探索・暗中洞窟・3
「暗中洞窟ですか?」
探索者組合の受付でチェシャが今日の事について尋ねていた。
「ソルジャーアントの大群を見かけたから何かあったのかなって、……思いました」
とってつけたような敬語を使うチェシャ。受付嬢はそんな彼に苦笑する。
「無理して敬語を使わなくても良いですよ。──少し調べるので席を外しますね」
話し相手が消え、暇になったチェシャは辺りを見渡す。
ホーンラビットの角らしきものを両手に走って組合から出ていった男性の探索者とそれに遅れてついて行ったローブを着た女性の探索者。その光景はソリッドとボイドの関係に似ていた。
「あの女の人、なんかボイドっぽい」
チェシャはその光景の異質さには突っ込まなかった。彼らを見送ったあと、足音に気付いて受付の方に振り返る。そこには書類を抱えた受付嬢が。
「お待たせしました」
「何かあった?」
「組合員が探索した時には特におかしい点は無かったようです。四日ごとに定期探索を行っていて、一昨日がその日ですね。本来は明後日ですが、明日にずらせないか上に進言しておきます」
「うん、ありがとう」
結果的には特に収穫はなく、肩を落としたチェシャは大人しく帰路についた。
*
翌日。
ドア裏の鈴が鳴る音。音を鳴らしたのはチェシャとアイス。
「っゃせー」
もはや形をなしていない“いらっしゃいませ”を発したシェリー。声がいつもよりもさらに張りがない。やる気のなさがありありと見える。
「ああ、いつもの。お父さんからの伝言で、第二試練を探索するつもりなら掲示板を見てくれって言ってましたよ。伝えましたんでウチは寝ます」
「え」
眠そうに目を擦りながらも、声を大きくして怒涛の勢いで伝言するとシェリーはカウンター裏のドアに姿を消してしまう。
気まずい沈黙の後、アイスがチェシャに困惑の眼差しを向ける。
「良いんじゃない? 別に頼むつもりないし。それより掲示板見よう」
まだボイド達は来ていない為、チェシャとアイスは伝言に従って掲示板を見る。
「でも掲示板はいつも見てるよね? 先に来た方が」
「うん。ついでに出来そうな奴はやってるね。あとボイドが色々持ってるからたまにサイモンに渡してるのもあるね」
「この前のピッケルが品切れだからみたいなの無かった?」
「ああ、あれ? 第一試練で新しい迷宮が見つかったってやつ。鉱石が取れるせいで供給が追いつかなくなったんだっけ?」
チェシャ達は単純な稼ぎを目的としていない。新しい迷宮には惹かれる気持ちはあれど、理由もなくいくつもりは彼らにはなかった。
「そうそう、あの時ボイドがすぐに鞄からピッケルを取り出すからびっくりしちゃった」
厚みがそれなりの話をしながら掲示板にあるさまざまな依頼を見るチェシャとアイス。
「第二試練に行くならだから、迷宮関係のやつだよね?」
アイスの背は掲示板の上半分を見るには足りないので、背伸びをしたりして頑張って探す中、チェシャが声を上げた。
「うん。──これかな」
チェシャは一枚の依頼書を手に取る。
「見せてっ。──暗中洞窟に行くって言った恋人が行方不明?」
アイスはチェシャの手にある依頼者を覗き込んで読み上げた。
「いつの依頼……? 昨日のやつに関係あるかな」
「分からないけど……クオリア達にも相談しよ?」
「だね、でも俺らの方が早く着く事少ないのも不思議だな」
「そんな日もあるよ」
噂をすればなんとやら。鈴の音がなる。
「あら? 店番居ないけど大丈夫かしらこの店」
「クオリア、おはよっ」
笑顔を浮かべたアイスがクオリアの元に駆け寄る。アイスを見つけたクオリアも顔をパッと明るくさせた。
「アイスちゃん、チェシャくんもおはよう。ソリッドとボイドは寄り道してからくるって、三人で待ってましょう」
いつもの席に移動し、時間潰しも兼ねてクオリアに今見た依頼書の話をする。
「行方不明……よくある話だからなんとも言えないわね。でも筆跡と紙の感じからして比較的新しいわね」
「分かるの?」
「仕事柄書類にはよく目を通してたからね。後は、インクの渇きぐらいとかそういうのも判別に……とにかく、探す当てが無いなら、昨日のソルジャーアントが向かう先に行ってみるのも良いかしら?」
「乗り気?」
チェシャの疑問。
「あら、バレちゃった? やっぱり、大事な人を無くすのはきっと悲しいからね」
クオリアはへらりと笑う。茶化すように笑ってはいても彼女の声色は真剣味を帯びていた。まるで、経験があるかのように。
「そうだね」
普段陽気にふるまうクオリアのあまり見ない真剣さに二人は思わず頷いた。
*
「チェシャ君、道は覚えているか?」
「大丈夫。でも、間違ってたら指示頂戴」
「任せておけ。……とりあえず、目的としては暗中コケの採取も兼ねて依頼人の恋人を探す事だ。ルートは昨日ソルジャーアントが直進して行った先に行けるもので」
「逆じゃねぇのか?」
ソリッドがニヤリと笑う。
「建前だ」
「お人好しじゃねーか」
「だからこそ、……巡り巡ってここにいるんだろう?」
ボイドもニヤリと笑う。少し悪人のようにみえる。
「──っ。違いねぇなぁ!」
「うるさい」
「うっ、すまん。……ふひひ」
チェシャに窘められるソリッド、しかし彼の顔はとても緩んでいた。少し気持ちの悪い声で笑うソリッドに肩をすくめたボイドはアイスに声をかける。
「アイス君、前の爆発弾を渡しておく、自己判断で使ってくれ」
「ん、分かった」
アイスは数発で並みの探索者稼ぎ分あるそれを無くさないようにポケットにしまい、感触を確かめるように何度か服の上から手で叩いた。
準備と相談を終えた五人は進む。
ソリッドの持つランプの明かりに照らされたのは赤色の蟻。
「赤3、黄1」
「黄色は撃ち抜く、道開けだけお願い」
「りょうかいっ、クオリア。右の一匹お願い」
「二匹も大丈夫?」
クオリアは心配しているようには見えない顔で問う。
「一人じゃないからね」
「そりゃあ最高だねぇ」
二人は蟻との距離を一気に詰める。
チェシャが左側のソルジャーアントの噛みつきを余裕を持って回避してから、足を奪うために槍を突く。前足を失ったソルジャーアントは地面に崩れる。
クオリアは右側のソルジャーアントを盾で壁に追いやる。
出来上がったのはハニーアントへの道。
それを駆けるは一発の銃弾。
ハニーアントの頭を弾けさせる。
間髪入れず放たれた銃弾はチェシャが崩したソルジャーアントの頭。
その間にクオリアは壁に追い詰めたソルジャーアントを剣で傷を与えて仕留めていた。
残り一匹になったソルジャーアント。
距離はあったがチェシャは手に持つ槍を投降。正確にソルジャーアントの体を貫いた。
「すっげ」
鮮やかな処理に後方にいたソリッドが思わず言葉を漏らす。蟻たちとはチェシャ、クオリア、アイスの三人が相手をすることが多く、なんども戦ったことで彼らの立ち回りも無駄がそぎ落とされていた。
「行こ」
五人は後処理を終えるとすぐに歩みを再開させる。
「やっぱり少ないね」
「ああ、遭遇率が低い。遭遇しても本来より一、二匹少なめだ。何かあるのは確実だろうな」
「大丈夫かしら?」
不安そうなクオリア。彼女だけではない。五人全員が昨日の蟻たちの行進を思い出していた。何かを目指すように一直線で進んでいた蟻たち。最悪の連想が彼らの頭をよぎる。
「神のみぞ知るとしか言えないな」
「神の試練と掛けているの?」
「そう言う話じゃない」
ボイドは苦笑した。
遭遇率が低いこともあり、一行はいつもよりハイペースで探索を進める。
「っ」
チェシャが唐突に顔を歪める。彼の鼻がひくついた
「どうしたの?」
それを見たアイスが問いかける。
チェシャはそれに応えることなく足を止めて道の先を凝視している。遅れて後ろの四人も仄かに香る鉄っぽい匂いに気づく。
「血。か?」
ボイドの問い。香るのは気分の悪い匂い。チェシャは頷きを返す。
「そうか……。警戒して行こう」
「うん」
後ろのクオリアとソリッドに話を伝えてから匂いの元へと進む。
進めば進むほど漂う気分の悪くなる匂い。
腐臭、鉄の匂い。
「アイス、大丈夫?」
思い出したようにハッとしてから振り返るチェシャ。彼は血の匂い自体には慣れている。しかし、後ろの少女はどうか。
そこには顔色が悪いアイスの姿が。
「ごめん」
「無理しないで。これ、使って」
チェシャが渡したのは布。それを彼女の鼻に当てる。
「ありがとう」
アイスは布で覆っているためくぐもった声で礼を返した。
腐臭と鉄の匂いがピークに達する頃。
最初にそれを目にしたのはチェシャだった。
「……ちっ」
舌打ち。それがどういう感情から来るものかはともかく、彼が目にした光景は人の形をした三つのモノ。
腹であった場所は裂かれ、原型をかろうじて留めているのは寧ろ人が襲われたことを意識させる。
彼らも抵抗したのだろうか、ソルジャーアントの足などが霧散せずに残っている。
チェシャが次に取った行動は次にこの光景を見にするであろうアイスの目を抑えることだった。
「な、何?」
チェシャの突然の行動に戸惑うアイス。
「見ない方がいい」
その声色がいつもと落差が大きいことに息を飲むアイス。しかし、彼女もなんとなくそこにあるものを察していた。
「その様子だと……。そう言うことか?」
「ん、敵は居なかった。見たほうが早い」
「気は進まないが……遺品ぐらいは持ち帰るべきか」
ボイドは奥へ行った。次に来るのはソリッドとクオリア。クオリアはアイスとチェシャの様子を見て顔を歪めた。
「遅かった?」
「え。──まじか?」
クオリアの問いで察するソリッド。
チェシャは頷きを返す。それが答えだった。
「ボイドは行ったのよね? あたしも行くわ」
「オレも行く!」
「来ないほうがいいわ。あなたにはまだ早い」
「けど、けどよっ。それが……依頼なんだろ?」
「……まあ、そうね。好きになさい」
クオリアは淡々と奥へと行く。
「チェシャ、わたしも見ていい?」
ソリッドの言葉を聞いたアイスは間を置いてそう言った。チェシャはなんとなく結果を予想できたが、だからと言って遠ざけさせるのも違うと感じ、止めるのをやめた。
「後悔はするなよ?」
「しないよ」
念押しにも揺るがないアイスの態度にチェシャはため息をついて、彼女を奥へと促した。
三人が、チェシャは二度目のその光景を目にする。
アイスが吐いた。
ソリッドは目を逸らした。
チェシャは悲哀の困った目で直視していた。
「……来ちゃったのね」
クオリアが苦々しく微笑む。作っているようにしか見えないその微笑みと共にアイスの背をさすった。
チェシャはボイドに近づく。それは三人の遺体に近づくことでもあった。
「何か、あった?」
「小さいメモの手紙が入ったペンダントがあったよ」
「そっか」
「慣れているのか?」
ソリッドとアイスに比べて平気そうにするチェシャにボイドは尋ねる。苦笑いを浮かべたチェシャは静かに首を横に振った。
「慣れないよ。でも体は慣れたかもね」
「皮肉だな」
「俺が一番知ってる」
チェシャが吐き捨てるように忌々しく、自己嫌悪する。ボイドはそれには触れず、四人を見回した。
「そうか……他の二人の遺品も回収した。帰るぞ」
「燃やしたほうが、良い。多分、何かされてる」
チェシャは三人の遺体を指を指した。血に塗れ、チェシャ達には見えなかったが、遺体には卵が生み付けられていた。
「ああ、目を逸らしていただけさ。……やるしかない、か」
ボイドは油を取り出して軽く撒き、火打ち石で火をつける。焦げた臭いが腐臭に混ざり、混沌と化す。とてもではないが、常人が長居できる場所では無くなってしまった。
「洞窟内にいる以上、すぐ帰るぞ」
「ん」
チェシャとボイドが戻ると、自分の嘔吐物で服を少し汚したアイスとそれを拭いているクオリアがいた。
「ソリッドは何処だ?」
ボイドはそれには言及せずソリッドの居所を問う。
「あっちを見張ってるわ。……見つかった?」
「ああ。帰るぞ」
アイスがうまく動けなくなった状態で帰路に着く五人だったが、遭遇したソルジャーアントはチェシャが緑の返り血で身を染めながら蹴散らしたため、大きな支障はなかった。