閑話・悪意を狩る者
その探索者は非常に珍しい、パーティを組まない探索者だった。
彼の名前はニルバス。
神の試練において、神の悪意と称される迷宮生物は非常に強力で、状況、種類によっては同試練内の門番さえも上回る。
彼はそんな探索者達から恐怖を抱かれる迷宮生物を専門に狩る探索者。
この場合、探索者というよりかは戦士、もしくは狩人の方が正しいのかもしれない。
彼の風貌はコートで全身が覆われ、頭もフードを被っていて詳しく知る者は少ない。
そのコートの内側には彼が悪意を狩るために用意した小道具。それも速度を失わない為に限りなく軽量化されていた。
今日の彼の目的は岩柱乱立丘にいるキラーマンティス。
第二試練に転移した彼は組合の支部で馬を借りて進む。カッポカッポと音を立てて荒野を駆け、目的地へと向かう。
彼が気球を用いないのは一人である為。
空に飛びさえすればどうとでもなるが、それまでの準備や片付けは慣れていても一人では難しい。
第三試練に行く為には気球は必ずいるので、過去に作ってはいた。
風で靡くフードとコート。
僅かな植物が生える荒野を馬で駆ける。
第二試練で馬を借りる人は基本的にいない。
元々気球を使うのは荒野にある渓谷のせい。
岩柱乱立丘に行くだけなら馬でも可能だが、遠回りになるし、結局気球は要るのだから風の砦以外の迷宮に行く際は気球で行くのが基本的だ。
つまるところ、彼が馬を使うのは何らかのこだわり、と言えるだろう。
「……」
それを証明するように、フードから除く口元は僅かに微笑が見えた。
*
ガラァァン!
等身大を超える巨大蟷螂、キラーマンティスの鋭利な鎌が岩柱を切り裂いた。
その岩柱はついさっきまでニルバスの足場だったが、彼は次の岩柱に飛び移っている。
彼の持つ武器、スリングショットは特注品で復元力が常軌を逸したもの。
発射するのにも一苦労だが、代わりに鉄球さえも飛ばすことができる。
迷宮の恩恵による力で鉄球を動かそうとする弾性力を抑えながら、狙いを絞られて放たれた鉄球。それは緩やかな曲線を描いて巨大蟷螂の頭部を直撃。
──キィャァァ!
悲鳴。
乱舞される鎌。
彼はその場から飛び退きつつも瓶を二つ発射する。
特に何の変哲もないその容器は高らかな曲線を描いて巨大蟷螂に向かって落ちていく。
重みも大してないそれが重力で多少威力を増した所で、彼が先程撃った鉄球には遥かに劣る。
故に、鎌を振り乱して己の敵を遠ざけようとする巨大蟷螂は、自分の背中で割れた瓶に気づかなかった。
パリンッ!
砕け散る小瓶。
飛び散る破片と中に入った半透明の液体。
「──っ!」
着弾を確認し、続けてもう一つの瓶を手にする。
中に入っている着火剤に火をつけ、瓶の中の空気が尽きる前に発射。
液体目掛けて宙をくるくると回りながら飛来し、着弾。
パリンッ!
中に入った火種が飛び散った。
火種は半透明の液体に着火。
ただの液体ではなく、燃える液体であるそれは瞬く間に燃え広がる。
──キシャャアァ!?
敵がいなくなったと思えば今度は火の海。
生物として火を恐れる本能がその場を逃げさせようとするが、後先考えず自らの鎌で壊した岩が妨げとなる。
「……」
その様子を見ていたニルバスは懐から導火線の長い爆弾を手に取った。
遠くから発射する都合上、火が消えないように導火線部分に風避けがつけられたそれを着火、スリングショットに添え、引き絞る。
奇声を上げて暴れ回る巨大蟷螂。
狙うは頭部。
チリリ、チリリ
長い導火線が半分を切ろうとした。
コートから覗く腕から血管が浮き上がり、尚のこと引き絞られ、解き放つ。
曲線、否、殆ど直線の軌道で飛ぶ爆弾は巨大蟷螂へと真っ直ぐに突き進む。
暴れ回る相手に性格に狙いをつけるのは難しく、狙いは少しずれて背中部分に着弾。
ドォォォンッ!
大爆発。
中の火薬も特注性のそれは花火のような派手な音を上げて、巨大蟷螂を黒煙で包む。
──キシャャアァァ!
痛哭。悲鳴。
ドンッと重いものが落ちた音がした。
それを聞いたニルバスは岩を飛び移って煙が晴れぬ場へと近づいた。
そして、すぐに飛び退く。
一閃。
寸前までニルバスの足場だった岩柱は綺麗に両断され、上半分が滑り落ちる。
──キィィィヴゥゥン
激怒の声。
背中部分を黒焦げにしながら、健在。
闘志を滾らせ、鎌を振るう。
ドォン! ドォンッ!
次々と岩が崩れる音が辺りに響く。
ただ一人の人間を殺すために、己の痛みを味合わせんと。
けれど、その人間は戦士ではなく狩人である。
そもそも直接戦闘など行わない。
ましてや一対一ならば。
どこからともなく、天へと鉄球が昇っていく。
それは速度を失うと重力で再加速して巨大蟷螂へと吸い込まれるように落ちていく。
──キシャャアァ!?
姿の見えぬ襲撃者。
溜まるのは己の怪我と苛立ちのみ。
その苛立ちを発散せんとまた鎌を乱舞する。
が、神の悪意はただの蟷螂を大きくしただけのものなどが呼ばれない。
──キシャシャシャアァァ!
ある程度冷静さを取り戻した叫び。
それは周囲の下等生物への命令。
巻き込まれないように離れていた虫系統の迷宮生物達がわらわらと群がり、生態系の頂点たる主の言葉に従って標的を探す。
虫の行進。
神の悪意に遣わされた無慈悲なる絶望の使者。
暗中洞窟でも以前に行われたその行進は、道中にある生き物を全て肉塊に変える勢いで進む。
もう周囲に岩の柱は消え失せた。
残るは崩れた岩の影。
巨大蟷螂はそれらを鎌で切り裂き、しらみつぶしに探す。姿が見えずとも安心はできない。
敵はどこから来るかは分からないのだ。
だから。
後ろからひっそりと現れた狩人に気づけなかったのだ。
目の前の岩を切ろうと振り上げられた鎌は、巨大な頭部がズレ落ちると共にゆっくりと落ちていく。
頭を切ったのは鋭利な鉈。
対迷宮生物用に特殊な加工を施されているそれは鈍く紫に輝いている。
ニルバスは虫の血とでも言うべき緑の液体が付着したそれを振って飛ばし、死骸になった巨大蟷螂に目をやる。
声もなく崩れ落ちた巨大蟷螂は霧散し、魔力と化した霧は完全に消えずに一部が凝縮されて戻ってくる。
コトンッ。
巨大な死骸の代わりに残されたのは紫色で、お腹で抱えられる大きさの透明な結晶。
即ち魔石だった。
「よし」
ニルバスは満足げに頷き、虫達に轢き殺されぬよう、すぐさま岩柱乱立丘を後にする。
神の悪意は魔石を落とす。
拳大で一般人の三十日の給金程度。彼の持つサイズなら探索組合の職員の給金、その二倍はある。
一般人に置き換えれば約六倍。
それでもなお、神の悪意は避けられる存在だった。一人を除いて。
彼はニルバス。
不治の病に罹った妹の為に日々迷宮の悪意を狩る、一人の家族思いの狩人。