第17話
簡単なあらすじ
ユナの容赦ない急所蹴りが木本にクリーンヒット。
当然それだけで終わるはずもなく、追加の“私刑”がたっぷり続いた。
木本は瀕死になりながらも、なんとかセーフワードの『プードル』を絞り出し、ユナは渋々ながら命令を守って停止。
俺は、奴が少しは反省したのか気になって「どうだった?」と、訊いてみたが、返ってきたのは――。
「殺してやる」だった。
木本は俺を無視して、必死に床に転がるスマホへと手を伸ばす。
が、当然助けは呼ばせない。
「まだ終わってないぞ」
そう言い、スマホを先に拾い上げた。
「返せっ! 救急車、早く呼べ!」
木本はまだ自分の立場がわからないようで、泣きながらブチギレている。
「おいおい……せっかくのチャンスなのに、そんなんでいいのかよ?」
「お前なんて……逮捕だぞ! 変態が!」
まだ助かってないのに、俺を脅している。
本当に可哀想な奴だ。
木本は激痛に喘ぎながら、洗面台に手をかけて、立ちあがろうと頑張っている。
「そんなことより、他に言うべきこと、あるんじゃないか?」
俺の問いかけを無視して、奴がよろよろと立ち上がる。
「バカが! もう終わりだ!」
木本がそう吐き捨てて、トイレの出口に走ろうとした瞬間――勝手にずっこけた。
血が出過ぎたのか、ダメージが深すぎたのか。
あんなことされて、まともに動けるわけない。
「お前、ほんっとうにバカだな。反省とかしないわけ?」
掃除用品入れから、ゴムホースを引き抜きながら尋ねた。
「す……するか! 卑怯者が!」
……やっぱりコイツは変わらないな。
もう、どうしようもない。
「誰か! 助けてぇ!」
逃げられないと悟ったのか、木本が情けない声で叫び出す。
この期に及んで、まだ他人に縋ろうとしている。
俺は、腹ばいになっている奴の首元にホースを引っ掛けた。
そして、頭を踏みつける。
ぐっ、と足に力を込めながら――ホースを後ろに引いて。
「が……ッ、がはっ……や、やめ!」
泡を吐きそうな顔でジタバタしているくせに、口ではまだ文句ばっかだ。
「お前さ、反省とか……しないんだろ?」
ホースを少しだけ緩めて、もう一度だけ聞いてやる。
木本の口が、かすかに動いた。
絞り出すように――。
「……ぷ……ど……る……」
俺は、一瞬、聞き間違えたかと思った。
「……は?」
顔を覗き込むと、木本は涙と涎で顔をぐしゃぐしゃにしたまま、半開きの口を動かしていた。
「……プ、プードル……」
もう一度。それだけを、うわ言のように繰り返す。
命乞いじゃない。謝罪でも、反省でもない。
“記号”だけが、脳にこびりついてる。
ユナに使って、なんとか助かった言葉――それだけに、縋ってる。
酸欠とダメージのせいで脳がまともに動いてないんだろうけど、ほんとコイツ空気読めないな。
「いつまで言ってんだ、バカ」
そう言って、ホースをもう一度締め上げた。
木本が、苦悶のうめき声を漏らしながら、床をタップする。
意味もない、無様な降参のサイン。
ユナを見れば、木本の命じたセーフワードの言いつけを守って、ずっと立ち尽くしていた。
「自分が悪いって自覚もなかったのか?」
木本に答えさせるつもりはない。
ただ、言葉にしておかないと気が済まなかった。
「俺が本気で怒ってるってわからなかったのか?」
当然奴に答える余裕なんてなく、必死でもがいている。
「『殺す』なんて言われたら、やられる前にやるしかないだろーが」
……まあ、最初から殺すつもりではあったけどな。
ユナに好き勝手して、挙句、影美にまで手を出そうとしたんだ。
――仕方ない。当然の結果。コイツの自業自得。
理屈では、わかってる。俺は何も間違えてない。
……ただ、それでも。
「なんで、反省しなかったんだよ」
つい、心の声が漏れた。
「こんな輩の溜まり場みてえな店の、汚いトイレで……女の取り合いで、殺しさせられるとか……俺の身にもなれよ」
木本は、吊り上がった頭と腕を、ぐったりと垂らした。
息をしているかもわからない。けど、ユナが消えていない。
つまり、まだ死んでない。
大丈夫。俺は絶対捕まらない。
……証拠がない。死体が見つからなきゃ、バレようがない。
異界に隠せば、それで終わりだ。
心の中で自分に、そう言い聞かせながら――ホースを、全力で締め上げた。
――終わったな。
そう確信しかけたその時だった。
「なんかおもしろそうなことしてるね」
気づけば、トイレ入り口のドアが開いていて、影美が首をかしげて、のぞきこんでいる。
彼女が続けて口を開く。
「さっきから悲鳴聞こえてたけど、大丈夫?」
驚いて、ホースを手放してしまった。
「え、影美」
影美を結構待たせてしまってたからな。
彼女なら、俺が木本殺したとしても何も思わないだろうけど、現場を見られて――何故か一瞬だけど、マズイと思ってしまった。
「ちゃんとそういうこと、出来たんだね。ちょっと意外」
俺の足元で死にかけの木本に目をやると、影美がユナを指し、続けて口を開く。
「その子がコイツの使い魔?」
「あ、ああ」
「たしか、ユナって名前だったよね。なんでボーっと突っ立ってるの? だいぶカオスな状況だけど何があったの?」
まあ、当然の疑問だよな。
血塗れのトイレ、俺にホースで絞殺されかけてる木本、それを邪魔するでもなく棒立ちしてるユナ。
側から見れば異常な状況すぎる。
「コイツがずっとついて来るから、お仕置きしてた」
血まみれの木本の体を、つま先でぐい、と押しながら言った。
本当は、コイツが『影美とユナ交換したい』とか言い出して、断ったのに引かなかったからこうなってるんだけど、正直に言うのはやめておいた。
言うと、なんか自分がムキになってるみたいでダサいし。
「マスターが殺されかけてたのに、なんでこの子は突っ立ってたの?」
影美が、棒立ちのユナの前で彼女の顔を覗き込みながら尋ねてきた。
「それは……まぁ、色々あったんだ。……な?」
そう言って、ユナに話を振ったが、彼女は無視した。
俺が「満足した」と言うまで、固まってるつもりか?
さっきまで木本のことを本気で殺すつもりだった。
そうしたいからではなくて、そうする他になかったから。
なのに……影美が現れて、「もういいや」と思ってしまった。
何故か、木本をぶっ殺すって気持ちが一気に萎えた。
実際、こんな身体にされちゃ、もう使い物にならないだろ。
というか、普通の生活に戻ることすら無理。
だから――。
「ユナ。もう満足したから、いいぞ」
俺が合図すると、ユナがふぅ……とため息ついて、影美の方に向き直った。
「加藤さんには助けられました。色々と」
「いやいや、意味わかんないから。わかるように言ってよ」
念の為、木本の顔に手をかざして呼吸を確認。
……弱々しいけど、生きてた。
「一言で言うなら、木本が自爆するように仕向けた……だな」と、補足し続ける。
「調子乗ってたから、ちょっと煽ってやったらカンタンに命令権譲ってきてさ」
「うーん……なるほど?」
「で、ユナに好きなことしていいって言ったら、こうなった」
「……ま、どうでもいいけど」
影美はそう言い捨てると、足元の木本を見下ろしながら、肩をすくめた。
「それより……外まで悲鳴、響いてたよ。大ごとになるんじゃない?」
「マジか。まぁ……そうだよな!」
ユナを見ると、洗面台の水を手にすくって木本の顔にかけていた。
とりあえず……で、木本を懲らしめたはいいものの、結局何も解決してないんだよな……。
奴の使い魔である限り、奴隷なのは変わりないんだし。
「とにかく移行した方がいいか。見つかるのは面倒だし。ユナ、そいつ運んでくれるか?」
「そうですね」
ユナは小さく頷き、木本の腕を持ち上げて肩を貸した。
「じゃあ、行くか」