アクセスログから見えるもの
良かれと思った部長、よかれと思った社員、それぞれがうまくいかずという
彼女の名は橘紗季。営業部長の秘書だった。
「なんでこんなことわかんないんだ」
「なんで打ち合わせをこんなに詰め込むんだ
前のが伸びたから後ろのに遅刻したじゃないか」
予定を詰め込んだのは部長だし
前の打ち合わせで演説を始めて時間を浪費したのも部長
こんな理不尽な叱責をなんで毎日受けなければいけないのか
「おお、今日は美人だな」
「もう暑いからもっと薄着を期待しるよ」
今どき何を言っているのだか
近寄ると肌をじろじろ見る視線を感じる
毎日繰り返されるパワハラとセクハラ
秘書なので同僚などいない
逃げ場のない職場。笑顔は徐々に消え、口数は減り、目の焦点が合わなくなっていった。
そんな姿を見かねて、俺——システム開発部の部長・田島は、彼女を自分の秘書として迎え入れた。
「彼女、学生時代はプログラミングを学んでいたんですよ。だからうちの会社を選んだんですって。
だけどあの営業部長が美人だってことで自分の秘書にしてしまったらしいです」
別の部の課長からそう聞かされた。
驚いた。秘書業務は本来の希望ではなかったということか。
ただ、社内規定では、メンタル不調になった社員は
「職種」か「部署」か、どちらか一方しか変えられない。
だから彼女は「部署」だけを変えて、秘書とするしかない。
システム開発部も当時は混乱していた。
納期は遅れ、クレームは増え、残業も常態化していた。
雰囲気は悪く、ぎすぎすしており、顧客からのクレームも頻繁に入る
「どうするんだよ」
「早く何とかしろ」
「おまえがやれ」
そんな言葉ばかりが飛び交っている
問題がかたずかないので残業は当たり前
深夜業すら発生するような状況だった
だから彼女の希望を叶えられる余裕は、正直なかった。
そこから、半年が過ぎる頃には職場は変わり始めていた。
クレームは減り、誰もが少しの残業で帰れるようになった。
チーム内の会話も前向きになり、空気が落ち着いたものに変わった。
自分が主導した、コンサルタントを入れて進めた対話と傾聴の研修や
効率的な働き方のセミナーも功を奏したのだ。
俺は内心「よくやった」と思っていた。
自分に少し自信がついた瞬間でもあった。
そんなある日だった。
「部長、大変です。あの秘書が、防衛システムのクライアントから開発を委託された
プログラムに不正にアクセスしてます!」
耳を疑った。
防衛システムはうちの三本柱の一つで重要プロジェクトだ。
重要機密であり、顧客との契約上、特定の社員しかアクセスできない。
先方に約束したアクセス許可者のリストに橘の名前はない。
確認したログには、彼女の複数回のアクセスが記録されていた。
のぞき見だったとしても、よりによってこの件だったのは致命的だ。
すぐに彼女を呼び出した。
「どういうつもりだ!」
彼女はうつむいたまま、つぶやくように小さな声が出た。
「申し訳ありません。何かお力になりたいと思って・・・」
「ばか者!
俺たちは全員エキスパートなんだ
素人がちょろちょろ首突っ込んでいいわけないだろ!」
自分の怒りがさらに俺の怒りを呼んだ。
「もう帰れ。今日から謹慎だ。荷物をまとめて退社しろ。」
その後、社内処分会議で彼女は懲戒免職となった。
俺は、ただ「終わった」と思った。
ーー助けてやったのになんだーー
だが、それから数週間。
職場は再びおかしくなった。
小さなミスが頻発し、クレームがかつてのレベルに戻った
空気はぎすぎすし、夜遅くまで明かりが消えない日が増えた。
メンバーのスキルが高くなって
仕事の質が上がったはずなんだが・・・
なんで元に戻るのか?
ふと思い立ち、過去のログを調べてみた。
橘のアクセス履歴と、システムの不具合履歴を照らし合わせて。
結果は明白だった。
例のシステムかどうかにかかわらず
彼女の「不正アクセス」が増加すると、不具合は減って。
減少すると不具合が増える傾向が見られた。
しかもログを詳細にたどっていくと
彼女が修正を加えていたようで
それで不具合が減少してたみたいだった。
助けていたのは彼女の方だった。
プログラム業はやるなと言ってあったのでこっそりだ。
俺たちが見落としていたバグをみつけ、修正し
クレームが出る前に対応してくれていたのだ。
それを、俺は追い出した。
俺の中で、怒りと後悔が混ざった感情が暴れた。
すぐに連絡を取ろうとしたが、携帯もメールも、社員名簿の緊急連絡先も、すべてつながらなかった。
彼女は、完全に姿を消していた。
彼女を守り生かし一緒に仕事をすることが
できたはずだった。
彼女の善意の行動をしかりつけて追い出してしまった。
彼女のログの一番最後にコードが埋め込まれていた
・異動させていただきありがとうございます
・本当にやりたい仕事の部署に来れて大変うれしく感謝しております
・微力ながら全力で精一杯がんばります
本当にそのとおりにやっていたんだと思った
誠実で一生懸命だった彼女はもういない
結局すれ違ったままの結末です、実際にはそうならないといいですね