探索・凍結地底湖
五人が歩くのは雪がこんこんと降る視界の狭い雪原。この天候は探索において最も最悪なものであり、気球なんて使えるはずもなかった。
五人の装備は基本的に変わらないが、皆防寒具に身を包み、厚底ブーツで雪に足を取られないようにしている。
目的地である迷宮、凍結地底湖にはもうすぐ辿り着くといった具合だった。
「まだなのかボイド?」
錬金砲で片手が埋まっているのもあって、転ぶと一番面倒なソリッドが嫌そうに言う。
「もうすぐだ。この悪天候だから感覚が少し間違っているからかもしれないがな」
大雪では無くとも曇っている状態で雪が降れば方向を正す事で精一杯であり、ボイドの言い分は最もだった。防寒具を付けているため、あまり会話がし難いと言うこともあり、そこからは無言で凍結地底湖まで歩く。
着いた迷宮の入り口は第一試練のように何処か人工的で綺麗な階段が地下へと伸びていた。
「中もこれ着なきゃダメ?」
アリスが煩しそうに耳当てをつけ直す。迷宮探索で警戒に五感を割けば割くほど、五感が鋭敏になっていたものの、今回聴覚が封じられている。想像以上の不便さに面倒くさがっていた。
「多分、風は無いからマシなくらい」
チェシャの返しを聞いてげんなりするアリス、それを耳にしたソリッドも同じだった。
「迷宮に入れば迷宮生物とも戦うから、体もあったまるわよ」
鎧はそのままで細かい部分のみを防寒具で覆うクオリアが先頭から振り返って言う。
「私やソリッドは動かないから微妙ではあるが……クオリアー、中はどうだ?」
「もう着く……わぁ! すごいわ! 早く降りてきてっ!」
クオリアの歓声に足を早める四人。
降りてきた四人とクオリアが目にしたのは広大な湖。ただそれだけならばなんとも無いが、その湖は凍っていて、迷宮内の壁に張り付いている光るコケのような物の光を受けて氷の表面が輝いている。
これが迷宮たる所以はその湖に乱立する氷柱と氷壁が作り出す透明な迷路。
壁の裏が見えては意味がないと思わされるが、逆に何処が何処に繋がっているか分からないという、入り口までの人工的な雰囲気を一蹴し、天然の迷宮を作り出していた。
「綺麗……」
年頃の少女として綺麗なものはやはり惹かれるものがあるのか、アリスは地底湖の縁に屈み込み、凍った湖の表面を触る。不純物の少ない氷はアリスの顔を奇麗に反射していた。
「冷たっ」
余程煩わしかったのか、迷宮に入ってすぐに手袋を外していたアリスは氷に触れることによって直にその冷たさを感じた手をすぐに引かせる。
「これ燃やしたらどうなるんだ?」
ソリッドが金具を鳴らして錬金砲を構える素振りをする。強引に道を作れそうだと考えたのだろう。
「やめておけ、あの氷柱、迷宮生物が入っている」
ボイドが指差した氷柱の中には大きな亀が入っていた。中の亀は微動だにせず、沈黙している。
「うげっ」
「多分あれがスライドタートルか?」
ボイドが写しの資料を見ながら言う。
持っている資料は大きな亀、スライドタートル。大きな蝙蝠、パラライザー。大きな寒天のような物体、アイスゲルの三枚だった。
「滑ってくるって言ってた」
「確かに滑りやすそうだが……割れないのか?」
アリスが軽く拳骨を作り、凍った地底湖をノックの要領で叩く。湖まるまるすべて凍っているので非常に分厚く、帰って来る手ごたえも大きい。
「多分大丈夫じゃない、とっても硬いもの」
「硬いのは分かるが……あの大きさの亀だと質量がなぁ」
「でも、あんな凍り方なら結構硬そうよ?」
スライドタートルはまるで空中で静止させられたかのような凍り方だった。水泡もない。密度いっぱいの氷にスライドタートルが封じられている。
「とりあえず、あいつらからじゃない?」
チェシャが槍を構える。
その先には凍らされていない二体のスライドタートルがのっしのっしと歩いてきていた。。
二体の亀は両方とも殻に篭ると、回転し始めて凍った地底湖を滑ってくる。
地底湖を覆う氷は非常に分厚く、人や、大きな亀が動き出してもひびすら入らない。
「あたしの出番ねっ!」
クオリアが前に躍り出て大盾を構える。しかし敵は二体。もう一体はチェシャが受けもちたかったが、殻に籠られては槍で狙える場所がなかった。
「アリス、勢い弱められる?」
「やってみる!」
クオリアがカバーできないスライドタートルに発砲、命中こそするが、硬い殻にこもって回転するそれの勢いを止めるまでには至らない。
「このっ! ぐっ──!」
仕方なくチェシャが相対し、槍を横に振るう。
勢いに負けて吹き飛ばされるが、なんとか威力を抑えることに成功する。
クオリアも地面が氷であるためスライドタートルの体当たりを上手く踏ん張る事が出来ず、チェシャと同様に吹き飛ばされている。
滑り続ける亀たちは氷壁に跳ね返ってもう一度滑ってきた。
「クオリア、盾を斜めに!」
後方からの響くボイドの指示。その手があったかとクオリアも瞠目した。
「てんっさいっ!」
大盾を突き刺し、斜めに傾ける。
クオリアへと滑ってきたスライドタートルはその盾を摩擦によって速度を僅かに落としながらそれをジャンプ台として宙を舞う。宙へとまったスライドタートルの堅牢な甲羅で守られていたお腹が晒された。
「アリス君っ!」
「分かってるっ!」
腹を晒したスライドタートルをアリスが撃ち抜く。撃たれた箇所から血を吹き出しながら勢いを失って墜落する。
「へるぷっ──」
チェシャにしては珍しい情けない声。
その原因はもう一体のスライドタートルが狭い通路で乱反射しているためで、いつもの彼なら余裕は無くとも焦るほどではないため、足場の悪さに慣れていないからだろう。ワンテンポ遅い回避は見ていてヒヤヒヤする。
そんな状況でも尚避けれているのは彼の運動能力と迷宮内で強敵を倒してきた恩恵の賜物だった。
しかし限界はある。
ついにチェシャは氷上という足場の悪さに遂に足を取られて転倒した。
そこへ回転したまま体当たりを仕掛けるスライドタートル。
それを邪魔する様に飛んできた黒い球体が四散。力を失う──はずだった。
しかし、それは意味を為す事なく勢いを保ったままスライドタートルがチェシャへ激突。皮鎧ごとチェシャの腹をへこませながら吹き飛ばされた。そのまま氷の壁へ叩きつけられ、その壁に僅かなヒビが入る。
クオリアがカバーに入る事でそれ以上の追撃は避けられ、その後は一体目と同じような手順で二体目も仕留めた。
「チェシャっ! 大丈夫?」
アリスが急いで駆け寄ってきた。
「痛いけど、まあなんとか」
背中をさすりながらも立ち上がるチェシャは壁に打ちつけられた時に落とした槍を拾いに行く。
「これか?」
槍はすでにボイドが拾っていたためチェシャはそれを受け取った。
「ありがとう」
「お安い御用だ。それはともかくさっきはすまん。まさか何も影響が無いとは思わなかった」
ボイドが頭を下げる。相手の力を奪うボイドの魔術も単に自分の力以外で動いているものを止めることは出来なかった。
「俺も大丈夫と思って油断したからお互い様」
「……助かる」
五人は探索を再開する。せっかくの新しい迷宮。
警戒も行いながら、未知の景色を楽しみながら歩く。
眩く光る氷壁と地底湖。第三試練全体を白銀の世界と称するなら、ここはさながら蒼銀の世界と呼ぶべきか。地底湖の岩壁のところどころに生えている鉱石類もまた苔の輝きを受けて淡く輝いている。
「今日はどうするんだー?」
ソリッドが頭に両手をやったまま問う。まだ本日の目的は共有されていなかった。
「長時間の探索はしないつもりだ。ここの探索には靴を変えなければならん。とりあえず一番近い採取地点で採掘だけして帰る予定だ」
「うーい、ピッケルはあるのか?」
「勿論、一応小型のハンマーも持ってきている」
五人の中でも明らかに大きさの違う鞄を背負っているだけあって用意周到だった。
「採掘って気をつけた方がいいことあるの?」
経験のないチェシャが問う、同様のアリスも聞き耳を立てる。
「私達もあまり経験は無いが、無闇に打たない事だな、目的の鉱石を剥がすようにというくらいか。まあ多少採れなくても高く売れることには変わらん。そこまで気にすることでも無い」
ボイドは安心させるように優しい口調で返した。難しい作業ではないことに聞き耳を立てていたアリスがほっと息を吐いた。
チェシャはそんなアリスは視界に収めており、密かに笑う。
そして声を出さぬまま笑うチェシャが視界に入っているクオリアは不思議そうに後ろを向いてから原因を知って同様に笑う。
その連鎖反応の原因に気づけないソリッドとボイドは三人を見て首を捻るのみだった。
*
目的の採取地点に到達した五人はそれぞれ道具を持って鉱石にとりつく。
「これ、水晶?」
鉱石に付いている小さな輝きを見つけたチェシャはボイドに報告する。
「多分そうだな……。無理にそれだけを取ろうとせずに周りごと掘れ、持ち帰る余裕はある」
ボイドは少し空きのある鞄を叩いてチェシャにそれを示し、あまり壊さないように指示する。
ピッケルが鉱石を削る音が響く。壁と壁までの距離が比較的狭いこの迷宮では、音が跳ね返って採掘する本人にも音がよく聞こえる。
慣れないアリスと体力のないボイドは早くも中断、残りの三人である程度の量を掘った。
「重い……」
アリスが呻く。ボイドの鞄には入りきらない鉱石をソリッドとアリスが分担して分けていた。防寒具の重量も合わせて、俄然重量が増したことにアリスはげんなりとしていた。
「やーいへっぽこー」
凄まじく棒読みなチェシャの煽り。
棒読みがまた怒りを誘ったのか怒りの一歩を踏み出そうとして氷で滑る。
「あいたっ!」
綺麗に足を滑らせて背中から転ける。
家での二人ならこの状態で言い合い、もしくはからかいが始まるがここは迷宮。すぐに手を差し出して引き上げるチェシャ。
「茶番は程々にしておけよ?」
釘を刺すボイド。周囲警戒を一番行なっているのはチェシャであり、たまにある茶番も張りつめすぎた緊張をほぐす場合もある。強くは言わない。
「勿論、後、上から来てる」
指を上に向ける。チェシャの警告に従って上を見ると、氷壁を乗り越えて三匹の大きな蝙蝠が現れる。
「パラライザーか。……アリス君」
麻痺毒の牙を持っているが、高速で放たれる飛び道具があるこのパーティにとっては最も弱い迷宮生物だった。
アリスが三連射。寸分狂わず流れるように三匹を撃ち落とした。アリスの銃撃の精確さは名前を取り戻して以降、より冴えていた。
「さっすが」
「当たり前よ」
銃をくるりと指で回して腰のホルダーに収める。
チェシャは撃ち落とされた蝙蝠の内の一匹が消える前にナイフで羽を千切る。
「よし」
その羽を自らのウエストポーチにしまう。羽が無くなった蝙蝠はとうに霧散していた。
「何かに使うの?」
蝙蝠の近くにいたクオリアがチェシャに尋ねる。彼女の質問に対し、釈然としない顔でチェシャが振り返った。
「掲示板に依頼書があった気がしたから」
「気がした……。ちゃんと覚えてないのね……」
「……ついでだからどっちでもいいの」
苦笑するクオリア。
抜かりないと見せかけたが、やはり抜けているチェシャだった。