番外編:残された者たち・中編
「──領主様のべっぴんな娘さん、実の子ではないらしい」
領地の警備をしつつ、復興の手伝いを始めてから数週間。
丘の上に病院と孤児院が建てられることになり、本来なら国境を警備する兵士たちは、そちらに駆り出されていた。幸い、国境付近は焼け野原になっていて、今すぐ何かが起きる気配はなかった。
カールはバケツにレンガを詰め込み、孤児院を建てている場所に向かった。そこでは領民たちが、レンガを積み上げて外壁を作っていた。
その時、彼らの会話を耳にして思わず立ち止まった。
これまで他人に興味を持ったことはなかったのに、どういうわけか彼女だけは気になって仕方なかった。
領主の娘、リリティア。家族から「リティ」と呼ばれた彼女は、家族の誰とも似ていなかった。父親のペインにも、姉であるユアナにも。
顔立ちはもちろん、髪や瞳の色も違う。それ以上に、同じ人間とは思えない美しさと、洗練された所作には皆が見惚れてしまうほどだった。気軽に近寄れる雰囲気ではなかった。
それだけに、彼女に関する噂は絶えなかった。
カールは聞き耳を立てようとした自分に苛立ち、持ってきたバケツを勢いよく地面に下ろした。
辺りに響くその音に、リリティアの話題で盛り上がっていた領民たちは途端に口を閉ざし、目の前の作業に取り掛かった。
その場しのぎに過ぎないが、おかしな噂が彼女の耳に入らないことを願うしかない。
カールはバケツからレンガを取り出して、再びレンガを取りに行こうと踵を返した瞬間、腹部に何かが当たって目を丸くした。
「きゃ!」
「──っと、……リリティア様?」
短い悲鳴が聞こえた後、見下ろした先に輝く金髪が飛び込んできて、カールは息を呑んだ。同時に、手にしていたバケツを地面に落としてしまった。
空いた手でぶつかってきた彼女を支えようとしたが、手が汚れていることに気づいて触れることはできなかった。
「ご、ごめんなさい! ……手伝ってほしいことがあって、声を掛けようとしたんですが」
「いえ、俺……自分は……っ」
大丈夫だと答えたかったのに、リリティアの白い手が自分の胸元に置かれている状況に頭が真っ白になった。
生き抜くことに精一杯で女性に対する免疫が皆無だったせいもある。
男性だらけの仕事場で出会いなどあるはずもなく、また娼館に通うような余裕もなく、命令が下れば新たな領地の国境警備に赴かなければいけない。
そのため女性というのがこれほど小さく、か弱く、良い香りがするとは思わなかったのだ。
顔を真っ赤にして固まっていると、後ろのほうから領民たちの話し声が聞こえてきた。作業に集中したかと思えば、すぐにこれだ。
カールは先ほどの出来事を思い出し、リリティアを自分の体で隠した。
「あの、それで……何のご用で」
「えっと、あちらに運んでほしい物があったので、カールさんの手をお借りしたかったのですが、大丈夫でしょうか?」
「問題ないです。すぐに行きます」
彼女なら、手伝ってほしいと言えば多くの男性が協力すると名乗り出るだろう。けれど、リリティア自らカールの元に足を運び、声を掛けてくれた。
出会って間もない頃は、お互い目を合わすこともできなかった。それが毎日顔を合わせ、挨拶を交わしている内に少しずつ話せるようにまでなっていた。
──これほど嬉しいことがあるだろうか。
カールはにやけそうになる口元を手で隠し、熱くなる顔を堪えた。
そのままリリティアの後ろからついていくと、雑草が茂った道で彼女は草に足を取られて躓いた。
「あ、──」
「危ない!」
その時はさすがに手の汚れなど気にしていられなかった。反射的に手を伸ばして、前のめりになるリリティアの腕を掴み、腹部に手を回して支えた。
女性というのは、これほど細いのだろうか。
恐る恐る彼女を見下ろすと、明らかに顔色が悪かった。
リリティアは「ありがとうございます」と言って離れようとしたが、とても一人で立っていられるような状態ではなかった。
カールは覚悟を決めた顔で、ふらつくリリティアの体を抱きかかえた。
勝手に触れて、勝手に抱えて、場合によっては不敬罪で罰せられてもおかしくない。身分が高い者はいくらでも理由をつけて、下の者を虐げることができる。
だが、一刻も早くリリティアを医者に診せなければいけない気がしたのだ。
彼女は驚くほど軽かった。子供を抱えているのかと思ったほどだ。
「カ、カールさんっ!」
リリティアは慌てていたが、抵抗する力も残っていなかったのか、カールは彼女を抱えたまま病院に急いだ。
「まあ、リティ! すぐにこちらに!」
カールがリリティアを抱えて病院に飛び込むと、リリティアの姉であるユアナがすぐに状況を把握して個室の病室に案内してくれた。
リリティアをベッドに寝かせ、後をお願いするようにしてカールは病室を出た。出来たばかりの病院はまだ木の香りのほうが強かった。
しばらく病室の外で待っていると、そこに報せを受けたペインが遅れてやって来た。彼は一度病室に入ってリリティアの様子を窺った後、廊下で待つカールの元へやって来た。
「ありがとう、君が連れてきてくれたんだな」
「彼女は何か病気を……?」
「ああ……持病があってな。無理のない程度に、やりたいことをやらせていたんだが……」
どんな持病であるかは尋ねることができなかった。
カールはリリティアの温もりが残る両手を見下ろし、知ってはいけない現実を突きつけられた気分だった。
抱えたからこそ気づいた──彼女の、異常なまでの軽さ。
女性らしい柔らかさはなく、骨と皮だけの肉体。触れられている間、怯えているようにも見えた彼女の反応。
「君さえ良ければ、彼女のことを気にかけてやってくれないか。──頼む」
「……分かりました」
自分で良ければ、いくらでも守ってやりたい。
そう思った。
しかし、カールがリリティアと過ごせた時間は、それほど長くはなかった。
後編のはずが書き終わらず、一旦区切ります。
読んでくださっている皆様に感謝です!ありがとうございます!
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