屋敷の影が囁く夜
屋敷の廊下は、昼間とは違う静けさに包まれていた。昼の光は消え、窓から差し込む月明かりだけが、床に冷たい光の帯を落としている。腐敗した私の体は、この薄暗い廊下でも微かに軋み、硬くなった関節がぎしぎしと音を立てる。冷たい皮膚が床や手すりに触れるたび、かすかな感覚が胸の奥に走った。
使用人たちはすでに寝静まり、廊下に人の気配はない。しかし、その静寂が却って恐怖を増幅させる。私はゆっくりと一歩ずつ進む。足先はまだ硬く、地面の冷たさが皮膚を突き刺すようだ。指先はひび割れ、触れたものすべてに微かな腐敗の匂いが混ざる。自分が異形であることを、目の前の世界が容赦なく突きつけてくる。
ふと、遠くの階段から小さな物音がした。微かに、誰かの足音——人間の足音のように聞こえた瞬間、胸の奥で、まだ動かない心臓の代わりに小さな震えが走る。誰だろう。使用人か、それとも…? 呼吸の代わりに胸の震えで答えを探す。
廊下の角を曲がると、影が揺れた。月明かりに照らされ、長い廊下の向こうに人影が立つ。その瞬間、硬くなった首の関節が軋み、皮膚がひりつく感覚が走った。私の体はもう生きていない。動かないはずの体が、動くために軋む音を立てる。生の存在とは別のリズムで、存在している自分を確認する。
影が近づくにつれて、腐敗した体の違和感が増す。指先が硬く、関節がぎこちなく動く。歩幅も合わず、足音が廊下に乾いたリズムを刻む。人影は微かに呼吸のような音を立て、私の存在を確かめるようにゆっくりと動く。恐怖と好奇心が交錯し、胸の奥で微かな鼓動のような感覚が反応する。
私は影に向かって、静かに手を伸ばす。冷たく、ひび割れた指先が月光に光る。触れたものは微かに湿り、腐敗の匂いが漂う。目の前の人影は、息を呑むように止まり、私を見つめた。言葉は出ない。出せない。生きていない体に、声はないのだ。
廊下をさらに進むと、屋敷の奥、図書室への扉が見えた。古い木の扉は月光に白く光り、埃をまとった空気が漂う。指先で扉を押すと、腐敗した皮膚が少し軋む。中の静寂は外の廊下よりも重く、呼吸できない胸の奥を圧迫する。
図書室に足を踏み入れると、古い紙の匂いと埃の感覚が広がる。硬くなった指先で棚に触れると、紙の表面がひび割れた手に微かに引っかかり、冷たく乾いた音が響く。その音が、孤独の証のように胸に刺さる。生きていない体で、静かな世界の中に存在している——その事実が、胸の奥をぎゅっと締めつける。
廊下から聞こえる微かな足音、窓の外を渡る夜風の音。全てが私の存在を映す鏡のように、リアルに、そして残酷に響く。腐敗した体の冷たさ、関節の軋み、皮膚のひび割れ——それが、屋敷という閉ざされた空間で、唯一の自己確認になっている。
月明かりの下、私は一歩を踏み出す。影は微かに揺れ、屋敷の闇は深くなる。腐敗と孤独、冷たさと微かな希望——それらが交錯し、胸の奥で静かな恐怖と僅かな温もりを同時に感じさせる。屋敷は紅に染まり、夜の闇と光が交差する中、物語は崩壊の淵へと静かに進んでいった。




