第1話「あかん… 絶対これ恋だわ…」
~午前の仕事中~
ゆかり「どう?この後のインタビューのことで緊張する?」
光綺「はい… こういうのやっぱり私は経験がなくて…」
ゆかり「無理に肩肘張らないで、仕事のこととか趣味のこととか質問されたことに答えればいいだけだから大丈夫だよ。」
俺は鷲造 光綺 。東京都港区・浜松町にあるIT企業『株式会社シーノクリエイティブ』…の関連会社『株式会社シーノピース』の入社2年目の26歳だ。諸々の理由で大学の同期の他の人と比べて就職が2年弱遅れてしまったそんな俺は今、浜松町駅と増上寺のちょうど真ん中あたりにある大きなビルに入居する浜松町第二オフィスで、主にバックオフィスや本社の後方支援などといった感じの仕事をしている。
まだ暦の上では夏ではないというのに、夏並みの暑さを極めている6月のある日のこと。毎年2回会社が社内や取引先向けに発行している社内報に、上半期号恒例となっている各部署の入社2年目の社員のインタビューを控えていた。そのインタビューの話を上司の大書 ゆかりさんから頂いたのは、今からわずか3日前のことだ。
昼休みを経てインタビューが始まった。インタビューを受ける人は俺や大書さんの他にも、シーノピースの社長の芳田 聡見さん(俺は「芳田社長」と呼んでいる)と、あと俺の先輩の社員の泡津 和也さん。一方インタビュアーは、浜松町駅前のめっちゃ高いビルの中にある本社から来て下さった、卯治 寿朗さん・石幡 日菜里さん・喬松 紫織さんの3人だ。
寿朗「―入社して2年が経ちましたが、仕事の方はだいぶ慣れましたか?」
光綺「はい。しばらく前に引き継いだ経理系の仕事についてはまだ慣れないところもありますが、入社当初と比べると全体的に慣れてきた感じはあります。」
寿朗「その新しく引き継いだ経理系の仕事は、やっぱり数字を扱うのもありますので緊張はしますか?」
光綺「はい。数字…というかお金に関わってきますのでやっぱりミスしたら大変なことになっちゃうので、緊張はしますね…」
聡見「いつもはスピードや効率を重視している鷲造さんでも、経理の仕事となるとそれが嘘かと思えるくらい慎重に取り組んでるんですよ。まあ、緊張感というか責任感を持って仕事をしている感じが伝わってきますね。」
ゆかり「まあ彼全体的には真面目ですので、そこは安心して新しい仕事を任せる上では大きいですね。」
光綺「えへへ…(苦笑)」
泡津「鷲造さん、新しい仕事やイレギュラーな仕事も貪欲に取り組むところがあるので、そこはかなり頼りになってますね。」
インタビューは進む。シーノピースでは古株の社員である泡津さんが入社してからしばらくの間の仕事のことを筆頭に、俺も知らなかったシーノピースの過去の話がいろいろ飛び出す。
和也「―いやーあの時期は私のワンオペみたいなもんでしたね… 今だったら本当に問題視されるんじゃないかて思うくらいには…(苦笑)」
聡見「そうなのよあの時期はいろんなことできるのが泡津さんくらいしかいなかったんだから(苦笑)ごめんね泡津さん。」
和也「大丈夫です。その時期があったおかげで、いろんな経験が積めました。」
またしばらくインタビューが続いて、趣味の話に移った。泡津さんはバイクが好きで、休みの日はバイクでいろんなところに出かけるという。この間も社員ブログで新潟に出かけたと言っていた。
紫織「鷲造さんの趣味は主に電車とラジオでしたよね。」
聡見「そうなのよ。私の地元のラジオのこともブログで紹介してくれてねびっくりしちゃったわ。」
主に電車に乗るのとラジオを聴くのが好きな俺。前の年末年始休みに神戸の親戚の家に行ったついでに姫路城を見に行った時、姫路まで向かう電車に乗りながらラジオをいじっていたら受信できたラジオ局のリストを会社の社員ブログで紹介したところその記事が大バズりして、本社で働いている方から「見ました」とか「あれ地元にいた頃私もよく聴いてました」とか話しかけられたことがあった。本社で働いている方と話す機会は0だったため、話しかけられる度にめちゃくちゃ緊張していたっけ。
紫織「―もう本当にブログ読んでて、『こういうのもあるんだ』って思ってました。なんか斬新なテーマで読み応えがありました。」
光綺「ありがとうございます。でも母からは『電車の方に回帰してくれ』ってたまに言われるんですがね…(苦笑)」
寿朗「そんなこと言われるんですか(笑)先に電車を好きになったんですか?」
光綺「はい。幼稚園の頃に電車を好きになって、ラジオにハマったのは小学生くらいの頃でした。小学校3年の時に祖母と山形に旅行に行ったんですが、それがきっかけで。」
それからしばらく経って、2時過ぎにインタビューは終わった。
寿朗「―本日はありがとうございました。じゃ、これからも頑張ってね。」
光綺「よろしくお願いいたします。いやーブログ書いててよかった~…」
終始緊張はしたが、このインタビューは本社の社員の方と話せるようになる大きなきっかけになったことは言うまでもない。その社内報が出た後も度々本社の社員さんから「社内報読んだよ」と話しかけられたが、前よりかは緊張することはなくなっていった。
その後度々インタビュアーの3人には本社とかで会う機会がある度に話しかけられたりした。俺としても、本社で知っている人がいるとどこか嬉しい。
それから時は流れ11月。俺は職場の秋祭りに出席した。本社の様々な部署の方がいろんな料理の屋台を出店する、シーノクリエイティブではトップクラスの人気を誇り、会社の取引先やお客様からの評価も高いイベントだ。
俺はそこで、卯治さんと石幡さんに感謝の言葉を伝えようと思っていた。あの社内報のインタビューが、本社で仕事をするモチベーションが高まったり、本社の方とコミュニケーションを取れるようになった上で大きなきっかけというか自信になったからだ。
卯治さんと石幡さんを見つけた俺。抵抗はほぼなくなったとはいえ、自分から本社の方に話しかけるのはやや緊張する。
光綺(行くぞ…)「卯治さんと石幡さん…!」
寿朗「お?ああ鷲造君。」
日菜里「どうしました?」
光綺「時間経っちゃいましたが、先日の社内報のインタビューではその機会を下さり、本当にありがとうございました。本社で働いたり本社の方と話す上で大きな自信になりました。」
寿朗「え?これで終わり?」
光綺「あ、ああこれからもよろしくお願いします…!」
寿朗「おう、これからもよろしく!」
日菜里「よろしくお願いいたします。」
一番大事な部分が飛んではしまったが、言いたいことは伝えることができたから満足だ。
しかしもう一人、喬松さんには会うことが出来なかった。俺にはそれが残念でならなかった。
そしてさらに時は流れ12月も末。年の最終営業日の夕方5時半。
哲志「―それでは乾杯!」
光綺を含めた社員一同「乾杯!」
親会社の山条 哲志社長の乾杯の合図とともに、納会が始まった。入社2年目の年を終えようとしている。俺は同じシーノピースの社員の人たちと一緒に歓談をする。
その納会が始まってしばらくが経った時の事。
光綺(!)
納会が行われている本社の受付エリアにある5つの会議席のうちのちょうど真ん中の席。そこには喬松さんの姿があった。同じ本社の方の女性社員の方といろいろ話しながら食事をしている。
光綺(こうしちゃいられねえ…!)
俺は人をかき分け、その喬松さんがいる席の元へ向かう。
光綺「喬松さん!」
しかし喬松さんは料理を取り分けている作業の真っ最中。会場もいろんな社員やお客様の声でガヤガヤしている訳だから、聞こえなかったのであろう。すると、
那月「はい。」
裏富 那月さんという本社の方が応対してくれた。裏富さんは喬松さんと時々一緒に会議とか仕事とかしているのを見かけたことがある。
光綺「もう随分時間経っちゃいましたが、先日の社内報のインタビューでは、本社…あれ?」
前よりかは抵抗というか緊張することはなかったはずなのに、今回はなぜかとても緊張する。
光綺「本社の方とお話できるようになる大きなきっかけになりました… あやっべ全部飛んだ…!」
裏富さんが続きを待ってくれている。せっかくこちらから話しかけておいて何も言わないのも失礼にあたる。
光綺「…これからもよろしくお願いします!」
那月「分かりました。伝えておきます。」
光綺「すいませんありがとうございます…」
俺は裏富さんにそう言うと、気まずいというか決まりが悪そうな感じでその場を離れた。言おうとしていたことを全部思い出せたのは、シーノピースの人たちがまとまっているところに戻った、少し後のことだ。
光綺(あかんダダ滑りしたわ…)
その後夜7時、俺は会社を後にした。
光綺「お疲れ様です。良いお年をお迎え下さい。」
和也「良いお年を!」
それから家に帰り、時刻は深夜0時過ぎ。俺は眠りにつく…
はずだったのだが、俺はなかなか眠れずにいた。
それは、納会の時の俺のことだった。
何故俺が喬松さんの席の場所を探したのか。
何故喬松さんを見つけるや否やすぐそこに向かったのか。
何故言おうとしていたことが緊張で全部吹っ飛んだのか。
そして、何故今心がギュッと締め付けられている状態なのか。
光綺(あかん… 絶対これ…―)
俺はさらに遡って、インタビューを受けてから以降のこともいろいろ思い出す。本社で仕事をする際、喬松さんの姿を見るとどこか嬉しいという気持ちになることが何度もあった。
そしてさっきの納会のことと、今まさに俺の心が締め付けられている状態。そして、喬松さんのことを「天使」と心の中で形容している状態。
光綺(恋だわ…)
俺の初恋は小学1年の時、俺のいた通学班の6年生の班長さんが相手だった、しかし思いを伝えられることもなく、その人は小学校を卒業してしまった。その後も俺は何回か恋をしたのだが、いかんせん当時は自分の気持ちを隠すのが下手だった俺。クラスの人に見透かされるとかして、ほとんどまともな終わり方をしていない。
極めつけは中1の頃のことだ。たまたま同じ委員会で一緒になった女子を好きになったのだが、俺の通っていた中学校はクラスや学年どころか学校全体の男子のガラがほとんど悪かったから、「鷲造が好きになった女子」ということでそのガラの悪い男子の好奇の目に晒されるようになってしまってその人は俺もろともイジメを受けるようになり、しばらくして不登校に陥りさらにそれから間もなく転校してしまったのだ。
そんなことがあった訳で俺は「もう絶対恋なんてしないんだろうな」と思い、仲が良く気軽に話せる女の人に出会ったことは何回かあったとはいえど、それから実際10年以上恋をすることはなかった。シーノピースに入社しても、たまに本社で働くようになっても、その気持ちが変わることもなかった…
そう、今この気持ちを自覚するまでは。
とっさにスマホを立ち上げ、会社の社員ブログにアクセスする俺。いろんな社員の人が納会の様子をブログに上げているが、俺は…
無意識のうちに「喬松 紫織」で名前検索をかけ、喬松さんの個人トップページにアクセスしてしまっていた。
もうそれはつまり、そういうことでしかない。
光綺(俺… 喬松さんのこと… 好きになってしまっていたのかよ…)
-主要登場人物-
鷲造 光綺
この物語の主人公。株式会社シーノクリエイティブの関連会社「株式会社シーノピース」の入社2年目。埼玉県さいたま市大宮区出身・在住の26歳男性。
結構な食いしん坊。
神戸に親戚がいることや小学校時代の友人の影響で、驚いたりすると一言程度関西弁が出ることがある。
性格:真面目で優しくてまた明るく、自分の好きなこと等に一生懸命な性格だが緊張にはまあまあ弱い。
誕生日:7月10日
趣味:鉄道(乗り鉄)・ラジオ・アニメ・特撮・献血
特技:パソコンのオフィス系作業ほぼ全般・ラジオのチューニング
好きな食べ物:カレーライス・ラーメン・焼きそば・ジャーマンポテト
苦手なもの:手先の器用さが問われる作業全般・トラブル・空腹感・眠気・退勤間際に急に入った仕事
家族構成:父・母・妹
喬松 紫織
この物語のヒロイン。株式会社シーノクリエイティブの入社2年目。広報チームで仕事をしている。神奈川県横浜市保土ケ谷区出身の23歳女性。現在は三軒茶屋で一人暮らしをしている。
手先がかなり器用だが、仕事でそれを発揮できる機会はあまりないらしい。
福井に親戚がいる。
誕生日:3月20日
性格:真面目で優しく人当たりが良い。コミュ力も高い。
趣味:料理・1人飲み・同僚や友人との外食
特技:デジタルデザイン全般・英語・手芸
好きな食べ物:蕎麦・たまごサンド
苦手なもの:暗い場所
家族構成:父・母・姉
備考:就職するにあたって独り立ちをしたのだが、本当は山手線内一本で行けるところに住みたかったらしい。
-その他の登場人物-
泡津 和也
光綺の先輩社員。40歳男性。入社18年目。
IT技術系の仕事をしているが手先が器用でもあるため、細かい仕事を任されることもある。
性格:温厚で仕事熱心な性格。人に何かを教えるのも上手。
趣味:ツーリング
特技:自動車やバイクのカスタム・チューンナップ・修理
誕生日:1月8日
好きな食べ物:サーモンといくらの親子丼
嫌いな食べ物:わさび (少しなら問題なし)
苦手なもの:システムトラブル
備考:大学時代は自動車修理工場でアルバイトをしていた。腕は当時工場一だった。
芳田 聡見
株式会社シーノピース代表取締役社長。57歳女性。33年前のシーノクリエイティブ起業時に他社からヘッドハンティングされた。
赤穂出身で、現在は都内で家族とともに暮らしている。
性格:仕事や社会人としてのしきたりにはかなり厳しいが、根は優しい。
趣味:野球観戦・生花
特技:生花
誕生日:10月2日
好きな食べ物:寿司・唐揚げ
嫌いな食べ物:特になし
大書 ゆかり
株式会社シーノピース副社長。42歳女性。11年前に管理職としてシーノピースに転職してきた。
静岡出身で、埼玉から会社に通っている。家族あり。
性格:温厚だが仕事やミスには厳しい。
趣味:お菓子作り
特技:裁縫
誕生日:7月5日
好きな食べ物:ストロベリーパイ
嫌いな食べ物:特になし
苦手なもの:仕事のトラブル全般
卯治 寿朗
紫織の先輩の男性社員。52歳。入社17年目。35歳の時に他社から転職してきた。
人の話や会話を進めるのが得意で、インタビューや面接には必ず駆り出されている。
宮城県出身で大学進学を機に上京。現在は清澄白河で家族とともに暮らしている。
性格:仕事には厳しいが、面倒見の良い兄貴分的な性格。
趣味:筋トレ (結構ガチ)
特技:インタビュー・聞き取り・面接
誕生日:7月11日
好きな食べ物:焼肉
嫌いな食べ物:パクチー・ミント
苦手なもの:技術系のトラブル
家族構成:妻・息子2人
備考:面接シーズンは必ず面接に駆り出されるため、その時期は仕事が溜まってしまうことがその時期の悩みらしい。
石幡 日菜里
紫織の同僚。入社8年目。31歳女性。
コミュ力が高く、面接やインタビューに度々駆り出されている。しかし昔は人と話すのがあまり得意ではなかったらしい。
福島県出身で就職を機に上京。現在は大森海岸で一人暮らしをしている。
紫織らと合わせて4名の女性社員からなる「日菜里会」なるものを結成している。
性格:明るい性格でコミュ力が高い。
趣味:ショッピング・お菓子作り
特技:面接・インタビュー
誕生日:10月3日
好きな食べ物:スイーツ全般・海鮮丼
苦手なもの:暗い場所
山条 哲志
株式会社シーノクリエイティブの代表取締役。58歳男性。岡山県出身。
34年前に他のIT企業から独立し、一人シーノクリエイティブを設立。東京23区内某所にあるマンションの一室から始まった。現在そのマンションの一室は新たな自宅となっており、そこで家族とともに暮らしている。
客先や取引先等に行くことがほとんどで、オフィスにいることはあまりない。
性格:聞き上手で仕事熱心。良い意味でカリスマ性がある。ユーモアもある一面も。
趣味:スポーツ全般・麻雀
特技:ウォーキング・交渉・商談
誕生日:4月4日
好きな食べ物:和食全般
嫌いな食べ物:ない(過去にはあったが仕事での会食で克服した模様)
苦手なもの:仕事でのトラブル全般
備考:1年間だけ子どもの通っていた中学校のPTA会長をやっていた過去がある。
裏富 那月
紫織の同僚。入社4年目。27歳女性。人事教育部で仕事をしている。
愛知県出身で大学進学を機に上京。現在は江戸川区で一人暮らしをしている。
コミュ力は高く、会議では場の引っ張り役。
性格:話し好きで、昼休みは必ず誰かと話している。
趣味:100均巡り・切手集め
特技:会議進行
誕生日:1月11日
好きな食べ物:ひつまぶし
【株式会社シーノクリエイティブ】
34年前の2月15日に設立されたIT企業。クラウド・アプリケーション・ICT事業をはじめとした幅広いDX事業・IT事業を展開している。主力商品は設立当時からのロングセラー商品「Cino Platform Driver」。
いわゆる「BtoB」企業であり広告展開もIT・経済系ニュースサイト等を主としているため一般知名度はあまり高くはない、いわば「知る人ぞ知る」会社である。ただ2年前にあるプロ雀士とスポンサー契約を結んだため、麻雀ファンの間では知名度が上昇傾向にある。
従業員数:750名
資本金:290,412,500円
本社:浜松町
他拠点:浜松町第二・デバイスセキュリティーセンター(高田馬場)・名古屋・大阪・西日本デバイスセキュリティーセンター(堺区)・岡山・福岡
【株式会社シーノピース】
17年前の7月30日に設立されたシーノクリエイティブの関連会社。シーノクリエイティブのバックオフィスや後方支援系の仕事をしている。
従業員17名。