早熟な職員
リトルベアを倒したハルクと共に衛兵を連れて、チェシャは神の試練より帰還。探索組合へと向かっていた。
「異常個体に出遭うとは災難だったねぇ」
試練から出て完全に落ち着いた衛兵にハルクは改めて同情する。
「正直死を覚悟しましたよ。よりにもよって自分の担当の時に出るとは思いませんでした」
「異常個体って事はリトルベアを放置しすぎたのかい?」
「いえ、一節の内に四回は衛兵が四人がかりで余裕を持って討伐しています。だから出ないはずなのですが……」
一節。季節の変わり目ごとに区切り、それぞれ春風、炎熱、豊穣、積雪の節、もしくは月と呼ぶ。
それぞれ文字通りの意味を孕んでいる出来事から付けられた名前だ。
「ふむ、リトルベアは一定の位置にしか出現しない筈だよね」
「ええ、さっきの異常個体もいつもの位置にいました」
「となると神の悪意? でもあれは以前出現した異常個体と同じだった……」
考え込むハルク。彼が呟く話は専門用語が混じっているせいで、初心者のチェシャには話についていけず不貞腐れる。
そんな彼にくすっと笑いながら衛兵が優しく問いかける。
「君は新人さんか、異常個体は初めて見るかな? いや、そりゃ始めてか」
「うん、異常個体ってなんなの?」
はじめての探索でくたくたに疲れ、敬語を使うことを面倒になったチェシャが尋ねた。衛兵も恩人である彼の不遜を咎めることもない。
「此処だけじゃなくて全ての迷宮の共通事項なのだけれど、迷宮には魔力が満ちていて、迷宮生物が霧散するのは魔力でできていて使い物にならなくなったそれが魔力に還元するからなんだけど……あ、魔力っていうのは人間とかが魔術に使うあれね」
一息置いて話し続ける衛兵。
「迷宮に潜る人達が迷宮生物を倒すとその還元された魔力を少しだけ取り込めるんだ。全部過去に研究された事らしいんだけどね、それで、迷宮は魔力に満ちているから魔力に還元されたそれらを取り込もうとするけど直ぐにはできないから、人間っていう器にも流れ込んじゃうの」
チェシャの様子が少し怪しくなる。彼の目が渦みたいにぐるぐると回っていた。
「魔力ていうのはいろんな力の源らしいんだけど、これを生物が取り込むと体が大きくなったり基礎能力が向上するんだ。人間は体は大きくならないけどほんのちょっとずつだけ強くなれるんだ。本当にほんのちょっとだけね」
チェシャの頭が熱を発し始める。壊れた機械の如くオーバーヒート目前である。
「これは厄介なことに迷宮生物にも適応されてね。長生きした迷宮生物は今日のアレみたいに普通の個体よりも強くなっちゃうんだ。それが、異常個体ってことなんだけど……ごめんね、一気に話したから頭パンクしちゃったかな?」
遂には頭から煙を出し始めたチェシャ。工場の煙突みたいにぷすぷすと煙を上げる彼に衛兵は苦笑を漏らした。
「とりあえず長生きした奴は強くなるって覚えておいてね」
最後部分の部分だけは直ぐに理解したのかチェシャの頭は雑に縦に振られた。
その頃にはハルクは思考の海から帰還した様で、会話に入ってくる。
「とりあえず組合に報告しとくのは変わらんかね。……ん? チェシャはどうしてこんなことになってるんだい?」
「すみません、異常個体について説明していたのですが思ったより一気に情報を渡してしまった様で……」
「またパンクでもしたかね、疲れていたのもあるかも知れないが……これじゃ先行き怪しいのう。下手な実力よりかは知識が生死を分けるというのに」
肩を落としてため息をつくハルクに衛兵は苦笑する。彼の言うことも事実だが、新人としてみればよく出来ている方だ。
裏を返せば、彼よりも知識も技量も少ない新人は多く、そして死んでいく。
「まだまだこれからですよ、きっと」
「ぬぅ、分かってはいるんのだがね、新人の死亡率は衛兵であるお前さんなら良く分かっているだろう?」
「それは……はい。半分程はありますね」
「そういうことさ、だからこそ、危険を知ると同時に死ぬことが多い新人にこそ知識が必要なのさね」
探索者は日夜増え続け、同時に減り続ける。
どちらも大半が新人であり、そのために探索者組合は才能の芽を失わせないためにサポート制度を導入している。
完全に沈黙したチェシャに代わり、ハルクは衛兵と話しながら探索者組合に向かった。
*
「チェシャ、お前さんはサポート窓口に行っておれ、終わったら帰ってこい。儂は報告と相談に行ってくるさね、時間はそこそこかかるものだと思ってくれ」
「分かった」
チェシャは頷き、二人と別れてサポート窓口へと向かう。窓口には昨日と同じ体格が良く、愛想の悪い男性職員が立っていた。
「来たか、担当の職員は決まっているからそこのドアから相談室に行けば会える」
「ん」
あまり思考する余裕のないチェシャは雑に返事をして言われた通りに動き、相談室へと入る。
入って近くにあった窓口にチェシャは名前を告げるとローラーのついた仕切りで作られた五つのスペースの内、奥から二つ目のスペースに案内される。
スペースには木製の机と椅子二つ。チェシャの対面にある椅子は既に埋まっている。
先に居たのは年はチェシャとそう変わらなさそうな黒髪を肩辺りまで伸ばした女性職員。女性というよりはまだ少女と言うべき体格と容姿だった。
チェシャは流石にここまで若そうな職員が来ると思っておらず驚いた。
それもそのはず、探索組合の職員というのは書類仕事だけでなく、迷宮の知識、場合によっては戦闘もこなせる必要があるからだ。
それらを全て乗り越えた上でこの年齢であれば天才、もしくは秀才であることの証明になる。
職員の方も雰囲気が自信なさげであり、なにかの書類を手にして、少し震わせながらチェシャを見ている。
──新人?
目の前の職員に親近感が湧くチェシャ。彼もまた探索者として新人の身。しかし、頼れるかどうかは別の話だ。
不安しかないこの状況の中案内してくれた職員の人は直ぐに消えてしまった。困り果てたチェシャはちんぷんかんぷんのまま狭いスペースで右往左往する。
だが、疲れた頭では大したことは思い付かず、その少女職員の前の椅子に座った。
目の前に座られたことでようやくチェシャが来たことを察した少女職員は慌てて口を開いた。
「チェシャさんですか? 今日から担当しゃせていただくアルマでしゅ!」
──噛んだ。
「へへ」
「あ──アルマです!」
ひどい呂律の回らなさに一周回って笑ってしまった。だが、同じく緊張していた彼もアルマに再度親近感を感じた。
その笑い声を聞いて噛んだことに気づき、言い直された挨拶を聞いてからチェシャも言葉を返す。
「あは……チェシャだよ、よろしく」
詳細な年齢はわからないが歳が近そうなのもあり、チェシャは気楽に返事と軽い会釈をした。
「よろしくお願いしますしましゅ!」
さしものチェシャも不安そうに頭をかいた。一応命の一端を預ける相手だ。親近感を感じるとはいえ、誰でもいいとも限らない。
しかし、その後スイッチが切り替わったような対応がチェシャを驚かせた。
「──チェシャさんは槍を使うという事は前衛で良いでしょうか? 可能であれば今節が終わるまでにはパーティを組んで頂き、小鹿の水飲み場で慣れて頂こうと思っています」
チェシャには突然の切り替えにあまり話が理解できず、曖昧に頷く。
その様子を見て、訂正して話し出すアルマ。
「えっと、前衛の場合、迷宮生物と正面から戦ったり後衛を守って、後衛からの攻撃の時間を稼いだりする役割ですね」
「うん。後衛は?」
「後衛さんは魔術師や弓を持つ人たちの事なのですが、特に魔術師は時間はかかる代わりにとても強い攻撃が出来ますので、基本的に強い相手程魔術師さんに頼ることになります」
詳しい説明を聞いてチェシャは少し得心がいったように顔を変えた。
事実、毒アゲハのような遠距離から倒したいもの、リトルベアのような強敵相手となればチェシャよりも適任だ。彼の納得が追い付いていることを見ながらアルマが話を続ける。
「前衛と後衛のバランスを整える中衛というのもあるのですけど、また今度説明しますね。では、改めてチェシャさんは前衛での登録でよろしいですか?」
淀みなく、かつはっきりとした物言いに彼は頷く。既に彼女への不信感はとっくに消えていた。
てっきり磨かれていない原石と思いきや、既に才能の輝きを放っている。内心で彼女へ謝罪をしておいた。
「うん、それでお願い」
「分かりました! それまではどうされるおつもりですか? 出来れば単独での探索はお控え……いえ、辞めて欲しいのです」
丁寧な口調から一転、先ほどよりも懇願するような強い口調で最後の部分を言い直した。困惑するチェシャにアルマは言葉を重ねた。
「強く言ってすみません。ですけど、新人さんの死亡率は半分で、そのうちの一割は単独探索によるものです。」
ぴっ、とアルマが指を立て、チェシャの前に出した。
「しかも単独探索した新人さんに限って言えば八割がお亡くなりになっています……ですので、単独探索はお控え頂けませんか?」
チェシャの記憶に深く刻まれそうな悲痛な表情で頼まれる。彼もそれに近いことをしていたためにバツが悪そうに頷きを返す。
「分かった。ハルクさんがいる時にだけにするよ」
それを聞いて安堵したアルマが満足そうに頷いた。
「では今日はこれで終わりにしましょう、今は子熊の遊び場を探索していらっしゃるらしいので、また明日の朝にそれについての注意事項をお話しするので、探索前にこちらまでお願いします」
「うん、また明日──お願いします」
丁寧な口調に釣られて返すチェシャは、立ち上がって会釈をしてから立ち去り、そのまま探索者組合から出た。
*
無事に終わったことで深く息を吐き出したアルマに相談室の受付に立っていた女性職員が声をかけた。
「お疲れ様。お茶、いる?」
「はい! ありがとうございますっ!」
先輩の行為に一礼し、顔を綻ばせてマグカップを受け取る。
まだ湯煙を上げるそれは猫舌のアルマには少し熱すぎる。ふー、ふー、と息を吹きかけ表面でも覚ましたそれを一口すすり、また息を吐いた。
「ぶっつけ本番で新人に新人を当てる上もよく分からないけど、よく頑張ったわね」
「けれど、探索者に感情移入はしすぎない方が良いわよ」
「はい?」
アルマは先輩の褒め言葉に嬉しそうに頷くが、上げて落とすような厳しさに疑問符を浮かべる。
「そうね、きっとそのうち分かるわ。それが分かった頃には遅いかも知れないけど、ここで働くなら一度は経験することよ」
曖昧な答えを残し、先輩が去っていく。
深くは語らなかったが、この年で知識を多く必要とするこの職についている事は良くも悪くも賢い彼女に、先輩の言わんとする事は伝わっていた。
「──うん、頑張ろう」
それでも、そうさせてたまるかと言外に言うように。
アルマが力強い足取りで、神の試練の地図や迷宮生物の情報が貯められた資料室へと向かっていった。