遮るは騎士の誓い
順調に門番の門番とでも呼ぶべき二体の迷宮生物を倒した五人。
彼らは番人が待つ大広間の扉の前に立っていた。誰もが真剣な面持ちで門を見つめている。
「行くか?」
ボイドが尋ねた。
「ここまで来てそれ、言うの?」
チェシャが笑う。アイスも頷いた。
「どれだけデカくてもオレが焼いてやるよ!」
練金砲を構えるソリッド、カシャンと留め具のなる音がした。
「そうね、今なら、いけるんじゃないかしら。……楽観的かしらね?」
「楽観的だが、私も思っていたことだ。……なら行こうか、帰ってまた宴会でもしよう」
声に力は籠もっていたが、それでもなるべくいつものように言い切ったボイド。彼は言い切ってから重々しい扉を両手で押した。ぐぐっと扉はボイドに重みを与える。
この重さが先に行くことをどこか迷わせて来る。引き返せば命だけはと。
それを押しのけてボイドは扉を全開にする。
無骨な岩の広間。そして、中央には巨人が跨れそうな漆黒の巨大な馬。
「クオリアは正面からは受け止めるな、必ず逸らすことを意識してくれ。チェシャ君はクオリアのサポート、攻撃は後ろに任せろ」
「がってんしょうちっ」
「逸らす、ね。わかったわ」
チェシャは神馬を迂回するように大回りに駆ける。
クオリアは正面からは盾を構えて神馬に威圧的に迫る。
接近に気付いた神馬は吠えた。その声は普通の馬と同じような声だが、規模が違った。広間中にこだました雄叫びは彼らの鼓膜をひどく震わせる。
その声は確かに探索者たちの恐怖を煽り、心中で迷いを生み出させる。
だが、探索者たちは不敵に笑う。獣王の洗礼を乗り越えた彼らはもう怯まずそれぞれのやるべきことを為す。
最初の一撃はアイスの銃弾。神馬の体に命中し、漆黒の毛並みを傷つける。とはいえ、その傷を神馬は気にもしない。
次にソリッドの練金砲による火炎放射。唸りを上げて放たれ、神馬に向かって襲いかかる。
さすがの神馬も轟々と燃え盛るそれをまともにもらう気は無かったのか神馬が動き始める。
巨体に似合わぬスピードで疾駆し、火炎放射を避けた神馬が脅威に映った火炎放射を放ったソリッドの元へ。
「おっと、どこへ行くのかしら?」
そこへ割り込むクオリア。盾はしっかりと傾斜が作ってあり、出来るだけ受け流す努力が為されている。
それをお構いなしと神馬は駆ける。神馬とクオリアの盾が接触する。
その瞬間、彼女の体が浮いた。同時に湧き上がる諦観と共に彼女が呟く。
「あ、これむ」
人が車に轢かれるように、抵抗もできずに飛ばされるクオリア。鎧に包まれた彼女の体が宙を舞う。
彼女はかなりの距離を飛ばされた後地面を転がって静止した。
クオリアの僅かながらの時間稼ぎも相まってソリッドはなんとか回避に成功する。
「逸らしてもあれかっ!?」
ボイドが舌打ちしながら飛ばされたクオリアの元へ向かう。盾役が戦闘不能となるのは不味い。
獣王よりも速度がある以上どこかに留めておくなり後衛に被害が及ばないようにしなくては勝ち目がないからだ。
クオリアの穴を埋める為にチェシャが側面から一撃入れて、神馬を引きつける。
神馬の意識はチェシャへと向き、多脚が地響きを鳴らして巨大な体を加速させた。
「っあぁ!」
擦りながらも回避に成功するが、痛みに呻くチェシャ。掠った左腕からは血がとろりと流れ出す。
しかし、傷を負った彼の動きが鈍ることはない。
むしろ湧き上がる高揚感が彼の目つきが鋭く、動きのキレを磨いていく。
そこに恐怖はない。現に一手間違えれば死ぬというのに実に少年らしい輝く微笑を浮かべていた。
チェシャの運動性能で無理やり時間を稼いでる間にボイドはクオリアの元へたどり着いた。
彼女の体は地面を転がったから、飛ばされたからなのか血だらけで、鎧はひしゃげていた。
──盾は無事と……相変わらずの性能だな。
「立てるか?」
金をかけた装備はやはり良いなと現実逃避をしながらボイドはクオリアの顔を覗き込んだ。
*
「セリア様! こちらですっ!」
あたしは第二王女、セリア姫の近衛兵として彼女の手を引いて森を駆けていた。
セリア様の足には矢が刺さっていて、先程から走るのが辛そうだった。矢が刺さった方の足を庇いながら引きずって走る姿は痛々しい。
「クオリア、私のことはいいから、逃げて。二人じゃ捕まってしまうわ」
「何を仰いますか! セリア様がいさえすれば国は再興出来るのですよ!」
後ろをチラチラと見ながら追手が来ていないか確認する。……まだ大丈夫。
あたしの装備もボロボロだし、次に多人数の追手が来れば命を張るしかないわね。
「だって、このままじゃ。クオリアが死んじゃうじゃない!」
セリア様が吠える。あたしの体も鎧の内側はボロボロだ。打ち身にしろ擦り傷にしろ、積み重なった小さな傷は確かにあたしの動きを少しずつ奪っていた。
体を労ってくれるのは嬉しい話だけど、あたしの役目は守ることだから。
「その言葉は嬉しいですセリア様。しかし私はセリア様の盾、万が一の時は命を張ってお守りする為の存在です」
そこでセリア様が足を躓き転ぶ。地面に倒れ込む前になんとかその華奢な体を支えた。
セリア様の体力的にも危険を感じたあたしは茂みに身を潜ませて束の間の休息を取る。
「すみません、セリア様。敵は待ってくれないようです。少し失礼しますね」
追手の気配を感じ、あたしはセリア様を茂みに隠してから茂みを出て、盾を構えて待ち構えた。
現れたのは我が国の民衆。それに、あたしが話したことのある人もいた。
あたしの耳には彼らもあたしの姿を見て息を呑む音が聞こえた。
「すみませんクオリア様。セリア様を出してはくれませんか」
鎧を着込んだ一人があたしに問う。彼は確かパン屋を営む夫婦の旦那だったはず。彼が何故この反乱に参加したのかあたしには見当もつかない。本当に突然のことだった。
「いくらセリア様が寵愛する国民だからといっても、その案は飲めないわ。まして、今の状況なら」
あたしは言葉を切って続ける。
どうすれば良かったのか、そんな事はとうに投げ捨てた。今すべきなのはセリア様に迫り来る敵の排除のみ。もう、大も小も救えたかもしれない道は潰えている。
「どうしてもと言うのならあたしを下してから行きなさい。この盾に懸けて、あたしは誰一人としてここを通さないわ」
精一杯の虚勢を張って、あたしは純白のアイリスの花の意匠が入った大盾を構えた。その盾は王を守り、王が愛する民衆を守るものになるはずだった。
……今は、その民衆が持つ刃を砕くためにある。
「──っ! セリア様、すみません!」
謝りながらも彼らは襲って来る。それを見ると後悔の念が湧きそうになる。どうせなら恨んでくれた方がマシなのに。
でも、そんな慈悲をかけている暇もないあたしは全力で良くも悪くも素人な彼らと渡り合い、身をボロボロにしながらも彼らを殺した。
「ごめんね……」
せめてもの手向として以前パン屋の夫婦の女房から貰った押し花を添えた。彼女にはなんと伝えるべきか。それを考える余裕はなかったし、作る気もなかった。
「セリア様、お待たせしまし……セリア様!」
茂みに居たのは足に矢が刺さったまま倒れたセリア様の姿。動機が荒い。
「ふふ、ごめんね、これ、毒が入ってたみたいだわ」
精一杯の笑みを浮かべるセリア様。声は絶え絶え、体は震えている。
その顔は苦々しくて直視していられない。
解毒剤も持ち出す暇も無かった、どうすればいい?
「どうして……」
できることもなく、そばに屈み込むあたしの目元にセリア様は手を伸ばす。
「聞いて、クオリア」
「喋らないでください! 死んでしまいます!」
しゃべることも精一杯なはずなのに、力も入らないはずなのに、何かを諦めていない力強い瞳の光と、あたしに伸ばした手と、開かれた口は不自然なぐらい生きていた。あたしの制止をふるふると首が横に振られて無視される。
「貴方のその綺麗な目はお互いを認める為に、信じる為に使って」
次に手が下りて、口元に添えられる。添えられた手の力が抜けていくのを感じた。
「貴方のその誰かを安心させて、元気にさせる声は誰かを勇気づけたり、想いを伝える為に使って」
さらに力が失せてきた手が、あたしの手を弱々しく握る。
「貴方のその立派に勤めを果たした手は誰かの手を握る為に、守る為に、支えるた、」
そこでセリア様の手に力が無くなる。あたしはセリア様の体を揺らす。
「セリア様っ!」
呼んでも返事は帰ってこない。
あたしにとっての唯一の救いは力尽きたセリア様の顔は何かを成し遂げたかのように晴々とした顔だった。
──そんな顔、どうして今するんですか。
あたしはセリア様があたしに言ってくれたことを守るために、セリア様を埋めて、祈ってから進んだ。
──誰かを守る。
その誰かは分からないけど、セリア様の言葉に従うならば、きっとそう。その誰かを探すのは、どうしよう。泣きたい気持ち、叫びた気持ちを押し殺して、救われた命を無駄にしまいと歩き続けた。
適当な街まで着いたら足がつかないように裏で盾以外を売って。追われる前にまた進んで。
港町に着いて船に乗って大陸を渡って。旅を始めた。“誰か”を探して。
お金を稼ぐ為に護衛やらをしているうちに大盾が使い物にならなくなり、途方に暮れていた頃に、道に倒れる一人の青年を見つけた。
「白衣?」
ザ・研究者みたいな服装をしている青年をあたしは助け起こして日陰へと運び、寝かせた。やたらと大きいバックパックを運ぶのには苦労した。
少し暗くなってきて焚火を起こしていると、呻き声が聞こえた。
それは青年のものだった。
「ん、ここは?」
「あら、起きたのね。あんな道の真ん中に倒れてちゃ連れ去られて追い剥ぎに会うわよ?」
「その理論ならば私はお前を警戒しなければならないぞ?」
青年は苦笑する。あたしにその気がない事はわかっているみたいだった。
──なんとなく、放っておけない。
「あら、本当ね。そこはまあ信頼してもらうしか無いけれど」
あたしはそこで区切ってから陽気に問いかけた。しばらく宿を貸してもらおう。それに、セリア様のように無茶をしそうな人種に見えて、放っておけなかったから。
それに……誰かに手を貸すことであたしは頑張れるみたいだから。
「一人じゃ辛くない? お姉さんが助けてあげようか?」
*
「起きろっ! いつまで寝ている」
体が重い。
あれ、どうしてこうなったっけ。
……ああ。そうだった。
あたしは体を起こす。
「起きたか、いけるか?」
「愚問ね」
いつもより柔らかさの無いあたしの声にボイドは笑った。やっぱり貴方は気がつくよね。
「なら大丈夫だな」
「ええ、任せなさい。もう二度と過ちなんて繰り返さないから」
「ああ、行ってこい」
──ああ、そういえば。
あたしは振り向く。
「行ってくるわ。守るものも増えたからねっ」
あたしは大盾を構えて、神馬の近くへと歩む。
「さあ、来なさい。アンゼルテ王国、第二王女、その近衛兵。クオリア・ガーディン! ここにある四つの命はあたしのこの盾にかけて! 絶対の守護を為すと!」
今の気持ち全てを。今だけはふざけた事なんて考えないで、配慮も考えない。
──まずは誰かを守ること。
大広間に響いた声、それはチェシャ君が頑張って引き付けてくれていた神馬があたしの方に向かせる。
蹄が鳴る音を聞きながらあたしは大盾を構え直す。
まともに受けれやしない。
だけどあたしに求められるのは正面から受け止め切ること。
あたしは自ら動く。
神馬の前足が着地し、伸び切った瞬間に盾を押し付ける。伸び切った足に力を込めることなど出来やしない。
この状況で密着しているなら、あたしにも防げる。
それに今は不思議と力が湧いている気がした。
この盾が有れば百人力なのは確かだから当たり前かしら。いえ、民を愛して愛し返されるあの方が下さった盾、千人力はあるわね。
神馬の静止にアイスちゃんの銃の発砲音と、ソリッドの練金砲が火を噴く音が聞こえた。
それに合わせてあたしは離脱する。
神馬が燃え盛る炎に悲鳴を上げている。
神馬が視線を向けるのは自らに痛手与えたソリッド。
「行かせるわけないでしょう?」
あたしは盾を足の間にねじ込ませる。そのいかにも縺《もつ》れそうなたくさんの足、縫い留めてあげるわ。
とにかく動かそうとする神馬の馬鹿力に揉まれる。
辛いけれど、あたしの背に乗ってる命に比べれば、セリア様の遺言を守らないことに比べればっ!
並の盾なら容易に壊れる脚力だろうとこの盾は壊れやしない。セリア様に賜ったこのアイリスの盾は。
視界に紫が映った。
足がうまく動かせなくなった神馬。
そこへいつのまにか神馬に上にいたチェシャくんが、首元をひたすらに突く。
鬣を燃やされて、武器を妨げていたものがなくなり、手痛い攻撃を嫌って暴れる神馬。
暴れ出したのに合わせて、チェシャくんは颯爽と避難していった。
チェシャ君も離脱したね。あたしはあたしの仕事をしなくちゃ。
複数の地響きに晒されながらもあたしは腰を据えて精一杯の虚勢を張って、本当に使いたいことの為にこの盾で耐え続ける。
神馬がそんなあたしに苛ついたのか分からないけど、脚を持ち上げた。
あら、ピンチ──でもチャンス!
『──!』
あたしは盾を上にかざしてその振り下ろされようとする脚に備える。盾が少し紫に輝いた気がした。
落とされる脚。
「ああぁぁぁ!」
痛みを声に出して堪える。視界が明滅した。
あたしが痛みを負って時間を稼げばぁ!
──ダァン!
耳に聞こえたのは発砲音。さっすがアリスちゃん。
力んでいる状態で攻撃をもらって脚から力が抜けたみたいで、あたしはその場から一度離脱する。
それに合わせたのか、横から火炎が神馬を燃やす。うちの大砲の火力は相変わらず凄まじい。あれで、よく道具に頼り切りなことを気にしているけど、あれ、魔力食いだからあの子にしか使えないのに。
「いい仲間だねぇ」
ひゅうと口笛を吹きたい気分。
張り詰めてた神経が程よく緩むのを感じてきた。
今詰めなきゃいつ詰める!
「らぁぁ!」
渾身の大盾による体当たり。
同じことを考える人はいるみたいで、神馬の背後から槍を突くチェシャくんの姿も見えた。
足が縺れたのか遂には転倒する神馬。地響きを鳴らしてその身を横たえる。
「ソリッド! 今だ!」
ボイドの指示。横目でみると火炎瓶ではない瓶の中身を錬金砲に流し込んでいる。
「分かってるさぁ!」
多分あの爆発のやつね。
あたしはすぐに離脱する。チェシャくんも察したみたいですぐにあたしと逆方向に離脱した。アタシたちが離脱してすぐに黄色の球体が神馬に炸裂する。
ドォォォン! ドドォォン! ドドドォン!
着弾。爆発。さらに爆発。良い火力になってきてる。
連鎖的な爆発が神馬を襲う。
煙で見えないけれど、響く悲鳴は神馬に大きな傷を負わしている証拠。
煙が晴れると黒い皮が爛れた神馬が現れた。もう向こうも満身創痍のはずだけど……まだ力は残っているみたい。
神馬がその場で円を描いて走り出す。警戒して、距離を取る。次第に空を駆け始めた。
「……クオリアの元へ!」
ボイドの号令。これはあたしが防がないといけない感じかしら? ちょっとキツイんだけど。
「あたしが防がなきゃどうする気?」
「さぁ? 仲良く死ぬだけさ」
「仲良死?」
「チェシャ君、この状況でそれを言う君の気が知れんよ」
ボイドはそう言うけど、あたしにとっては無駄な力を抜いてくれるものだった。
アイスとソリッドもこっそり笑っていたしね。
宙で八つ足の馬が走っている。助走かな。
あー、あれを受け止めるのかぁ……。
まあ、あたしもそれぐらいしか方法は思いつかなかったけどね。
でもね、受け止めれる自信はあんまり無いのよね。
皆があたしの後ろに来る。
狙いを定めたのか神馬が駆け下りて来る。
あたしの元へと。
『盾を上に!』
突然響いた敬愛していた──いえ、している、懐かしい声。
反射的に従う。
盾から咲いたのは紫の花。
アイリスのように紫から白のグラデーションが美しい花が開く。本物の花じゃないわよねこれ。
それは神馬の突撃を止めたけど、神馬はまだ駆ける。腕が痛い。なんで盾が壊れないのか不思議なくらい、重い。ああ、重い。
ミシッ。
耐えてるけど、あぁ。なんか嫌な音するわねぇ。花弁を見るとひびが入っている。花にひびなんて面白いなと現実逃避をしたくなる。
「花が!」
ソリッドの声。花弁が散り始めた。流石に持たないかなぁ。
腕が震えそう。痛いし、支えるのも精一杯。肘が特にやばい。なにか千切れそう。
──きっついなぁ。けどここでやらなきゃ女が廃るってね!
あたしは盾に力を込め直す。
それでも神馬の勢いは緩まない。むしろ重みが増した気がした。
「そこっ!」
聞こえたのは発砲音。それと声。
アイスちゃん?
爆発する神馬の顔。全力をアイリスの突破に使っていた神馬は奇襲に体を崩す。
あぶなかったぁ。
「ナイスよアイスちゃん! 愛してる!」
「え!? あっ、あいっ!?」
聞いたこともない甲高い声が聞こえた。良い反応、チェシャ君がからかうのも分かるわねこれは。
でもあの馬も崩されただけですぐに立ち上がっちゃうわね、あれ。
ん? 黒い球?……あぁ。
「とっておいた甲斐があったよ」
ボイドの声。本当に良いところを持っていくわねあいつは。
力が急に失せたようにまた倒れ込む神馬。
いつの間にか盾から抜けていたチェシャ君がその傷だらけの神馬の目から、顔に槍を深く沈み込ませた。