バカ
クオリアの怪我のため休暇中、ソリッドはボイドと共に街の外れにいた。
ソリッドの魔術の練習、特に魔力の放出についての訓練を行っている。
「うーん、こうか?」
ソリッドは空に指で何かを描くがそこには何も残らない。
ボイドが魔術の印を描くときは指先に淡い魔力の白い光が灯っている。
しかし、今のソリッドには光は欠片さえ灯っていない。魔力が一片たりとも放出されていないのだ。
「魔力が出ていない。魔力の出力を感じられても自分で出来なければ意味はないぞ」
「くそー、錬金砲を使ってる時はなんか引っ張られる感じはするんだよ……」
「それを自分で出来ないのか?」
「出来てればかけてるぜ?」
「……まあ急ぐ必要はない。火力自体は錬金砲で十分に出ている」
ボイドの言葉に肩を落とすソリッド。
確かに彼の言い分は事実だが、ソリッドは錬金砲に頼るのは嫌だった。
「──そういうことじゃねぇんだよ」
「何か言ったか?」
ソリッドの呟きはボイドには聞こえなかった。
「いや、なんでもねぇ」
「そうか?……とりあえず、もう一度描くぞ?」
ボイドは宙に指を走らせる。
その指には仄かな光が灯っており、宙に印を描く。
描かれたのはボイドがよく使う脱力の印。その印は半分だけ染められた星の絵の重ね合わせ。
規則的に描かれた星が幾重にも重なることで幾何学的な印が描かれる。
いつも見るよりも淡い光の印は小さな黒い球体を生み出し、直ぐにはじけて消えた。
「見たけどよぉ」
ソリッドは納得がいかなそうに似たように宙を指で走らせるが光は灯っていない。
「……全身からかき集めるイメージはどうだ? 動く魔力が少ないから出せないという可能性も……どちらにせよイレギュラーだが」
「全身から……むむむぅぅ」
眉間を寄せて全身に力を入れるソリッド。その状態で同じように指を宙に走らせるが特に代わり映えはない。相変わらず、宙に指を走らせて終わるだけ。
客観的に見ればかなり滑稽に映ってしまう。
「ダメか……」
「オレは諦めねぇ!」
唐突に叫び出し、先ほどよりも力を込めるが、だからといって変わるわけでもない。
相変わらず子供のごっこ遊びのような絵空事で終わる。
「あーくそー」
脱力して地面に腰を下ろすソリッド。いつまでたっても進展しない自分に苛立ち、噴水の水面を手で叩く、ぱしゃりと水が跳ねて彼の顔にいくつか水滴がとびかかるも、季節的には暑いので彼にとってはむしろ心地いい。
ボイドは噴水の縁に腰掛け、メモ帳に記入している。
日付らしき記入に、みっちりと埋められた文章。まるで日記のようだが、箇条書きで丁寧にまとめられた文章はとりとめなく言葉を綴る日記とは違い、何かのレポートのようだった。
「何書いてんだー?」
「今までやってきたお前の修行のやつだ」
興味を示したのか跳ね起きてボイドに近寄るソリッド。
ボイドが何かするときは大抵意味がある。聞いて退屈な話もあるが、自身の成長のため、ソリッドがボイドの作業を覗き込むのはよくある話だった。
「見せてくれよ」
「たいしたものじゃないぞ?」
ペンを動かす手を止めてメモ帳をソリッドに渡す。ソリッドはそれを目にして目を大きく見開く。
そこにはソリッドが今までやってきたものの結果や、反省点などが記入されている。
ページをめくると日付がどんどん遡っていく。錬金砲を撃った後に描いてみたり、魔力を増やす噂のある物を食べてから印を描いてみたりと日付ごとに様々な情報が載っていた。
最初の日付は彼がボイドに魔術指南を頼んだ時。そして、今の日付まで訓練の仔細が事細かく残っている。お陰でソリッドのことしか書いていないはずなのに、メモ帳の紙がもうなくなりそうだった。
「……これ、一番最初からあるじゃねえか」
「ああ、論文に使えると思って全て取ってある。まさかこれひとつでメモ帳一つ使うまでになるとは思ってなかったがな、はははっ」
炎熱の月。当然噴水の近くとはいえそこそこに暑いものであり、ボイドは中の薄手のシャツを晒しながら白衣をはだけて噴水の水を手で叩き、涼む。
隠すつもりもなければ説明する気もなかったこのメモ帳の中身。普段は帰ってから書いているのだが、宿の近くだったこともあり、なんとなく持ち出していた。バレてしまったことに一抹の恥ずかしさを覚えて、ボイドがそっと目線をそらしている。
「──お前、ほんとバカだな」
「バカだから沢山するのさ、簡単だろ?」
ソリッドは呆れ笑いを浮かべた。
暑さにやられていることもあってかいつものキリリとした口調がだらけている。
興味深いものを見つけて好奇心に駆られているときのボイドと今のボイド。
半年一緒に過ごしたソリッドはどちらが素の彼か分からなかった。
「確かに簡単だな」
ソリッドはメモ帳をボイドの鞄にしまって上の服を脱ぐ。
それを地面に置いた後、ソリッドは噴水に飛び込んだ。
跳ね上がる水の柱。
水深は溺れる程ではないが、ソリッドの腰程度まであるため、跳ねる水の量は多く、近くにいたボイドにまで水がかかる。
「ソリッド、もう少し周りを考えろ」
「すまん、一度リセットしてみたかったんだ」
水に濡れた髪をかきあげ、オールバックにしたソリッドは深く息を吐く。
程よく脱力している彼の指に僅かに光が灯る。その指が宙を走る。描かれていくのは円、そうしてその丸を囲むようにまた円を描く。
出来上がったのは二重丸。
簡素なその印から吐き出されたのは炎。
しかし、その炎は灯火のように小さかったが、確かに印を描き、炎を吐き出した。
起きた事象は些細な事。けれど、これまでの努力がなんだったのかと疑いたくなるほど、ソリッドはようやくスタート地点に立てた。
彼が起こした灯火が消えた後、ソリッドは満面の笑みを浮かべてボイドを見る。
「みたか!? でたぞ!」
「ああ。全く持って原因が分からんのが癪だが……おめでとう」
拍手を送るボイド。その拍手に改めて成功をを確かめたソリッドはグッと拳に力を貯めた。
顔が濡れているせいで、ソリッドの瞳から嬉し涙が零れていることにボイドは気付いていない。
「──っ! よっしゃあああぁぁ!」
街の外れで大きな叫び声が挙がる。
因みに時刻は早朝の事であり、この後近隣の住民に叱られたのは言うまでもなかった。
*
チェシャは探索者組合でアルマと向かい合って座っている。
「もう、ですか?」
「うん」
「皆さんの進行速度には目を見張るものが有りますが流石に無茶ですよ?」
チェシャを諭すアルマ。
彼が言い出したのは第三試練の大迷宮、
氷炎大空洞の情報が欲しいということ。
「無茶でも急がなくちゃいけないから」
それだけ言ってアルマを見つめるチェシャ。
アルマはため息を吐きたかった。生き急ぐ必要などないと諭したかった。けれど、それは彼女の仕事の範疇を超えているし、彼女はむしろ彼の溢れ出る探索意欲をサポートするのが仕事だ。
だから、何も言わず資料を用意するべきだが、彼女はそれをよしとしない。
「……もし死んじゃったらどうするのですか?」
「死なないから大丈夫」
暴論を述べるチェシャにアルマが堪えていたため息を吐きだす。
やがて彼女が折れて席を立ち、資料を運んできた。
「氷炎大空洞の情報ほ他の迷宮に比べてまだ埋まっていません。出現する迷宮生物も一種類のみですし、判明している地図も地下一階、それも地下二階へのルートしか……」
「十分」
「はぁ。分かりました」
アルマは最後の抵抗とばかり、今は厳しいと暗に告げるも、強情なチェシャにあっさりと言い返されて肩をすくめた。
彼を止めることを諦めたアルマは説明を再開する。
「とりあえず地図についてはこの通りですので後で写しをお渡しします。この迷宮の特徴としては二つの顔があるということです」
「顔?」
「そうです。あっ、この顔じゃないですよ?」
アルマは自身の顔を触って訂正する。
人と接する職業柄、ハリや艶も意識しているため、弾力のある肌が彼女の手を押し返した。
「この迷宮は普段は他の迷宮とは違ってとても暑いです。その原因が……」
アルマは一枚の絵を取り出す。
それは蛇が脱皮したあとの皮のようなもの。それの拡大したような大きさ。ざっと通常の十倍はあるだろう、横に添えられた大ネズミ五体の積み重なった絵がその大きさを語っている。
それと脱皮したにしては皮がひとつながりで綺麗すぎた。本来の脱皮ではひとつながりで綺麗に抜けることはない。
「なにこれ」
「これはですね、誰のものかはわかっていないのですが、迷宮生物のものらしく、とても高温です。これのせいで迷宮全体が熱されています」
「これひとつで?」
「いえ、いくつかあるみたいですね。とにかくこれを冷やして迷宮の温度を下げます。すると、地図で言うとこの辺りの水が凍って奥に進めます」
地図の青く染色されたエリアを指で示すアルマ。
右上の注意書きに青色が水で埋まっていることを示していた。
「泳いじゃダメなの?」
「それがですね、水中には迷宮生物がいるらしくて、一人これに足を引っ張られて溺れて死んでいます」
「その迷宮生物が判明している一種類?」
「違います。判明しているのは地下一階にいるこの氷獣という迷宮生物です」
出された資料は大きな狛犬のような迷宮生物。
狛犬の周囲には霜が降りた絵もある。
「この迷宮生物は冷気を使った攻撃をするのですが、この脱皮した皮を冷やす手段がない場合はこの迷宮生物の攻撃をこれに当てることになるそうです」
「じゃあこの地図が迂回しているのはそう言うこと?」
地図は真っ直ぐ進めばすぐに地下二階への階段に行けるが、何故か左と右にも道が書かれている。
「はい。ここを潜っていらっしゃる探索者さん達が書いたものです」
「その人達はもう二階に?」
「ええ、ですけどパーティメンバーが怪我をしたとのことで今は第一試練の方に潜っています」
「ってことは……」
今第三試練の大迷宮に挑むのはチェシャ達だけであるということだった。
つまり、ここからは本当に先人と知恵を借りられなくなる。特に情報もなしに門番に挑むことは対策が出来ないということだ。出来ても推測だけ。
「ですから無茶と言ったんです」
「とりあえず、仲間と相談する。写し頂戴?」
「……はい」
──どうしたらこの人は立ち止まるんでしょうね……?
アルマは行くか行かないかでいえば行くに偏っている彼にため息を吐きながらも頷いた。