番外編:残された者たち・後編
──彼女は不思議な人だった。
普段は領主である父親の仕事を、お手伝い程度に携わっているのかと思ったが、領地の復興や、整備に関する些細なことも、ペインに代わって彼女が取り仕切っていた。ペインが一回り、二回りも年下のリリティアに助言を求めている姿は、おかしな光景だった。
けれど、彼女の指示はどれも的確で、ペインやユアナが学んできた医学とはまた違った知識があった。
他にも病院にいる患者や、孤児院の子供たちの世話をして忙しく動き回っていた。──迫ってくる何かを、振り払うように。
最近では、近寄ることもできなかった領民たちも、少しずつリリティアと距離を縮められるようになっていた。
しかし、彼女は人からの親切や感謝に不慣れだった。他人からの優しさに触れた時、彼女は喜ぶどころか戸惑っていた。
今までそのような経験をしたことがない反応だった。立場だってずっと上なのに、いつも人の顔色ばかり窺っていた。
気づけば、彼女のことばかり目で追いかけるようになっていた。
「カールさん、こんにちは」
リリティアに名前を呼ばれるたび、心臓が跳ね上がって顔が熱くなった。
肩を並べて歩けば、彼女の存在を間近に感じて言葉が宙を舞った。何を話せばいいか分からなくなってしまう。なのに、彼女もまた何も言わず隣を歩いていてくれた。
日が暮れる頃、辺り一帯が橙色に染まっていた。
その時ばかりは、荒れた土地も美しく見えた。
カールは作業状況を視察するリリティアに同行し、領主邸まで帰る彼女の護衛をしていた。
「……自分の故郷も、荒れ果てた土地でした」
横を歩く彼女を退屈させないためだったのか、自分の過去を語りたくはなかったのに、自然と身の上話をしていた。
自分が孤児であること、農家の夫婦に引き取られたこと、逃げ出して兵士になったこと。
高貴な人からすれば卑しい身分の出だ。真実を知った彼女にも軽蔑されておかしくない告白だった。なのに、自分自身でも驚くほど馬鹿正直に話していた。
「……必死で、生きてこられたんですね」
「あ、いや……」
これまで誰にも話してこなかった過去を打ち明けると、リリティアはなぜかその顔に罪悪感を浮かべていた。
──なぜ、貴女がそんな顔をするのか。
彼女が秘めた傷跡を知らなかったカールは、リリティアが傷ついている理由が分からなかった。
どんな困難にも耐えて生き抜いてきたカールとは違い、自ら命を絶とうとしたリリティア。彼女はカールの話を聞いて申し訳なく思った。それと同時に、懸命に生きてきた彼が眩しく映ったのだ。
当然、カールがそれを知る由はなかった。
「私もカールさんのように強ければ」
「リリティア様が? ……それでは、自分の仕事がなくなってしまいます」
切なげに表情を歪める彼女に、カールは額を搔きながら冗談半分で言った。
これ以上、彼女にそんな顔をしてほしくなくて。
いつだって笑っていてほしいから。
「まぁ、それは大変ですね」
冗談が通じたのか、リリティアの護衛ができなくなっては困ると話すカールに、リリティアはふふと笑った。少しぎこちなく、けれど可愛らしい笑顔で。
彼女は、笑っている顔が一番だ。
その顔を間近で見ていたい。それ以上は望まないから、もう少しだけ傍にいたかった。
しかし、無情にもカールの所属する警備隊に、他領地への異動命令が下った。
「くそっ、なんでこんな時に……!」
ある日、カールを含めた警備兵が集められると異動が伝えられた。小競り合いが頻発していた国境で応援要請があったという。その領地はカールたちのいる場所からそれほど離れていなかった。
先に領地を守る騎士や、近くの兵士が赴くことになり、カールたちは収束した後の国境警備が主な任務だった。そのため、出発は十日後になった。
領主のペインは残念そうに「そうか、君たちのおかげで領地が見違えるほどになったというのに」と肩を落としていた。けれど、最後は兵士たちを労ってくれた。
ただ、リリティアとは顔を合わせられなかった。
──異動になったことは知っているはずだ。
それでも自分の口から伝えたかったのに、彼女の元へ足は向くものの、肝心のあと一歩が出ず、何も話せなかった。彼女もまた、体調が悪いのか病室に引きこもったまま、外へ出てこなかった。
結局、最後の日が訪れるまで二人が顔を合わせることはなかった。
そして迎えた、別れの日。
「あの、カールさん……これを」
「自分に、ですか?」
「……はい。貴方の無事を祈っております」
ペインたちに挨拶をしている時、リリティアがカールの元へやって来た。顔色が良くない。いつものように倒れてしまうんじゃないかと心配になった。
しかし彼女は、持っていたものを差し出してきた。傷だらけの指で握られていたのは、白いハンカチだった。ハンカチの端には、紫色の花が刺繍されていた。
「ありがとう、ございます……」
ハンカチを受け取ると、彼女は嬉しそうに笑ってくれた。これまで見てきたどの笑顔より、美しくて、愛しかった。
それは、自分と同じ気持ちではないかと錯覚してしまうほど。
けれど、好きだと──貴女を慕っていると、伝えることはできなかった。ハンカチに咲いた紫色の花の意味を尋ねることも。
言ってしまえば彼女を困らせてしまうことは分かっていた。彼女の抱えている傷跡は、自分が受け止めるには深すぎて、どうすることもできなかったのだ。
「俺は、なんて臆病者なんだ……っ」
リリティアたちに別れを告げて背中を向けたのに、振り返って彼女を抱きしめたかった。好きだと告白して、同じ地に残りたいと思ってしまった。
その一方で、卑怯にも安堵してしまっている自分がいた。
彼女の体を蝕む病は進行を続け、なんとなく長くは生きられないことを知っていた。それだけに、いつかその時がきたとき、彼女の傍で、彼女の死を看取ることはできなかっただろう。正気でいられるはずがなかったからだ。
カールは引き返そうとした自分を何度も叱咤し、噛んだ唇から血が出ても歩き続けた。
それがリリティアとの最後になった。
★ ★
少しだけ歪んだ刺繍を撫でて、カールはゆっくりと目を開いた。
息を呑んで話を聞いていたニコは、切なげに笑う父親に掛ける言葉が出てこなかった。
その後、彼女がどうなかったのか。尋ねたくても声が出てこなかったのだ。
すると、カールはニコの頭に手を置いて優しく撫でてきた。
「いいか、ニコ。お前は、好きな子ができたら全力で守ってやるんだぞ」
「……分かったよ」
自分ができなかった分、息子へ託すように。
ハンカチを大切そうに懐へしまうカールに、ニコは何も言えず冷めてしまったスープを飲んだ。山菜の苦みが口の中いっぱいに広がった。
それから一月後、カールは警備中に襲撃されて命を落とした。
懐から落ちたハンカチを拾おうとして攻撃を受けたという。カールの手にはそのハンカチが力強く握られていたらしい。
ニコは父親の死を知らされ、遺品としてそのハンカチを受け取った。
最初は何度も、何度も投げ捨てようとした。
けれど、父親と自分を繋ぐ思い出はそれしか残っていなかったのだ。
十歳で一人ぽっちになったニコは、教会や孤児院で受け入れてもらえず、スラム街で必死に生き延びていた。路上で眠り、宿屋などで出る残飯を漁り、悪事にこそ手を染めなかったものの、それも時間の問題だった。
そんな時、上等な服を着た紳士が、スラム街の情報屋に案内されながらやって来た。
「お前か、カールの息子というのは」
「……そうだと言ったら、金でも恵んでくれんの?」
杖をついた男は、片目が潰れ、皮膚が変色していた。しかし、スラム街ではそれ以上に酷い人間を何人も見てきた。
ニコが敬語を使わずに返すと情報屋の男が「生意気なガキが!」と頭を掴んで、地面に押し付けてきた。
そのまま地べたに這っていると、紳士はニコに手を差し出してきた。
「……私と共に来るか?」
ニコは紳士の正気を疑った。
だが、すでに落ちるところまで落ちている。これ以上、落ちることがあるだろうか。
危険だと警戒したところで、今以上に悪くなることはないと判断したニコは、差し伸べられた手を握り締めていた。
それがケイシュトン公爵家の当主、ルシアンとの出会いだった──。
【番外編・END】
番外編まで読んでいただきありがとうございます!
いいね、評価、お気に入り追加、誤字脱字報告等もありがとうございます。
皆様のおかげで随分前に完結した物語をここまで書き上げることができました。
個人的に「毒を飲んだ邪魔者は・後編」のラストが気に入っていたので、ファンタジー強めのその後の世界を書くつもりはなく、書籍作業も修正だけしていたんですが、ページが足りなかった……
おかげで、じゃま毒だけで50P以上書き下ろす羽目になりました!頑張りました!
そんなわけで、書籍のほうも宜しくお願いします!
ここまで読んでくださった皆様に心から感謝を。
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