歓談
それから談笑を続ける内に、一人、二人、三人と乗り込み、計五人の客を乗せた馬車は朝日が登る頃にセントラルを出た。
山岳地帯で知られるイースラル方面も、トンカ山脈までは平坦な道のりだ。
チェシャとアリス以外の客は探索者らしき最低限の装備をした男性、親子らしき女性と男の子の連れ。
「探索者が三人も乗るのはちょいと珍しいねぇ。マークスはやり手みたいだけど、実の所どうだい?」
やり手。セントラルの探索者業界において、一定の熟練者は第二試練に手をつけている探索者のことを指している。
つまるところ、獣王の洗礼を乗り越えたかどうかだ。
「僕ですか? ……第二試練には着いていますけど、それ以降は進んでいませんから、胸は張れません」
ルージュが探索者の男性ことマークスに尋ね、彼は苦笑しながらさらさらの茶髪を揺らして返答する。マークスは好青年という言葉が似合う風貌であり、野暮ったいボイドとは正反対な雰囲気を纏っていた。
「第二試練に着いてるなら良いじゃないか。胸張って良いよ」
第二試練の探索者の少なさは第二試練の採取物の相場が一向に高いままな事からも推察はつく。
第一試練は理論上誰でも入れてしまう。勿論、一筋縄では行かないが、人が多ければ市場に流れる採取物は増え、相場も次第に落ちるのが摂理だ。
「ありがとうございます。……ですが、恐らくこの二人の方が優れていますよ」
素直に賛辞を受け取り、頭を軽く下げたマークスはチェシャ達に目線をやった。
「ん、そうなのかい?」
アリスは答えるのを躊躇った。確かに二人はセントラルにおいて最も探索を進めている。しかし、それを為している理由の説明が中々に地雷を孕んでいたからだ。
「ははっ、分かる?」
そんな彼女の逡巡を一蹴するようにチェシャが無邪気な笑みと共に肯定した。
何を考えているのだとガバッと顔をチェシャに向ける。その時点で色々と台無しになっていることに彼女は気づいていない。
「ダグマさんと話している所を見たことがあるからね。それに、上下関係も感じなかったから」
戦斧を扱う巨漢のダグマはカナン達最前線の探索者達の中でもよく目立つ。彼の目立った功績は第一試練の番人である獣王の単独撃破。
第二試練以降に足を踏み入れている探索者はその偉業を身に染みて理解しているからこそ、彼の名は知れ渡っている。
「そっか。でも、あの獣王を倒したなら胸張って良いと思うよ」
チェシャはしみじみと言った。
特異な攻撃も無く、脅威なのは咆哮とその体躯から振るわれる豪撃。単純だが、これほど分かり易い恐怖もない。
それを乗り越えたなら、チェシャとしては一端の戦士だと考えている。
彼の年齢からすれば傲慢とも取れるその考えは獣王との戦いを制し、四つの試練を超えたからこそのものであり、実績からすれば納得のいくものだ。
「ありがとう」
「……マークスさんはどこへ向かう予定何ですか?」
話が止まったのを見てアリスが素早く話題を変える。
「僕はイースラルだよ。里帰りさ。前から親に顔見せろと言われてたけど余裕がなかったからね……。お金も貯まったし余裕もできたから」
「へぇ」
マークスが感慨深く語る。
神の試練で第二試練にたどり着いたということは探索者界隈でも、世間一般の人から見ても自慢できる実績故の言葉だった。
「君達は?」
「同じだよ。ロクショウに里帰り」
「じゃあ同じだね。……兄妹ってことかい?」
「そんな感じ」
チェシャは一瞬顎に手を当て、頷く。
良い誤魔化しが思いつかず、曖昧に頷くことしか出来なかった。
アリスはちゃんとチェシャが考えていたことに安堵し、彼の答える姿を見てクスリと笑う。
彼が顎に手を当てるときが何かを誤魔化す時にする癖であることを彼女は知っていた。
しかし、次にアリスの視界には神妙な顔をしている御者の女性、ルージュが映った。
「皆さんも里帰りなのですね」
会話を聞いていた子連れの女性が口を開く。
「貴方もですか?」
「ええ。……申し遅れました。私はユリアと申します。この子は息子のアルフです」
座ったまま会釈したユリアの姿はとても品があり、高貴な身分を思わせる。
同じ考えに至った乗客三人は身を硬くした。
「心配しなくともその人は貴族でもなんでもないよ。家はデカいけどね」
そんな三人をみてルージュは呆れるように言った。
「ふふ。勘違いさせてすみません。私はルマーノ商会長の娘です。家は大きいですけど、貴族ではありませんわ」
「似たようなものじゃない?」
チェシャは身を硬くしたままのマークスを見て苦笑する。ルマーノ商会はセントラルに本拠地を置いている大商会だ。
チェシャはあまり利用しないが、大量かつ他の商会よりも安い商品、探索者絡みで言えば薬品や鎧下などの防具や武器を除いた物資、日用品を売っている。何かと物入りなボイドにはかなりお世話になっていた。
「ねぇ、チェシャ。貴族って?」
袖を軽く引いてアリスが尋ねた。しかし、馬車内の広くはない空間での小言をユリアは聞き取っている。
「簡単に説明しますと、昔の英雄様の末裔です。ですから、いざという時には先陣を切って剣を取るのですよ。その代わりに特権を貰っているのです」
いざという時、丁度いい例には現在のクオリアの故郷の大陸からの防衛にあたる。ノースラルの貴族は先頭に立っているかはともかく、指揮官などで部隊の中核は担っているだろう。
「ふぅん。でも、昔の人が強くても今の人が強いとは決まってないよね?」
「えぇ。その通りです。でも、リーダーは必要ですから」
「そっか」
アリスはひとまず納得する。アリス達もボイドが指示を飛ばしていることが多い故に。
「あと、特権って何?」
アリス以外からすれば常識の範疇ではある。
チェシャは少し顔を曇らせた。止めるか迷い、もう口に出しているものは仕方がないと諦めた。
そんなチェシャの顔色を見ていたユリアは口元を隠して小さく笑うと、微笑みを崩さぬまま答える。
「自分の領地を持てることや、その領地に住む人から税金を取れることです。他にもありますけど、領地を持てることが最大の権利として有名です」
「チェシャ君、もしものこともあるからちゃんと教えておかないとダメだよ?」
マークスがやんわりとチェシャに言う。ロクショウが小さな辺境の村でなければ誤魔化すにも限度がある話だった。
「本当は村の外に連れて行くつもりは無かったからさ……」
チェシャは苦笑を返した。ユリアはやんわりと説明したが、領地を持つということはその領地内でトップであり、多少の横暴が効く。
勿論、そんな事をする貴族の名は落ちるが、仕事を探す人が仕方なくそう言った場所で働くケースもある。
出稼ぎに出る村人などからすれば常識であり、チェシャも当然知っている。
彼がそれを説明しなかったのはセントラル内に居る限りそのような事案で困ることは考え付かないから、というものと、今でも、暮らすだけならばさほど困らぬ常識をすぐに身につけてしまったからだった。
場の雰囲気で世間知らずを晒したことに気づいたアリスはやってしまったとばかりに拳を握った。
ついさっきまでチェシャの行動に慌ててたのに、自分が余計な事をしている。
「アリスさん達はロクショウ出身なのですよね?」
ユリアが強張るアリスの顔を見つめながら尋ねた。
「うん」
全くの嘘を貫き通すのに慣れていないアリスは強張った顔のまま頷いた。
「あそこは治外法権のような場所ですから仕方がないですよ。お気になさらずとも大丈夫です」
「……ん」
ロクショウのことなどほとんど知らないアリスは曖昧に頷くしかなかった。
「治外法権? どういうことなんです?」
マークスが聞き慣れぬ言葉に首を傾げる。
アリスもこの機会に少しでも情報を得ておこうと聞き耳を立てる。
「実際の意味とは少し違うのですが……あの辺りは貴族でも領地を持つ事は許されていないのです」
「国が管理しているわけですか」
「いえ、それも違います。誰にも、許されていないのですよ。ですから、管理しているのはロクショウの村長さんになります」
貴族の領地内の村での村長の役割はあくまで代表に過ぎないとユリアは言う。
「へぇ……不思議な場所ですね」
四方四ヵ国の支配も受けない特殊な村の存在にマークスは目を軽く見開いた。
「そうだ。せっかくですのでお聞きしたいのですが、ロクショウで作られているソーセージはどの時期が仕入れやすいのですか?」
「知ってるんだ」
ユリアの問いにチェシャが反応する。
「仕事柄、ですよ」
「ソーセージなら他でも仕入れられないのですか?」
まだ硬い言葉遣いのマークスはぎこちなく尋ねる。
「ただのソーセージではなく、ブラッドと呼ばれる少し特殊な物です。物好きな方や珍味が好きな方などがお求めになっているんですよ」
「特殊?」
「腸に漬けた肉を詰めるのがソーセージ、ブラッドはそれに加えて血も詰めるんだ。命を無駄にしないようにね」
「血……?」
チェシャの答えにマークスは首を捻る。
基本的に動物の血抜きは一般的で、知らない人は当然知らない物だ。都市などの大きな町に住んでいる人なら尚更である。
「アタシも聞いたことしかないねぇ。美味しいのかい?」
「んー。人によるかも。俺は好き」
アリスはチェシャが第四試練の森人の村で何かの虫の味噌を遠慮なく啜っていた理由に納得がいった。
育ちがそのような場所であれば、彼以外が敬遠していた物も好んで食すのは不思議ではない。
「味とか、分かりますか? 私も食べた事はなくて……」
「豚とか牛とかの家畜の肝臓を濃くした感じ。かな?」
「なるほど……」
ユリアはチェシャの言葉をボイドが使うメモ帳よりも質の良さそうなものにこれまた整えられた細筆で彼の言葉を書き取った。
「ロクショウの人って家畜の全部を食べるんだね」
「うん。父さんも命を頂くからには有効活用しろって」
会話に入れないアリスは適当に頷きと相槌を打つことしか出来ていない。次から次へと知らないことが流れてくるので、それを飲み込むのに彼女は必死だった。
チェシャは彼女を横目に苦笑した後、何かを思いつくように手を叩く。
「他にもあるけど聞きたい?」
「ぜひ!」
ユリアは目を輝かせる。馬車内にいる他三人も興味はあるらしく、チェシャに目線を向けた。
「村の周辺にいる──」
馬車の中はしばし歓談の賑わいが続いていた。
この話で出てきたブラッドと呼ばれるソーセージは現実でも実在します。そのままですが、ブラッドソーセージという代物です。
かなり人を選びますし日本人には売れないタイプの味な為、日本では入手が困難です。
しかし、ゲテモノ系を食べられる方ならおそらく美味しいので、一度食べてみると良いかもです。