ロック
「噂はお聞きしていましたが、まさか本当に第三試練を突破したんですね!?」
組合に訪れたチェシャから第三試練突破の話を聞いたアルマが机から身を乗り出し、いつになく興奮した様子で言った。
第三試練突破。つまり、チェシャ達は正真正銘の最前線探索者となったのだ。この件についてはセントラルの住人には公表されていないため、公式にはカナン達が最前線探索者とされている。
「余裕は無かったけどね……。あとこれ、仲間に書いてもらった資料」
チェシャがボイドに書いてもらった氷炎大空洞の地図と迷宮生物の資料をアルマに渡す。
几帳面なボイドによって氷獣、炎獣、それと門番である大蛇の攻略の糸口が書かれている。
「ありがとうございます! こちらも後で組合から支払いが出るのでお待ち下さいっ」
アルマはチェシャから渡された資料をまとめて角を揃えて端に置いた。そして、不安げな顔をしながらチェシャに尋ねる。
「もしかしてもう第四試練に行くおつもりですか?」
このスピードでここまで来た探索者がここでペースを落とすとは考えにくかった。
「ちょっと片付けることがあるけど、それが終わったらそうなるかな」
「そうですか。どうして──、いいえ、すみません。出過ぎた真似でした、忘れてください」
「終わったら、また言えると思う」
「ふふ。それ、すごく先だと思いますよ?」
「そうだといいな」
憂い顔で遠くを見つめてチェシャは言った。この冒険が終わった後、どうなるのかチェシャにも想像ができなかった。願わくば、五人でしょうもないことを駄弁って、真面目に探索をする。そんな日々を送っていたかった。
「え?」
チェシャか小声で漏らした声はアルマにはよく聞こえず、聞き返す。
「ううん、なんでも」
首を横に振ったチェシャが椅子を引いて立ち上がった。
「乗り合い馬車に乗らなくちゃいけないからもう出るね」
「あ、はい! 次はいついらっしゃいますか?」
「多分、四、五日後くらい? もしかするともうちょいかかるかも」
「分かりました」
「じゃ、また」
「はい。御武運を」
探索に行く気満々なチェシャの装備を見てアルマはそう言って見送り、
「……何を、目指しているのかなぁ?」
彼の見ていた遠くを探すように視線を彷徨わせ、そう呟いた。
*
グングニル第一階層。
「なあ、これ。歩きで行かなくちゃいけねぇのか?」
ソリッドが面倒そうに言う。
彼の腕には錬金砲は無くなっていて、代わりにそれがあった右腕には包帯が巻かれている。
「いえ、大丈夫よ。ちょっと待ってて」
「なんか、新鮮だね」
今し方転移装置から出たアリスがその横にある端末を操作し始める。その横でチェシャがソリッドの腕を見て言った。迷宮、つまるところ戦闘が起きる場所でソリッドが練金砲を付けていないというのは中々無いものだった。
「あんなので壊れると思わなかったんだよ……」
彼の言う通り、無理な使い方をした錬金砲は見た目上はともかく、中の機構が壊れて使い物にならなくなっていた。ボイドにも作り方はまだ分かっていないし、壊れた部品がどういう素材かも判明出来ていない。設計図はあるので、ボイドの研究が進めば新しく作れることは出来るらしいが、修理は諦めたらしい。
「まっ、オレにはこれがあるからなっ!」
自慢げに包帯のない左手で小さな二重円を指で描き、そこから小さな火の粉を吹き出させた。ソリッドの新たな武器だ。火力に関しては錬金砲に劣らない。
「いいなぁ」
チェシャは羨ましそうにその様子を眺めていた。チェシャは魔術を、ソリッドはチェシャの成長速度に槍裁きを羨ましく思っている。お互いの芝生はどちらからも青く見えるようだった。
「得意になるのはいいが、他の魔術も覚えるんだぞ?」
「えぇー……」
「当たり前だ。火力は増えても種類が減っているんだからな」
「ボイドの描いてる奴とか覚えれねぇよ……」
ボイドが使う魔術は複雑な紋様でそれ故、描くのにも時間がかかる。完成図がおかしくなると魔術も正常に発動しない。
「それを覚えるのがお前の仕事だ。諦めろ」
「うへぇ……」
「……やっぱり羨ましくないや」
芝生は一瞬で枯れたらしい。
チェシャはソリッドとボイドの会話を見て、そそくさに離れ、アリスに話しかけた。
「転移装置って飛ぶ場所変えられるの?」
「ええ。権限がいるから誰でもは無理だけどね」
アリスは振り向かずに端末を操作しながら答えた。
「へぇ、便利なものね。その権限ってあたしたちにはないの?一応、試練は三つも攻略したわけだし」
ボイドとソリッドのやり取りを同じく笑いながら見ていたクオリアがアリスの言葉を拾った。
「んー、分からない。スカーサハなら知ってるかも。ここでの飛び先はちょうどスカーサハのいるコントロールルームだから、ついでに聞いてみる?」
ちょうど、ボイドとソリッドのやり取りはソリッドが二つの魔術を覚えることに決定し、その印の写しをソリッドが面倒そうに見ている。
話が終わって手が空いたボイドはアリスの問いに答えた。
「そうだな。他にも聞きたいことも纏めてあるから出来ればお願いしたい」
「分かった。……ん、できたよ」
転移装置に光が灯り、五人はその中へと入っていった。
光の先はかつて処刑人が居た広間の手前の部屋。
「これ、もう居ないよね?」
「ええ、居ないはずよ」
先行するチェシャが振り返って尋ねる。
一瞬アリスの目が不安そうに揺れたが、それを留めて言い切った。
「よし、なら大丈夫」
「そこまで安心されても困るよ?」
チェシャはアリスの声も聞かずに、けれども臨戦態勢でドアを開けて広間に出る。
そこには何もおらず、敵が居ないことを確認したチェシャは小さく息を吐いた。正直もう一度あの兵器を相手するのは勘弁願いたかった。
「大丈夫、何もいないよ」
チェシャは四人を呼んでから、一足先にコントロールルームに足を運ぶ。
チェシャはコントロールルームに入ると、忙しなく動き続ける半透明の画面に向かって声をかけた。
「スカーサハ?」
『いらっしゃいませ。……第四層へのアクセス権を確認しました。第四層の地図は必要ですか?』
「……?」
声をかけたのはいいものの、何について話すのかを彼は全く考えていなかった。
対応に困ったチェシャは振り返ってアリスに助けを求める。
「スカーサハ、地図は印刷出来る?」
『インク、紙共に不足。印刷器具にも破損が生じているため不可能です。電光版に表示することのみ可能です。』
「そっか、じゃあそれでお願い。ボイド、地図かして?」
「あ、ああ」
アリスとスカーサハ以外には分からぬ単語も一部使いながら会話を終えたアリスはボイドから受け取った地図とペンを手に半透明な板を見つめた。
『23%、58%、74%、91%……100%。表示します。』
取り留めのなさそうな動きをしていた半透明な板に表示されているものが突如全て消え失せ、一つの地図を映し出した。
「ボイド、写しておくから今のうちに聞きたいこと、聞いておいて」
「……了解した。スカーサハ、少し聞きたいことがあるのだが大丈夫か?」
『マスター命令によりこの画面を変えることは不可能ですが、音声による応答は可能です。』
「それで大丈夫だ。まず……、異常個体とはどういうものなんだ?」
彼らが前に出会った本来持たぬ力を扱うビッグディアーもまた異常個体の一匹だった。
スカーサハは少しの間を置いて返答する。
『基本的には迷宮生物は中の魔力を吸収することによって成長します。しかし、迷宮生物ごとに吸収できるキャパシティが決まっているため、本来であればそれ以上吸収できないか吸収して肉体が破綻するかのどちらかとなります。肉体の破綻をも乗り越えた場合には異常個体となりますが、数十年に一度あるかないかの非常に稀有な例です。』
しかし、チェシャはセントラルに訪れてから異常個体に二度出あっている。さらに言えば、数十年に一度と言われているものの、ボイドの知る限りは組合の記録にも数年に一度の頻度で異常個体が出現している。矛盾が発生していた。
「だが、実際は違っているのは何故だ?」
『権限レベル不足の為詳しくはお答えできませんが、魔力吸収機構の不具合が原因の一つです。』
「不具合?」
メモ帳の上をペンで走らせるボイドの手が止まる。
『魔力吸収機構は各地の迷宮の魔力を吸収します。ですが、経年劣化によって魔力吸収機構の元へまで吸収できず、神の試練内で拡散する場合があります。これによって魔力が異常に濃い場所が発生して、この地点に発生した迷宮生物は肉体構成がは安定な為、多くの魔力を取り込むことに適した異常個体になりやすい傾向があります。』
「もしや、このままだど異常個体は増える一方なのか? 経年劣化のせいだろう?」
『肯定。故にマスターアリスには魔力吸収機構に停止させるためにグングニル内のロックを解除してもらう必要があります。』
「……ここからはわたしが話すわ」
地図を書いていたアリスの声に皆の視線が彼女に集まる。
「簡単に言えば、魔力吸収機構を止めないといけないの」
「それは今聞いたが……魔力吸収機構を止めればまた魔物が溢れかえるのではないのか?」
自然に沸き立つ問い。もともと、魔力吸収機構の目的は世界中の迷宮の魔力を取り込み、魔物を再現した迷宮生物を神の試練内で生み出すことで世界各地での魔物の発生を防ぐことだ。今でも魔物は発生するものの、討伐できないほど質の高い、量の多い魔物が現れたケースはない。、
「ええ、けれど魔力吸収機構は多分もう容量が限界。もし許容範囲を超えて破裂すれば魔力の奔流でこの大陸ぐらいなら簡単に消し飛ぶわ。……千年前の時の予測ではもう少し持つはずだったけどね」
「限界……。もしや魔力吸収機構には約千年分の各地の迷宮の魔力をそのまま溜め込んでいるのか?」
「そう、それが溢れるのを遅くするために魔力と中和する薬剤をここで生産しているのだけれど、多分生産器具が壊れたのかも。よね?スカーサハ」
『はい。グングニル内の施設の多くは魔物によって破壊されています。一部は残っている為ある程度は時間を稼げています。』
「書けたわ、スカーサハ、分かりやすい図はある?」
アリスの声で半透明な画面に写っていた地図が消えて、高い塔の図面──グングニルの全体図のようなものが映し出され、その多くが赤く染まっている。見るからに赤い部分が危険に見える、
「赤色ばっかじゃねえか」
話をあまり分かっていないソリッドも視覚的に分かりやすい図を見て言った。
チェシャも同様に頷く。
「ええ、もうグングニルもあまり持つ訳じゃない。勿論、耐えるだけならあと百年ぐらいならなんとかなるけれど、その頃には取り返しもつかないの。だから、魔力吸収機構をどうにかしないと」
「具体的にはどうするつもりなの?」
クオリアの問いにアリスは髪を弄りながら少し考え込んだあと口を開いた。
「魔力吸収機構のところに行くために、さっきスカーサハも言ってたけど、ロックを解除しないといけないの」
「ロック?」
「うん、スカーサハ、確か三つあったよね?」
アリスが視線を半透明な画面に向ける。画面はグングニルの図を消して、三つの地図を表示した。
「第四、第五、第六層にそれぞれロックがあるの」
「随分厳重だな」
「元々、気軽に来る施設じゃないのよ」
ある程度話が纏まってきたのを察知したチェシャは会話に入る。
「結局、どうするの?」
チェシャが話を静かに聞いていただけ進歩と見るべきか、ほとんど理解できていないのを嘆くべきか。
そんな内心が見えるような顔と共に三人は苦笑した。