番外編:残された者たち・前編
こちらの番外編を書くにあたり、「01」と「毒を飲んだ邪魔者は・後編」を加筆しています。
満天の星空の下──パチパチと弾ける火の粉を見つめていると、横から湯気の立ったカップが渡された。中は、山で採ってきたキノコと山菜だけが入ったスープだ。
腹の足しにもならない晩飯に、十歳になる少年の口からため息が漏れる。
「あの時のウサギ、オレがヘマしなければ捕まえられていたのに……」
「狩りはまだまだってことだな」
少年の父親は、同じく火にかけた鍋から自らのカップにスープをよそった。
冗談でも美味しいとは言えないが、空腹でいるよりずっとマシだ。夜風にさらされた身体に、温かいスープが沁み渡る。思わずほっと息をついた。
その隣で、少年もしぶしぶカップを口につける。瞬間、冷え切った唇に熱々のスープが当たって「あちっ!」と悲鳴を上げた。
「何をやってるんだ、お前は」
舌を火傷した少年は、勢いあまってカップのスープを胸元にこぼす。
少年の父親は咄嗟に懐からハンカチを取り出したが、ふとその手を止めた。
「……父ちゃん?」
少年は濡れた服を手で払い、自らの袖で口を拭った。
それから突然、ハンカチを見つめたまま動かくなってしまった父親に首をかしげる。明らかに女性の贈り物だと分かるそれに、少年は妙な胸騒ぎを覚えた。
すると、父親は「大丈夫か?」と頭を撫でてきた。大きな手だった。
「父ちゃん、それ……」
見るからに不釣り合いなハンカチと父親を見比べた少年は、率直に尋ねていた。ハンカチを指差すと「ああ、これか……」と、父親は一瞬戸惑ったが、薄汚れたハンカチを見せてくれた。
「これは、初めて好きになった女の人から貰ったんだ」
「──……」
そう言って話す父親は、照れるどころか、寂しそうな表情を浮かべた。
まるで、その人のことが忘れられず今も引きずっているようで、少年──ニコは、一度も話すことなく亡くなってしまった母親の姿がちらついて、複雑な気持ちになった。
しかし、聞きたくないと思っても、この機会を逃したら二度とないような気がして父親を見た。
母親を知らないニコに、いつも亡くなった母親の話をしてくれる父親。その父親に、紫の花の刺繍が入った白いハンカチをくれた女性。母親とは違う、父親が最初に好きになった人──。
不安が押し寄せてくるなか、ニコは初めて父親の過去に触れた。
少年の父親──カールは、国境の警備兵だった。
貧困層の孤児だった彼は教会で暮らしていたが、体格が良かったことから農家の夫婦の元へ養子に出された。
しかし、朝から晩までこき使われ、ろくな食事も与えてもらえず疲弊したカールは、養夫婦の元から逃げ出した。偶然にも募集していた兵士に志願すると、体力は人一倍あり、栄養ある食事をとったことでみるみる成長していき、無事に兵士になることができた。
平民上がりの兵士は危険な領地に派遣されることが多く、とくに国境の警備は真っ先に戦場と化すため常に死と隣り合わせの場所だった。
だが、カールは生き残り続けた。隣国との小競り合いで幾度となく命を落としかけたが、丈夫な体のおかげで怪我をしてもすぐに現場復帰していた。
その彼が、唯一平和で穏やかな時間を過ごした時期があった。
そこは国境近くの領地で、住処を奪われて逃げてきた難民たちが身を寄せ合って暮らしていた。領主は領民たちを置き去りにして行方をくらまし、代わりに国境警備の兵士たちが統制して無法地帯になるのを防いでる状態だった。
するとそこへ、新たな領主となった貴族がやって来た。彼は皇帝の診察にもあたっていた皇宮医で、優秀な医者だった。
だが、貴族など誰が来ても一緒だと思っていた兵士たちは、前領主に恨みを持った領民や難民たちが暴動を起こさないかだけが心配だった。けれど、それは杞憂に終わった。
新しい領主となったペインは、実に貴族らしくない貴族だった。どちらかと言えば町医者に近い。
彼は領地にいる者たちを受け入れ、一人ひとり健診すると言ったのだ。そこには一介の兵士も含まれており、カールは驚きを隠せなかった。
健診は急を要する患者以外は子供、女性たちから始まり、その間に兵士たちが寝泊まりしているテントまでやって来た。そこでは劣悪な環境を確認すると、上と掛け合って清潔な衣類と寝床が用意されるようになった。他にも食事などが改善され、兵士たちはすっかり新しい領主に信頼を寄せていた。
そうこうしている内に、カールもまた健診に呼ばれた。
領主と一対一で対面するなど、これまでの人生で一生ないと思っていた。
心なしか緊張していると、対面したのは人の良さそうな医者だった。貴族特有の人を見下すような視線もなければ、威張り散らすわけでもなく、立場に関係なくしっかり診察してくれた。不思議な人だった。
「うん、君は健康そうだ。ちょうどいい、君にも領地の警備にあたってほしいんだが、頼めるかい?」
「お、俺がですか……?」
「困ったことに人手が足りない。警備をしながら復興の手伝いに協力してほしいんだ」
断る理由がなかった。
皆が新しい領主に期待し、何か自分も役に立ちたいと動き回っている姿が理解できた。
カールは力強く頷いた。
「ああ、よかった。ちょうど私の娘たちが指示を出していてな……リティ! リティはいるかな?」
「──はーい、ここに!」
聞こえてきたのは、凛とした女性の声だった。
振り返らずに待っていると彼女の気配がして、なぜかペインに会うより緊張していた。
「リティ、彼も復興の手伝いをしてくれる人だ。人手が足りないところに案内してあげなさい」
「分かりました。では……」
そのとき、顔を覗き込んできた彼女と目が合った。
眩しく輝く金糸の髪に、吸い込まれそうな紫色の瞳。恰好こそ田舎娘の装いだったが、高貴な血筋であることは疑いようがない。
「初めまして、領主の娘のリリティアです。これからよろしくお願いしますね」
「…………カール、です」
一つひとつの所作に無駄がなく、気品あふれる女性に、カールの心臓は激しく脈打った。
それが、初恋の相手となる女性──リリティアとの出会いだった。
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