社長になるまでは順調でした
不適切にもほどがある系のはなしはやっぱりなんだかなとおもって
笠原信之は、エリート中のエリートだった。
名門大学を優秀な成績で卒業し、大手商社に入社。
新興国からの資源輸入を手がけたかと思えば、次は国内半導体材料の海外拡販に成功。
ネット銀行の立ち上げにも参画し、その手腕は社内でも一目置かれる存在だった。
本人も「いつかは社長」とやる気満々。
そんな彼は、カリスマ会長の孫娘と結婚することで、名実ともに「社長候補」となった。
やがて彼は、経営企画部で売上予測や市場動向の分析に従事。
担当は会社の成長エンジンとも言える医療機器事業部。
その次世代戦略の立案を任されるあたり、もはや社内での信頼は絶対的だった。
そしてある日、待望の打診が来た。
「中東の子会社の社長をやってくれ」
急成長を遂げるその地域で、手腕を発揮することは確実な次のステップ。
彼は意気揚々と海を渡った。
だが、運命はそこから狂い始める。
渡航直後に内戦が勃発。
想定外の展開で、笠原はゲリラの捕虜となった。
食料も情報も絶たれた異国の地で、3年間もの幽閉生活。
命があること自体が奇跡だった。
生半可なことは言っていられない。
看守には絶対服従、言われた作業は率先垂範。
そうやって看守のご機嫌をとって生き延びた。
そして内戦の終結とともにようやく帰国。
社内では「帰ってきた英雄」として迎えられ、予定通り社長に就任する。だが——
彼がいない間に、世の中の常識は彼のものとは全然違うものに変わっていた。
「君、気合いが足りないな。喝だ喝!」
「何やったって死ぬわけじゃないんだから思い切ってやれ」
「ダメ、最初からやり直し」
「そんな報告聞きたくない」
「いいから結論を言いなさい」
などと、自分では普通に話しているつもりが”パワハラ”でNGを指摘される。
「お近づきの印に飲みの会はいかがですか」と取引先を誘えば、時代錯誤と冷笑される。
秘書をほめるつもりで「うちの○○は取引の誰より美人だな」と言えば、セクハラの烙印。
そもそも美人秘書の存在自体が微妙だという。
レストランで注文が忘れられ、慌てて持ってきたウエイターに
「遅いじゃないか、中東なら刀で真っ二つだ」
と言ったら、冗談のつもりだったのにカスハラ認定。
産休に入ると連絡があったので
休みに入る前に詳細を聞いておかないといけないと思って
「あの案件、どうなった? 至急聞きたい」と訊ねれば、それはマタハラだという。
なにをしても「ハラスメント」。
口を開くたびに周りの者が注意をしてくる。
言葉を選んでも、どこかで地雷を踏む。
気づけば、笑顔は消え、目の下にはクマ。
社長室のソファに沈み込んだ彼は、独りごちる。
「……おまえらの方が俺をハラスメント野郎にしてしまうハラスメントで、ハラハラだろ……」
まあなかなか納得いかない思いを抱えてみないきていると思います