探索・グングニル第四層
チェシャとソリッドにグングニルのロックを解除しなければならないという概略だけ話し、話が纏まったようかにみえたがボイドが突然手を打つ。
「と、忘れていた。スカーサハ。転移装置の行き先の変更はアリス君以外にもできるのかい?」
『……転移装置の操作は通常のアクセス権とは別に、設計者によって設定された一部の人のみ可能です。』
「つまり、アリス君以外には無理ということか?」
「まあ、当たり前よね」
『否定。チェシャ様は現在は不可能ですが、条件を満たせば可能です。』
話は終わったとクオリアが荷物をまとめ始め、皆も動き出したが、スカーサハの言葉に皆が動きを止める。
「俺?」
上の空で話を聞いていたチェシャが自分の名前に反応して、目の焦点が半透明の画面に合わせられる。
「……どういう意味だ?」
ボイドはしまいかけていたメモ帳を取り出し、ペン先をを紙面につけながら尋ねた。
『権限レベル不──、サブオーダーにより一部認可。今のチェシャ様では不可能とだけ。』
「そうか」
スカーサハおかしな回答をする。しかし、現状で不可能なことは事実、僅かに肩を落としながらも、ボイドはペンを少し走らせる。
「サブオーダーってなんだぁ?」
『設計者によって設定された、オーダーネーム”彼女から彼女をなくすな“による副次命令です。』
ソリッドが聞き出したスカーサハの答えをボイドがその貴重そうな情報をメモ帳に写した。書き写したのはいいものの、この言葉が意味することは分からない上、単なる文章で見ても意味が分からない。
これに関して、ボイドはスカーサハが話す言葉が自分たちの言語に合わせられていることから来る誤訳だと認識して、メモ帳を仕舞った。
「変な名前ね」
「スカーサハがこちらの言語で話しているだけだから、その部分の違いだろう。……時間をかけてしまってすまない、行こうか」
まってましたと言わんばかりにチェシャとソリッドが動き出す。
アリスとクオリアはそれを笑いながら彼らの後を追っていった。
*
数十分後。
五人全員が必死な形相で廊下を走っていた。
「クオリアっ、はやく!来てる来てる!」
アリスが皆が走る方向とは反対に向いて銃を構えたまま後ろ向きに走る。
彼女が急かしているクオリアの後ろには機械仕掛けの犬がクオリアを追いかけている。
犬と言われて想像するサイズよりも数倍。おおよそ荷車ぐらいの大きさだった。
そして、まさに番犬といえるそれの頭部には今も尚赤く光る眼と、爛々と光るサイレンが。
ヴヴーン、ヴヴーンと誰が聞いても前向きには捉えないであろう警報音が逃げる彼らを尚のこと急かす。
「チェシャ君っ! 監視者はいるか!?」
「多分いないっ! けどっ、こいつどうにかしないと、また見つかるっ!」
「仕方ない。一体ならなんとかなるだろう、やるぞっ!」
開戦の合図はボイドが素早く書き上げた印から放たれる黒い球体。
それはクオリアに今にも飛びかかろうとしていた番犬の前で弾け、その体を伏せさせる。
「了解っ。ソリッドっ!魔術お願い!」
今さっきまでチェシャの後ろを走っていたソリッドにそう告げてチェシャは急停止から逆向きに急加速する。
「チェシャ、三秒っ!」
チェシャがアリスの横を通り過ぎる瞬間にアリスが短く叫ぶ。
チェシャはそれに反応を示さずにそのまま駆ける。
伏せさせられた状態から立ち上がった番犬は目の前で大盾を構えるクオリアに赤い光の残像と共に今度こそ飛びかかる。
逃げるならまだしも、戦闘、それも彼女の役割だけをこなすので有れば。
「あら、情熱的っ!ねっ!」
クオリアは鎧を着込んだ自分よりも少し大きいそれを受け止めて、弾き返す。
神の試練で危険を冒して挑み、鍛錬を重ね、彼女にもたらされた……否、積み重ねられた力は本来で有れば不可能なその行動を可能にした。
そして、それは他も同様である。
中に浮かんだ番犬をチェシャは槍で叩き落とす。
どう考えても金槌ならまだしも槍で行うには使い方を間違えてはいるが、
彼の無理に答えるために作られた鋼玉製の槍は自壊することなく彼に答えた。
そして、チェシャは叩き落とした番犬に飛び乗り、槍を突き刺して全力で押さえる。
流石に点ではなく、面を抑えるのは厳しくすぐに彼は跳ね飛ばされる。
が、彼が為すべき事は為された。
響く発砲音。
銃弾はチェシャを振り解き、構え直した番犬の右前脚に直撃、爆発した。
悲鳴の代わりに何かの部品の破砕音がこだまする。
「しゃあ! ファイアー!」
意気揚々とソリッドは描いていた印を完成させる。遠くからでも分かりやすい大きさの二重円から飛び出すのは業火。
番犬は業火の海に呑まれる。
轟々と踊った炎の中を飛び出した番犬は流石が機械仕掛けと言うべきかあちこち焦げてはいるが、それ以上はない。
それでも、アリスが打ち込んだ爆発弾は確実に番犬の行動力を削いでいる。
火から逃げ出した番犬に接近したチェシャは槍をボロボロの右前脚に突き刺す。
決定的に壊れた音を立てて番犬は体を崩す。
「おっしまいっ!」
遅れてたどり着いたクオリアが大盾を番犬の頭部に叩きつけた。
血の代わりにさまざまな部品をばら撒き、番犬の目から赤い人工の光が消えた。
「かったいぃ!」
「最初、弾き飛ばしたの凄いね」
思わず大盾から手を離し、腕を緩く振るクオリアにチェシャが心底感心した様子で言った。チェシャには彼女と同じことが出来る自信はなかった。単に大きなものを弾くにしても、起点となる場所を見抜くのはやはり経験が必要だ。そこは得手不得手の領域だが、チェシャは素直な尊敬をクオリアへ向けていた。
「受け止めるつもりだったけど、意外とイケるものね」
「話は後だ。ここを離れるぞ」
「……?」
楽観的に笑ったクオリアがボイドを追うも、何かを見つけたチェシャはその場にしゃがみ込み、それを拾い上げてから歩き出す。それ──番犬から彼の元にまで飛び散ったそれの歯だった物を掲げて光に透かした。
「これ、何かに使えるかな?」
恐らく人の身など容易く噛みちぎったであろうその歯は番犬の元から離れはしても傷は無かった。
「拾ったなら早くしろ」
「うん」
ボイドはチェシャを急かし、自身も先に動いているアリスとソリッドの後を追った。
「ほんと、ここの層。殺意高いわねぇ」
「下にいたアレ、あんな面倒だとは思わなかった」
彼らが第四層に転移し、最初に見かけたのは二層にもいた機械人形。
異なる点は頭部に先ほどの機械仕掛けの犬の様にサイレンがある事。
彼らが監視者と呼んでいる五人の想定より索敵能力の高い機械人形に発見され、戦闘態勢に入った瞬間。
機械人形のサイレンが鳴り出し、現れたのは機械仕掛けの大型犬、それも二体。
脅威度も分からぬそれを相手にするのはリスクが高いと見て、その場を逃亡。
が、一度振り切ってもその間に他の機械人形に見つかるせいで続く負のループ。
それをなんとか打破したところだった。
「こっちにはいない……ね」
チェシャは早歩きで三人の後を追いながら、後ろを警戒する。
「あのワンちゃんを二体も相手にするのは流石に避けたいわね」
一体はあっさりと倒せた五人だが、保険的存在であるボイドの魔術を切らされる点を考えれば二体以上は厳しいのは明白だった。
二体以上となれば、まずは一体をボイドに頼らず効率的に倒せなければならない。
「とりあえず、見つからなければいいから頑張って隠れよう」
そうチェシャが言ったのも束の間。
「──はぁ。無理みたいね」
曲がり角の向こうからなっているサイレンを聞いてクオリアは大盾を構え直した。アリスたちが監視者に見つかったようだ。
「だね」
二人は駆け出して曲がり角の先に居る三人と合流する。
アリスは銃で機械人形のサイレンを壊そうとして、ソリッドは有効打が無いため、指を中に浮かせたまま歯痒そうに機械人形を睨みつけ、ボイドは離れて機械人形を観察していた。
「どうする?」
チェシャはボイドに尋ねる。
「まだ、あの犬っころは来ていない。可能なら倒してくれ」
「分かった!」
それを聞くや否やチェシャは駆け出す。入れ替わりでボイドの横にクオリアが近づいて、大盾を担ぐ。
「あたしは?」
「同じくだ」
「りょーかいっと」
遅れながらもクオリアはその後に続いた。
「腕退かしてっ」
通りすがりにチェシャは一言アリスに伝え、機械人形の足を狙う。
壊せるのであれば彼らが壊したいのは今も鳴り響くサイレン。
しかし、それは機械人形の太い腕とその先の鉄球に阻まれている。監視者もサイレンを重要視しているのが見て取れた。
故にチェシャは守られていない足の関節を攻撃する。
細かに攻撃してくるそれを煩しそうに機械人形は防御に割いていた片腕をチェシャに振るう。
チェシャはたまらず、後ろには飛ぶが、代わりに銃弾が二発飛来し、もう片方の腕に命中してその位置をずらす。
できたのはチェシャから見て無防備なサイレン。今し方発砲したアリスがそれを撃ち抜く暇はなかったが、彼女以外であれば攻撃可能な隙。
すかさずチェシャが槍を投擲する。
寸分の狂いなくサイレンへの道を通り、命中。けたたましい音が鳴り止んだ。
さらに、長い槍がサイレンに突き刺さった衝撃で機械人形は体を後ろに仰け反らせる。
今度は大盾が飛来して仰け反っていた機械人形の体を押し込んで転倒させた。
起き上がろうとする機械人形だったが、すぐに火の海に包まれた。
二層にいたそれよりも強くはあったが、耐熱性は相変わらずのようで、火の海が治った頃にはそれは動きを止めていた。
「周りには……居ないな。犬っころはともかく、こっちはまだなんとかなりそうだな」
「まあ犬呼ばれたら無理だけどね……」
槍を回収したチェシャが肩をすくめる。
「ロックってのはどこにあるんだ?」
「地図はあるが、ここが何処だかが微妙だ」
「十字路だから、ここか、ここか、ここ?」
地図を覗き込んだチェシャが地図上の三箇所を指差す。
「ああ。距離的にここはないから二箇所……最初は左に曲がったから西側のこれか?」
「いえ、ここは東通路よ。あそこに書いてるもの」
アリスが天井に付いている看板のようなものを指差していった。
「それがすぐ分かるのはアリスちゃんだけよ? ボイドも直ぐには読めないからねぇ」
ガラクタと化した監視者をいじくりまわすソリッドに拾ってもらった大盾を受け取り、クオリアは息を一つついた。
「この際それは良い。なら……、ここを右の突き当たりか。幸いだな」
「ロック? の解除って、どうやるの?」
「それは、わたしがするから大丈夫。でも……」
「でも?」
「認証システムが壊れていたらちょっと面倒かも」
「つまり、何かしらと戦わないといけないわけか?」
「多分……」
自信なさげにアリスはそう言った。彼女のおぼろげな記憶には神の試練のように門番のような存在がいた気がしていた。
「とりあえず、ここを抜けましょう。疲れるもの」
「だよなぁ。さっきも急に角から出てきやがった」
ぼやくソリッドにアリスが文句を言う。
「あれはわたしが止めたのに直ぐに角に出たソリッドが悪いんだよ?」
「う」
「あら? そうだったの~?」
悪戯な笑みで一杯にしたクオリアがソリッドを見る。
「ごめん……」
いつもより素直に謝ったソリッドにクオリアはやや面食らう。何か一言言い返すと思っていたのに、自分の非を認めて謝るソリッドにクオリアが彼の成長を感じた。
「過ちはある。気にするなとは言わんが、フォローは皆でするさ」
「なら大丈夫だ──ったぁ!」
ボイドの励ましにソリッドは調子に乗ってへらりと笑い、額に青筋を浮かべたボイドが感心していたのを取り消し、咎めるように軽く拳骨を落とすのだった。