加護無しの少年
「暖かな太陽、爽やかな風。ああ、やはり自然は良い…」
そう言って木陰に寝転がる男がいた。彼は真っ白で大きなローブという、なんとも奇妙な格好をしている。綺麗な純白のローブであったのだが、それが汚れる事も気にせず丘に寝転がる彼自身も、やはり奇妙だ。
「…こんな事を言っていると、『人工物だって自然の産物だろ。』とか言われてしまうのだろうか。」
彼には独り言を呟く癖があるらしい。一人でぶつぶつと何事か呟いて、くすくすと笑っている。
「おじさん、変な人だね。」
ふと、子どもの声がした。男の傍に立つ木、その裏側から一人の少年が彼を覗き見ている。一体何時からいたのだろうか。
「やあ、少年。冒険でもしているのかい?」
ここは人里から少し離れている。こんな平日の真っ昼間に子どもが一人でいるような場所ではない。
「僕の服はそんなに汚れているかな?」
そう言って着ている服を見せつける少年。その服は少々ボロく、汚れていたが、よく見ると最近ついた汚れというわけではないようだ。
「僕からしたら、おじさんの方が冒険してるように思えるよ。」
そう言って男の服を指差す少年。寝転がったせいで草や土で汚れてしまった白いローブは、冒険してきた後の服に見えなくもない。
「これは一本取られたかな。ハハハ!」
顔に手を当てて笑う男。それを少年は冷ややかな顔で見つめている。
「おっと、これは受けなかったか。」
少年の顔は表情が消えたように終始真顔だ。可愛げがない。
「で、少年はどうしてこんな所にいるのかな?」
暗に学校はどうしたのだ、と聞いている。ここから最も近い農村には学校があったはずだから、小学生らしい体格のこの少年はこの時間は学校に行っているはずだ。
「僕は此処を守らないといけないんだ。僕はデッキを持っていないからね。」
男は驚いて大きく目を見開いたまま固まった。神からの祝福たるデッキを持たない者が、本当にいたのかと。
「ハハ…ハハハ!なるほどな!私は彼が言ったことの意味をようやく理解したよ!…おっとすまない、馬鹿にしているわけではないんだ。」
キョトンとする少年。デッキが無いことを馬鹿にされ続けてきた彼は、ただ笑っただけで謝る男が心底変に思えた。
「彼はこう言ったんだ。『デッキなんてただの紙束だろう。』ってね!」
「その人、変な人だね。デッキがただの紙束なら、僕は今此処にいないよ。」
デッキが無い。ただそれだけの理由で蔑まれ、虐められ、綺麗な服も貰えず、学校にすら行けない少年に、この言葉は理解できなかった。
「…そうだね。変な奴だったよ。」
男からふっと笑みが消えた。
「彼の言動はとても不思議で変で…だけど何故か、合理的だった。」
先程とは打って変わって静かになった男。彼は少年に喋りかける。
「彼の話を、聞くかい?」
少年はその言葉に頷いた。そして、男は静かに丁寧に話し始める。一人の奇妙な人間の人生を。そしてその人物の奇っ怪な言動は、少年の心に大きな、決定的影響を与えた。
男が話し終わったときには既に夕方になっていた。少年はその長い話をただ静かに黙って聞いていた。男が話し終えると場は静寂だった。ただ静かに時が過ぎた。
「おい!加護無し!」
静寂を破ったのは誰かの大声だった。びくっとその声に反応した少年は慌てて声のした方向へ走っていく。
「どこ行ってやがった!」
バガンッと顔面に木製の器をぶつけられる少年。器の中に入っていたらしい幾つかの小さな豆がパラパラと辺りに散らばる。
「あれを守ってろって言ってるだろうが!」
大声を出していたのは外見年齢40程の大男だった。顔を抑えて蹲る少年をボールのように蹴り飛ばす。
「ふざけるなよ恥晒しが!」
痛みに呻く少年の襟首を掴み上げる大男。振り上げた拳はしかし、振り下ろされることなく止まった。
「だめだよ。」
いつの間に近づいていたのだろうか、汚れた白いローブの男が、その手を軽々と止めていた。
「なんだ貴様!」
少年をその場に落とし、フリーになった手で白ローブの男に殴りかかる大男。しかし、その一撃は空を切り、体勢を崩した大男の体はひょいっと投げられてしまう。
「私からしたらお前の方が恥晒しだがな。」
地に背をつける大男を見下しながら白ローブの男は嘲笑する。
「貴様ぁぁぁぁ!」
叫びながら大男は懐から紙の束を取り出した。デッキだ。
「そういえば少年。」
大男に応じるようにデッキを取り出す白ローブの男。だがその目は大男なんぞは捉えておらず、少年に向いていた。
「彼は言っていたよ。『カードバトルで物事を決めるのは馬鹿らしいと思う。でも、こういう時は便利だな。』って。どんな場面でそう言っていたと思う?」
少年は無言だ。だが白ローブの男は構わずに喋る。
「悪党を懲らしめる時、さ。」
その後のバトルは一方的だった。あまりにも一方的だった。白ローブの男の強さは圧倒的だった。大男は何もできなかった。
「1ターンか…この程度か。そこの少年は私に一本を取ったんだぞ。同じ1でも雲泥の差だな!ハハハ!」
大男の顔面に大きく黒く×の字を書きながら煽る白ローブの男。それだけ頭にきていたようだ。
「糞がああああ!」
叫びながら逃げ去っていく大男。その背を爆笑しながら見つめていた白ローブの男であったが、すっと少年に向き直り、話しかける。
「大丈夫かい?」
少年は頷く。幸い、擦り傷と打撲だけで済んだようだ。目に涙を浮かべることもせず、ただ黙々と散らばった豆を集めるその姿は、今日の事が日常的に行われていると男が察するには充分な情報だった。
「…私はもう行かなくてはならない。だがその前に、君にこれをあげよう。」
男が少年に差し出したのは、1つの箱であった。丁度、デッキ1つ分の大きさだ。
「デッキ…?いや違うか。」
他人のカードを使おうとしても真っ白になってしまって使えなくなる。これは常識だ。
「…どうだろう。これは我々の知るデッキとは少し異なる。ただ、彼はこれの事をこう言っていた。『これは俺にとっては紙束だが、お前らにとっては神束かもな。』と。私にこれは使えなかったが、デッキを持たない君なら、使えるかもしれない。」
少年は箱を開けてみて、いきなり現れた美少女のイラストにギョッとする。
「ハハハ!そのスリーブは彼の趣味さ!彼は『スリーブはカードの服だ!』と日常的に言っていたからね。私の透明スリーブを見て、『いいセンスだ。だが俺的にはちょっと地味すぎるぜ!』と言ったのは彼だけだよ。」
困惑しながらもカードを捲ってみた少年は、固まった。
「…やっぱりね。君のデッキは無かったんじゃない。君が生まれる前からこの世界に存在していたんだ。」
少年の持つカードは、白くなかった。40枚全てが彼の物であると言うかのように、キラキラと輝いていた。
序章はこれで終わりです。次から本編になります。
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