摩訶不思議
翌日、ボイドが調べ物がしたいと言ったために臨時の休日となり、氷の納品はバーアリエル近くに用事があったアリスが向かうこととなった。
時刻は昼過ぎ、鳴らさせたドア裏に付いているベルの音がアリスの入店を店内に告げる。
「しゃーせー。あっ、いつもの五人の嬢さん。ええと、アリスさんじゃないですか。何か御用です?」
店番していたのはシェリー。長い青紙を束ねている彼女が要件を尋ねる。
「これ。持ってきたよ」
アリスが氷一杯に詰まった氷嚢を渡す。保温性に優れている氷嚢の中の氷は一日立ったにも拘わらずほとんど溶けていない。
「うわぁ、本当にすぐ持ってきましたね。お疲れ様です。報酬はまた今度でいいです?」
少し嫌味っぽさを感じるが、その語気は軽いもので苛立ちを覚えさせるものではなかった。
「ん、大丈夫。それより、早く持って行かなくていいの?」
「おっと、そうでした。人少ないし行けるかな。すみませんがもし人来たら注文待ってもらうように言ってもらっていいです?」
「あ、うん。分かった」
「すみませんね。少しの間宜しく頼みます」
身に付けていたエプロンを手早く外して畳んだのちに氷嚢を持って店を急いで出て行った。
「……」
なんとなく手持ち無沙汰になったアリスは店内を見渡す。
広いと言うほどでもない店内にいるのは六人組。男二人と女四人の比較的珍しい男女比。
「ゼルケルクス討伐、加えて第一試練突破を祝ってカンパーイ!」
その文からして探索者であろう人たちのリーダーらしき灰髪の男性がジョッキを持ち上げる。
「乾杯!」
それに合わせて他の五人がジョッキをそれぞれぶつける。
揺れる中身の麦酒。六人ともとてもいい笑顔を浮かべている。
「へぇ。凄い」
六人には聞こえないであろう音量で呟くアリス。第一試練を突破するパーティというの、日々を生きる為だけなら、第一試練試練で採取をすれば良いのもあって数は多くはない。
そして、第一試練の番人といえば洗礼の雄叫び。あれを乗り越えたことを意味する。アリスが思わず言葉を漏らすのも不思議ではなかった。
にぎやかな六人の声を背景に、アリスはカウンター席に座って鞄から本を取り出して読み始める。
本のジャンルは彼女が好きな英雄譚。
時々頬を緩ませたり顔を強張らせたりしながら読み進めるアリス。
一人の世界に耽っていた彼女にリーダー格らしき灰髪の男性が話しかけた。
「君は探索者?」
彼はアリスが履く靴が探索向けの物であることを見てとり、そう問いかける。
「ええ、何か? 祝い事じゃないの?」
暗に戻らないのかと言うアリス。声も普段より低く、警戒しているのが分かりやすいのだが、男性はにっと口端を上げて整った顔に笑顔を浮かべた。
「ああ。ゼルケルクスを倒した祝いさ」
残念ながら言外の質問は伝わらなかった。
アリスは彼にはばれないように面倒そうに顔をしかめた後に言う。
「おめでとう。あの恐ろしい雄叫びを乗り越えるなんてすごいね」
「ああ、ありがとう。あの雄叫びは厄介って聞いてたから俺の魔術で封じたのさ。凄いだろう?」
子供のような自慢。けれどもあの雄叫びを封じたというのであれば、その魔術もかなりのものであるのが事実だった。ボイドでもほんの一瞬しか止められない上、消費も激しい。彼の魔術の上位互換かもしれないと内心称賛する。
しかし、アリスの返しはそれに対する称賛ではなく。
「……雄叫びを乗り越えずに倒したの?」
雄叫びを封じたのは称賛されるべき事実だが、洗礼を受けずに第二試練へ向かうと言う側面もある。
「乗り越えずにってあれをまともに受ければ誰かがやられてもおかしくないんだぞ?」
「そう」
興味を失ったのか本を読むのに戻ったアリス。
男性が言うことは正しく、合理的な行動だったが、獣王の雄叫びに正面から立ち向かったチェシャを見ているアリスとしては見劣りしてしまうのもおかしくはないだろう。
ベルの音。
「お待たせしましたアリスさん。報酬持って行かれます?」
店内に入ってきたのは小さくなった氷嚢を持つシェリー。
彼女は少し雰囲気に悪い二人を見てその間に割って入る。
「どうしました?」
「……いや、何でもない」
不服そうにはしているが、男性は五人の元へと戻っていった。
「ありがとう」
「店員の義務ですから。──面倒ですけどね」
相変わらずなシェリーにアリスは笑った。最近は休みの日に遊びに来てシェリーと会話することも増えていた。お陰で彼女たちの仲はとても良好だ。
「あと、この残った氷は良ければ買い取っても大丈夫です?」
「何かに使うの?」
「ちょっと新メニューの研究に使おうかなと。とは言ってもほとんどウチの願望ですが」
「願望って、ふふ。別に良いよ」
了承するアリスに、シェリーが金色の硬貨一枚──一万ゼルを差し出す。
「ありがとうございます。お代はこのくらいで大丈夫です?」
「多くない? 確か魔術の氷がこのくらいで五千ゼルだったよ」
単純にぶつける為の氷なら、ともかく、安全かつ長持ちする氷は魔術できない。その場合は水を冷やして作り、手間がかかるので値段も張る。
「もし新メニューが出来れば時々納品してもらうための布石ですよ」
「布石って言っちゃダメじゃない?」
「まあまあ」
のらりくらりと躱されてアリスは金貨を押しつけられた。
「むー、いいけどさ。……新メニューって何?」
食にはうるさいアリスは新メニューに食いつく。
「開発できてからのお楽しみで、出来たら一つ目はサービスしますよ。きっと気にいると思いますし。甘いもの、お好きでしたよね?」
「本当!? ありがとう!」
「いえいえ、お得意様ですからねぇ。このくらいの労力は仕方ないです」
「ねぇ?」
「おっと冗談ですよ」
戯けた風にシェリーはそう言った。
*
二度目の氷中洞窟の探索。
「ボイドー、昨日は何を調べてたの?」
チェシャがボイドに話しかける。
「氷喰いの資料を少しな、わざわざ遠出した割には何もなかった」
「ふーん、今日はどうするの?」
「もう一度あの氷柱の場所に向かいたい」
「分かった。ルートは大体覚えてるけど間違ってたら言って」
「了解した」
「どうしてあの氷柱の所?」
アリスが尋ねる。ボイドは口を開きかけたまま、停止してしばらくしてから返答した。
「少しな。ついでに氷も採取しておこう、出費も馬鹿にならん」
「オレが魔術使えたらなぁ。なぁボイド、まだ使えるようにならねぇのか?」
ソリッドが空中に魔術の印を描く真似をする。
「私も正確な修得方法は知らん。やっているのはお前の欠陥である魔力の放出の改善だ」
「魔力の放出?」
アリスが首を傾げる。
「魔術の発動には魔力で印を描く必要がある。印については置いておくとして、こいつは魔力が自分の意思で出せん」
「悪かったな」
むすっとした顔でソリッドは言う。言い返さず拗ねる辺り、かなり気にしているようだ。
「別に誰も責めてないわよ。この子が錬金砲を持ってるのはその改善の為であるの。これを使うには魔力もいるからね」
クオリアが宥めながら補足を入れる。使用する魔力の量はボイドでは数発しか撃てないほど多い。
「へぇ、あの瓶さえあれば撃てると思ってた」
「なら私が持っているさ。こいつは魔力だけは馬鹿みたいに持ってる……いや馬鹿なのは事実か」
「だね」
「おいチェシャ! そこ頷くなよ!」
「ははっ。ソリッドが錬金砲を持ってたのはそれもあるんだ」
「ああ。放出の兆しも見えている。その証拠に錬金砲の威力も多少とはいえ上がっている。一応毎晩印も描かせているが……」
そこまでいってボイドをじっと見つめる。意味ありげなその視線によってソリッドはたじろぐ。
「なんだよ」
「どうして爆炎の印しか練習しないんだ? もっと簡単なものなら出来るかもしれないだろう?それが出来てから他のを練習すればいい」
難度としては中級者が使うものに分類されるので最もな正論。ソリッドはしばらく唸った後にこう言った。
「だってよ──、カッコいいじゃん」
目を輝かせて言われては強くは言い難く、ボイドは話を変える。
それに彼の憧れの話は聞いていた。
「はぁー、まあいい、いや良くはないが。それはともかく目的は前回の氷柱の場所での採取だ」
各々それに頷いて探索を始める。
地図埋めではなくほとんど知っているルートを辿るため、進みは前回より早く、パラライザーとアイスゲルも作業のように倒されるため支障にすらならない。
「歯応えのねぇ敵だな」
「無い方が楽なのだから文句を言うな」
「へーい」
しかし何事もなく進むことはなかった。
「あれ?」
「どうしたの?」
先頭にいたチェシャが首を傾げ、アリスが彼に尋ねる。
「ここ、前に氷喰いが通ったはずの道があったんだけど……」
「え、無くなったの?」
「埋められた? ボイドー! 地図見せてー」
チェシャはボイドの方へと走り、地図を見せるように言う。ボイドが見ていた地図をチェシャが覗き込み、まじまじと見つめるので思わずボイドは体を引かせた。
「どうした?」
「氷喰いが作った道ってこの辺りだよね?」
「ああ、その道を通れば氷柱に……まさか無いのか?」
「うん。でも間違ってないよね?」
「ああ。合っているはずだ」
二人の会話に異変を感じたのかクオリアとソリッドもやって来る。
「何かあったの?」
「道が無くなってる」
「んなことあるのか?」
「でも無い」
チェシャが不服そうに首を振る。彼が嘘をついているとボイドには思えなかった。とにかくどうするかを考えなければならない。しばらく思案したのちに口を開く。
「とりあえず、別の道を探そう。氷柱の所への正規ルートも探したい」
「分かった」
間に合わせの結論を出して探索を続行。氷喰いとは一度も会わない。
出てくるのはパラライザーとアイスゲルの二種類の組み合わせのみ。
氷柱がある場所は分かっているので、五人はある程度の目星をつけながら探索する。
ふと途中でチェシャが立ち止まる。
「ど、どうしたの?」
先程の出来事もあって緊張しているアリスは不安そうに尋ねる。
「もしかしたら氷柱のところに行けないかも」
「え?」
「ボイド、氷柱があった広間の出入口って俺らが来た一つだけ?」
「一つだったと思うが……。まさか」
「多分」
「クオリア、ソリッド。氷柱の広間の入り口は他にもあったか?」
クオリアがこの前見た広間の様子を思い出し、他の入り口がないことを確認して首を横に振る。
「確か無かったわよ? それが?」
「入り口がなくて通路がない? それ入れねぇじゃん」
「え、ほんと!?」
「かも知れん」
沈黙。
迷宮の摩訶不思議さ。
しかしここまで不思議なものは今までなかった。
「とにかくこの辺りの地図を埋めながら一度戻ろう。収益のことも考えればここを長く探索するのは得策じゃない」
ボイドの意見に皆が同意して、帰還することとなった。