そんなことを私がするはずもありません。それを言えばシャーロットだって、私から受け取った葡萄ジュースに毒を仕込むことは出来たはずではありませんか……」
信じたくはないけれど、あの場で私以外に毒物を仕込むことができるとすれば、ジュースを受け取ったシャーロットくらいだ。
「確かに、これはあまりにも分かりやすい。送り主のはっきりした飲み物から毒物が発見されれば犯人は明白だ。誰かが君に罪を擦り付けるために行ったとも考えられる」
ヴィンセント殿下はそう呟いてから、考え事をするように腕を組んだ。
「しかし、国王陛下は君が渡したワインを証拠としてすでに手配書を全国に回しているようだ。今更覆すのは難しいだろうね。私としても、これを受け取っている以上、このまま君を解放するわけにはいかない」
「そ、そんな……」
私は打ちひしがれた。
ここへ来る前、馬車の中でのアルバスとの会話が頭をよぎる。捕まってしまえば、極刑は免れないと彼は言っていた。
「信じてください。私は、誓って誰かを暗殺しようとなどしておりません」
私が泣きそうな顔で訴えると、ヴィンセント殿下は顔をしかめて、何やら考え込んでしまった。
ロイドが一礼して部屋を辞したあとも、殿下はしばらく黙ったままだった。
――室内が沈黙に包まれた、その時。
「殿下、大変です。王都から勅使がやってきています。なんでも、昨晩逃亡した手配犯の行方について、調査に協力を頂きたいと……」
たった今出て行ったばかりのロイドが、血相を変えて駆け込んできた。
言われて、ヴィンセント殿下は立ち上がる。
「勅使が、こんな朝早くからどうして」
「さあ、分かりませんが。何らかの形で、コーネリア嬢が北部地方に逃げ込んだことを掴んだのでは」
会話を聞いていて、私は青ざめた。
勅使に見つかってしまえば、それこそ一巻の終わりだ。
「幸いにも、眼の前に当該の手配犯本人がおります。さっさと身柄を引き渡してしまえばよろしいかと」
「ちょ、ちょっと待ってください。私は本当に、暗殺なんてしていないんです」
私は思わず声を上げた。しかし、ロイドは私に冷たい視線を投げかける。
「潔く投降して、調査に協力すべきです。後ろめたいことがなければ、逃げる必要など無いでしょう」
「そ、それは……」
「殿下、これは国王陛下直々のお達しです。もし彼女を匿うようなことがあれば、反逆の罪でこちらが捕らえられてしまいます。早く身柄を引き渡してしまいましょう」
「待ってくれ、ロイド」
沈黙していたヴィンセント殿下が、ここで口を開いた。
「私が、勅使と直接話す。彼らの目的が何なのかを知りたい。それにこの事件についても、いくつか確認したいことがある」
そう言って、ヴィンセント殿下は立ち上がると、ロイドとともに部屋を出ていってしまった。
***
私は、誰もいない部屋に一人取り残された。
(ど、どうしましょう……)
私は、部屋の中をうろうろと歩き回る。先程、ヴィンセント殿下は王都の勅使と直接話すと言っていた。もし、彼がこの部屋にいる私のことを話せば、私の身柄はそのまま勅使の手に渡ることになる。
(逃げるなら、今のうちね)
そう思って、私は部屋の戸を少しだけ開けて、廊下の様子を伺った。
廊下に人の影はない。城に出入りしている使用人たちが、全員私の正体を把握しているとは考えにくい。もし既に城中に広まっているのなら、もっと騒ぎになっているはずだ。
ヴィンセント殿下が話をしている間に城を抜け出せれば、勅使達に引き渡される前に姿をくらますことができるだろう。――でも。
(ヴィンセント殿下は、私の無実の訴えに、真摯に耳を傾けてくださったわ)
彼は、どうしてだか、陥れられた私のことを助けてくれたようにも思える。
関門の検問のところでも、私がコーネリアだと分かっていたはずなのに、衛兵達を欺いてくれた。
他に何か狙いがあったのだとしても、彼は手配書にあった通りに私を犯人だと決めつけたりはしなかった。
そう思うと、はたして彼のいない隙に逃げ出してしまってよいのか、という後ろめたさがある。
(どうしましょう……でも、そのせいで捕まってしまったら)
部屋の中をうろつきながら、暫く葛藤した結果。――最終的に、私は逃げずに部屋へ残ることに決めた。
ヴィンセント殿下を信じたいという思いもあったけれど、ロイドが言っていたように、無実であるならここで逃げ出しては罪を認めるようなものだと思ったのも大きい。それこそ敵の思う壺かも知れないし、自分の訴えをきちんと勅使や国王陛下に聞いてもらいたいという気持ちもあった。
それに――正直なところ、私は既にアルバスと離れ離れになってしまったから、ここから先に行くあてなんて無い。北の国境への道順も知らないし、どのくらいでたどり着けるのかも分からない。
私は、自分の運命を彼に委ねてみることにした。
***
暫くして、廊下の方から話し声が聞こえてきたかと思うと、戸口からロイドとヴィンセント殿下が入ってきた。
「まったく、殿下はお人好しが過ぎます」
部屋に入るなり、ロイドは嘆いた。
「ここにコーネリア嬢本人がいるというのに、ごまかして勅使達を返してしまうなんて……。この事実が明るみに出れば、ヴィンセント殿下といえどもただでは済みませんよ」
「許せ、ロイド」
端からその会話を聞いていた私は、いても立ってもいられなくなった。
「あ、あの。勅使の方々は、どうなったのでしょうか」
「ああ。彼らには君がここにいることは明かさずに、何も手がかりは見つかっていないと説明して、帰ってもらったよ」
「えっ、本当ですか?」
思ってもいなかった展開に、私は思わず前のめりになってしまう。
「たかだか小娘一人のために、ここまでなさるなんて殿下らしくもない。余計なことに首を突っ込むのはおやめください」
ロイドは未だに嘆いていた。
「彼女は、あの悪名高いアーチャー家の人間なのですよ。アーチャー公爵家は代々、裏で社交界を牛耳っていて、気に入らない要人がいれば排除するのに手段を選ばないと聞きます。これまで何人の貴族が、権力争いに敗れて闇に葬られてきたことか。それに、ここにいるコーネリア嬢だって、幼い頃から悪名高い方でした。気に食わない令嬢たちを執拗にいじめたり、殿下やランスロット殿下に近づこうとする令嬢を目の敵にしていたではありませんか」
本人を前にしてのあまりに辛辣な言いように、私は返す言葉が見つからなかった。
でも、ロイドの言うことも、あながち間違いではないのだろう。転生して間もない頃に体験したように、コーネリアという令嬢は、周囲から必要以上にもてはやされる存在だった。周囲が私に抱く印象はまるで、おとぎ話に出てくる悪役令嬢そのもので、私自身も戸惑っていたくらいだ。
そんな私が、無実の罪とはいえど暗殺未遂で指名手配された。元々私のことを悪女としてよく思っていなかったロイドが、ここまで執拗に責め立てるのも分かる気がする。
「確かに、お前の心配もわかる。私もここへ療養に来る前は、社交界でコーネリアと度々顔を合わせていたからな」
そう言って、ヴィンセント殿下は昔のことを思い出すかのように、私の方を見た。
その表情は硬い。きっとヴィンセント殿下自身も、私が転生する前のコーネリアのことを、あまり良くは思っていないのだろうと伺えた。
厳密には自分のしたことではないとはいえ、私は気まずい思いで俯いた。
「とにかく、勅使にああ言ってしまった以上、ここであったことは、ここにいる三人だけの秘密とする。この件はくれぐれも内密にしておくように」
「……承知しました」
ロイドは渋々了承すると、そのまま部屋を去っていった。
部屋には、私とヴィンセント殿下だけが取り残される。私は意を決して、口を開いた。
「あの、さきほどはありがとうございました」
「いいんだ。これは私が勝手に決めたことだから、君が気にすることはない」
ヴィンセント殿下は淡々と答えた。でも、私にはどうしても確かめたいことがあって、彼に向き直る。
「でも、どうして私を助けてくださったのですか」
さっきのロイドとのやり取りの通り、私は社交界では悪女として名を馳せている。ヴィンセント殿下自身も、そのことを否定しない様子だった。であれば、どうして私を庇ってくれる気になったのだろう。
すると、彼は少しだけ考えた後にポツリと呟いた。
「確かに、私にも事件の真相は分からない。でも、君の訴えを無視することは出来なかったんだ。――実は私自身も、君と同じように、何者かに陥れられてここにいるから」
「えっ、それはどういうことですか」
思わぬ一言が飛び出してきて、私は目を見開く。すると、ヴィンセント殿下は、幼い頃に自分の身に起こった出来事を話して聞かせてくれた。
***
ヴィンセント殿下は、現国王陛下の第一王子として生まれた。
国を背負う使命を負い、次期国王として将来を期待された存在だった。しかし、数年後に弟のランスロット殿下が生まれてから、彼の身には不審な出来事が立て続けに起こりはじめる。
それは、ヴィンセント殿下が初めて公の場にお出ましになるはずだった、ある式典の日のことだった。
早朝まで、健康そのものだったはずの殿下は、当日になって突然高熱で倒れた。
そして、その後も公式な行事のたびに、立て続けに体調を崩すことがあった。
「原因は今でも分からない。最初は毒物を疑ったが、調べてみても毒物らしきものは見つからなかった。誰も原因を特定することは出来ずに、事件は迷宮入り。
私は身の危険を感じて、以来療養という形でこの屋敷に落ち延びている。お陰で体調を崩すことはなくなったけれど。今では私はすっかり病弱の烙印を押されて、王太子の座を弟に譲ることになった」
そう言って、ヴィンセント殿下は両手を広げてみせる。
「それに、今回の事件について少し気がかりなことがあるんだ。私の身に起こったことと、君が容疑をかけられている事件。二つにはある共通点がある」
「ある、共通点?」
「今はまだ詳しいことは言えない。けれども、君が本当に暗殺を企てていないのならなおさら。ここで君の身柄を向こうに明け渡すわけにはいかなかったんだ」
私が冤罪をかけられているこの事件が、私だけではなくヴィンセント殿下にもかかわりがあることだと聞いて、自分としても驚きを隠せない。
彼は私をかくまってくれた。まだ、私が無実だという確証はないのにも関わらず。
そう思うと、彼に対して暖かい気持ちが込み上げてきた。
「信じてください。私は決して毒物を仕込んだりしていません」
今はそれを証明することはできない。けれども必ず無実を証明することを誓って、断言してみせた。
「提案があるんだ。もし、他に行くあてがなければ暫くこの屋敷に匿ってあげる。もちろん行き先があるなら引き止めたりはしないけど」
「えっ、よろしいのですか」
先ほどのロイドとの会話が思い起こされる。
反逆罪の疑いがある私をかばえば、ヴィンセント殿下もただでは済まないと、ロイド入っていた。
「大丈夫、心配せずとも、私はこの国の王子だからね。君を見逃したくらいで、大した罪にはならないさ」
ヴィンセント殿下はあっけらかんとして言った。
言われて、私は考え込む。本来なら北の国境を目指すべきだったけれど、アルバスがいない今、そこへたどり着くのは難しい。
彼の言葉に甘えてこの城に暫く匿ってもらえたら嬉しい。
けれど、そうするとヴィンセント殿下に悪事の片棒を担がせることになるのは気が引けた。
結論が出なかったので、この日は一旦ここに泊めてもらい、一晩考えることにした。
***
翌朝、私はあることを決心して、ヴィンセント殿下の執務室を訪ねた。
「殿下、あれから一晩考えました。もしできれば、暫くここに置いていただけないでしょうか。……ただし、このまま居候になるのは申し訳がなさすぎますし、流石にただで置いていただくわけには参りません。そこで考えたのです」
私はここで一歩前へ踏み出した。
「私を、使用人としてこの城に置いていただけませんか。まだ不慣れなこともあるかも知れませんが、一生懸命働いて、早く一人前になれるよう頑張りますから」
「使用人? どうしてまた。この城に滞在する人数が一人増えたところで、どうということはないよ。働く必要なんて無いと思うけど」
「いいえ、そういうわけには参りません。私も色々と考えたのです。ただ匿っていただくだけでは、万が一見つかったときに、ヴィンセント殿下にご迷惑がかかってしまいます。
ですから――私が殿下を欺いて、使用人として潜伏していたことにすれば良いんです。殿下は、私がコーネリアだとは気付かず、庶民だと思って雇った。そう仰ってくだされば、もし私が捕まったときにも言い訳が立ちます」
我ながら名案だと思っていた。このまま何もせずに匿ってもらうのは申し訳がないし、かといって、私には他に行くあてもない。このあたりに潜伏するにしても、いつ敵に見つかるか分からなかった。
「でも、そこまでしなくとも。私のことは気にしなくて良いんだよ。それに、君にそんな慣れないことをさせるわけにも……」
ヴィンセント殿下は渋った。けれども、私の決心は変わらない。
「私のことなら大丈夫です。それに、庶民に偽装していたほうが、私自身も動きやすいんです。今回の件で裏から誰が糸を引いているのか分かりません。身軽でいたほうが良いと思いまして」
豪語してから、私はこう付け加えた。
「それに、私はヴィンセント殿下の身に起こった事件の解明にもお役に立てるかもしれません」
彼もまた、何者かに陥れられてここにいると言っていた。
二つの事件の黒幕が同一人物なのかは分からない。けれども、公的な身分ゆえに身動きの取りづらいヴィンセント殿下の代わりに、私が調べて回ることはできるのではないかと考えていた。
「私のために?」
「だ、駄目でしょうか。やる気は十分にあります」
私は、まるでバイトの面接並みに目を輝かせて殿下にねだった。
「そこまで言うなら……。確かに、君の言う通り、単純に匿うよりも、使用人に偽装していたほうがカモフラージュになるかも知れないな」
ヴィンセント殿下も、最後には納得してくれた。
「ありがとうございます!」
「でも、そんなに張り切って働くことは無いからね。君は生まれながらの公爵令嬢なのだし、慣れないことはするものじゃない。適当に、やっているふりくらいで良いんだよ」
「大丈夫ですよ、任せてください」
そう、こう見えても私は、現代では普通のOLとして生活していた。彼は私のことを箱入りのお嬢様だと思っているようだけれど、そうではない。家事全般を任されることに、抵抗なんて無かった。
そんなわけで、私はこのお城に使用人として潜伏することになった。
***
「リア、それが終わったらリネンのアイロンがけも手伝ってもらえる?」
「は~い、今行きます」
数日後。私は、お城の庭先で、干し終えた洗濯物を眺めながら満足そうに頷いていた。そして、背後からの呼び声に返事をする。
くるりと振り返ると、そこにはヴィンセント殿下と――まるで幽霊でも見たかのように、目を丸くしてこちらを凝視しているロイドの姿があった。
「コーネリア……じゃなかった、リア。なにもそんなに張り切らなくても。疲れたりしていないかい? 休憩しながらで良いんだよ」
ヴィンセント殿下は心配そうに声をかけてきた。
彼が私の提案を了承してくれたので、私は次の日から晴れてこの城の使用人になった。周囲に対しては、私は殿下の遠い親戚の娘で、社会勉強のために給仕に出ている――という設定になっている。
それでも、ヴィンセント殿下は何かと私のことを気にかけてくださる。
「ご心配なく、旦那様。私、これでもやる気と体力だけは十二分にあるんです」
「まあ、ほどほどにね……」
私は、殿下の過保護な視線をよそに張り切ってみせる。
隣でそれを見ていたロイドは、目を見開いたまま声も出ない様子だった。
そんな二人に一礼して、私は別の持ち場へと向かっていく。
すると、背後でロイドとヴィンセント殿下の、こんな会話を小耳にはさんだ。
「殿下、一体コーネリア嬢はどうしてしまったのでしょう。あの悪女として名高い彼女が、嬉々として家事雑用を引き受けているなんて、信じられません」
「確かに。これが本当にあの彼女なのか……私にも信じられないな」
ヴィンセント殿下も拍子抜けしているようだった。
「ですが、彼女が自ら使用人に偽装すると言い出したのは、名案だったかも知れませんね。もし見つかっても、我々は知らぬ存ぜぬで白を切り通せばよいだけです」
「もちろん、私は彼女を売るつもりはない。けれども、彼女がやりたいというのなら、しばらくは好きにさせようと思う」
二人は私の背中を見送りながら、そんなことを漏らしていた。




