農家から始まる二人の兄弟
田舎によくある優秀な兄弟で長男が農業を継ぐということで話を始めました
誠と亮は双子だった。
顔は似ていたが、性格はまるで違った。誠は落ち着いた慎重派で、何事も計画的に取り組む。一方の亮は、思い立ったら即行動の情熱家。子どもの頃からしょっちゅうぶつかり合っては、次の日にはケロッと一緒に遊んでいた。
そんな二人は、田舎の小さな農家の息子たち。先祖代々続く米作りを父が引き継ぎ、誠と亮は農作業の手伝いを通じて自然と向き合う力を身につけていった。
「稲の苗ってのはな、とにかく強い
日照りでも台風でも負けずに育つ。最悪、倒れてしまってもそのまま実はなる
こんないい作物はないぞ」
父のその言葉を、二人ともよく覚えていた。
学校ではどちらも成績優秀で、地元の進学校に進んだ。誠は学級委員、亮は体育祭の実行委員。勉強の成績もほとんど差がなく、教師からも「どっちがどっちか分からん」と笑われたほどだった。
二人とも東京の国立大学、経済学部に合格したとき、父は大変うれしそうだった。
「兄弟そろって東京の大学に行くんだと。いやあ、立派なもんだ」
近所の人々も誇らしげに語った。
大学では同じキャンパスに通いながらも、それぞれ違う分野に進んだ。誠は地域経済と農業経営に興味を持ち、農村の持続可能性をテーマに研究。亮は国際経済や市場戦略に関心を寄せ、商社や外資系企業のインターンに積極的に参加した。
ある春の帰省中に、実家の縁側で二人は並んで座った。
「なあ、誠。俺、やっぱ東京で就職するわ。世界を動かすような仕事をやってみたい」
「そう思ってるだろうなとは思ってたよ。……俺は帰ってこようと思う」
「マジで? せっかく大学まで出て、また農家に戻るのか?」
「違う。農業を“変えたい”んだ。ただの跡継ぎじゃなく、俺にしかできない農業をやってみたい」
亮は黙って頷いた。
「まあ、そういうとこ、昔から変わらんな」
「お前こそな」
二人は笑ったが、その裏にある決意は本物だった。
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誠は卒業後、地元に戻り、家業を本格的に継いだ。田んぼの管理、野菜の作付け、販売の仕組み作り。父のやり方を一部残しつつ、自分なりの工夫を加えていった。米だけでなく、たまねぎ、豆類、葉物を分散して作る体制に切り替えた。
「自然は気まぐれだ。だから分散しないと危ない」
誠はリスクを避けること、安定的に収益を出すことを第一に考えていた。大きな利益よりも確実な持続。地域との関係性、地元経済の中での信頼を重視し、派手なことはせず、着実に地歩を固めていった。
市況を読み、栽培カレンダーと収支表を作成し、地域の農協とも連携を深めていく。収入は少ないながらも、地に足のついた暮らしがそこにあった。
亮は東京で社会人生活をスタートさせた。最初の配属は海外営業部。アジア圏のクライアントと英語でやりとりし、新商品の提案や交渉に奔走した。
「君の対応、的確だった。次の商談も君に任せたい」
初めて顧客からそう言われた日、亮は密かにガッツポーズを作った。
亮はスターになりたかった。華やかな舞台で目立ち、世界を相手に名を上げることにこだわっていた。数字を動かし、大きな契約を取り、上司や同僚に一目置かれることに快感を覚えた。
土日も出勤が続く日々だったが、若さと気力で乗り切った。やりがいも充実感も確かにあった。
年末、久しぶりに実家に帰省したとき、兄弟はそれぞれの近況を語り合ったが、やがて空気が変わった。
「お前、都会の会社でエリートぶってるけど、地に足がついてないとそのうち転ぶぞ」
「は? 兄貴こそ、時代遅れのやり方にしがみついてるだけじゃん。リスクを取らなければ何も出てこないんだから」
「俺はちゃんと計算してる。安定に継続できて地域で信頼されてこそだ。お前みたいに目立つだけが目的じゃない」
「そうやって小さくまとまって、一生終えるつもりか? 夢、なさすぎだろ」
言葉が鋭くなる。母が気まずそうにお茶を差し出したが、空気は冷えたままだった。
その夜、誠は亮と口を利かず、亮も早々に東京へ戻った。
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やがて時は流れ、それぞれの道に、暗雲の気配が出てきた。
誠が農業に戻って5年目、肥料と燃料の価格が突如として高騰した。原因は海外の政情不安と供給網の混乱だった。追い打ちをかけるように他の農業資材も高騰した。地域の農家の多くが悲鳴を上げ、誠の経営も深刻な赤字に転落した。
「今年は厳しいな……売っても、種代にしかならん」
誠は帳簿を睨みながらため息をついた。前年の利益は、燃料代と追加肥料で消えた。計画的に備えていたはずの備蓄も、天候不順による再播種で使い果たしていた。
だが、その翌年。異常気象により全国的に野菜が不作となった。誠の畑の作物は奇跡的に不作を免れ、辛うじてそこそこの収穫を得ることができた。品質は悪かったが、相場が跳ね上がったことで、予想外の高収益を叩き出した。
「こういう年があるから、農業は恐ろしい……でも、自然が相手では仕方がない」
安定志向の誠にとって、波の大きすぎる農業の実情は、心身に応えるものだった。
一方、亮は営業成績を認められ、希望していた商品企画部に異動した。次世代技術の医療機器に関するプロジェクトチームに抜擢され、初めは胸を躍らせた。
だが、社内の政治的な駆け引き、承認のための会議続き、都合の良い提案ばかりを求める上層部に次第に疲弊していった。
「もっと特徴のある方向性を試してみるべきです」
そう言っても返ってくるのは決まり文句だった。
「まずは他社同等を確保すること。そしてしっかりとした実績が先。冒険はうちの社風に合わない」
やがて亮は、子会社への異動を打診された。
「これも経験だと思って」と人事は言ったが、亮には“外された”感覚が拭えなかった。
地方都市にある関連会社の総務部。主な業務は庶務と人事管理。華やかさは影も形もなかった。
「俺じゃなくてもいい仕事ばっかだな……」
かつてスター志向に燃えていた亮は、少しずつ自分の立ち位置を見失っていった。
夜、アパートの一室でテレビの音を聞き流しながら、亮はスマートフォンで実家の天気を調べることが増えていた。ニュースで野菜の高騰が取り上げられると、なぜか誠の畑の様子が気になった。
誠もまた、夜遅くに納屋で収支を見直しながら、ふとテレビで特集される大企業の新製品に目をやり、亮のことを思い出すことがあった。
『あいつ、元気でやってるか……』
互いの道は違っていても、かつての衝突の余韻はまだ心に残っていた。
けれど、互いに言葉を交わすことはなかった。
そのまま、数年の時が過ぎていった。
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年の瀬も押し迫ったある晩、誠の携帯に一本の電話が入った。
「親父が倒れた。意識がない。今、病院に運ばれてる」
連絡をくれたのは近所の農協の職員だった。誠はトラクターの整備をしていた手を止めて、すぐさま病院へ駆けつけたが、父はすでに息を引き取っていた。
その知らせは、すぐに亮にも届いた。
「……わかった。すぐ帰る」
電話口での声は静かだったが、その背筋は緊張し、表情はこわばっていた。
亮が実家に戻るのは、数年ぶりだった。
葬儀の準備を進める中で、誠と亮は久しぶりに向き合った。最初は仕事の話を避け、通夜の準備や香典の確認、親戚の対応などに集中した。
だが、棺を囲む夜、ふとした沈黙の中で口を開いたのは亮だった。
「親父、あっさりだったな」
「最後まで畑に出てたしな。昨日もイノシシよけの柵をちゃんと見ておけって言ってた」
「……働き者だったよな。俺、ちゃんと感謝、言えたかな」
誠は湯呑みに手を伸ばして、無言でうなずいた。
「……お前、まだ農業一筋なんだよな」
「当たり前だろ。親父の畑だ。簡単に捨てられるもんか」
「でも、現実はどうなんだ? あれだけ努力して、結果がついてこない年ばっかじゃ、正直、報われないだろ」
「報われなくても、やるしかないんだよ。俺にとっては、それが普通だ」
誠の言葉に、亮は眉をひそめた。
「……やっぱお前、変わってないな」
「お前もな。理屈ばっかりで動いてるように見える」
空気がまた冷たくなった。
だが、しばらくして、亮がぽつりとつぶやいた。
「俺さ……会社で思ったより“上”に行けなかった。気づいたら、誰でもできることしかしてなかった」
誠はその言葉に、少しだけ目を動かした。
「……お前が?」
「最初はすげぇ順調だった。でも組織に飲まれて、どこかで自分が“消えた”んだよ。あんときの自信、どこいったんだろうな……」
誠は湯呑みを握ったまま、しばらく沈黙してから答えた。
「こっちはこっちで、もう何年も天気と値段に翻弄されてる。農業って言ったって、自営業。蓋を開けりゃギャンブルと紙一重だ」
ふたりはそれきり黙った。
言い合いにはならなかったが、わかりあったわけでもなかった。ただ、お互いの“うまくいかなかった現実”にだけは、少しだけ同情を感じていた。
火葬の煙が立ち上る空を、二人は並んで見上げていた。
どこか遠くを見るような視線だった。
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火葬場から戻った夜、葬儀の片付けを終えた後、誠と亮は縁側に座っていた。
寒さに震えるほどの空気の中、亮がポケットから煙草を取り出した。
「まだ吸ってたのか」
「……やめようと思ってたけどな。今日は特別だ」
火をつける手が少し震えていた。風の音が、言葉の間を埋めるように吹いていた。
「お前、これからどうするんだ」誠が言った。
「どうって……定年まであと数年はあるけど。正直、先が見えない。ずっと“先を見て”動いてきたのにな」
「皮肉なもんだな」
亮は小さく笑った。
「そっちは? 安定求めて農業やってて、その安定がまるで来ない。きつくねえか?」
「正直、ずっときついよ。でも他の何かができるとも思えなかった。いや、思いたくなかったのかもな」
「……なあ、誠。お前さ、もしも別の道があったとしたら、そっち行ったか?」
誠はしばらく考えてから、首を横に振った。
「いや、たぶん俺は同じ道を選ぶよ。でも……今みたいに、お前とこうして話せるなら、別の道でもよかったかもしれない」
「……俺は逆だな。道は変えてみたかった。でも、そこにお前がいなかったら、それも寂しいな」
ふたりとも照れくさそうに黙り込んだ。
それでも、わかり合えたわけではなかった。
価値観は今も違う。安定と野心、根を張る者と高く飛びたい者。
それでも、お互いに人生が思うようにはいかず、そしてそれでも生きてきたことにだけは、確かな敬意があった。
「亮。……もし、もう少し実家にいられるなら、ちょっと手伝ってくれないか」
亮はゆっくり誠のほうを見て、口角を少しだけ上げた。
「ちょっとだけならな」
「ありがたい。気心は知れているから俺はやりやすいな」
冬の畑に吹く風が、兄弟の足元を通り抜けていった。
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亮が実家に残った。最初は葬儀の手伝いの延長という顔をしていたが、気づけば農作業用の防寒ジャンパーを着て畑に立っていた。会社には退職を告げてしまっていた。
「泥って、こんなに重いんだっけ……」
鍬を持つ手がぎこちない。誠は作業の手を止めずに言った。
「雨が降った次の日はもっと重いぞ」
「マジか……」
その日も、次の日も、亮は文句を言いながらも畑に出た。最初のうちは道具の名前も、作物の区別も曖昧だった。けれど、そこにある現実の手応えは、彼にとって久しく忘れていた種類のものだった。
やがて亮は、ビジネスマン時代の経験を少しずつ農業に応用し始めた。作物の需要予測、市場動向のデータ分析、効率的な仕入れと販売の流れ。
「誠、この豆、来季は規模増やしてもいいかも。価格が上がりそうだ」
「そんな予想、当たるのか?」
「絶対じゃない。でも昔の取引先が、アジア圏の物流再開で買いが増えるって言ってた」
誠は黙って頷いた。
さらに、亮は取引先への対応も任されるようになった。言葉の選び方、タイミング、交渉の仕方──長年鍛えられた営業の腕が、地方の流通に新しい風を吹き込んだ。
「最近、誠さんとこ、やけに動きいいね」
農協の職員がそう言ったとき、誠は「まあ、助っ人が優秀だからな」とだけ答えた。
気づけば、兄弟の農業は“個人の家業”から“経営体”に変わり始めていた。
地域の若手農家ともつながりが生まれ、新しい共同プロジェクトも立ち上がった。都市部との産直取引も始まり、農園には学生やインターンが訪れるようになった。
ある日の夕方、二人は倉庫の前で並んで立っていた。
「誠、俺さ……こんな形で落ち着くなんて、昔の俺が聞いたら笑うと思うわ」
「俺もだ。自分が誰かと農業やってるなんて、想像もしなかった」
「けど、不思議と、今が一番、ちゃんと生きてる気がする」
誠はゆっくりうなずいた。
「俺もだ」
沈んでいく夕日が、畑の土をオレンジ色に染めていた。
夢見た人生ではなかった。けれど、今ここにある現実は、かつて望んだ“どこか遠くの理想”よりも、ずっとあたたかく、ずっと確かなものだった。
兄弟で一つのことをやっていくのはいいことだと思います