純白の大盾
鈴の音。
「いらっしゃいっ! ん、ボイドか。一人でどうした?」
ボイドは無言でカウンターに依頼書とクシャクシャのメモとネックレス、ガントレット、折れたブロードソードを出す。泥などは水で軽く洗い流したものの、こびりついた血までは落とすことが出来ていない。無残な姿で帰ってきた遺品にサイモンは声を詰まらせた。
「──こいつは……」
「すまん、気分が悪い。冷やかしで悪いが失礼する」
また鈴の音を鳴らしてボイドは去っていった。
「悪いこと、しちまったなぁ」
サイモンは頭をかいた。汚れを取るすべをなんとなく考え、ここではできない結論に至るとぼんやり呟く。
「あー。依頼人になんて言えば良いんだろうなぁ……」
誰もいない店の中、その呟きは良く響いた。
*
展望台。セントラルを見渡せる唯一の場所。
そこでボーッとした顔で手すりにもたれてセントラルを眺めるのは亜麻色の髪の後ろでまとめた少女。少女に近寄るのは赤髪の少年。
「ここに居たんだ」
チェシャは息を切らしてそう言った。額に浮かぶ汗が彼が焦ってアイスを探していたことの証明だ。
「ごめんね、行き先も言わないで」
振り返らぬままアイスはそう言った。しかし、チェシャは首を横に振る。
「俺が勝手に探してただけだよ」
「……そっか」
「アイスは──後悔、してる?」
「後悔? ああ、そういうことね」
束の間の沈黙。アイスが金属の手すりを爪で鳴らす音が良く聞こえる。
「してるかもね」
間を置かず、彼女は言葉を綴る。
「だけど、行かなくちゃ。って思うの」
「ならお供するよ」
間髪入れずに返されるチェシャの答え。
金属質な音が止んだ。
「どうして、チェシャは付いてきてるの? クオリア達みたいに目的も無いのに」
初めてアイスがチェシャの方を向く。
その顔に貼り付けられたのは疑問の一色。その奥に潜む不安。
「目的が無いから、かな」
明確に言えば無いわけではない。しかし、チェシャには目的を探す目的があった。
「変なの」
「自覚してる」
「あははっ! 変なのっ!」
チェシャの返しがツボに入ったのか、アイスは笑いながら同じことを言った。
「すみませんっ! チェシャさんですか?」
そこへ不意に声をかけて来た一人の男性。その服装は探索者組合の職員のものだった。
「そうだけど……」
「ボイドさんからの伝言です。──だそうです。アルマは既に待機していますので、いつ来てくださっても構いません」
「ん、わかった。ありがとう」
「では失礼します」
男性は一礼すると去っていった。
「本当に?」
アイスが尋ねる。
「みたいだね。……行ってくる」
「先ご飯食べとくよ?」
「りょーかい」
チェシャは背を向けたまま手を上げてそれに応えた。
*
「大迷宮ですか!? ……流石に早すぎませんか?」
アルマの驚いた声。チェシャは探索者組合に来ていた。
「すぐに挑むかは決まってないけど、そう遠くないうちには必ず挑む」
「……チェシャさんはどういう目的で神の試練に挑んでいらっしゃるのですか?」
探索者がお金を稼ぐためにかけるチップは命。それにお金を稼ぐだけならば第二試練の採取でも十分に稼げるのだ。事実、彼らが稼ぐ額は装備を整えた上で、物資以外の趣向品に回せるほど余裕がある。
第一試練ならまだしも、神の試練に挑む探索者の中で第二試練にいる少数派のチェシャ達が急ぐ理由などアルマには思いつかなかった。
「あの塔を、ううん、あの塔に何があるのかが知りたい」
「不思議……いえ、そうでなければ第一試練をすぐに突破するはずがないですね。分かりましたっ! 資料をお持ち致しますね」
気合十分という具合にアルマは席を立った。
彼女の役割はあくまでサポートである。本人がやると言えば彼女ができるのは情報の提供だ。
残されたチェシャは窓に目をやった。
ここ最近で一番の晴れの日だった。窓越しにでも陽光が彼に降り注ぐ。
少し間を置いてアルマが戻ってくる。
「お待たせしました。こちらが第二試練の大迷宮、断崖の城の資料です」
差し出された資料は四枚。地図と三体の迷宮生物の資料。大迷宮のはずなのに地図は一枚だった。
「狭くない?」
「ふふ、ですよね。大迷宮と名はついていますが、迷宮というよりはまさしく試練という構築です」
差し出されている地図には一枚で三つのフロアが描かれている。
しかしどれも階段から通路が広間まで伸び、広間からまた伸びた通路は下への階段へのものだった。
迷宮というにはお粗末すぎる一本道、一枚で収まるのも納得だった。
「この迷宮は採取物が存在が存在せず、迷宮生物しかいません」
「それ迷宮って言うの?」
苦笑しながらチェシャが述べる。
たしかに試練らしい構築という言葉には頷ける。
「そう思いますよね。えーと、地下一階ですら出現するのはグリーディアントです」
前に見た紙がまたチェシャの前に出される。
接触するなと言われた存在がさっと出てきた。
「え?」
チェシャは目を白黒させて困惑する。困った彼の視線はアルマへと向けられる。
──本当?
と言わんばかりの視線。何の冗談かと疑うのも無理はない。
「ふふふ。良い反応、ありがとうございます。……ごめんなさい。このグリーディアントは暗中洞窟にいるものよりかは弱い個体です。しかし、この個体を倒さないと先には進めない仕組みです」
「でも、ここなら炎を使えるよね?」
「はい、炎の魔術が使える魔術師さんがいるなら比較的倒すのは容易かと。しかし、パワーは恐ろしいので、魔術の時間をどうやって稼ぐかと言った具合ですね」
「そうか、でも多分大丈夫かな」
「自信がお有りなのですね」
「仲間が優秀だからね」
自信たっぷりの声色だった。
事実、チェシャの仲間には頼れる“大砲”と“騎士”がいるのだ。
怖気付く必要などさらさらない。
「それは素晴らしいですね。でしたら、次のお話に移ります。こちらが地下二階にいるキラーマンティスです」
差し出された紙に描かれているのは大きな蟷螂。鎌はさらに大きかった、さながらギロチンの如く。
「これって何処かの迷宮の神の悪意?」
グリーディアントからの推測からかチェシャが問う。
「はい、岩柱乱立丘の神の悪意です。もちろんこちらの個体は本来のものより劣りますが、大きさは変わらないため脅威である鎌は変わりません。受け止める事は難しいかなと。逸らすことに注力してください」
「こっちも焼けそうだね」
「ですね。グリーディアントもそうですが、どちらも虫が巨大化したようなものなので、耐火性能は高くないです。しかしどちらも硬い外殻を持つ為、注意してください」
「分かった」
何度もやって来たこのアルマとのやり取りにチェシャも慣れて来たのか、上の空になる事が減っている。内容もキチンと彼の頭に入っている。
「最後が第二試練の番人、スレイプニルです」
紙に描かれているのは八本の足を持つ巨大な黒い馬。白い鬣がより威厳を与えている。
「足が縺れそう」
「これだけあるとそう思いますよね」
二人は笑う。アルマはチェシャよりも先に表情を締めて、続きを話し始める。
「しかし、蹴飛ばされば致命傷で済めば良い方です。ある程度の器が育っている必要もあります」
「器の育ち具合って分かるの?」
「いえ、残念ながら分かりません。器の成長は本当に少しずつの為、いつの間にか馴染んで当たり前のように感じる人も多いので」
すみませんとペコリと頭を下げるアルマ。器という概念自体もあまり広まっていない。知らないうちに強化されていくものなので、確かめる術は実践しかないのも大きい。
律儀な彼女にチェシャは手を振り、声色に気を遣って言葉を返す。
「そこまでしなくてもいいよ……じゃあ受け止めるのは無理かな?」
「少なくとも足に傷を負わせないと厳しいかと」
「そっか、他には何かある?」
「危険を感じると空を走る事が出来るらしいです。そこからの魔力を纏った強襲が非常に脅威です」
「飛ぶんだ」
チェシャは目を見開く。羽でも生えるのかと尋ねると、空を走るらしいですよとアルマが返答した。
「……後衛が狙われると大変ですので、如何にかしてと言いたいですが、組合の方でも確実な対策は無くて……犠牲者を出した上での突破が半数以上です」
「……分かった」
「ですからちゃんと装備を整えるなどをしてから挑んでくださいねっ!」
「保証は出来ないかも」
「どの保証ですか……それ。──とりあえず、写しを書きますので少しお待ち頂いても良いですか?」
問いながらも少し諦めたような、そんな口調だった。そこには僅かな期待もあった。
「ん。いつもありがとう」
「お金を頂いている以上、それ相応の仕事をしなくてはなりませんからっ!」
──彼らなら意外とあっさり帰ってくるのでは。
そんな期待が。
*
「昨日、言伝で伝えたとはいえ、行動が早いな」
チェシャはバー・アリエルのいつもの席のテーブルに四枚の資料の写しを出した。そこにはアルマのメモ書きもあった。まだ、クオリアとソリッドは来ていない。先に一人で来ているボイドが資料の写しを読み始めた。
「本当に挑むの?」
アイスの不安げな声。
しかし、装備などはどれも良質なものに変わっている。
チェシャの皮鎧は白虎の皮製。アイスのコートはフクミソウを編み込んだ特注品。ボイドは大きな変化はないが、第二試練の採取物の希少性のおかげだった。
「いや、偵察も兼ねている。番人まで行くから最初のこいつ。グリーディアントを見てからだな」
ボイドはグリーディアントの絵を指で叩いた。
「それは良いけど、どうして急に?」
「言ってしまえば私達の我儘さ。初陣は規模が大きいほどいいからな」
この場にクオリアとソリッドは居ない。
「我儘?」
おうむ返しするアイス。
そこで響く鈴の音。
「しゃーせー。他の人はいつものとこっすよ」
シェリーがドアを開けた人に挨拶をする。
開いたドアから現れたのはソリッドと純白の大盾を背負ったクオリアだった。
*
「本当に騎士さんだったんだ」
「あら、バレてたの?」
「この前チェシャとそんな話してたの」
気球を使って大迷宮、断崖の城にまでやってきた五人。
「クオリアはどんな仕事をしていたの?」
興味津々とばかりに質問をするアイス。
チェシャも興味があるようで、聞き耳を立てていた。
「お姫様を守ってたのよ」
「お姫様っ!?」
年頃の少女であれば憧れにもなるその存在にアイスは目を輝かせる。
「帰ったらその話聞かせてっ!」
「良いわよ」
「やった!」
「話に盛り上がるのは結構だが、扉、開けるぞ?」
地下一階の広間の扉に手をかけているボイドが苦笑しながら諫める。
それによって場に沈黙が訪れる。
「よし、じゃあ開けるぞ。ボイド、お前が要だ。しくじるなよ?」
「オレを誰だと思ってんだよ」
「馬鹿なソリッドだな」
それによって起こった笑いと怒りの声を聞かずにボイドは扉を開けた。
広間に居るのはソルジャーアントなどとは比べられないほど大きな蟻。餌に飢えた、強欲なる蟻だった。
「背後取るっ! 正面任せた!」
チェシャが駆ける。
「任せれたっ!」
それに応えるクオリア。
「さぁ、来なさい。この盾があればあたしは無敵よ!」
虚勢かどうかはともかく、その鎧を着込み純白のアイリスの花の意匠が入った大盾を構える姿には威圧感が伴っていた。
それに気圧されてか、グリーディアントは声を上げながら嚙みちぎらんとクオリアへと走ってくる。
「デカブツめ! 燃えときなぁぁ!」
単純に走る大きな蟻。それはただの的だった。
ソリッドの練金砲が火を吹き、グリーディアントを火に包む。
悲鳴を上げて暴れまわるグリーディアント。効果はあるようだが、見た目には大きな変化はない。
アイスが暴れまわる巨大な蟻に銃弾を浴びせるが、硬い外殻に阻まれ、意味を為さない。
チェシャも同じく槍で攻撃するが、暴れまわる巨大な蟻の弱点を突くのは難しいようだった。
「もういっちょおぉ!」
放たれる火炎放射。
二度目もまともに食らったグリーディアントの外殻が少し溶け始めた。
「今なら!」
アイスは弾を詰め替える。
そして発砲。
ドォン!
放たれた弾は着弾して、爆発した。
爆発したのはグリーディアントの頭。
身を守る装甲が剥がれたグリーディアントはまともにそれを受け、煙が晴れると、そこにあったのは頭がかけ、緑色の液体を吹き出しながら倒れ伏せ、霧散する姿だった。
「意外と呆気ないのね」
盾を下ろしたクオリアが言う。
「神の悪意で無いならこの程度という事だろう。出費は中々に馬鹿にならないが、それ以上に稼いでいる今なら問題は無い」
「あれだけのことでも、お金が湯水の如く無くなるものねぇ」
クオリアは苦笑した。
*
第二階層。
次に現れたのは巨大な蟷螂。
まともに受ければ真っ二つの大鎌を振り回している。
「クオリア、いけるか?」
ボイドが尋ねる。そこに乗せられた意味は単純な口数よりもはるかに多い。
クオリアにとって彼の心配はありがたく、同時に申し訳なさもあった。
だから心配させないように騎士たるものの振る舞いを作り、
「あたしを誰だと思ってるの?」
「お酒好きなやつだな」
「あははっ、違いないわね」
クオリアは大盾を手に前進する。
ボイドだけが彼女があの大盾を手にすることの意味と覚悟を知っていた。
だからこそ、彼女がこの程度の相手の攻撃を防げないとは微塵も思っていなかった。
「さぁ来なさい!」
──もう失敗などしないという決意が込められているが故に。
彼女の声に反応したのか、大鎌を振り下ろす巨大蟷螂。
その大鎌は純白の大盾を切り裂けず、あっさりと動きを止められる。
「百年後に出直しなさい!」
大盾で鎌を弾く。
「隙ありっと」
そこをチェシャが槍で側面から突く。
刺さりは浅いが、確かな傷を負わせた。先程の巨大蟻より外殻はまだ柔らかい。
「っしゃ! 任せろッ!」
そしてチェシャの方を向いた隙にソリッドの練金砲が唸る。ここまでお膳立てされて逃すわけにはいかないのだ。自身を鼓舞する声を張り上げた彼は錬金砲の口を開き、中で迸る炎を吐き出させた。
火炎。悲鳴。
蟷螂が炎上する。
しかし、グリーディアントより炎に態勢があるらしい、悲鳴も上げない蟷螂には効いていないようで、ソリッドの元へと走ってくる。
「あなたの相手はあたしよっ」
ソリッドの巨大蟷螂の間に割り込むクオリア。
ソリッドを庇って大鎌を受ける。純白は大鎌など意に返さない。
しかし、大鎌は二つある。
「やらせないっ!」
二つ目の大鎌を横から振るおうとした巨大蟷螂の鎌にアイスの弾が。
ドォン!
その弾は爆発して蟷螂を仰け反らせる。
「おまけだっ!」
ボイドが印を書き上げ、黒い球体を飛ばす。
それは巨大蟷螂の元ではじけて、地に伏せさせた。
巨体を地に沈めた代償にボイドもまた肩で息をしている。
しかし、五対一、その状況で一対一なんてものをすれば分があるのは多人数。
四人の総攻撃を腹に受けたまらず巨大蟷螂は立ち上がることなく崩れ落ち、霧散した。