王女の囁き
響き渡る悲鳴。
神馬は大きく痙攣すると、力なく横たわり、霧散した。
「よしっ! お疲れ」
槍に付着した血を払ったチェシャが労いをかける。
それは主にクオリアに向けられたものだった。
「あの赤い花!凄かったね! その盾にあった花?」
「だよなっ! カッコ良かったぜクオリアァ!」
アイスとソリッドが興奮しながらクオリアへ詰め寄る。
「ありがとう、ああぁぁ。つかれたぁぁ!」
それに答えてからクオリアは大盾をそっと地面に放り投げて、大の字になって倒れる。
「良くやったな。──今度は上手くいったんじゃないか?」
ボイドが大盾を拾い上げ、土を払ってクオリアの横に静かに置いた。彼の目はとても優しげだった。
「──えぇ、そうね」
満面の笑みで頷いた。今度こそ、守りたい人を守れたのだと、改めてクオリアは実感を噛みしめた。
「あ、またあの光」
神馬いた場所の近くにいたチェシャが神馬が霧散した場所から現れた白い光に気づく。
光の球体は一定の高さを維持しながら五つに分かれて彼らの体へと入っていった。
「これでまた謎が解けるな」
普通の探索者なら器が目に見えて成長するもの。しかし、彼らにはグングニル第三層への切符だ。新たな階層への道が開けたことにボイドが満足げに頷いた。
「今度は何があるかしら?」
「アイス君が使用していたのは第二層から第三層への転移装置。と言う事は第三層に運んでいた理由辺りが知れる筈だ。研究が捗るな」
「この前書いてたレポートってやつは、研究所に持って帰らなくて良いのか?」
ソリッドが練金砲の留め具を外し、右腕のストレッチをしながら問う。
「また持っていくさ。とりあえず、今日は……いや明日にするか?」
クオリアを見てから改めるソリッド。今のクオリアに打ち上げをする元気はなかった。今にも寝てしまいそうなくらいには彼女の体力は底をついている。
「そうね……打ち上げは明日にして欲しいわ」
「ソリッド、セントラルに戻ったらクオリアを宿に連れて帰ってくれ。多分そろそ──」
ソリッドの言葉は途中で消失し、五人の姿はそこから消えた。
*
セントラルに飛ばされた一行。大の字のまま寝ていたクオリアはそのままの態勢だったので慌てて立ち上がる。
「また此処か」
「まだ日は沈んで無いね」
夕焼けを眩しそうに見るチェシャ。彼らが、大迷宮を攻略する時間よりも移動時間の方が長かったくらいだ。彼らにとって長く感じた短い時間。
「もう夜だと思ってたぞ、なんか腹も減ったしな」
「私もー。お腹すいた! チェシャぁ? 前食べたパン食べたい!」
呼応するように可愛い音がなるソリッドの腹。その音にくすっと笑ったアイスが声を上げる。
アイスは身長が彼女より高いチェシャを見上げる事で自然と上目遣いになる。
「あれは夜に食べるものでも無いけどね……。んー、じゃあ、あったかい物食べたいからスープの具材を買うついでにあったらね」
チェシャからの妥協案に飛びつくようにアイスは頷いた。
「オレは肉くいてぇ! ボイドォ!」
「野菜も食え」
「苦ぇからヤダ!」
「あたしもー」
「今ならスティック野菜を作ってやるぞ」
「じゃあ野菜で、人参と大根ー。味噌つけて食べるやつ。勿論お酒も!」
普段なら飲まれないクオリアの要求。しかし、ボイドは悩むことなく頷いた。今回の立役者はクオリア。彼女の要求を呑まない理由もボイドにはなかったし、断るほどむずかしい要求でもなかった。
「私も食べるから特別にな。ボイド、肉は鳥でいいか?」
「ちぇっ。いいよそれで、まだあの棒のやつはマシだからよ」
「お前の場合は味噌しかないじゃないか……。食べるだけマシか?」
「だね、アイスもそれなら野菜食べる?」
いい事聞いたとばかりにチェシャがアイスに提案する。
「美味しいのそれ?」
「人参と大根ならまだ甘い方だからね」
「……じゃあ食べる」
渋々と頷くアイス。野菜は苦手だが、ソリッドも食べると聞いて、一人だけ食べないのアイスには癪だった。
「よし、じゃあボイド、買い物一緒にどう?」
「そうだな、神馬についての話もしたいしアリだな。こちらからもぜひ頼みたい」
「アイス、先帰ってて、あのパンの屋台見つけたら買ってていいから。これお金ね」
チェシャは財布から銀色の硬貨を一枚取り出してアイスに渡す。
「分かった! お風呂沸かして、先に入っとくね!」
言うや否や、アイスが硬貨を握りしめて駆けていった。
「お風呂あるんだ」
アイスの言葉に目敏く反応するクオリア。その目は獲物を見つけた目のようだった。お風呂付の宿は少ない。あっても割高なので、ボイドも選びたくはなかった。
「うん、ちょっと準備が面倒だから毎日はしないけど」
「風呂ってなんだ? 食いもんか?」
ソリッドが首をかしげる。
「そうだな……体を洗うときに入る……。少し違うか、説明が難しいがかなり落ち着くぞあれは」
「みんなが余裕あるなら今度、それこそ明日の打ち上げ、俺の家、借りてるけどそこでやる?」
「話を聞く限りそこそこ広い家のようだが……本人の許可は良いのか?」
「バレなきゃ怒られない」
にっと口端を吊り上げて、悪戯な笑みを浮かべるチェシャ、当然彼は許可をとってから行うつもりだ。
「そうだぞソリッド!」
「そうだそうだー」
クオリアが雑に振る舞うせいか、大人がこの場に一人のように見える。
「お前までそっちに回ると収拾がつかんから辞めてくれ……」
苦笑しながら肩を竦めた。しかし、その顔は楽しげだ。
「冗談、ちゃんと聞いてくる。でも多分大丈夫だと思うから」
「え、ウソなのか!?」
「あー。もう良いか? とにかくみんな疲れているから解散だ。ソリッド、クオリアを頼む」
「はーい、ソリッド、これ持ってね」
純白の盾をソリッドに渡す。彼の手に渡った瞬間、ずしりと腕ごと沈んだ。思わずソリッドが目を丸くした。
「これっ、重くね?」
「さて、私たちも行こうか、チェシャ君がよく通う八百屋も教えてくれ」
「俺が行くのは──」
彼らは苦難を乗り越え、祝い、また進む。その道筋はきっと誰かが見守っているだろう。
『クオリア、お勤めご苦労様っ』
セントラルのどこか、道端に割いている一輪のアイリスがふわりと風に揺れた。