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04

★★


 ライハルトにとってリリティアは、婚約者というより「親友の妹」だった。

 まだ十歳にも満たない頃、ライハルトの遊び相手として紹介されたのがケイシュトン公爵家の長男ルシアンだ。彼とは同い年で、性格や思考が似通っていたことからすぐに意気投合し、無二の親友となっていた。

 ライハルトもまた皇后だった母親を早くに亡くしており、同じ痛みを抱えた者同士で通じるものがあったのかもしれない。

 父の再婚という点でも、皇帝は周囲からの口添えもあり、新たな妃を迎えていた。今では異母弟が二人いる。

 ルシアンと知り合って間もなく、彼はよく妹の話をしてくれた。妹が笑うとこちらまで幸せになる、と嬉しそうに語っていた。

 しばらくした後、公爵家に招待された席でルシアンの妹と会うことができた。

 公爵令嬢のリリティアは、とても愛らしくて笑顔が可愛い少女だった。妹がいなかったライハルトは、その時ばかりはルシアンが羨ましくなった。

 だが、公爵が再婚した辺りから、ルシアンはリリティアの話をしたがらなくなった。その後も公爵家に何度か足を運んだが、リリティアと出会うことはなかった。

 ただ、お互い思春期ということもあり、深く訊ねることはしなかった。


 次にリリティアと再会したのは、ライハルトの婚約者として彼女が選ばれた時だ。

 久しぶりに会ったリリティアは以前より美しくなっていたが、その表情は驚くほど暗かった。子供の頃に見せてくれた笑顔はどこに消えてしまったのか。

 ライハルトは、皇太子妃の教育で皇宮に訪れていたリリティアの元へ足繁く通った。

 すると、リリティアは少しずつ明るさを取り戻していき、彼女が頬を緩ませるとこちらまで穏やかな気持ちになれた。

 それでも表情は固く、ルシアンとリリティアの関係もあまり良くなかった。

 何度かルシアンに訊ねてみたが、彼は誤魔化すだけで答えてくれなかった。リリティアも同様に、自身に関することは一切口を噤んだ。

 二人の兄妹のことが頭から離れなかったが、ライハルトとリリティアが婚姻すれば、必然的にルシアンとは義理の兄弟となる。

 関係を修復する時間はたっぷりあると、高を括っていた。

 しかし、ある日を境にリリティアの顔から表情が消えてしまった。まるで、冷たい氷の仮面を被った人形だった。

 一体、何がリリティアをそうさせてしまったのか。


「リリティア……」

「ライハルト皇太子殿下にご挨拶申し上げます」


 勉強に励むリリティアの元を訪れると、形式張った挨拶が返ってきた。

 婚約者になって数年が経ち、以前はもっと砕けた挨拶や言葉を交わしていたのに。目に見えない分厚い壁がライハルトの前に立ちはだかる。

 そして、何も映さない瞳と感情のない顔を向けられて、背筋が冷えるほどの寒気を感じてしまった。



 リリティアが感情を失った人形のようになってからも、ライハルトは婚約者として最低限の義務は果たしていた。

 差し出した手にリリティアの冷たい手が置かれると、こちらの心まで冷えていく感覚がした。

 どんなに笑い掛けてもリリティアの表情が崩れることはなかった。

 元々、ライハルトとリリティアの婚約は皇家と公爵家の繋がりを強固なものにする為だ。そこに二人の気持ちは必要ない。

 ──だからだろう。可笑しな噂が流れたのは。

 リリティアをエスコートしてファーストダンスを踊った後、ライハルトはルシアンと共に同年代の女性と過ごすことが増えていった。

 婚約者を一人にしてしまっている後ろめたさはあったものの、解放感に浸りたかった。

 そこでアイシャという子爵令嬢と知り合った。

 アイシャは見た目も美しく、他の女性より気兼ねなく話せる人物だった。だが、女性として惹かれたことはない。あくまで友人の一人に過ぎなかった。

 それでも、 皇太子は婚約者をお飾りの妃にして子爵令嬢を愛人にするという根も葉もない噂が出回った。

 周囲がリリティアと過ごすライハルトを不憫に思い、アイシャには友好的だったからだろう。それだけリリティアの評判は良くなかったのだ。

 噂はリリティアの耳にも入っていたようだ。

 ある日、皇宮を訪れていたアイシャは今にも泣き出しそうな顔で現れ、

「リリティア様が、殿下の愛人になるのはどうかと仰って……っ」

 と、言ってきた。

 聞かされたライハルトは、激しい怒りと羞恥を感じた。

 まさか、リリティアまであの噂を信じて、自分を信用していなかったとは。

 ライハルトはその足でリリティアの元へ向かった。

 後になって、教育に励む婚約者の所へ訪れたのは久しぶりだったことを思い出す。しかし、この時は他のことを考える余裕はなかった。


「どういうことだ! アイシャに何を言った!?」


 ライハルトはノックもせず扉を開き、ずかずかと近づいて婚約者の細い腕を掴んだ。もっと冷静だったら、リリティアの細すぎる腕に気づけたかも知れない。

 けれど、ライハルトは入ってきた騎士に引き離されるまでリリティアを責め続けた。

 それでも婚約者の表情が変化することはなかった。その冷えきった瞳に、自分は映っているのだろうか。

 最初から期待されていない気がして、溝は深まるばかりだった。

 不快な思いをさせてしまったアイシャには、罪滅ぼしとして彼女が欲しい物をお詫びとして贈った。

 リリティアに関しては、婚約者同士としてこのままで良いはずがない。だが、歩み寄る方法が見つからなかった。

 そうして悩んでいる内に、事態は急展開を迎えた……。



 貴族が多く集まった皇宮のパーティー会場で、リリティアが毒を飲んだ。

 ルシアンと共にアイシャを探しているところで、アイシャと一緒にいる彼女を見つけた。

 そこでリリティアは空になったグラスを落とし、次の瞬間には傾いていた。手を伸ばして受け止める間もなく、リリティアの体は床に倒れていた。

 なにが起こったのか。

 会場内が騒然とする中、陛下が駆け付けて的確な指示を飛ばす。

 すぐさま皇宮医が連れて来られ、蒼褪めるリリティアの状態を確認すると別室に運ばれて行った。

 隣にいたルシアンは呆然と立ち尽くして動けずにいた。妹が急に倒れれば動揺もする。けれど、ライハルトには親友の抱えていた複雑な気持ちが分かっていた。

 自分も同じだったからだ。

 婚約者であるリリティアを放って、一人きりにさせてしまっていた。それなのに、どんな顔で駆け寄れば良かったというんだ。

 ライハルトは後悔の念に駆られ、運ばれていくリリティアを見送ることしかできなかった……。



 皇太子の婚約者であるリリティアが毒を盛られたことで、皇宮は物々しい雰囲気に包まれた。

 ……それだけではない。

 毒を盛ったメイドが捕まり、彼女の口から語られた供述の内容に激震が走った。

 毒を用意したのはアイシャで、その毒は本来アイシャが飲む計画だったという。その犯人をリリティアに仕立て、陥れようとしていたのだ。

 だが、その計画がリリティアに知られてしまい、どういうわけか毒を飲んだのはリリティアだった。

 メイドは、計画を知ったリリティアが逆にアイシャを陥れようとすると思っていたようだ。けれど、毒入りのシャンパンを渡したところ、リリティアは毒と分かっていながら一気に飲み干したのだと言う。

 まるで、最初から死ぬつもりだったように。


「なぜ、そんな……っ」


 犯人にアイシャの名前が挙がったことで、ライハルトにも疑いの目が向けられ、父である皇帝から自室での謹慎を命じられた。

 その間にもリリティアの治療は続き、危険な状態だと知らされた。

 次から次へと入ってくる報告に、ライハルトは額を押さえた。

 権力者が多ければ多いほど、いざこざは絶えない。皇族や貴族同士の揉め事や争い事はどこの国に行っても必ず起きている。

 それでも、この国は穏やかで平和な方だった。

 次期皇太子妃となる者が自ら命を絶とうとしたことなど、未だかつてなかった。


「私のせいだ……。私が他の者にかまけ、リリティアを一人にしてしまったから……っ!」


 アイシャが泣きついてきた時、リリティアから話も聞かずに責めてしまった。

 あれは本当に、アイシャの話が正しかったのか。アイシャの言葉ばかりを鵜呑みにせず、真相を調べるべきだったのではないか。

 リリティアはあの冷たい表情の下で、本当は悲しんでいたのではないか。

 泣いていたのではないか。

 助けを、求めていたのではないか。

 自害するほど追い詰められていたのに、なぜ気づいてあげられなかったのか。

 ライハルトは己の不甲斐なさに呻いた。



 数日後、優秀な皇宮医のおかげでリリティアの命は助かった。知らせを受けたライハルトは安堵し、直接会って早く謝りたかった。

 今度は傍について、彼女を大切にしよう。

 何年、何十年かかっても良い。リリティアがまた笑えるようになるまで、彼女の支えになろう。近い将来、自分たちは夫婦になるのだから。

 そう決意したものの、見舞いの許可は下りなかった。

 ライハルトだけではない。

 公爵家の者も毎日皇宮に通っていたが、リリティアの部屋に通されることはなかった。まだ見舞いできる状態ではないのか。それともリリティアが拒んでいるのか。

 ライハルトは従者に皇宮の内外部を探らせ、逐一報告させていた。


 事態が動いたのは事件から半月が過ぎた頃だ。リリティアが陛下に呼ばれて謁見しているという。

 知らせを聞いたライハルトは、謹慎中にも関わらず護衛の騎士を丸め込んでリリティアの元へ急いだ。

 途中、前方から騒がしい声がして護衛と共に向かった。


「──……ライハルト様からも疎まれていたくせにっ! 貴女は皇太子妃になれなくても、どちらでも良かったのでしょう!? だったら大人しく私に譲れば良かったのよ!」


 突き当たりを曲がったところで、驚いた事にリリティアとアイシャがいた。

 アイシャは一層厳しい取り調べがあり、牢屋から連れ出されてきた所だ。一方、リリティアは謁見を終えたばかりだろう。

 アイシャに腕を掴まれたリリティアは、甲高い声で怒鳴り散らされていた。表情は変わらなくても顔色が悪い。彼女は今までもそうやって耐えてきたのだ。

 ライハルトは近づいて二人の間に割って入った。


「何を騒いでいる」

「殿下……」

「ああ、ライハルト様!」


 彼女達の反応は対照的だった。

 僅かに目を見張るも表情を崩さないリリティアと、目を輝かせて笑顔になるアイシャ。


 ──私は表面しか見てこなかったのだな。


 ライハルトはアイシャをその場から連れて行くよう騎士に命じた。アイシャは泣き叫んでいたが、今度は間違えない。


「──本当にすまなかった。君を蔑ろにしていたつもりはないんだ……。彼女とは友人として付き合っていたが、君が誤解していたなんて」


 ようやく会えたリリティアに、ライハルトは謝罪した。

 婚約者としてもっと寄り添っていたら、リリティアが毒を飲むことはなかった。後悔しても遅いが、この瞬間からリリティアの信頼を取り戻していくしかない。

 しかし、リリティアは首を振って「過ぎた話です」と口にした。


「先程、陛下と謁見いたしました。このような事態を招いてしまい申し訳ありませんでした。私と殿下の婚約はすぐに解消されることでしょう」

「……なん、だと?」


 寝耳に水だ。婚約が解消されることを聞かされ、ライハルトは目を見張った。だが、ライハルトをさらに硬直させたのは次の瞬間だ。


「不甲斐ない婚約者だったこと深くお詫びいたします。暫くすれば私も皇宮から出て行きます。どうかお元気で」


 別れの言葉と共に、リリティアは────笑った。

 偽りのないリリティアの笑顔に、頭の天辺から爪先まで雷に打たれたような衝撃が走った。

 リリティアが笑うとこちらまで幸せな気分になるんだ、と恥ずかしげもなく教えてくれた親友の言葉を思い出す。彼女の笑顔ひとつで、こんなにも胸が熱くなるなんて。

 動けなくなったライハルトは、去っていくリリティアを追いかけることができなかった。

 あの笑顔がずっと自分に向けられていたら。

 立ち尽くしていたライハルトは踵を返し、護衛が必死で追いかけてくるのを無視して廊下を突き進んだ。


「父上!」


 ライハルトが向かったのは皇帝の執務室だ。

 例え父の仕事場であっても、入室には許可が必要となる。だが、急を要したライハルトは護衛の制止を振り切って中へ押し入った。

 机に座って書類に目を通していた陛下は突然現れた息子に嘆息し、部屋にいた者を廊下に下がらせた。


「……部屋で大人しくするよう命じたはずだが」

「命令に背いたことはお詫びします。ですが、リリティアとの婚約を解消したのはなぜですか!? 私に断りもなく!」

「……会ったのか」

「ええ、今しがた廊下で」

「会わせるつもりはなかったのに、勝手な真似を」

「なぜですか! 私は……っ」

「誰とも会いたくないと、彼女が望んだことだ」


 やはり、見舞いの許可が下りなかったのはリリティアが拒んでいたようだ。ライハルトは拳を握り締め、唇を噛んだ。

 婚約を解消されたのは、それだけ失望させてしまったからだろうか。

 思い詰めるライハルトに、陛下は組んだ手を太股に置いて椅子に深くもたれた。


「今回の騒動がどうであれ、お前達の関係が悪くて婚約を解消した訳ではない」


 リリティアを追い詰めてしまった原因がライハルトにあったとしても、他に問題がなければ婚約は継続されていただろう。

 国の安泰を維持するには犠牲が必要な時もある。

 だが、二人の婚約を解消しなければいけない事態が起きてしまった。


「リリティアが飲んだ毒は微量であれば感覚を麻痺させる程度だ。だが、その数倍の毒を摂取したことで体内にある臓器がやられ、彼女はこの先五年と生きられまい……」

「……なに、を」

「あの状態では皇太子妃になるどころか、普通の生活も難しくなる。どんなに優秀な医者でも治せないそうだ。婚約についてはリリティアの方から解消の申し出があった」

「そ、んな……リリティアが……」


 長く生きられない?

 ライハルトは鈍器で頭を殴られたような衝撃を受け、一瞬ふらついた。

 そこへ追い討ちをかけるように陛下は口を開いた。


「全く、一人の女性も満足に守ってやれぬとは。お前が皇帝になった時、この国の民を正しく導いてやれるのか思いやられるな」

「父上、私は……!」

「もういい、下がれ。この件は他言無用だ。今後、リリティアに会うことはもちろん、探すことも許さぬ──良いな」

「…………はい」


 最後は言い聞かせられる形で話は終わった。

 執務室を出たライハルトは、どうやって戻ってきたのか分からないまま部屋にたどり着いていた。

 他の者を下がらせ、一人になった部屋の扉を閉めたところで床に崩れ落ちた。

 リリティアの命は五年もない──。

 折角、毒に打ち勝ったというのに、再び死の淵に突き落とされるのか。

 それはあまりに残酷すぎる。


「……、ティア、……リリティア…っ」


 最悪な結末に「すまなかった」と口にすることも出来ない。

 手を伸ばせばいつだって救えたのに。

 婚約者を見殺しにしてしまった……。

 ライハルトは体を丸めて蹲り、部屋の片隅で嗚咽を漏らした。



★★


 リリティアが皇宮から去った後、ライハルトは禁じられていたにも関わらず秘密裏に彼女を探した。

 少しでも罪滅ぼしがしたかったのかもしれない。

 それに婚約者ではなくなっても、リリティアは親友の妹で、繋がりが完全に途切れた訳ではない。

 ただ、リリティアは公爵家に戻っておらず、公爵家も探していたようだが見つけることはできなかった。

 リリティアを陥れようとしたアイシャは毒を用いたことで死刑が決まり、利用されたメイドは身分を剥奪されて奴隷に落とされた。

 それから皇宮の調査により、リリティアの継母は彼女への虐待が発覚したことで貴族会議にかけられた。そこで、最も厳しいことで有名な修道院送りになったのだが、修道院に向かう途中で事故に遭って命を落としたという。

 公爵は妻の裁判を見届けた後、息子のルシアンに爵位を譲って社交界から姿を消した。

 若くして爵位を引き継いだルシアンは、仕事に没頭していたが、ある日を最後に屋敷から出てこなくなった。

 ライハルトは何度も親友の元を訪れたが、会うことはできなかった。

 そのライハルトも新しい婚約者が見つかり、翌年には婚姻したが、リリティアの笑顔が目に焼き付いて離れなかった。

 ライハルトは何年にも渡ってリリティアの痕跡を追った。

 公務を疎かにして探し続ける姿は、まるでリリティアの亡霊に憑りつかれた狂人だと噂されるようになった。

 ライハルトは次第に精神を蝕まれ、酒浸りになり、不眠による睡眠薬の処方もされていた。




 とある朝、従者が姿を見せないライハルトを心配して寝室へ訪れると、彼はすでにベッドの上で冷たくなっていた。

 彼の訃報は国中に知らされ、様々な憶測が飛び交ったものの真相は闇に葬り去られ、ライハルトは皇帝になることなく短い生涯を閉じた。






 ★★


「……そう、皇太子が」

「皇后様が渡してくださった薬は、一体何の薬だったのでしょうか……?」


「私を疑っているのかしら?」

「いいえ、そういうわけでは……」


「ただの睡眠薬よ。ライハルトも処方されていたはずよね。……でも、そうね。効き目が強いから、お酒と一緒に飲まないほうが良いとも言われていたわ」

「────」


「深刻そうな顔をしないでちょうだい。ライハルトがあのまま皇帝になっていたら、この帝国は破滅の一途を辿っていたでしょうね。そう考えれば貴女の行いは民を救った英雄よ。それに、彼との間に子供がいなかったのも不幸中の幸いだったわね」

「皇后様、私はこのあとどうしたら……」

「心配いらないわ。貴女の面倒は私が最後まで見てあげるから」


 皇后の力強い言葉に安心した彼女は、目の前に置かれたお茶に口をつけた。

 緊張して喉が渇き切っていたのだ。しかし、お茶が喉を通ったところで彼女は胸を押さえて苦しみだした。

 二人だけの密会で何が起きても不思議ではないのに、もっと気をつけるべきだった。

 相手は、継子である皇太子を死に追いやった女性なのに。

 コップが落ちて絨毯に毒入りのお茶が染み渡る。直後、彼女の体が床に転がった。即効性のある毒は瞬く間に体内を巡り、彼女は泣き叫んだ後に絶命した。

 その光景を静かに見守っていた皇后は椅子から立ち上がって部屋を出た。

 廊下に出ると二人の息子が待っていた。


「……皇太子妃の命も奪ったのですか、母上」

「違うわ。彼女は夫の死に悲観して、()()()()()()()()()


 二人の息子は陛下の血を濃く受け継ぎ、どちらも抜きんでた才能を持って生まれた。優秀な彼らは臣下からの信頼も厚く、公務を疎かにしていた皇太子に代わって皇室を支えてきた。

 ライハルトの死が伝えられた時、多くの者たちが悲観ではなく安堵したのは次期皇帝に相応しい息子が他にいたからだ。


「我が子がいずれ皇帝になるなんて。人生、何が起きるか分からないわね」

「母上は望まれていませんでしたね」


 陛下と前皇后の間に生まれた一人息子ライハルト。彼が皇太子の地位にいる以上、息子を生んだところで身代わりが増えるだけ。

 何より権力より平穏を望んでいた皇后は、陛下と皇太子の邪魔者にならないように過ごしてきた。

 しかし、ライハルトの前婚約者であった公爵令嬢が自ら毒を飲んだことで事態は一変した。

 リリティア──邪魔者になることを恐れて自ら死を選んだ憐れな子。

 だが、彼女の行動は皇后に危機感を持たせた。

 邪魔者はどこまでも邪魔者にされるのだ、と。たとえ、こちらが息を殺して静かに過ごしていても、相手は他人の僅かな幸せさえ簡単に奪っていく。


「子の幸せを願えばこそ。けれど、いつまでも平穏は続かないものね。だからこそ、余計なものは排除しなければならないの」


 ならば、邪魔者にされる前に奪うしかない。


「……私は自ら死を選ぶほど、強くはないのよ」

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12/23発売「邪魔者は毒を飲むことにした―暮田呉子短編集―」
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