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毒を飲んだ邪魔者は・後編

 ★★


 手を叩く音を合図に、丘まで続く草原の上を子供達が一斉に走り出した。

 穏やかな風と、優しい日射しに照らされて心地良い。


「リティ、今日の調子はどう?」


 いつも傍で支えてくれるユアナに、リリティアは口元を緩ませた。

 時に母親のように、時に姉のように、時に親友のように、励ましてくれる彼女の存在があった。


 ──ええ、最高の気分よ。


 たとえ、目が見えなくても。

 たとえ、手足が動かなくても。

 たとえ、喋れなくても。

 たとえ、もうすぐ死ぬとしても……。


 子供達の楽しそうな笑い声が聴こえてきて、幸せな気持ちになった。

 まだ、生きている。

 リリティアを乗せた車椅子はゆっくりと動き出した。



 皇宮を出たリリティアは、生まれ育った屋敷には戻らず、領地を与えられたペインたちと共にこの地へやって来た。

 国境付近にある忘れ去られた領地は、国境を越えてきた難民や移住者が多く、国境を警備する兵士たちによって辛うじて守られていた。

 以前の領主は悪事に手を染めて捕まる前に逃げ出してしまい、この地を管理する主がいなかった。そのため多くの支援を得られず、元々弱い立場にあった領民は、ただ運命に身を任せながら生きていく他なかった。

 そこへ新たな領主となったペインが訪れた時、彼らは追い出されるのではないかと怯えていた。

 他国から逃れてきた弱者の彼らは他に行く場所がなかった。

 そこでペインは手始めに、彼らを領地から追い出さないことを伝えた。それから自分が医者であることを説明し、領民となる彼らにきちんとした診察を行うことを通達した。

 医者であるペインの存在は彼らだけではなく、国境を守る兵士たちにも喜ばれた。

 帝国の医者不足は地方のほうが深刻だったのだ。

 ペインは陛下から与えられた謝礼金を支援に当て、領地の立て直しに尽力した。

 その場を守ってきた兵士たちも積極的に協力してくれた。

 見晴らしの良い丘の上には学校や孤児院を建設し、町の中央付近にはシンボルとなる教会を建てた。

 忘れ去られた領地は、瞬く間に人が生活できる環境まで改善され、領民たちの生活水準も上がった。

 行き場をなくした彼らに住まいを与え、生活環境が整ってきたところで仕事と教育の場を設け、さらに不足している医者の育成をすること。それがペインの夢だった。一人でも多くの医者を育てることが、帝国の未来に必要だと考えていたからだ。

 ペインは何度か陛下に掛け合ったが、優秀な医者を手放したくなかった陛下は最後まで難色を示していた。しかし、今回リリティアがペインの夢を聞いて進言してくれたおかげで、ようやく重い腰を上げてくれたようだ。

 ペインたちと一緒についてきたリリティアは、皇太子妃の教育で得た知識でペインを支えてくれた。

 それは、本当の父娘のように。

 ユアナを入れた三人はどこから見ても仲の良い家族だった。



 帝都から出たことがなかったリリティアにとって、新しい地はすべてが新鮮だった。

 血は繋がってなくても家族のような人たちがいて、そこで出会った子供たちはみんな友達になってくれて、それから復興を手伝ってくれた兵士たちは志を一緒にする仲間だと言ってくれた。

 毎日、振り返る暇もないぐらい忙しく動いていた。過去を思い出す時間もなかった。

 それでも、好きな人ができた。

 カールと名乗った彼は、領地を警備してくれていた兵士の一人だった。

 口数は少なかったが、率先して復興の手伝いをしてくれる、素朴で優しい人だった。荒れ果てた領地を眺めながら、彼自身も似たような環境で生まれ育ったと話してくれた。

 出会って間もない頃はお互い目を合わせることもできなかったが、毎日挨拶を交わし、少しずつ話をしていくうちに距離が縮まっていった。

 一緒にいると訳もなく気恥ずかしくなったり、顔が火照って落ち着かなくなることもあったが、彼のことを考えない日はなかった。

 けれど、この想いを伝えることはできなかった。

 自分に残された時間は短い。

 好きだと伝える勇気が出てこなかったのだ。

 そんな時、彼は別の領地の国境警備に赴くことになった。

 最後の日、リリティアはカールの無事を祈って、自ら刺繍を入れたハンカチを渡した。震える指先で、何度も休み、休み。

「初恋」という花言葉を持つ紫色の花を、そのハンカチに咲かせた。

 彼が出発すると、その姿が見えなくなるまで手を振り続けた。最高の笑顔と共に。

 ──自分なりに精一杯の恋をした。

 雨が降っているわけでもないのに、視界が揺れて頬が濡れた。

 リリティアはその日、声を上げて泣いた。

 想いは伝えられなかったが、不思議と後悔はしていなかった。

 諦めていた経験ができたのだから……。


 リリティアの体内に侵食した毒は、容赦なく内側から彼女を蝕んでいった。

 一年が過ぎた頃、髪の毛が抜けて、目が霞むようになった。

 二年が過ぎた頃、両足が動かなくなって車椅子の生活になった。

 自力では排泄も難しくなってユアナや専任の使用人に手伝ってもらうことになった。

 それからまた一年と時間が過ぎていく度に、体の機能がひとつずつ停止していった。

 目が見えなくなり、両手が上がらなくなって、喉が潰れた。

 それでも誰かの声が聴こえて、温もりを感じる度に思う。


 もっと生きたい、と。


 もう少しだけ、この幸せな瞬間を味わっていたい。

 過去を悔やんでいる時間すらなかった。



「         」


 リリティアは唇を動かして、声にならない言葉をユアナに送った。

 感謝と、今の気持ちを。

 手足は動かなくても、もう笑えない人形じゃない。



 ──邪魔者はいなくなった。



 数日後、リリティアは永遠に目覚めることのない眠りについた。

 周囲は深い悲しみに暮れ、彼女の死を悼んだ。

 ペインは彼女の死を伝えるために、領地に越してから細かく記してきたリリティアの記録を、遺品と共に陛下の元へ送った。

 荷物を受け取った陛下は、リリティアの壮絶な半生が書かれた手記に呻き、彼女が残した功績を後世へ残すよう指示した。

 帝国で最も笑顔の美しい公爵令嬢であった、との紹介文も添えられて。

 そして、それらはケイシュトン公爵家にも送られた。

 受け取ったのは、爵位を継いで公爵家の主となったリリティアの兄ルシアンだった。





【END】

最後まで読んでいただきありがとうございます。

悲しい、切ない、怖い、気持ち悪い、読まなければ良かった等々、

何かしら思っていただけたら書いた甲斐があるのかなと思います。

また何も感じることができなかったというのも感想のひとつだと思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

★誤字脱字報告等ありがとうございます。

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12/23発売「邪魔者は毒を飲むことにした―暮田呉子短編集―」
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