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そこに眠るは夢か希望か財宝か  作者: 青空
帰郷:越えるはかつての憧憬
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収穫祭・4

 チェシャはアリスの手をやんわりと抜けだした。


「え?」


 アリスが先程までの笑みを一挙に萎ませる。

 チェシャは彼女に“ごめん、まってて”と一言詫びを入れて階段を駆け上がり、二階に。

 そのまま自分の部屋まで入り込み、ドアを閉めた。


「はぁ」


 閉めたドアに背中を預けて溜息を一つ。

 何故逃げ出したか。チェシャもよく分かっていない。


 ──けど、このまま行くのはダメだ。


 チェシャは彼の部屋のクローゼットから一つの服一式を取り出した。


 着るつもりなどサラサラ無かった一張羅。

 村長宅の長男として、式典等のために一応用意されていたもの。

 着るためというより、もしものために売れるよう取っておいたものだったのだが、まさか彼自身が着るとは思っていなかった。


 無地のシャツ。その上から着る黒いベスト。

 更に臙脂色のジャケット。ここまでするならば襟締もと。下はきっちり締められた黒のパンツ。


「これは……。どうしよっかな」


 革靴と手袋。これらをつけて杖でもあれば立派な紳士が出来上がりそうだ。執事とかでも通るかもしれない。


 ええいままよと、それらも全て身につけ──革靴だけ手に持って、部屋を出ようとして立ち止まる。


 ──髪もか。


 新品の鬢付け油の瓶を紐解いて、髪も整える。

 使ったことのないものに苦戦しつつもようやく支度を終えたチェシャは部屋を今度こそ出て、階段を駆け降りる。


「あれ?」


 アリスは居なかった。

 代わりにあったのは書き置き。


 “外で待ってる”


 淡白な文章。

 それを確認したチェシャは急いで革靴を履く。あたふたしながら履き慣れない靴がアキレス健を攻撃してくる痛みと共にドアを開けた。


「待たせてごめんっ」


 ドアを開けてすぐ視界に映ったアリスにチェシャは頭を下げた。


「おそ……」


 くるりと振り向いたアリスはチェシャの代わりように言葉が詰まる。


「どうしたの?」

「その格好……?」


 チェシャでさえ、着るつもりなどなかった服。

 アリスが不思議に思うのもおかしくない。むしろ、いつの間に持っていたのだと、彼女は疑問符を浮かべる。


「とっておき」


 焦りを隠すように、自慢げに胸を張った。


「どうして昨日着なかったの?」

「いや、今日も着る気は無かったんだ」


 ははは、と薄く笑い流す。

 アリスの疑問符がまた増える。


「じゃあ?」


 どうして? と。

 チェシャ自身もよく分かっていない問題。

 彼はううんと唸り、ふっと自然に息を吐くように答えを出した。


「ほら、アリスがせっかく良い格好してるから?」


 なんとなくに過ぎぬ彼の心意。

 相棒がそうするならばと、周りの子供がそうだったから、のような厳格と定まっていないもの。


「ふーん、そっか……」


 チェシャの発言を聞いたアリスは僅かに口角を上げて、チェシャの手を取った。

 先導するように手を引き、軽い足取りで歩き出す。


「どこから行く?」

「ん……。朝ごはん、かな?」

「そうだね……偶には、祭りっぽいものの食べたいな」

「祭りねぇ。じゃあ、あれは?」


 チェシャが指さしたのは林檎に水飴を絡めたもの。

 普段食べるものより小さい林檎に店主がとろりと水飴を絡める姿はつい目で追ってしまう。


「食べたいっ」

「りょーかい」


 チェシャは先導されていた状態から、寧ろ逆に先導する側。それでいて、無理には引かぬよう、エスコートさながらに人の波を掻き分けてながら彼女の道を作る。


「……」


 突然反転した立場にアリスの目が白黒しているうちに二人は林檎飴の屋台にまでたどり着く。


「おっ、何処かの……でもないか? らっしゃい。ふたつかい?」


 側から見れば令嬢とその執事のようだが、服装はきっちりしていてもそれを着る二人の振る舞いは非常にぎこちない。それを見た店主は笑いながらも気楽に問いかけた。


「ん。それで」


 食券を二つ渡す。


「ほい、毎度あり。仲良く食べなよっ!」

「ありがとう。……はい」


 チェシャは店主に軽く頭を下げて林檎飴をアリスに手渡した。そこでアリスがようやく我に帰る。


「あっ、ありがと」


 林檎飴に刺さった串を手に、ちろちろと舐める。

 その横でチェシャは林檎飴に大きく齧り付いた。カコリッと音を鳴らして齧り痕をつける。

 服装に対して行っていることが非常に似合っていない。


「ふふっ」


 アリスはそんなチェシャを見て声を漏らした。


「どうしたの?」

「あなた。着てるものとやってる事、似合ってなさすぎよ?」


 チェシャは視線を落として自身の服装に目をやった。

 彼女が言っていることは最もなことだったが、頭を横に振り、林檎飴の串を器用に回転させた。

 振り回される林檎は落ちることなく円を描く。


「着るつもり、無かったから」

「ふふふ。そうね」


 アリスはこくりと頷いて林檎飴を舐めた。

 そして、空いている手でチェシャの手を握る。


「次はどこにエスコートしてくれるの?」


 上目遣いでの問いにチェシャはたじろぐが、押し隠すように咳払いをして背筋を張った。


「大道芸など如何でしょう?」

「……あははっ! それっぽいっ!」


 凛とした顔で尋ねたチェシャにアリスは僅かな動揺の後、腹を抱えて笑う。対するチェシャは何も言わず、アリスの答えを待った。


「……案内してくださる?」


 チェシャの視線から求められているものを察して、ぎこちない口調で言った。

 チェシャは鼻で笑うが、アリスが睨んでいるのを見てすぐに顔を締める。


「仰せのままに」

「あーもう、やめましょこれ。疲れるもの」


 いつまでやるのだとアリスはむくれる。

 それを聞き、チェシャも張り付けた微笑を崩して破顔した。


「分かったよ。さっ、行こ」


 執事のような振る舞いは出来ていなくても、チェシャのエスコートは様になっていた。


 ──お姫様みたい。


 昨日、アリスが店を回っていた時と違って人とぶつかることが少ない。彼女はそのことに驚きながらも、今を楽しむことに専念した。



 *


「凄かったわね! あのピエロの人っ!」


 アリスは興奮を抑えきれぬようにチェシャへと感情をぶつける。


「うん。ジャグリングが凄かった。ナイフもああ使えたらかっこいいな」


 チェシャが先程の旅芸人らしき人が行っていたジャグリングの真似をする。


「そこなの? それよりハンカチを鳩に変える方が凄いわよ」


 アリスはチェシャの動きを鼻で笑い流し、旅芸人がしていたようにステッキを振る真似をした。


「あれが一番タネが分かりやすいやつだよ?」

「そうなの?」

「だって、帽子の中に魔術でも有れば出来そうじゃない?」

「そんな夢のない事言わないでよっ」


 来ている服装と見合わぬ気楽な会話。

 たとえ見合っていなくとも二人は楽しんでいた。


「ねっ、そろそろご飯にしない?」

「もうそんな時間か」


 チェシャが空を見上げる。太陽は真上にあった。


「どこで食べようかな……」


 チェシャは地図を取り出した。

 アリスが好みそうなものには印は付けてあった。


「チェシャが一昨日言ってた鹿肉のステーキは?」


 チェシャは顎に手をやって、考え込む。

 一度食べたが、二度食べて困るものでもない上、服装も人も状況も違う。むしろ面白そうだった。


「……うん。美味しそうだからあそこにする?」

「うそ」

「え? 何が?」


 チェシャは予想外の反応に動きを止める。


「昨日食べたんじゃないの?」

「……どうして知ってるの?」


 チェシャが悪戯がバレた子供のように小さくなる。


「チェシャって、誤魔化したりするときに顎、触るよね」

「え?」


 彼自身も知らなかった癖。

 アリスがそれに気づいたのは第四試練で彼がみんなを元気付けたあの時。正確には第四試練から帰ってきて、思い返してから。


「気づいたのは最近、だけどね。食べたことがあるなら別でも良いんじゃない?」

「美味しいからこそもう一度食べたいんだ」


 満面の笑みで言われてはアリスもそれ以上は言わなかった。


「分かったわ。じゃあそこへ、案内、お願いできる?」

「仰せのままに──っと」


 真似事、というよりはノリ。

 チェシャは彼女の手を軽く握り、人の波をかき分け始める。アリスの目敏さのせいで小さくなっていた彼だが、今は気分が良かった。足取りは人の波で遅くとも軽やかだ。


「良いことでもあったの?」


 アリスがチェシャの足取りの軽さについて尋ねた。

 チェシャは顔の角度を変えずに答える。


「あったよ」


 にやけ顔を隠さずに言った。


「そう、それは教えてくれないの?」

「アリスのお陰だよ?」


 当然のことのように、何がおかしいとチェシャは首を傾げる。

 少なくとも、これだけ着心地が悪い服を着ても楽しいと思えるのは彼女のお陰だった。


「そ、そう?」


 心当たりのないアリスは首を傾げるのみ。

 自分のことを良く知られているということ。彼にとって、それは存外に嬉しいことだった。


「そう」

「そうなんだ」


 アリスは渋々納得する。当の本人が嬉しそうなのだから、アリスが言うことは何もない。隠したいとも無いから余計に聞きにくかった。


「なら、いいわ」


 嫌がらせの意味を込めてアリスはチェシャの手を強く握る。帰ってきたのは毎日槍を持つ硬い感触のみだった。


 *


 鹿肉専門店を出た二人は満足げな笑みを浮かべていた。


「鹿肉って美味しかったのね。家でも食べれるかしら?」


 アリスは臭みのない柔らかく、油っこいわけでもない肉の味を反芻する。


「うーん。迷宮生物は消えちゃうからなぁ。切り落とせば……。ビックディアーくらい大きく無いと大した量は無理だね。普通に買った方が良いかな? 売ってるか分からないけど」


 鹿は基本的に狩りで手に入れたものしか流れない。よって高い。若くて柔らかいものなら尚更。


「うーん、残念ね。今度見つけたら買っておいてっ!」

「うん、そうする。タレとか有れば良いんだけど、手に入るかな……」

「作っちゃえばいいのよ!」

「そんな簡単じゃないからね……?」


 配分とか色々あるんだからとチェシャは苦笑する。


「ふーん。それより、食後のデザート、食べましょう?」


 アリスの目がキラキラしている。

 これは断られないなとチェシャは頭を掻き、微笑を浮かべて返答する。


「はいはい、どこに行くの?」


 チェシャは地図を渡した。


「うーん……」


 アリスは地図の裏の店ごとの説明文を見ながらあれでもこれでもないと悩む。普段でも少女が表情をコロコロと変えるのは見ていて魅力的だが、化粧をしてより“女性”になったアリスはチェシャには威力が高かった。


 ──アルマの時には何も思わなかったのにな……。


 チェシャは一人思考の海に足をつける。

 昨日はアルマと回っていても何も感じなかったのに──何も、とまでは言わないが──今日のアリスはチェシャの心を大いに惑わしていた。


 エスコートと言って、先導していないと間がもたない。隣を歩くのは……何故だか憚られた。

 普段なら何も思わないのに、何故姿が変わっただけでここまで心を弄ばれている。しかし、彼女の本質は変わっていないのはチェシャにもよく分かっている。


「ねぇ?」


 チェシャは腰まで使っていた海から抜け出し、現実へと戻る。


「ん?」

「やっぱり聞いてない。次、ここでいい?」


 アリスが地図上の店を指差す。それを見たチェシャが頷きを返すが、彼には言葉しか届いていない。

 条件反射の頷きに満足したアリスは地図を彼に返した。


「さっ、行きましょう」

「ん」


 ──とりあえず、今は楽しもう。


 せっかくのお祭りを楽しむことが先決だと彼は判断を先送りにした。

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