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そこに眠るは夢か希望か財宝か  作者: 青空
帰郷:越えるはかつての憧憬
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愛の渇望

 大通りに明かりが灯り、夕刻を回ったバー・アリエル。名前からすれば本来の役割を果たす時間帯だが、席が半分も埋まる事はない。


 アリスとクオリアはその半分にも満たない席を埋める人だった。


「お待たせしました、ミルクとエールですよっと」


 トレイを持つシェリーがコップとグラスを合わせて三つ机に乗せた。


「これは?」


 ミルクを受け取ったアリスが一つ多いお茶が入ったコップを持ち上げる。


「ウチのです」


 そう言ってシェリーがエプロンを脱いで畳み、椅子に腰掛けた。いくら客が少ないからといって、エプロンを脱いだことにアリスが目を丸くする。


「え、お客さんはいいの?」


 アリス達以外にも片手で数えられる程度の客はいた。せめて居ないのならば彼女にも理解できなくはなかったが。


「あの人達はお父さんと話すので問題なしです」

「そうそう。報告会だしね」


 クオリアは寧ろ歓迎するほど。

 今日はそういう日だと理解したアリスは肩を落として苦笑した。


「そう……」


 アリスとしても店が回るのならば止める言葉は見つからなかった。

 確かに残りの数人──数えると四人の内は二人はここからでは聞こえない声量で話しながらのんびり飲んでいて、もう二人はサイモンと一緒に大口を開けて笑っていた。


「じゃっ、聞かせて聞かせてっ」 


 クオリアはエールを一口含み、飲み干す。

 そして、肴を味わうように問いかけた。


「言わなきゃダメなの?」

「あったりまえです」

「シェリーは知らない、よね?」


 間から口を挟んだシェリーにアリスは尋ねるが、彼女はニヤニヤと笑い返すのみ。

 彼女も話を知っているのか否かは分からなかったが、諦める他なかった。


「でもほんとうに普通のことしかしてないよ? 一緒に回って花火を見て帰っただけよ」


 ──嘘。


 見た目だけで言えば事実であり、彼女の内心、そしてアリスは知らぬチェシャの内心も合わせれば荒れ狂う波の如き一日だった。


 淡々と報告をしてからぷいと顔を背け、アリスはミルクを飲む。ほんのり甘いそれが舌を撫でて落ちていく。


「そう? チェシャくんもやけに立派な服を着てたじゃないの」

「……どうしてそれを?」


 アリスは感情を表には出さず、極めて冷静な口調で尋ねる。チェシャがあんな服を持っていたなどアリスも知らなかった。それを知っているという事は──。


「見てたもの。こっそりね」

「そう……」


 予想して然るべき結論。アリスはがくりと肩を落とし、もうお手上げ、と白旗を振るつもりで手をひらひらさせた。


「わたしもチェシャがあんな服を持ってるなんて知らなかったわ」

「ふふっ。まるで何処かのお嬢様と執事みたいだったわよ?」


 ──わたしも思った。

 その言葉をアリスは飲み込み、不服そうな顔を維持するにとどめた。認めるのは癪だった。


「アリスさんの気持ちは重々分かりましたけど、チェシャさんはどうなんです?」

「そんなの……分かんないよ」


 アリスは絞り出すように言う。分かっていればこんな気持ちになどなりやしない。湧き出たイライラはミルクで中和させておく。

 彼が、あの時の問いに“良かった”ではなく、“さいこう”と言ってくれなければ、この気持ちは中和できるものですらなかった。


「そっか~」


 中々に思い詰めているアリスを見たクオリアが雰囲気を落とさないように和やかに相槌を打つ。

 クオリアの手合わせて揺れるエールの氷。カラカラとなる音がよく響いた。漂う酒精の匂いにアリスは尚のこと顔を歪める。


「でも、チェシャくんもアリスちゃんのことを悪く思ってる事はないはずよ? 寧ろ良く思ってると思うわ」


 偽りなきクオリアの意見。ボイドと酒場を回ったついでに話した話題。

 アリスはチェシャに“居場所”を求め、

 チェシャはアリスに“揺るぎなき信頼”を求めている。

 前者はただの少女が故郷を捨て、時代を超えた弊害。

 後者はコンプレックスから来る心の奥底の人間不信。

 ボイドはそう語っていた。


 共依存に近い彼らの関係はクオリアの言葉では説明できない何かで繋がっていた。少なくとも恋などと言う生温いものではないと彼女は思っている。


 結局の所、彼女の悩みは求めるものが増えたことから来る悩み。彼らの馴れ初めと心の距離の詰めかたの順序がおかしいからこそ起こる悩み。


 彼らの関係は男女間での関係のどれにも属していない。それでいて、求めるもの、与えられるもの、状況、様々なものが噛み合った結果出来た──昔からの馴染みでもないのに不思議と近い心の距離。


「そう、かな」


 確証が欲しい。そんな気持ちがクオリアには透けて見えた。けれど、アリスにはそれを求めて崩壊してしまう何かを恐れる気持ちの方が強かった。


「……アリスさんは」


 黙って二人の会話を聞いていたシェリーが口を開く。


「どうしたいのですか?」


 シェリーの薄い碧の瞳がアリスの明るい茶色の瞳を覗き込む。


「……分かんない」

「そうですか。……ウチには甘えたい相手が欲しいように見えますよ?」

「甘えたい?」

「──っ」


 アリスが訳がわからないように復唱する横で、自身の考えが繋がったのを感じてクオリアはハッとした。


 アリスは良くも悪くも強かった。

 心も、古代技術(ロストテクノロジー)製の武器をフルに活用できる戦闘能力も。

 第四試練の番人を消し飛ばした最後の一撃。

 デメリットこそあれ、彼女にそれ以外の強力な武器が有れば、彼女が記憶を取り戻してから一人で全てを片付けようとしていたことも可能かもしれなかった。


 クオリアは、皆は、アリスが抱えている物の全てを知らない。彼女は一度も全てを吐き出していない。

 アリスを除く皆が知る神の試練の様々な事実はどれもアリス以外から語られた情報が大部分を占めている。


 それはアリスがその情報を知らなかった否かさえも知らないのだ。その代わりに感情の発露は時々あった。彼女の年齢からすれば背負うものが大き過ぎるのに──。


「アリスさんってウチと似てるんですよねぇ」


 シェリーは真面目な表情を崩し、ヘヘッと笑う。

 思い詰めたアリスの顔とは非常に対照的だった。


「どういう意味?」


 アリスにはシェリーの言っている意味は分からなかった。彼女は正直そうと思えなかった。

 クオリアは黙ったまま興味深そうにシェリーを見ている。


「少し、昔話を聞いてもらえますかね?」


 シェリーはお茶を口に含み、喉を潤してから語り始めた。


「……ウチがノースラル出身って話はしましたよね?」

「うん」


 アリスが頷く。


「ウチのお母さんはノースラルに居るんですよ」


 沈黙。無言の続きの催促。


「どうしてって話ですが、まあ早い話が病気なんですよ。お母さんは」

「看病は?」

「おばあちゃんがやってくれてます。多少の看病でどうにかなる訳じゃ無いですけど」


 シェリーは皮肉げに笑った。

 彼女の声量ははいつの間にかサイモンには届かない程に落ちていた。


「で、この病気が曲者でして。治す手段がないとかぬかしやがったのですよ、医者が」


 酷いと思いません? とシェリーは茶化し、あくまで明るい雰囲気を崩さないが、言っていることは真っ暗だ。


「今のとこ命に別状はなくてもお父さんは納得しなくてですね……アレでも愛妻家なんですよ? ──ウチだって十分な愛を貰ってると思ってます」


 シェリーは照れ笑いをした。

 感情を激しく見せることが少ない彼女の珍しいその表情は、二人にギャップと魅力を感じさせた。


「ここまで言えば、お父さんとウチがここにいる理由、なんとなく分かりますよね?」


 そう言ってお茶で乾いた喉を潤した。


「治療法を求めて、って事ね。でも、探索者にはならなかったの?」


 クオリアが尋ねる。

 治療法が見つからないから未知の素材が眠る神の試練にやって来た。そこまでは分かるが、それを入手したいならば自分で取りに行ったほうが確実ではないかと。


「お父さん、運動音痴でしたから」

「なるほどね」


 苦笑。少し重たい雰囲気が和む。

 元より、シェリーの語りは内容の割に重さを感じない。彼女にゆったりとした口調がなせる技なのだろう。


「どんなものでも買えるように貯金を持ってきて、情報は逃がさないように、毎日早朝はあっちこっち行って。拠点はこんな場所にお母さんの名前を入れた酒場なんて開いて。お人好しのせいで掲示板なんて物を作って……。まぁ上手くはいってないですねぇ」


 取り止めのない乱雑に語られたサイモンの行動。

 それを語るシェリーの顔には様々な感情が浮かびあがっていた。

 母を救うために無理をする父。止めたいけれど、止めることも出来ない彼女の葛藤。


「良いお父さん、ね」

「そうですねぇ。鬱陶しいですけど、自慢の父です」

「……」


 今はなき親の愛情にアリスはシェリーを羨ましそうに見つめた。


「それでですね、頑張りまくってる反動がたまにウチに来るわけですよ。良い大人が娘の膝で泣くわけです。普通逆だと思いません?」

「ふふっ。確かにね」


 クオリアは笑う。その様子が目に浮かぶのが不思議に思えなかった。


「子供にとっちゃ、甘える場所が欲しいわけです。でもこれじゃあ……甘えられる場所、無いんですよ」


 やれやれです──とシェリーは手をあげて首を振る。

 その動作は彼女に非常に似合っていた。


「アリスさんも状況は違いますし、寧ろもっと辛いのかもしれません。だから、尚更甘える場所が欲しいのかなと」


 話は終わりです、と締めくくり、お茶を飲んだ。

 ゆったりと話しているはずの彼女の唇は少し乾いていた。


 *


 横開きのドアが開く。

 アリスは重い体をゆらゆらと動かしてリビングへと向かった。


 リビングの前に立ちはだかるドアをスライドさせ、中は入る。


「おかえり」


 何かの本を読んでいたチェシャは顔を上げて彼女を出迎えた。

 アリスは無言でソファに腰掛けている彼に近づく。


「……?」


 チェシャは反応なしにこちらに向かってくるアリスに疑問符を浮かべる。

 ぼすっ、とアリスは倒れ込むようにチェシャの胸へと体を預けた。彼女の手は震えていた。


「どうしたの?」


 チェシャは手の震えには気づかず、何があったのかを尋ねた。本を持っていた手は彼女の頭に添えられて髪を優しく撫で始める。


「……」


 無言。しかし、そこでチェシャがアリスの手の震えに気づいた。彼は空いていた左手で彼女の震える右手を包んだ。


 交錯する彼らの体温。


「……!」


 アリスはビクッと体を強張らせたが、やがてチェシャの胸板に頭に押し付けた。


「何があったかは知らないけど……話したくなったら話して」


 チェシャが頭を撫でていた右手で彼女の髪を梳く。

 彼は自分の胸板に返ってくる感触を感じた。


「んっと」


 右手を伸ばしてソファの脇に折りたたまれていた薄手の毛布を手に取る。それを片手で広げ、アリスに被せた。


「今日は、とりあえずゆっくりしなよ」


 チェシャもどんな言葉を掛ければ良いかは分からなかった。出来ることだけを尽くそうと左手の力を強めるのみだった。


 やがて彼の目の前にいる少女は緩やかな寝息を立て始める。すぅ、すぅとあどけない顔で眠る様子はチェシャの何かを揺るがせた。


「どうしよっかな……」


 自分が動いては彼女が起きるかもしれない。けれど、このままでは何も出来ない。

 むむ、と唸って本を手に取ったが、左手は彼女が力強く握り返しているために右手でしか本を読めない。


 読めなくは無いが、非常に読みづらい。チェシャは読書を諦めた。

 代わりに始めたのは悪戯。アリスの柔らかそうな頬を人差し指で押した。

 うにゅ、と彼女の頬がへこみ、指には柔らかな感触が返ってくる。


「……」


 思ったより癖になるようで、何度か指で頬を押す。

 アリスが煩わしそうに身じろぎしたところでその行為は終わった。


「んん、……おにぃさん」


 チェシャの胸板を押してくる力が強まった。


「アリスにも兄弟が居るのかな」


 ──そんな話、していたっけ?

 チェシャの頭の中で彼女の言葉がぐるぐると回る。浮かび上がるその感情の名前は彼には分からない。


 気付けば二人とも緩やかな寝息を立てていた。



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