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#ゾンビお嬢様はじめました  作者: 櫻木サヱ
生きていない足音

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38/39

腐らない静けさ

屋敷は、音を飲み込む生き物みたいだった。

私が一歩進むたび、床板は鳴く寸前で黙り込み、空気だけが微かに震える。さっき聞こえたはずの足音は、もうどこにもなかった。


幻聴かもしれない。

そう思えるほど、私はまだ人間じゃない。


耳を澄ます。

自分の鼓動が、遅れて、鈍く、遠くで鳴る。生きていた頃なら気味が悪くて仕方なかっただろうこの音が、今は確認作業みたいなものになっていた。


――まだ、動ける。

――まだ、考えられる。


それだけで、今日という一日を続ける理由になる。


廊下の突き当たり、小さな控え室の扉が半開きになっていた。

昔は使用人たちが息を整えるための部屋だったはずだ。今は、埃と静寂が住み着いている。


中に入ると、空気が一段冷たくなる。

腐敗臭は薄く、代わりに古い木と布の匂いがした。私はその匂いが、なぜか好きだった。生きていた頃の記憶に、近いから。


椅子に腰を下ろす。

座る、という動作が相変わらずぎこちない。関節がずれて、皮膚が引き攣れる。それでも痛みは来ない。ただ、「壊れている」という事実だけが、淡々と伝わってくる。


膝の上に手を置く。

指が一本、わずかに痙攣した。


「……大丈夫」


また同じ言葉。

誰も聞いていないのに、何度も口にする。言葉は、腐らない。だから安心できる。


壁に掛けられた小さな鏡が目に入った。

近づいて覗き込むと、そこにいるのは、確かに私だった。でも、生きていた頃の私とは、決定的に違う。


目の下に影。

唇の色は失われ、皮膚は人形みたいに冷たい。視線だけが、妙に澄んでいる。


「……お嬢様、ね」


かつてそう呼ばれていた自分を、思い出す。

優雅で、無知で、守られる側だった存在。今の私は、その残骸だ。


それでも、嫌じゃなかった。

むしろ、不思議な自由を感じていた。食べなくていい、眠らなくていい、誰にも期待されない。失敗しても、失うものがない。


鏡から離れた瞬間、遠くでまた、音がした。

今度ははっきりと。人の足音だ。


胸の奥が、微かに熱を持つ。

恐怖と、好奇心と、ほんの少しの怒り。


――ここは、私の場所。


腐っていても、死んでいても、ここにいる権利はある。

私は立ち上がり、ゆっくりと音の方へ向かった。足取りは重く、確実に、人ではない。


それでも、逃げなかった。

逃げる理由が、もうなかったから。


廊下の闇が、私を受け入れる。

静けさは、相変わらず腐らないままだった。

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