分かっているけど説明できない
伝えられない技術屋さん、あるあるですがそんな人に光が当たりますようにと思って
斎藤レンは小さい時からものを作るのが得意だった。
幼稚園の工作の時間。テーマは「家をつくろう」。
まわりの子どもたちがハサミで切った画用紙にボンドをべったり塗り、うまくくっつかずにべそをかく中、レンは静かに作業を進めていた。
屋根、壁、窓、煙突。
手順は最初から頭にあった。というより、完成形から逆算して、必要な工程をすべて並列で保持していた。
ボンドを塗ったら乾くのを待つのではない。待っている間に次のパーツに取りかかる。
乾いたパーツと未完成のパーツが頭の中で同時に動いていた。
完成した家は、他の子の二倍の速度で仕上がり、形も整っていた。
先生は褒めた。「レンくん、手が速いのね」
隣の子は口をとがらせた。「なんでそんなすぐできるの? ずるい」
でも、レンにはずるい理由がわからなかった。
だって、考えたらわかるはずだったから。
小学校に入っても、それは変わらなかった。
算数の授業。九九を覚えるより早く、レンは暗算で二桁の掛け算をしていた。
「84×6は……504」
先生は驚いて言った。「途中の式は?」
レンは黙る。式なんて書いていない。でも、頭の中では動いていた。
「80×6=480」「4×6=24」「480+24=504」
複雑な手順を、無意識に同時進行して答えだけ吐き出す感覚。
それをどうやって説明すればいいか、わからなかった。
ノートに何も書かれていない答えを見て、先生は眉をしかめた。
「式を書きましょう。答えだけじゃ、計算したかわからないよ」
まわりの子がくすくす笑うのが聞こえた。
レンはその日、初めて“誰にも見えないことは、していないことと同じ”だと気づいた。
中学校。
理科の実験で、反応前に結果を当てることが何度かあった。
金属の温度、時間、空気中の成分、器具の形状──変数を同時に把握すれば、結果は予測できた。
しかも、途中の変数同士が互いに影響を与える“交差点”を、彼の脳は自然に見つけていた。
でも、先生に「なんでそうなるってわかったの?」と聞かれると、また答えに詰まる。
「たぶん、空気の水分と温度と……金属の厚みのせいで、出る反応が……」
言葉にした瞬間、自分の中の思考が“バラバラの線”になってしまうような感覚に襲われた。
そうじゃない。自分の中では、それらは絡み合って一つの形になっていたのに。
「勘がいいな」「センスがいいな」と言われることが多い。
でもそれは勘ではなく、確実な推定だった。
ただ、それを説明できないというだけで。
高校では、ようやく少しだけ、自分の“構造の見え方”を形にできるチャンスがきた。
自由研究で、レンは市販のセンサーを分解し、自作の回路を組み込んだ。
信号の処理速度が通常より大幅に速くなり、誤差も減った。
「なぜそんな構成にした?」と教師が聞いた。
「波形がずれて戻るタイミングと、構造の共振点が合うからです」
「……それ、何を参考にしたの?」
「何も。でも、構造を見たとき、ここに入れたら噛み合うと思って」
教師は黙ったまま、苦笑いをした。
結果だけが評価され、理由は煙のように扱われる。
説明しなければ、信用されない。
でも説明すると、本当の構造は崩れてしまう。
それは、レンにとって恐怖に近かった。
彼の脳は、並列思考だった。
A1-A2-A3-A4という計算と、B1-B2-B3-B4という計算が同時に走り、A2とB2が干渉しながら結果に影響する。
それを一本道の説明に変えた瞬間、干渉の効果は消えてしまう。
現実は“干渉を含めて”網が広がっていくように進行するので、言葉にはならない。
無理に説明したとしても、彼の中では“正しかった”ものが、外に出た瞬間“意味不明”になる。
そのまま、高校を終え、レンは大学へと進んだ。
自分の思考が、理解される場所ではなく、結果が使われる場所を探すように。
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大学に入って、レンは少しだけ期待していた。
ここなら、理屈を見てくれる人たちがいる。
ここなら、自分の“見えている構造”を共有できる人がいるかもしれない、と。
彼が進んだのは、物理工学科。
研究室配属を決めるとき、レーザーの出力安定化と制御を扱う研究を選んだ。
レーザーは発振を利用するので、最高出力を安定させるのは難しい。
無理を承知てやっているのにおかしさを感じて興味を持った。
研究テーマは、高出力レーザーの発振の安定性向上。
結晶構造と層間の格子のずれ、パルスの立ち上がり、光源の波長、振動、温度変化、ノイズ干渉──
普通は、これらを一つずつ独立に研究する。
だがレンの中では、それらすべてが同時に進行している現象の構成要素だった。
しかも、それぞれの“途中”で互いに干渉していた。
「駆動すると熱変動で層間のずれが変わり、わずかに光路を曲げて、それが波形の位相をずらして、次のパルス出力に干渉する」
「その遅延が、フィードバックの遅れと共鳴して、発振が乱れる」
そういった現象を、レンは頭の中で並列処理し、全体像として保持していた。
手を動かし、デバイスを作り、回路をいじり、制御プログラムのタイミングを調整する。
数週間後、研究室での試験機が“異常なほど安定している”ことが判明した。
教授がモニターを覗き込みながら言った。
「これ、本当に君がやったのか?」
「はい」
「でも、フィードバックの位相補正は入れてないよね?」
「……代わりに、回路の物理的な応答を変えました。遅延の干渉が打ち消し合うように」
教授は目を細めた。「何かの文献を参考にした?」
「いいえ。でも、そういう構造になるはずだったから」
論理はある。
物理法則も守っている。
でも、系統的というかシーケンシャルな説明がない。
レンの中では、変数群が並列で走っており、たとえば“温度上昇による結晶構造のゆがみ、反射率の変化”と“回路の電気抵抗の変動”が同じタイミングで網目のように相互作用して出力に現れる。
だから、それらを一本道で説明しようとすると、干渉が抜けてしまう。
結果だけを見ると正しい。
でも「なぜ正しいか」を問われたとき、答えは言語にならない。
研究室では、レンのレーザー制御装置が正式に採用され、装置の改修が進んだ。
論文にはならなかった。説明が不十分で、査読を通らなかったからだ。
「惜しいね。技術的にはすごいのかもしれないが
やったらできたでは学問にならない」
教授はそう言ったが、レンにとっては**“理解されない評価”が、何より重かった**。
大学院1年生の春、教授が言った。
「斎藤くん、君の制御構造、ちょっと外の企業が興味を持ってる。LiDARの開発をしている会社だ」
自動運転用のレーザーセンサー──LiDAR。
限られた空間、限られた電力、厳しい安全基準の中で、超高速・高精度の測距を実現する装置。
「行ってみる気はあるか?」
レンはうなずいた。
「興味はあります。構造が複雑でおもしろく、精度が求められる分野だと思うので」
そう、複雑な構造なら得意だし、会社なら結果よければ仕組みを説明できなくても大丈夫。
彼はそう信じていた。
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レンが就職したのは、ある中堅の先端技術企業だった。
自動運転技術の中でも特に難易度の高い領域──LiDARの開発チーム。
課題は明確だった。
より遠くを
より正確に
より速く
より小さく
そして、何よりより安く
そのすべてを、同時に求められていた。
全部いいのがいい・・・わかりやすいけどなんだか子供っぽい。レンは苦笑した。
こんな目標なら誰でも作れる。
多くの研究者が「この基本構造での性能向上は無理だ」とこぼす中、レンは黙々と開発を進めた。
彼が着目したのは、センサーの構造と制御の同時最適化。
レーザーの出力とスキャンの速度とパターン、検知器の反応速度、ノイズ、パルス制御、対象認識アルゴ、距離推定アルゴ──
それらを独立した変数とは見なさず、相互に干渉し合う“全体構造”として捉えた。
彼の頭の中では、複数の計算が同時に走っていた。
A要素の変化がA1→A2→A3と進むその隣で、B要素の変化もB1→B2→B3と並列に進行し、
さらにA2とB2が互いに影響し、A3とB3の結論を変える。
それがシステムを構成する要素A、B、C、D、・・・全てを同時に
網の目が広がっていくように頭の中で動かす。
元々物理法則は数に限りがあり、式の形も似たものが多い。
だからすべての変化を同時に追っていくことがレンにはできた。
その干渉を、彼の脳は“静的構造”ではなく“動的な形”として捉えていた。
それはまるで、空中に浮かぶ立体パズルの中を、光が通り抜けるのを観察しているような感覚だった。
レンは、それを現実のセンサー設計に落とし込んだ。
回路は通常の部品を使用するもののオーソドックスなものとは並びが違う。
制御プログラム、検出プログラムも同様に単体で最適化されたものからはずれた構成だった。
プロトタイプが完成したとき、初期の実験は驚くべき結果を出した。
既存のLiDARより遥かに速く、精度が高く、誤差も小さい。
ノイズへの耐性もあり、消費電力は従来の半分以下。
「なんだこれは……」
「本当に君が一人で設計したのか?」
「仕組みは……どうなってる?」
「相互干渉を利用して、全体が構造として収束するようにしています」
レンは正直に答えた。
けれど、説明を求められるたびに、説明を繰り返したが。
「聞けば聞くほどわからん」
「基本がなってないけど大丈夫かね」
「結局、結果良ければすべて良しかな」
直列で話せば、全体像が伝わらず、「普通じゃん」「あまり工夫がない」。
干渉を説明すれば、「そんな理屈は聞いたことがない」と言われる。
だから結局、誰にも本当の仕組みは伝わらなかった。
だが、性能がすべてを黙らせた。LiDARは正式に試験導入されることになった。
問題が起きたのは、それから二ヶ月後だった。
研究の進捗を会社の幹部にアピールするお披露目会。
自動運転モードで走行中の小型のテスト車が、ゆっくり談笑している人々の間をすり抜けていく。
これまで何度もテストされた環境だ。
人がいれば止まり、人が去ればまた動く。
商店街の人込みをよけながら宅配をする車両を模している。
だが、重役の集まりに近づいたときに
テスト車両は止まらずにそのまま常務にぶつかった。
ゆっくりではあるものの、後ろから突き飛ばされた形になった常務は
持っていた飲み物が自分にかかり
「うわ!なんだ!」
常務はテスト車両に突き飛ばされた形になり、場内は騒然となった。
「大丈夫ですか?」
「何があった?誤動作?」
「まさか……あのLiDARの……?」
よりにもよって最悪の場面での失敗だ。
一旦解散になり、開発責任者の一人が静かに言った。
「レンくん、説明してくれ。この一瞬、なぜ対象が見えなかった?」
レンはログを見つめていた。
ノイズ、波形のブレ、距離の微細なずれ──彼には原因が見えていた。
(ここで、B3系統の処理がわずかに遅れた。A3との干渉条件がズレて、位相が不一致になった)
(それには何かの電波の干渉が必要だが・・・)
専務は社内では有名なガシェットオタクで、スマートウオッチ、バイタルセンサ指輪は当たり前で
腕に装着する小型タブレット、スマートコンタクトレンズ、スマートグラス。
市販品だけでなく試作品も身に着けて常に試している。
きっとどれかが干渉したのだろうけれど・・・
しかも、何がどう干渉したかとなると説明は難しい。
「……たぶん、なにかと干渉してタイミングが、わずかにズレて増幅されたんだと思います」
「なぜそんな構造にした? 元々の設計とは違うじゃないか。
勝手にあちこち変えてしまったのか?」さっきまでほめたたえていたのはそっちのけである。
「全体構造が動的に最適化されていると、個々の設計は変わるんです」
「それは……どこに書いてある?」
「どこにも。でも、そうなるのが見えていたんです」
沈黙。
「つまり、“なんとなくそう思った”ってことか?」
「……違います。推定です。
変数同士がどう干渉するかを、頭の中で同時に計算していた。
たとえば……温度、角度、速度、反射率……それぞれが連動して、途中で……」
誰かが言った。
「わからん。そんなの、たまたまうまくいっていただけだろ」
LiDARは、テスト車から降ろされた。
レンは開発責任から外された。
「説明できない技術は、社会では使えない」
誰かがそう言った。
その言葉だけが、脳内で何度も再生された。
彼は、再び沈黙の中に落ちた。
そして、そこに──ナナが現れる。
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事故から数日、レンは開発フロアの片隅で、誰もいない部屋にひとり座っていた。
動かせなくなった試作機、解体された配線。
原因はわかっていた。わかっていたのに、説明できなかった。
「……ああ、やっぱりいた」
その声に、レンは顔を上げた。
そこに立っていたのは、ナナだった。
高校の同級生。
美術室の奥で、自由帳にいつも何か描いていた。
彼女は今、レンと同じk会社でUI設計の仕事をしている。大学院を出たレンより、2年早くここに入社していた。
「天才くんが沈黙しちゃったって噂になってさ。たぶんここだろうと思って」
ナナは勝手に椅子を引き、レンの横に座った。
机に広げられた回路図やログを、無造作にめくっていく。
「これ、全部見えてたんでしょ。
でも、“説明しろ”って言われると、黙るんだよね。高校のときもそうだった」
レンは小さくうなずいた。
「A系とB系の計算が同時に進んで、途中で干渉する。
多次元の網目状の干渉だから何と言っていいか。
だから……うまく言えない」
「わかるよ。でも、あんたが言えないなら、手伝おっか。
見せてよ。頭の中、順番じゃなくていい。私が並べる」
ナナは紙を広げて、線を描き始めた。
「この信号とこの波形、ぶつかってるところって……ここでしょ?
だったら、“ぶつかってる”って名前をつけようよ。“干渉点A”とかさ」
レンは思わず笑った。
少しだけ、気が抜けたような、くすぐったいような笑みだった。
「なんでそんなに簡単に言えるんだよ」
「簡単じゃないよ。でも、“あんたが何を見てたか”に、私ずっと興味あったから」
彼女の声は、冗談まじりだけど、どこか静かであたたかかった。
レンはゆっくり、モニターの画面を指差した。
「じゃあ、ここから始めようか。
たぶん、これがA2で……ここに、B2が干渉してる」
「OK。“ここから”ね」
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再検証の会議室は、重い沈黙が張り詰めていた。
皆のPCに投影されているのは、ナナが描いた図とレンの解説をもとに構成した他系統干渉モデルの構造図。
計算ではなく、構造。式ではなく、動き。
その両方をひとつの視覚的言語に置き換えるために、彼女は数十枚のスケッチを用意していた。
レンは、ナナの隣に立ち、時折言葉を添える。
彼の説明は短い。だが、以前と違い、途切れない。
「この干渉点が予測できていれば、あの夜の誤作動は起きなかった。
変数は複雑だけど、構造としては、ここに収束する」
誰も、すぐには反応しなかった。
レンは「また、伝わらなかったか」と思いかけたとき──
「なるほど。これは“多系統位相干渉モデル”に似てるな。
ただし、これはもっと動的で、個々の変数が重畳されて時間軸に沿って流れていく
位相のほかにパラメータ軸の変形も乘っていそうでちょっと難しいね」
会議室のすみ、年配の一人が静かに口を開いた。
白髪まじりの冴木という名札。
技術顧問。旧式のセンサー設計を担当していた人物で、今は半ば引退状態のようだった。
ナナが一瞬目を見張る。
レンは、ただ黙ってその声を聞いていた。
冴木は図を指差した。
「私は昔、複屈折通信デバイスの開発をやってたんだ。
似たような状況で、逆ゴーストと言って信号が消えてしまう原因が“途中の干渉”にあることに気づいた。
でも、誰にも説明できなかった。“途中で波がぶつかって揃って消える”なんて、当時は誰も信じなかったからな」
彼はレンを見た。
「君の設計、偶然じゃない。
計算は省かれてるけど、全体の挙動が“構造的に合理的になってる。
大したもんだよ」
レンの喉が、わずかに動いた。
「……わかるんですか? 本当に?」
冴木はうなずいた。
「完全じゃない。でも、“そのしくみ”には覚えがある。
言葉にはなりにく。でも、間違いなく実際の装置はそういうものだということだ」
会議の結論は、再試験。
ナナとレンのモデルをもとに、安全域を確保した新しい補助アルゴリズムの組み込みが検討される。
全面的な復活ではない。だが、完全に排除されることもなかった。
プレゼンが終わった後、社屋の外。
レンとナナは並んで歩いていた。
「……怖かったよ、今日」
レンがポツリと言った。
「今までずっと、精確に言わないと意味がないと思っていた
でも、ずれてはいても伝える努力をすれば分かってくれる人もいるんだな」
ナナは笑った。
「そう。あんたはバチバチに精確に言えないから黙ってた。
でも、多少間違っていても“伝えたい”って思ったとき、同じ考えの人もいるんだよ」
レンは空を見上げた。
思考は今も、並列のままだった。
それでも今、ほんの少しだけ──自分の思考を、他人に渡せる気がした。
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伝えよう、受け取ろう、分かろうとする/してもらえる環境があるといいです