第14話
木本の隣に現れたのは、小さな少女だった。
年齢は影美と同じくらい――見た目だけなら、の話だ。
サラサラの銀髪をポニーテールにまとめ、黒のロリータドレスに身を包んだ姿は、まるで人形のように整っている。
だが、その目に生気がなく、異質で、澱んでいて、濁っている。
「この子が俺の使い魔のユナです。影美ちゃんも可愛いけど、コイツもなかなかイケると思いません?」
木本は満面の笑みを浮かべながら、少女の頭に手を乗せた。
ユナは何も言わず、表情も変えず、まるで意志がないかのように静かに立っていて、本物の人形みたいだ。
「確かに可愛いけど。……それがなにか?」
「加藤さん、もし――この子を一晩、好きにしていいって言ったら、どうします?」
「……は?」
気持ち悪すぎて、頭がバグった。何言ってんだコイツ?
俺が顔をしかめて口を開きかけたとき、木本が慌てたように手のひらをこちらに向けた。
「あっ、もちろんタダでは無理ですけど! 代わりに、影美ちゃんと、少しだけ遊ばせてもらえたらなーって……どうですか?」
「いいわけないだろ」と、即答した。
『一晩、好きにしていい』『少しだけ遊ばせて』――つまり、そういう意味だ。
こんな提案をしてくる変態が、現実に存在することに驚いて、逆に感心すらしてくる。
影美をモノ扱いされてムカついたけど、それ以上に――ユナが気の毒だった。
こんな風に見世物にされて、黙って立たされてる。
あの目は、諦めてる目だ。最初から、自分の意志なんて無いみたいな顔して。
「あぁ、加藤さん……やっぱりアレでしょ? ガチ恋勢ってやつ。影美ちゃんのこと、本気で好きなんだ」
断られて怒るかと思ったら、そんな気配はまるでなかった。
まるで、中学生が友達の初恋を茶化すみたいに――軽いノリで、悪びれもなく、俺をイジってくる。
「デートとか好きだとか、ガキみたいなこと言うなよ。木本さん、アンタ歳いくつ?」
「三十二だけど」
「いい歳してキモいんだよ、童貞が!」
そのとき、黙って突っ立っていたユナの口元が、僅かにだけど綻んだ。
……気のせいか? いや、確かに笑ったように見えた。
そして木本は、さっきまで浮かれていた笑顔を引っ込めた。
一瞬、心のどこかを刺されたような顔をして。
「いや、童貞って。……加藤君、キミ俺より年下だよね? 言い方ってあると思うんだけど?」
「それもそうか。すみません、本当のこと言われて傷ついちゃいましたか?」
「いやいや、俺、童貞じゃないし。ホラ……わかるでしょ?」
そう言って、木本はユナを肩に抱き寄せた。
一瞬だけ――彼女は確かに、顔をしかめた。
「使い魔は命令断れないことわかってて、無理矢理やったんだろ?」
聞くまでもないことだけど、尋ねると木本が笑った。
何をバカなこと言ってるんだ、とでも言いたげに。
「なんか言い方にトゲあるけど? なんでそんなに怒ってるの? 別にいいじゃん、俺の使い魔なんだし」
「本当にそれで“いい”って思えるのか? 明らかに嫌がってるって、お前も気づいてるだろ」
「いやいや、何言ってるの? いい悪いは、マスターである俺が決めることでしょ。選ばれし者の権利だよ」
選ばれし者の権利?
……木本も、俺も、同じだったはずだ。
一目見たときから思ってた。あの卑屈な笑い方も、どこか怯えた目も――負け犬のそれだ。
選ばれなかった側。いつも見下され、踏みつけられてきた“負け組”。
一握りの勝ち組に、口答えもできず、ただ使われるだけのクズ。
その痛みを、誰より知ってるはずなのに。
なのに――今度は、自分がその立場になって、同じことを他人にやるのか?
俺が黙っていると、木本が続けて言う。
自分を正当化するような言い訳が、ペラペラと口から出てくる。
「いいんだよ。人間じゃないんだから。いわゆる、合法ロリってやつ。嫌がってるって言うけど、最初だけだよ」
「……今も嫌がってるように見えるけどな」
そう言うと、ユナがわずかにだけど、ピクっと肩を震わせた。
「嫌なら、嫌だって言ってもいいんだよ?」
そう問いかけながら、俺はユナの目をじっと見つめた。
少し沈黙があって――ユナが口を開いた。
「……いえ、そういうものなので。使い魔は」
小さな声だった。でも、はっきりと聞こえた。
口をきけることには驚いたけど――その声に宿っていたのは、自分をあきらめた声だった。
「ハハ、そういうこと。気にすることはないんだって。せっかく神様がくれたご褒美なんだから、楽しまないと勿体ないよ?」
「神様とか……そんなもん、信じてんのか?」
「正確に言うなら、信じるようになった、かな」
「アホか。神を舐めるな」
話が通じないとはこのことか。
いい加減に嫌になって、帰りたいのだけど、木本はまだ俺を帰すつもりがないらしい。
出口の前に、立ち塞がっている。
「さっきからさ、なんかカリカリしてるけど……出すもの出したら、気が変わるんじゃない?」
木本がニヤけてそう言い、ユナの背中を押して俺に押し付けようとしてきた。
「マジでこんなことして、恥ずかしいって感情はないのか?」
「そりゃあ、ちょっとはあるけど……」
そう言い、木本は照れたように顔を赤らめて、頭を掻くと続ける。
「俺たち仲間でしょ。それに、影美ちゃんのことマジで気に入ったからさ」
悪びれもなく、そう言いきった。
心底キモいと思った。けど――これでよかった。
正直、さっきまで俺は……どこか他人事だった。
ユナは確かに可哀想だし、出来るなら助けてあげたいと思ったけど、所詮他人だから……俺のしゃしゃり出るところじゃあない、と思ってた。
でも、影美が巻き込まれるなら――もう違う。
他人事じゃなく、自分事だ。
提案を突っぱねて、それで大人しく引いてくれるなら、こちらも大人しく見逃してやったのに。
言ってもわかってくれなかったんだ。
……なら、どうなっても仕方ないよな。