第16話 ※グロ苦手な人は飛ばしてください
金玉キック――なんて言うと、軽く聞こえるかもしれない。
ギャグのお約束。少年マンガの定番ネタ。
蹴られた奴が変な声上げて、股間押さえて悶絶するだけの、笑い話。
でも、現実は違う。笑い事じゃない。
急所蹴りは、冗談抜きの、人体破壊だ。
股間についてるのは、むき出しの臓器。
骨がなく、筋肉も薄い。守ってるのは、ほんの薄皮一枚。
そんな繊細な器官を――人外の脚力で、真正面から、容赦なくぶち抜かれた。
計り知れない超絶大ダメージ。
「イタタ」で済ますなんて、絶対無理。
起き上がることすら不可能。
格闘マンガだと、金的喰らっても立ち上がって平然と戦うキャラがよくいるけど……現実なら、その場で人生終了だ。
俺に頭を踏まれながら、過呼吸気味で呻いている木本も、顔面蒼白。
唇も真っ青で、血と粘液の混じったような小便ちびりながら死にかけている。
つまり、木本の負け。
文句なしの全敗――完全敗北。
これがフィクションだったら、「これに懲りたらもう悪さするなよ!」と、俺が吐き捨てて一件落着!
……なんだろうけど、これは現実だ。
リアルの闘いが本当に悲惨なのは、ここからなんだ。
俺が足を退けて横に捌けると、後ろで掃除用品入れを漁っていたユナが、手にデッキブラシ持って前に出た。
「ユ、ユナ……加藤を、殺せ」
木本が息も絶え絶えになりながら、ユナに命令するが――。
彼女は当然のように命令を無視した。
『自分じゃなくて、俺の命令に従え』と命じた事すら忘れたらしい。
ユナは代わりに、奴の顔面にサッカーボールキックを見舞い、血が飛び散り歯が何本か吹き飛んだ。
「ス……ストップ。プレイ、終わり」
木本がグチャグチャになった顔面で、なんとかそう搾り出したが、彼女は止まらない。
顔面、鳩尾、そして無残に潰れた股間に――無慈悲なトーキックが繰り返される。
木本はうずくまったままで、蹴られるたびに「中断!」や「キャンセル!」など、それっぽいワードを必死で口にしている。
セーフワードもちゃんと決めてたのに、忘れてるのか? 本物のバカだな。
リアルの闘いの敗者の末路はこれだ。
負けても格闘技みたいに、待った! はない。
負ければ私刑。守ってくれるものはない。
ユナが攻撃を止めた。
その隙に、木本が助かろうと必死で口を動かす。
「お前ら……こんなことして、犯罪だぞ。きゅ……救急車呼べ。救急車を」
それを聞きながら、ユナはブラシの柄を膝でへし折った。
先端が鋭く割れた柄――即席の木槍。
木本の命乞いなんて、彼女にはまるで聞こえていないかのようだ。
「犯罪じゃない」と、俺が答えた。
「ふざけるな!……早く、救急車呼べ。そしたら、警察には……言わない」
「いい悪いはマスターが決めるもの。選ばれし者の権利、なんだろ?」
さっきこいつが言ってたことを、そのまま返してやっただけ。
「それより……お前、さすがにヤバイんじゃないか? ユナが、おもしろそうなことしてるぞ」
悔しそうにうめく木本だが、俺の警告に釣られてユナを見上げて――ビビり出した。
「や……やめろ! 俺が死ぬと、お前が困るだろ」
ユナは満面の笑みを浮かべて、静かに言う。
「大丈夫。殺しはしないから」
木本の顔面がさらに蒼白になった気がした。
「木本……お前、わからないのか? 普通こういう時、言うべきこと、するべきことがあるだろ?」
カタチだけでもユナに謝らせたくて言ったが、奴は別のことに気がついた。
木本がズボンのポケットから焦ってスマホを取り出す。
コイツ、ユナを帰還させる気か。
「ユナ!」
俺が叫ぶと同時に、彼女が木本の腕を踏み折った。
パキィッ!
木本の絶叫が、トイレに響く。
腕を見てみれば、関節じゃないところからグニャリと折れ曲がって、ひしゃげている。
ユナは奴が落としたスマホを蹴り飛ばし、壁際に転がした。
それにしても、やること本当エグいな。
確かに「あいつのタマを蹴り上げたら楽しそうじゃないか?」と、“アドバイス”したけど、ここまでやるとは。
まぁ、木本の自業自得だけど。
少しは可哀想だと思ったけど、俺に止める権利はない。
あいつにされたことを思えば、「止めろ」なんて、とても口にできない。
助かりたいなら、自分で言うしかないんだ。
あの言葉を。
今度は、顔をぐしゃぐしゃにして泣きながら、悶え苦しんでいる木本に向かって、“アドバイス”してやる。
「まさにこういう時! こういう場合に言う言葉があるだろ? 早く行ったほうがいいぞ!」
「もお! 加藤さん、意地悪しないでください」
ユナがそう言い、木本の口元を狙って思いっきりストンピングを喰らわせた。
やっぱりダメだ。もう俺には止められないな。
セーフワード言わないと、終わらないんだ。
激痛に悶えながらも、身を捩って必死に逃げようとする木本の尻に、ユナが木槍の穂先を当てがう。
まさか……な。
「木本! 言え!」
さすがに、これ以上は俺だって見たくない。
だが、木本の口から出たのは――。
「た、助けて! すみませんでした! もう、こんなこと、絶対しない。やめてぇ!」
無様な命乞いと、やっとの謝罪。
今更遅すぎる。
コイツ本当、間が悪いというか……空気が読めないというか。
ユナが狙いを定め、槍を持つ手に力を入れる。
「セーフワード! さっき決めただろ、プ……」
つい、とっさに口走ってしまった“ヒント”に、木本の目が見開く。
思い出したな。今、口が「プ」の形に――。
だが、その瞬間、ユナが無慈悲に槍を“挿した”。
「プー……あ、ああぁぁッ!」
「うわっ! 痛そ」
思わず心の声が漏れた。
トイレにまた木本の絶叫が響くなか、ユナは無表情のまま、折れた槍を小刻みに上下運動させる。
木本の悲鳴に、どこか満足そうに目を細めながら。
「どう? 気持ちいいんでしょ? ほら、気持ちいいって言ってみてよ」
ユナの声は優しかったが、その手元には一片の慈悲もない。
「ぐ、ぐぁ……がぁぁっ!」
残酷すぎる。
さすがに止めなければ……と思ったが、やっぱり言えない。
俺が邪魔しちゃダメなんだ。
……多分、木本自身がしてきたことが、そっくりそのまま自分に返ってきただけだから。
「ぐ、お……ぶ、プードル!」
激痛に喘ぎながらも、木本がセーフワードをなんとか搾り出した。
チッと、ユナが舌打ちをして、手をとめ棒立ちになった。
とりあえず助かった木本は、そのまま見苦しく号泣。
槍が挿さった血塗れの中年男が、ロリータファッションの少女に見下されながら、トイレの床に這いつくばって泣き喚いている地獄絵図。
「どうだった? 木本」
本当に反省したのか? と、確かめる意図で問いかけたが――。
「こ……殺す。殺して、やる」
いい歳した男がガチ泣きしながら、血の混じった掌で、何度も床を叩きつける。子供のように、惨めに。
「せっかく助かったのに。ここまでやられて、何も変わらないって……お前本当にすごいな」
皮肉じゃなくて、本心だった。
まぁ、コイツが変わらないのは根性があるからじゃなくて、馬鹿なせいで状況理解出来てないからだろうけど。
木本は俺を無視して、なんとか槍を引き抜く。
ほふく前進で、壁際に転がるスマホに手を伸ばした。
救急車か、警察か。助けを呼ぶつもりらしい。
勝手に、もう終わったつもりになってる。
まだ、俺がいるのに。