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07

★★


 公爵と結婚し、新たな母となるミランダを、リリティアは純粋に喜んでくれた。公爵令嬢でありながら、他人を疑うことを知らない純粋無垢な少女だった。

 ルシアンのほうはミランダと年齢が近いこともあって、反応はあまり良くなかった。ただ、父の決めた再婚に口を出してくることはなかった。

 若くして伯爵令嬢から公爵夫人になったミランダは、誰もが憧れる幸せを手に入れた。皇族に次ぐ地位によって多くの貴族が、ミランダの前でこうべを垂れる。

 一方、ミランダに嫉妬し、この結婚を心から祝えない者はこぞって陰口を叩いた。中には、ありもしない噂を流す者もいた。

 その殆どは公爵を狙っていた女性たちで、若さを武器に公爵に取り入った、自分が片親なのを良いことに同情を買った、などと聞くに耐えない噂もあった。

 公爵は「気にするな」と寄り添ってくれたが、ミランダは孤児であった事が皆にバレるんじゃないかと気が気じゃなかった。

 公爵夫人になってからお茶会やパーティーに参加しても、良くない噂のせいで嫌がらせを受け、ミランダは次第に社交界で孤立していった。


「ミランダお母様!」


 ──そして公爵家では、リリティアの存在がミランダをさらに追い詰めた。

 家族や使用人たちから愛されて育った娘、リリティア。彼女が笑えばこちらまで笑顔になってしまう、と誰かが言った。

 けれど、本物の母親を求めてくるような眼差しで見つめてくるリリティアに、ミランダは言い様のない居心地の悪さを感じていた。

 リリティアが笑うと寒気が走るのだ。


 ……なんで、そんな顔で笑うの?

 私は貴女の本当の母親じゃないのに。


 リリティアはどこへ行っても笑顔で人を魅了してしまう。

 ──偽りのない貴族令嬢。

 両親に捨てられて孤児となった自分とはまるで違う。そんな子供が、自分を母と呼んで慕ってくるはずがない。

 あの笑顔の裏で、下賤の子と呼ばれていた自分を見下されているような気持ちになった。


「ちょっと、そこの貴女」

「はい、奥様」


 ある夜、ミランダはお茶を運んできたメイドに声を掛けた。

 公爵家の使用人たちは品があって、ミランダを公爵夫人として丁寧に接してくれていた。


「これをリリティアの枕元にそっと置いてきてくれないかしら?」

「あの、これは……?」


 ミランダはルビーのついたネックレスをメイドに差し出した。


「ふふ、昼間リリティアに見せたら欲しがっていたの。だから、贈り物として渡したいのだけど、直接手渡すより起きたときに置いてあった方が喜ぶと思わない?」

「まぁ奥様、お嬢様のために! 畏まりました、すぐに置いてきますね」

「ええ、そうしてちょうだい。それから貴女には特別給金を出すから、明日はゆっくり休むといいわ」


 お礼よ、と微笑むとメイドは嬉しそうにネックレスを受け取り、頭を下げて部屋を出て行った。

 メイドは寝ているリリティアの枕元に、渡した宝石を置いてくるだろう。本来の目的など知らずに。

 ミランダは高鳴る胸に口元を歪めた。

 養母の伯爵夫人もこんな気分だったのだろうか。沈んでいた気持ちが浮上していくようだ。今になって夫人がなぜあんなことをしたのか、少しだけ分かったような気がした。


「──いけない娘ね、リリティア」




 メイドにネックレスを渡した翌朝、ミランダの元に侍女達がやって来た。

 彼女らは流れるようにミランダの身支度を整えていく。


「あら? お気に入りのネックレスがないわ」


 公爵夫人にしては飾り気のないドレスとすっきりした髪型に仕上げてもらうと、ミランダは宝石箱を取り出して中身を確認した。

 そこで大切にしていたネックレスがないことを漏らす。ルビーの宝石がついたネックレスだ。

 盗まれたかもしれない、と濁すと侍女達の顔色が変わった。主の部屋から物がなくなった時、真っ先に疑われるのは使用人だ。

 ミランダは「見つかったら教えてちょうだいね」と、笑顔で伝えた。紛失したネックレスの事は使用人の間ですぐに広まるだろう。

 そして、そのネックレスはリリティアの部屋から出てくるのだ。


 朝食の時間まで寛いでいると、慌てた様子のメイドがミランダの元へやって来た。

 ネックレスが見つかった、と。

 出てきたのはリリティアの部屋からだった。ミランダは呼びに来たメイドと共にリリティアの部屋へ向かった。

 リリティアはネックレスを持ったメイドに「そんなネックレス知らないわ! 起きたら置いてあったのよ!」と叫んでいた。

 騒ぎを聞きつけて集まったのはミランダだけではなかった。公爵とルシアンも、リリティアの部屋へやって来た。

 ──役者は揃った。

 ミランダは小さく笑い、蒼褪めた顔で声を荒げるリリティアに近づいた。


「まあ、リリティア。大丈夫よ、私には分かるわ」

「……ミランダお母様」

「良いのよ、リリティアは寂しくて構ってほしかったのよね」


 ミランダはリリティアの小さな両頬に手を添えてにっこり微笑んだ。リリティアの目は「違う!」と訴えていたが、ミランダは笑って誤魔化した。

 公爵はミランダの言葉を信じ、リリティアを軽く叱りつけた。誰からも信じてもらえないリリティアの表情は、ミランダの胸を踊らせた。

 気分が良かった。

 結局、ネックレスの件はリリティアの悪戯として片付けられた。

 だが、それで終わりではない。終わらせてはいけない。

 ミランダは公爵に「リリティアに命じられて宝石を取った者がいるかもしれませんわ」と話し、侍女長と執事が迅速に対応してくれたおかげで、翌日には一人のメイドが追い出された。

 誰もがミランダを信じて疑わなかった。


 その後も似た手口でリリティアを陥れた。

 一度信用が地に落ちると、周囲の目を変えることは難しい。リリティアの評判は悪くなる一方だった。

 そんな中、ミランダは妊娠して双子を出産した。

 公爵の血を引いた子供を生んだことで、ミランダの立場は揺るぎないものになった。

 そこでミランダは、リリティアの教育に問題があると進言し、子供たちの教育の全てを請け負うことになった。


 ミランダはまずリリティアの教育係を全員解雇し、貴族の中でもとくに厳しいと有名な教育係を雇った。

 彼らは体罰も正しい躾の一つだと考えている。ミランダ自身が経験してきたように、回答を間違えれば鞭で打たれるのも当たり前な教育だ。

 ただ、リリティアは初めてだったようだ。

 教育係から鞭で両手を叩かれた時、彼女は痛みより何が起こったのか理解できていなかった。

 ──叩かれた。

 そのことに驚いて声が出なかったのだろう。

 見守っていたミランダは口元を歪めて薄く笑った。


「リリティア、これは貴女のためなのよ?」


 そう、教育係が鞭を振り下ろすのは、リリティアに期待を寄せているから。憎くて体罰を与えているわけではない。

 リリティアが完璧な淑女となるために必要なことだ。

 今まさに己が手を振り上げてリリティアの頬を打つのも、そこに愛があるから。小さな体は簡単に吹き飛び、テーブルにぶつかって床に倒れた。

 公爵令嬢が、なんて無様な姿なのか。

 ミランダはリリティアの腕を鷲掴み、無理矢理立たせた。


「問題ばかり起こす貴女にはこういう躾が必要なの。分かるわね?」


 涙ぐんで唇を噛むリリティアの姿に、胸が満たされていく。

 その日からリリティアの顔から笑顔が消え、大人しくミランダに従うようになった。

 ダンスが出来なければ一日中立たせ、勉強が出来なければ鞭を振るい、盗みを働けば折檻した。ミランダは公爵と愛を交わすときよりずっと、リリティアを躾けているときの方が快感だった。


「ああ、私の可愛い娘、リリティア。なぜ貴女はそうやって私を困らせるのかしら」


 剥き出しになったリリティアの背中に皮のベルトを振り下ろしながら、ミランダは嘆いてみせた。

 時折、目に涙を浮かべて。

 必死に謝って許しを懇願するリリティアに、ミランダの手は止まらなかった。

 白い背中は真っ赤に腫れ、血が滲んでいた。


 ──そうよ、誰よりもリリティアを理解しているのは私なのよ。

 私しかいないのよ。



 ミランダの歪んだ愛情は日に日に深まっていった。

 勿論、リリティアに味方する使用人もいた。けれど、彼らは公爵家の女主人に歯向かったことで即刻解雇となった。そうやってリリティアに味方する者を一人ひとりと排除していった。

 リリティアを分かってやれるのは自分だけだ。

 そう思っていたのに、リリティアは皇太子の婚約者に選ばれた。

 高貴な血筋であるが故に。

 皇室はリリティアの本当の姿を知らないのだ。

 皇太子の婚約者となったリリティアには、皇太子妃の教育が待っていた。

 教育のために皇宮へ通うことになり、ミランダと過ごす時間は削られ、久しぶりに顔を合わせればリリティアは変わっていた。

 僅かに笑うようになっていたのだ。

 ──ああ、なんて醜いのかしら。

 周りに笑顔を振り撒いて、自分の行いも忘れてしまっている。自分がどれほど罪深き娘なのか、リリティアは理解していなかったのだ。

 ミランダはその日リリティアの部屋へ訪れ、怯える彼女に向かって言い放った。


「貴女は自分のお母様を殺して生まれてきたのでしょう? 公爵家の皆は優しいから口にしないだけで、本当は貴女を恨んでいるのよ。それなのにいつも楽しそうに笑って過ごして、なんて罪深い娘なのかしら。もっと躾けないと分からないようね」

「……お、かあ、さま」


 ええ、貴女の母は私。

 だから、きちんと教えてあげないといけないわ。


 ミランダは鞭を振り上げて、リリティアを力いっぱい叩いた。

 いつもなら痛みに呻いて涙を浮かべるところだが、今日はミランダの放った言葉に愕然としている様子だった。

 その日からリリティアは再び感情を無くした人形のようになった。

 ミランダは満たされた。

 伯爵家に引き取られてから今日にして、ようやく自分の居場所を手に入れた気がした。ケイシュトン家の公爵夫人として、リリティアの母として、この幸せはずっと続くと思っていた。


 ……リリティアが自ら毒を飲み、自害しようとするまでは。


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12/23発売「邪魔者は毒を飲むことにした―暮田呉子短編集―」
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