探索・氷炎大空洞・4
なんだかんだで50話目です。
お読み頂いている読者さんに感謝を。
氷の蒸発音。
既に辺りは水蒸気で満たされていて、湿度は計り知れない。
少年の小さな大砲から噴き出される火炎の熱気と湿度のせいでこの場にいる五人の肌には汗が浮かび、本来の温度ではそれは有り得ない事だった。
「半分いったよー」
氷塊と四人を半分ずつ視界に入れられる位置で立つチェシャが皆に向かって報告する。
冷静に考えれば氷塊を融かし切る必要はない。潜り抜ける穴さえあればいい。さらに言えば、ほんの少しなら掘ってもいいだろう。
「火炎瓶の残りは半分切っていない、余裕だな。強いて言えば……」
鞄を覗いたボイドは振り返る。そこにいるのは座り込む重装備のクオリア。
軽鎧とはいえ、この中では排熱性最悪の装備である彼女は冷たい壁に張り付くようにして熱気を凌いでいる。
そんな彼女を哀れむアリスはボイドのクリップボードを持ち出して団扇の代わりにして彼女へ風を送る。
五人がここに来てから約三十分。氷塊はまるでトンネルのようにくり抜かれていた。
それを為しているソリッドは額に浮かぶ汗を左手で拭いながら右手の錬金砲で炎を放っては装填を繰り返す。
作業が苦手なソリッドには似合わぬ程の集中力を見せ、未だ狙いは狂わず氷塊の一点に炎を浴びせる。
彼の顔はいつになく真剣そのもので、いつものような楽観的とも言える笑みはない。
そんな彼の雰囲気に引っ張られてか、他の四人も最低限の会話しかしなかった。
雰囲気として良いか悪いかはともかく、最高効率で行われる作業は淡々と進む。
目に見えてわかるほどの進行速度。
冷気を放ち続ける氷塊が融けるのに伴って上がる気温。
見計らったかのようにそれは現れた。
「何か来た!」
チェシャが槍を手に叫ぶ。
現れたのは氷獣に似た狛犬。
相違点は冷気ではなく熱気を纏っている事。故に名前は直ぐに判明する。
「炎獣だ! ソリッド、氷冷瓶!」
「こんな時にっ!」
指示通りにソリッドは横に大量に積まれた火炎瓶ではなく、鞄から別の瓶を取り出し、錬金砲に中身を流し込む。
「あっつ」
炎獣と相対したチェシャは想定外の暑さにたじろぎ、身を引く。
代わりに発砲音が一つ。
呼応するように狛犬も遠吠えを一つ。
飛来した弾丸はジュッと音を立てて消えた。
「えっ!?」
流石に跡形もなく溶けると思わなかったアリスは驚きその場に硬直する。
「さっさと倒れろっ!」
続いてソリッドの錬金砲から噴き出された冷気の玉。氷獣に火炎放射を当てたときのように白い煙を吹き出す。水蒸気の煙が辺りを覆い隠していく。
「っ!」
熱気が消えたことに気付いたチェシャは駆け出す。同じくアリスももう一度発砲。
氷獣と同じく、周囲の熱気を奪われては直ぐには生み出せないのか回避行動を取ろうと体を沈ませた炎獣を妨げたのは二人の攻撃よりも先に飛来した大盾。
「ほんとっ。熱いのも寒いのも、やっ!」
大盾を投擲したクオリアは肩で息をしてそう言った。どちらも嫌なのは皆も同意だが、暑さが特に嫌いなクオリアは炎獣に対しこの迷宮での恨みを解き放つかのように睨みつける。
突如の衝撃によろめいた炎獣は点を突く二つの攻撃をまともに頭に受け、血を吹き出す。
クリーンヒットを受けた炎獣はその場に倒れその身を霧散させた。
「対処次第は氷獣と同じで大丈夫そうだな。ソリッド、早く作業を終わらせるぞ」
「わーってる!」
再開する作業、他の三人も定位置につく。
今度は邪魔されることなく作業は円滑に進み、やがて氷塊にトンネルが完成する。
それから少しすると強引に開けられた穴と自重によって大きな音をたてて氷塊はがらがらと崩れる。
体積が減ったせいで温度もさがり、後半は勝手に融けているところもあった。
「おわったぁぁぁ」
ソリッドが大の字に倒れる。
「お疲れ様。褒めたいのは山々だが、ここでは寝るな」
ボイドは優しい口調で言った後にソリッドに手を貸して彼を助け起こす。
「帰るのか?」
「そうだな……」
ボイドは意見を求めるように三人の方へと体を向ける。
「任せるわ」
「わたしも」
「じゃあ俺も」
思考放棄。ボイドはそんな言葉が似合いそうなクオリアの口調とそれに乗った二人に呆れ、苦笑する。
そして、幾分か思考した後に口を開いた。
「いつ閉じるか分からん、少し先だけ見ておきたい」
その言葉に皆は頷いた。
*
五人が階段を降りた先にあったのは通路。そしてその先には大広間。広間を跨いだ通路のさらに奥には重厚な大きな扉。距離がかなりあるのにくっきりと見える黒い大扉は重い存在感を放っている。
「第二試練と似ているな。あと気温も普通だ」
クオリアが胸を撫で下ろして息を吐いた。
「でも、降りて直ぐは広間じゃなかった?」
「そうだったか?」
「ん。わたしもそう思う」
「じゃあ何かあるんじゃねーのか? あの広間によ」
「ここからじゃなにも見えないが……。とりあえずそこまで行くか」
チェシャを先頭にクオリアを最後尾に。いつもの布陣で五人は通路を進む。
広間が近づいてきた頃、不意にチェシャが止まる。
「いっぱい……」
「いっぱい?」
首を傾げながらチェシャはそう言った。
意味がわからずアリスがおうむ返しをする。
「何となくだけど沢山いる感じ」
チェシャにそう言われたアリスは目を閉じて意識を集中させる。
「あ、本当だ。何かいる」
「君も分かるのか……慣れてきたのを祝うべきか嘆くべきか」
「どーでも良いだろ? そんなこと。チェシャ、数は?」
ボイドの背を叩いたあとソリッドはチェシャに尋ねる。
「分からない。でも広間いっぱいって感じかな。見えないから何ともいえないや」
「とりあえず、警戒して進みましょ」
クオリアが締めくくり、五人は警戒態勢で広間へと出る。
最初に広間に入ったチェシャは周りを見て息を呑んだ。
そして彼は次にそれを目にしたアリスが思わず声を上げるのを手で口を押さえて防ぐ。
ボイドは静かに後退りし、ソリッドは左手に火炎瓶を掴み、クオリアは大盾を構え直した。
大広間にいたのは赤色の大きな蜥蜴。それも壁面の至る所にいた。
文字通り至る所であり一種の飾りかと思うほどに当たり前のように広間は蜥蜴で埋め尽くされている。
蜥蜴達の尻尾には炎が灯っていて、それは蜥蜴が普通の蜥蜴ではなく迷宮生物であることを暗示する。
なまじ赤いせいで遠くからは見分けがつかなかった。もしかすると擬態すらしていたのかもしれない。
「寝てるのか?」
ボイドは小さく呟く。これら一斉に襲い掛かれたらと考えて静かに身震いした。
「かな、だから気配があんまりしなかったのかも」
油断なく静かに槍を構え、同じような声量でチェシャは言葉を返す。
蜥蜴達は壁面に張り付いたまま静かに体を上下させるのみ。それは人間の肺が膨らむことによって起こるものと似ている。
壁面、そして上を見上げれば天井にも張り付いている蜥蜴達だが、地面には何一つ居ない。その異質さはまるで罠だった。通ろうとした瞬間に一斉に襲われるのではと思ってしまう。
「これ、通れると思う?」
チェシャは振り向かずに四人に尋ねる。
彼自身は通りたくない。彼の直感が危険だと警鐘を鳴らし続けている。
しかし、ゴールは目の前なのだ。ここで帰るのも癪だった。
「起きれば死ぬんじゃないかしら?」
言っていることとは裏腹に楽観的な声の明るさでクオリアは言った。
「この状況でよくそれでいられるな……。とりあえず静かに歩いて、何かあったら即近い方の通路に避難。それで頼む」
「分かった」
アリスとソリッドは言葉は発しないが、返事の代わりに油断なくそれぞれの武器を構える。
張り詰める一行の空気。
広間の通路から通路までの距離はおおよそ五十m。全速力で走れば十秒も要らない。
が、その道を最大限に警戒歩行すればかかる時間は膨れ上がる。
不意に壁面の何処かにいる一匹の蜥蜴の尻尾が壁面を叩き、音を鳴らす。
それに驚いて肩を跳ね上げたアリス。
しかし、その個体が起きていたわけではなく、彼女は息を殺しながらも一度ゆっくり脱力する。
最後尾にいるクオリアが彼女の背中を軽くさすり、彼女を落ち着かせる。
チェシャはその様子を確認してから進行を再開。
半分を過ぎた。ゴールは見えているのに中々に辿り着けない。時間にすれば長くもないが、最大限に意識を払って過ぎる時間は密度の濃いもので、見た目以上に精神を疲弊させる。
焦ったくなったのか、ソリッドの足音が少し大きくなる。
それに気づいたボイドは彼の両頬を片手で挟み込み、声を発させないようにしながら意図を伝える。
歪んだ口から小さく怪音を吹き出したソリッドはボイドが言わんとすることを理解すると、足音を消した。
響くのは微かな足音と、蜥蜴達の尻尾の炎が小さな火花を打ち出して焚き火のように弾ける音。
全体の四分の三まで辿り着いた。
ゴールは目と鼻と先。
が、それは興奮と油断を誘う。
ずっと腕を上げたままだったソリッドが疲れたのか、錬金砲をつけた腕を下ろす。
そっと行えば事は起こらなかった。
が、神経衰弱のように短時間で酷使された精神と筋肉と思考は彼の行為を悪化させる。
一気に脱力したことによって錬金砲の金具と彼の足音が同時に強く鳴る。
その音によってゴール付近の壁面にいた蜥蜴の何匹かが体を震わせた。
「走って!」
チェシャの迅速な判断。隠密行動を捨て即座に強硬手段に入る。
勿論、事前に伝えられていたとはいえ、まだいけるかもしれないという淡い期待などの余計な思考を捨てて即座に行動できるのはは彼の長所であり短所でもある。
この時で言えばそれは長所だった。
彼の声に従って走る四人。
その足音に反応して次々に起き上がる蜥蜴達。ゴールの通路近くの壁面にいる蜥蜴が顔をこちらに向け、胸を膨らませる。
「アリスっ!」
チェシャが叫ぶ。
それに答えたのは発砲音。
それが成したのは蜥蜴達の膨らんだ胸から吹き出した血と炎。
しかし、もうほとんどの蜥蜴が起き上がり先程撃たれた蜥蜴達のように胸を膨らませている。
「飛び込んでっ!」
自身は通路の脇によってから叫ぶ。
ソリッド、ボイド、アリスの順に通路に飛び込む。装備のせいで遅いクオリアはチェシャが補助して引っ張り込む。
二人が通路に体を滑り込ませた瞬間。後は炎で赤く染まった。
間一髪。
幸い、通路にまで炎は来ないようで、炎は広間の中で荒れ狂っていた。
「はぁ、危なかったぁ。チェシャ君ありがとね」
クオリアが土を軽く払って立ち上がる。
チェシャは彼女に対して無言でサムズアップをして答えた。
「すまねぇ、オレのせいで」
肩を落として謝るソリッド。
彼に向けられる視線に厳しさは何一つない。
ソリッド以外も集中力を消耗していた。結果論だが、生き延びることも出来た。問題などない。
「気にするな、むしろあそこまで耐えた方が珍しい」
ボイドは嘲笑うような笑みで、煽るように言った。
こういえば、ソリッドがどのような反応を返すかかねがね予想出来ている。
そして、
「それ、どういう意味だよっ!?」
当然のようにそれに乗るソリッド。
いつもの言い合いに近い雰囲気に戻ったことに安心して、アリスは張り詰めていた顔を綻ばせた。