邂逅
「え?」
アナウンスに驚く声だけを残してチェシャは姿を消した。合成音声は周りには聞こえなかったのか、彼が姿を消したことに気づく者は居なかった。
セントラルから掻き消えた彼の体は鈍い銀色ばかりの部屋で横たわっていた。見知らぬ画一的な構成材で出来た硬い地面。
何やら部屋中にある装置が様々な色に光り、ピコピコと絶えず電子音が鳴り続けている。
しばらく地面に横たわったままだったチェシャは硬い地面の冷たさを認識して我に返ると、すぐさま起き上がって周囲を見る。
けれど、どれも彼にとっては未知のもの。チェシャは目を白黒させたまま口をぽかんと開けている。
しばらくして安心できる状況では無いことに気づき、分からないなりに背中の槍を取り出して臨戦体勢を整える。
息を一つはいて気持ちを切り替え、何かの施設のような場所の探索を始めた。
規則的に全く同じ広さの空間とそこから四方にまた同じ内装に見える空間へと繋がる、人が通るにしてはやけに大きい高さ三メートル程の扉。
チェシャが近くまで歩み寄ると、勝手に扉が横にスライドして開き、離れると閉まる。
不気味な動きの扉。警戒した彼が部屋を出ることにしばらくの時間を要した。
ようやく部屋を移動したと思えば、何部屋か移動しても変わらない風景が続く。
まるで迷宮のような場所を彼は進み続ける。
実際には部屋にある様々な装置に混じり、扉の上に何やらチェシャの知らぬ文字が書いてあるプレートが置いてある。
その文字を読めない彼には変わらない風景の一つにしか見えない。代わり映えのない場所で気が緩み、いつの間にか槍を握る手の力が抜けていた。
「──っ!」
そんな彼の気を引き締めなおしたのはガシャン、ガシャンと少しずつ近づいてくる何かの駆動音。
耳にしたことのない音が近づくにつれ、チェシャの槍を持つ手が固く締められる。
そして、扉前にまでたどり着いた駆動音の主に反応している扉も開かれた。
「なに、こいつ」
扉から出てきたのは鈍い銀色の金属で出来たラクダのような機械生命体。
扉がやけに大きいのもそのラクダもどきの大きさが扉の枠ギリギリなことから納得も付く。
悠然と部屋の中央にまでくるラクダもどきからじりじりとチェシャは後ずさる。
まるでチェシャのことなど目に入らないかのようだった。
部屋の中央にまで来たラクダもどきの背中のコブが開き、中から提灯が付いた棒が伸びる。
棒の先の提灯が赤い光を放ったかと思えば、ぐるりと回転して辺りを照らした。
「あっ、──!」」
赤い光がチェシャへと向けられた瞬間、ラクダもどきの目も赤く輝く。
チェシャの動きは本能から来る反射だった。
生存のためだけに行われる脊髄反射。彼がその場を横っ飛びで離脱するのと同時に、ラクダもどきが突然蒸気を噴き出しながらチェシャへと突進する。
間一髪、革鎧を掠らせながらもチェシャは辛うじて避ける。ぎゃり、と嫌な音は彼の鳥肌を立たせた。
ラクダもどきから一定の距離を保っていたせいで、彼がいたすぐ背後の壁へ対象を失ったラクダもどきが激突。
壁に綺麗な風穴を開けた破砕音が響く。
崩れた壁回りも支えを失ってガラガラと崩れ落ち、ラクダもどきは瓦礫の下敷きになった。
「生きてる……?」
崩落が収まったのを確認したチェシャが瓦礫に埋もれたラクダもどきを覗く。
それから指先で小突いたりしてみたが反応はない。
「うわっ、気持ち悪っ」
しばらく小突いていたチェシャの指にギトギトした液体が絡みついていた。油か何かだろうか。
粘ついたその液体の感触に顔をしかめたチェシャはラクダもどきを埋めている瓦礫をいくつか取り除く。
瓦礫に隠されていたラクダもどきの体にはいくつか穴が開いていて、半透明な液体が零れ落ちていた。
チェシャの指に付着していたものと同じものだ。
──燃料、かな?
ラクダもどきの顔辺りにある瓦礫も取り除く。
露わになった赤い光を放っていたはずの目がいつの間にか真っ黒に戻っていた。
しばらくしても動きそうになかったのでチェシャは槍の穂先で強く突いて反応が無いことを最後に確認してから、放置して部屋を出る。
明らかにオーバーテクノロジーなそれはしかるべき者ならば、途轍もなく有益だったかもしれない。
しかし、田舎から出た少年に何かできるわけもなく、ラクダもどきは無残なガラクタとして野ざらしにされた。
「はぁ……」
危機は退けたが、脱出に関わる成果はない。
また当てもなく探索を再開したチェシャだったが、彼の探索意欲は目に見えて減っていた。
無理もない。このままでは飢えて果てるのもあり得るこの状況で何もできないとなれば、気を張り続けるのは難しいだろう。
探索を続ける内にチェシャは適当にあっちこっちのドアをくぐるのをやめて、直進のみを始めた。この方法ならば施設の端にたどり着くことはできるかもしれない。
しかし、迷いなく直進している彼は何故か急に違う方向へと進みだす。
それも、悩みながら移動しているわけでもなく、出鱈目に進んでいるようにも見えない。
まるで彼自身は真っすぐに進んでいると確信しているような。そんな不思議な動きだった。
チェシャが導かれるような動きを始めてから数十分の時間が過ぎる頃、今までとは違う部屋に出た。
四方に扉があるのは変わりないのだが、そのうち一つの扉が他に比べて遥かに重厚だ。
扉の縁には等間隔で沢山設置された小さな装置から発射されている赤く細い光線が網のように張られていた。
どう見ても怪しいそれをチェシャが無視するはずもなく、警戒しながら近づいていく。
そして、近寄装置から照射され続けている光線がジュッと音を立てて一瞬で槍を溶かしたのを見た彼は慌てて後ずさった。
超高温の光線。鉄を一瞬で融解させる熱に人間が耐えられるはずもない。
「あっぶな……」
穂先が潰れたのを代償に目の前の光線の危険性を知ったチェシャは、どうにかできないかとその部屋を色々と調べ回る。
どの部屋にもある良く分からない操作盤や装置は彼が触ってもうんともすんとも言わない。
結局、特別怪しいものは見つからなかった。
「あー、ちくしょう!」
どうにもならず投げやりになったチェシャが扉に光線を張り巡らせる装置に向かって腰に括りつけたベルトに挿しているナイフを投げる。
装置は意外と繊細なのか、ナイフによってあっさりとへこみを作り、光線の照射をやめてしまう。
単純明快な解決法が見つかったことにチェシャが目を輝かせた瞬間のこと。
わざわざ厄介な防衛装置があるのにそれを壊せば終いとなるわけもなく。
突如、部屋を照らしている照明の明かりが赤色へ変わった。
『警備対象フロアに危険性を感知! 警備対象フロアに危険性を感知! 警備対象フロアに危険性を感知!』
「あっ……、やば」
何かやらかしてしまったと思わせる色の照明。
誰がどう聞いてもダメなやつ、とだけ分かるアナウンスにチェシャの顔が蒼白になる。
やってしまったことは仕方ないと諦め半分で穂先の潰れた頼りない槍を構えて警戒する。
すると、地面に大きな穴が空き、先程の個体よりも一回り体躯の大きいラクダもどきが這い出て来る。
大きさに考慮して扉からのご登場ではないらしい。勘弁してほしかったと、彼は嘆きたかった。
「うわー……やばそ」
他人事の様にチェシャはぼやく。
しかし、言葉に反して離れることなく厳重に閉じられた扉の前に立つ。
突進の威力こそは恐ろしいが、頭が悪い。
獲物を見つければ周辺の状況を顧みず対象に向けて突撃するだけ。
こんな閉所であんな突撃すれば壁にぶつかるのは至極当然の話。
であれば利用するのみ、誰かが造ったものを壊すことに引け目はあれど、勝手に連れてこられたのだからこれくらいはいいだろうと誰かに言い訳して、周囲を索敵する赤い光を浴びる。
大きくてもやることは変わらないようで、蒸気を体中から噴き出し、突撃をする大ラクダもどき。
それをギリギリまで引き付けてから宙に向かって飛び込むように手を突き出したチェシャが避けた。
地面にうつぶせに倒れるチェシャと位置を入れかえたラクダもどきは赤い光線を受けながらも扉を勢い良く突き破った。
「っー、よっし!」
うつぶせのままが枠に付けられていた装置ごと扉が破壊されたのを見たチェシャがガッツポーズをして、破壊された扉。
防衛機能を失ったそれを急いでくぐる。
今までの部屋よりも奥行きのある空間の奥に大きな機械の棺桶のような物と、ラクダも怒気が勢い余ってあけた穴を視界に捉え──
「ん?」
前面がガラス張りになっていてその中には人の姿が見える。
埃が溜まっているせいで中身はよく見えない。中身を見ようとそのカプセル状の躯体に歩みを進めた彼が蒸気の音を耳にした。
「え──」
穴をあけて崩落した瓦礫に埋まっていたラクダももどきが蒸気を噴き出しながら再び立ち上がる。
その体は所々融解しているが、赤い眼光は絶えずチェシャに突き刺さっていた。
「うっそ──」
チェシャが驚く間もなく、ラクダもどきはボロボロの体で突撃を敢行。
幸い、突進の速度は前より遅い。回避は容易だったため落ち着いて、突進を避ける。
しかし、遅いがゆえに壁にぶつかる前に旋回が可能になったラクダもどきが反転、再び襲ってくる。
どうにかしようとチェシャが迎撃の構えをとるが、槍はもはやただの鈍器と化した。
加えて痛覚がなさそうな機械生命体に傷を負わせたところで、相打ちになるのは必至。そもそも見知らぬ合金に鈍器が通るのかも怪しかった。
そうなれば、巨大な体にものを言わせるラクダもどきにチェシャが勝てるすべはない。
彼は回避と同時に攻撃を入れようと試みたようだが、中途半端な回避を追って曲がったラクダもどきに突き飛ばされる。
「あがっ──! ごほっ! ごほっ!?」」
部屋に入って最初に目にしたカプセル状の躯体に背を打ち付け、衝撃でこみ上げた血混じりの胃液を吐き、大いにむせた。
そんな彼のことなどお構いなしに蒸気を噴き上げて再び突撃してくるラクダもどきがチェシャの揺れる視界に映っていた。
慌ててみっともなく体を投げ出す。
痛みの残る体では受け身も取れず地を転がるも、その甲斐あってラクダもどきはカプセル状の躯体に激突した。
躯体は異様に硬く、ラクダもどきの突進を受けてもへこみを作るだけだった。
ラクダもどきは反作用の衝撃を受けきれず、頭にへこみを作って横転。ガラスに降り積もっていた埃が舞い上がり、辺りに振り撒かれた。
「っ──!!」
今なら中身が見えるかもしれないが、ラクダもどきが隙を見せたこの千載一遇の好機を逃すことなど彼には出来なかった。
「はっ! らぁっ! ──!」
チェシャは一心不乱に穂先の潰れた槍を動き出そうとするラクダもどきに何度も叩きつける。
荒く、必死な息遣い。振り乱された髪。僅かに残る水分が生み出す汗の雫が跳ねた。
一片たりとも余裕のない彼はラクダもどきの体から半透明の液体が零れようと、跳ねようと槍を振るう腕を止めなかった。
やめてしまえば、もし倒せていなければ次の回避が叶うとは思えなかった。
だから、残った全ての体力をここで使い尽くす勢いで鉄の鈍器を振るい続ける。
徹底的にラクダもどきを叩きつくした彼が動かなくなったがらくたに気付き、安堵のこもった深い息を吐いた。
「はぁー……疲れた」
槍から手を離し、地面に座り込むチェシャ。
すると、白い冷気を勢いよく吹き出しながらカプセル状の躯体のガラス張りの部分が上に開いた。
「なっ、これっ、寒!」
季節的にはまだ寒さには何も警戒しないため、チェシャの服装ではその冷気はかなり寒い物だった。
冷気が収まって、視界が開けるとカプセルの中身が姿を現す。
「……人?」
そこに居たのはチェシャと同年代くらいの亜麻色の髪を後ろで括っている平服に身を包んだ少女。
体格は成人男性に近いチェシャよりも頭ひとつ分ほど小さい。ラクダもどきが作った躯体の凹みのせいか、少女の体は今にも躯体から転げ落ちそうだった。
「やばっ、倒れっ!」
ぐらんぐらんと揺らす体に慌てて落下地点に体を滑り込ませる。
無事に彼の体は少女が地面に倒れこむ前に受け止めることが出来た。
高さはそれほどでもないにせよ、顔から落ちるのは非常に危なかったので単に落ちるよりかはマシだっただろう。
チェシャが少女を受け止めた衝撃からか、彼女の目がゆっくりと開かれる。
「ん……。ん──?」
整ったまつ毛がピクリと揺れる。
次に焦点が定まった瞳がチェシャの顔を捉え、瞬きをする。
そして──
「きゃあああ!」
「わあぁぁ!」
悲鳴。お互いにお互いで驚き、急速に距離を取る。
「だれ!? あなた!」
「あんたこそ」
「わたしは……!」
意気揚々と名乗ろうするが、何故か止まる。
否、どちらかと言えば“名乗れなかった”と言うべきだった。
「わたしは、なんだよ?」
「名前、分かんない」
「はぁ?」
自分の名前が分からないと想定外の言葉にチェシャは返す言葉が口から出ず、代わりに呆れた声を上げた。
「と、とにかくっ! あなたはだれよ?」
少女はチェシャに胡乱げな目を向けながら質問をする。
しかし、今のチェシャは長い探索とラクダもどきの所為で満身創痍。
金属の躯体から少女が出てきた驚きが覚めて彼は再び疲労感を思い出す。
「……チェシャ。探索者、なんだけど急にここに飛ばされてさ。何か知らない?」
「チェシャ……? どこかで聞いたかしら。でも探索者って何?」
「何って、常識だろ?」
疲労故にやけに低い声で言ったチェシャと知らない世界に来たと言わんばかりの無知っぷりな少女。
「とりあえず、ここから出る方法知らない?」
とにかく脱出して家に帰るなり、宿に行くなりしたいチェシャは説明するのを面倒くさがって彼女に尋ねる。
「ここからって、ここ、どこなの?」
「こんなとこで寝てたのに知らないのか?」
「寝てたって、こんなところで?」
何もかもが噛み合わない応答。
「もういいか、おわらないし。とりあえず俺はチェシャ。あんたは……アイスって呼ぶ」
「どこから来たのよ、それ」
「冷気と一緒に出てきたから」
安直と言うべきか、取るところがおかしいと言うべきかはさておき、少年は少女と出会った。
それは神の試練が何のために存在するのか、大きな謎を追いかける事となったきっかけだった。