ご飯の時間です。
「また増えてきた……」
慎は冷蔵庫を開けて一度閉めた。
おばさま方のお茶会のあと、慎宅の冷蔵庫の中はいつの間にか増えている。もちろんそれらを詰めていくのはおばさま方だ。慎は村に戻ってきて以来、ご飯を炊く・味噌汁を作る以外の料理をほとんどしていない。
おかずを冷蔵庫に入れていくおばさま方に、胃の容量を訴えて減っていたのだが、また戻りつつある。何をどれだけ食べても腹ペコだった思春期はとうの昔なのだ。
食事の用意をしなくてはいけないので、もう一度開けた。
「我もたまには慎の料理が食いたいぞ」
「いいけど、鬼羅が作ってくれてもいいよ」
「それもそうだな。加代に聞いておこう」
「うん、そうして。僕の胃の容量を考慮した上で。メインはハンバーグかな。これ食べよう」
温め直したおかずを器に盛り、ご飯と味噌汁も並べる。食事は鬼羅とともにとるようにしている。鬼羅に食事は必須ではない。人に近い形で存在しているため、各種器官はそろっているので、食べても問題はない。
『いただきます』をして、今日も米に感謝しつつ米の旨味と甘味を噛みしめる。毎日食べても飽きない。
「ガシャで我を触媒にすると言っておったが、どういう意味だ?」
「本来の意味ではないんだけど、僕が知る元ネタはFateシリーズかな。元ネタの話をすると長くなるから置いておく。いや、本当に長くなるから」
少し考えて、言葉をまとめる。
「ガシャは完全ランダムで運次第だけど、そのキャラクタが出たっていうことは、そのキャラクタと縁があったっていうことになる。縁があればくる。じゃあ、そのキャラクタに縁のあるものを用意して、その縁で呼び寄せようっていう考え。その縁のあるものっていうのが、触媒。鬼羅は縁があるどころか、ほとんどそのものだね。あそこまで引くとは思ってなかった。物欲センサーキャンセラーもある気がする。本来の触媒は、そのものは変わらず、化学反応を促進する物質のことだ。化学反応は分子がくっついたり離れたりていうことだから、触媒はその橋渡しをしてるのかな。学生ぶりだから曖昧だな」
稀に思わぬ知識を要求されることもあるが、イラストレーターには必須の知識ではない。
「なるほど」
「そういえば、鬼羅はどうして僕を選んだの? 草むしりは当番制で、かわるがわる誰か来てたわけだろ? 僕の何が縁を結んだんだ?」
「半分はタイミングだな。そろそろ起きようと思っておった」
慎は急に思い立って帰省した。ズレていただけで選ばれなかった可能性に、少しそわっとする。
「30年くらいが記憶を継承できるって言ってたやつか。もう半分は?」
「慎の場合はクリエイターだからだろう。そういう者は、得てして少し向こう側を見てしまうものだ」
出てきた言葉の意外性に手が止まる。
「いや、逆だな。見えないものを見てしまい、それを表現しようとする気概がクリエイター気質につながる。もちろん、すべてがそうというわけではないが、ないものを作ろうとするもの、架空のものを描こうとするものは、向こう側からイマジネーションを得ていることがよくあるのだ。表現方法は日々の研鑽や経験によるが、それだけではどうにもならないわずかなひらめきを、本来であれば見えないものを見て得ている。慎は、社の暗がりに向こう側を“見た”のだ。その時、我は人の世と繋がった。先程の引用をするなら、慎は我と人の世をつなぐ触媒となったのだろう」
「なんだかシャーマンじみた話だなぁ。重箱のすみをつつくなら、触媒はその物質は変わらず、化学反応を促進するものだ。鬼羅を人の世に繋いだ時は一瞬だったけど、今もつなぎとめている存在であるなら、僕は変化してる。変えられたよ。鬼羅のせいで。触媒じゃない。変えたのは鬼羅なんだから、ちゃんと責任取ってもらわないと」
「くふっ、なれは本当に愛しい」
「ふへっ!? いや別に深い意味はないよ、売り言葉に買い言葉みたいな、えーっと、前のあかねおばあちゃんもクリエイターの素質があったの?」
本当に深い意味はなく、重箱のすみを見つけてしまっただけだった。急に出てきた“愛”に、強引に話を捻じ曲げる。
「あかねは、死の淵を見たものだ。死に触れたことがある者も、向こう側に繋がりやすいほころびを抱えてしまうからな」
「急に重くなった」
鬼羅はそこにあるもの。多少の違和感は、“そういうものなのだ”と勝手に補正がかかってしまう。自分で決めたことではあるが、こうして二人で暮らしていることは、不自然なくらい自然に思えてしまうものなのだ。慎はまだ鬼羅のことをあまり知らない。あまりに自然にそこにあるため、疑問がなかったのだ。
「あかねの子らが巣立っていったころに、夫の光雄が死んだ。看取った際に、死の淵をのぞいた。向こう側のをのぞいてしまったのだ」
「それで向こう側と通じて繋がって……つなが…………獣姦?」
「しておらん。慎の場合、人の世に馴染むために時間が少し必要だというのに、すぐに離れると言うから早急に進めたというだけだ」
「えっ、じゃあ僕が引っ越し諸々すぐにすませてしまおうって急いだからで、急がなかったら最初のあれは必要なかったってことなの!? 初夜にそんな意味があるとか、聞いてないんだけど!」
聞けば答えてくれただろうが、聞かなければ答えないのも鬼羅である。説明不足は今に始まったことではなかった。
「あかねはずっと我をそばに置いたからな。それ以前も、我につくことが勤めとして成り立っておった。仕事があるからと我を放っておくなど、不届き千万だぞ! 慎の本業は我の嫁だ」
「嫁は就業者じゃないってば。本業副業って、全国のプロデューサーみたいなことを。同じ家にいるんじゃダメなのか?」
「観測されておらん。我を膝において仕事せんか」
「そんなでかい図体で何言ってんだよ」
「我が座椅子になってもかまわぬぞ」
「僕がかまうよ!」
少し思い出した。あかねが縁側で膝に白い犬のあごを乗せている光景を。
「そこまでべったりなんだ」
「見て、触れる。わかりやすく観測と認識だ」
「日中離れている反動? 頻度を密度で埋めるのか。今はまだいいけど、年々できなくなっていく気がする。加齢、体力の衰え、うっ頭が……。そもそも、鬼羅はいつまでいるの?」
「慎が死ぬまで」
「……そっか」
Uターンの一番の理由は鬼羅だ。すぐに消えられてしまっては、拍子抜けというものだ。
「今からでも我をひざにおいて仕事をしてもよいぞ」
「体力の衰えを感じたら、考えるよ」
その夜の鬼羅は少し優しかった気がした。