監視社会からの脱出
監視社会が行きすぎたらという仮定で話を起こしました
誰もが知っていることだ
街の角にはすべてカメラがある
駅のホームも、コンビニも、信号待ちの間すらも
誰と話したか、何を買ったか、どんな表情だったか――
すべてが記録され、解析され、データとなって当局に蓄積される
防犯の名目で始まったはずの監視は、やがて企業にも拡がった
会社のエントランス、会議室、休憩室、もちろん仕事場もだ
ずらっと机とパソコンが並び、皆がキーボードを打っている
会議はすべてオンラインで発言はもちろんカメラで顔姿さえ記録される
社員一人ひとりの発言が文字起こしされ
上司のモニタにはリアルタイムで「活動性スコア」「誠実度スコア」「協調性スコア」が表示されるようになった
「坂上くん、今日の君の“協調性スコア”、少し落ちてるね。昨日の発言、“一人で進めます”が少し孤立傾向と判定されてる」
上司は笑顔で言うが、笑っていない
彼もまたカメラによる採点を受けているから
それ用の顔なのだ
坂上はただ「すみません」と答えるしかなかった
オープン、フェア、クリア
だが、そんな理想像の裏で、人々の心は擦り減っていく
誰もが嘘のような笑顔で、正しさを競い合い
言葉は中身より“印象スコア”がすべてとなった
坂上涼は、耐えきれなかった
「こんなシステムに媚びるような毎日はいやだ
僕は毎日自分の心に素直に生きたい」
ある日、アカウントを削除し
スマートフォンを川に投げ捨て、監視網の網の目を縫って
山奥の「非監視コミュニティ」へと辿り着いた
そこには、自然と共に暮らす小さな集落があった
ログハウス。薪の火
犬の鳴き声。誰もスマホを持っていない
カメラもない
誰に見られているわけでもなく、ただ、風と共に生きている
「ようこそ。ここでは“自分”でいていいんだ」
迎えてくれた壮年の男は、にこやかだった
何かが解けたように、涼はその夜、久しぶりに深く眠った
だが、安堵は長くは続かなかった。
朝起きると、置いていた時計が消えていた
数日後には、食料の缶詰がいくつか減っていた
ここでの生活をしていくために
先の壮年の男の手伝いで山の草刈りをした報酬だったのに
誰かが取ったのだ
だが証拠はない
ふと、井戸端で頼まれて収穫した野菜を洗っていると
誰かが涼の名前を出しているのが耳に入った。
「また、あの坂上じゃない? 都会の人間は信用ならないから
あいつ大した仕事がないから、人のものを盗まないとやっていけないぜ」
そいつらがこっちにやってきて言った
「干しておいたイノシシの肉が減っているんだが心当たりはない?
あんた以外は皆むかしからの付き合いだから
取るとしたらあんたしか考えられないんだが」
驚いた涼は否定しようとしたが、すでに“そういう目”が向けられていた。
「僕じゃない。やってない」
「証拠は?」
涼は黙るしかなかった
証拠がないということは、ここでは“信頼”がすべて
だが信頼の土台など、どこにもない
ただの空気と勘と噂だった。
数日後、彼は一人で山を下った。泥と疲れにまみれた身体を引きずって、かつての街へと戻った。
カメラのある交差点、録音されるレストラン
顔認証される自販機
すべてが、恐ろしく安心だった
機械は憶測も嫉妬もでっちあげもしない
数日後、会社の人事部から連絡が来た。
「復帰ですか? 良かったですね。あなたの“帰還選択”は、協調性スコアを大きく上げましたよ」
涼は笑った。
苦笑だったかもしれないし、本当の笑顔だったかもしれない。
だがここで生きていくためにプラス評価には笑顔が欠かせない
そうやって環境に適応していくのが人間なのだろう
通常は監視社会は悪という書き方が多いと思いますが、ここでは人間の方が怖いという話にしています