死者の居場所
音の正体は、すぐには姿を見せなかった。
それでも、気配だけは確実に近づいてくる。人の体温が、空気をわずかに揺らす感じ。生きているもの特有の、無駄な熱。
私は柱の影に身を寄せた。
心臓が、また一つ余計に打つ。遅れて、重く。まるで「まだ終わっていない」と主張するみたいに。
……見つかりたくない。
でも、見たい。
その矛盾が、私の中で静かに絡み合う。
ゾンビになってから、感情は減ったはずなのに、こういう時だけは妙に鮮明だった。
足音が止まる。
代わりに、低い囁き声。
「……本当に、ここか?」
「噂じゃ、動く死体がいるって……」
人間だ。
複数。たぶん二人か三人。
胸の奥が、すっと冷える。
噂。そうか、もう外では、私は“そういう存在”として語られているのか。
思わず、自分の腕を見る。
皮膚の色、関節の歪み、爪の黒ずみ。隠しようがない。どれだけお嬢様ぶっても、私は死体だ。
一歩、踏み出す。
床板が、ぎ、と鳴った。
声が止まる。
息を呑む音が、はっきりと聞こえた。
「……誰だ?」
答えない。
答えられる言葉を、私はもう持っていなかった。
影から姿を現すと、向こうの人間が硬直するのが分かった。
松明の光が、私の顔を照らす。反射する瞳。血の通っていない肌。
「……っ、ゾン……」
言い切る前に、声が震えて途切れた。
私は、何もしない。
襲わないし、叫ばない。ただ、そこに立っているだけ。
それでも、人間たちは一歩下がった。
恐怖は、私が動かなくても、勝手に育つ。
「帰りなさい」
自分の声に、少し驚いた。
低く、掠れているけれど、確かに私の声だった。
「ここは……私の家よ」
沈黙。
次の瞬間、誰かが舌打ちして、踵を返した。
「……やっぱ、やめだ」
「関わるもんじゃない……」
足音が遠ざかっていく。
誰も、振り返らなかった。
廊下に残されたのは、私だけ。
そして、消えきらない熱の名残。
私は壁に背を預け、ゆっくりと座り込んだ。
力が抜けた、というより、張り詰めていたものがほどけた感じだった。
「……追い払っちゃった」
少しだけ、笑う。
ゾンビなのに。お嬢様なのに。番犬みたいなことをしている。
でも、不思議と後悔はなかった。
あの人たちは、私の居場所を奪いに来た。だったら、追い返して当然だ。
私はここにいる。
生きていなくても、死んでいても。
屋敷の闇が、静かに私を包む。
腐った匂いも、軋む音も、全部含めて――ここが私の世界だ。
「……大丈夫」
また、その言葉。
今度は、少しだけ確信がこもっていた。
私は、立ち上がる。
足取りは相変わらず重いけれど、迷いはなかった。
――死者にも、居場所はある。
そう思いながら、私は屋敷の奥へと戻っていった。




