探索・風の砦・2
「帰りたい……」
その後、いくつかの段差を登ってフクミソウの採取地点にたどり着いた一行。
ボイド以外の四人は早速一つの大きな皮袋に採取したフクミソウを次々と入れる中、彼は顔を青くして岩を背もたれに座り込んでいた。
「筋トレすれば?」
身体中朝だらけの彼を見かねたチェシャが苦笑し、水筒をボイドに渡す。
「んぐ、んぐ、……はぁぁ。──流石に少しはすべきか……」
心底嫌そうに言いながら受け取った水筒を逆さにして口の中に水を流し込む。喉を何度も鳴らしながらそれを飲み込み、彼は深く息を吐き出した。
二人の様子を見てアイスがクオリアに尋ねる。
「ボイドってどうして体力ないの?」
「探索の時以外は外に出ないからかしらねぇ。別にサボっているわけじゃないから多めに見てあげて。こんな毎日を送ってれば嫌でも体力もつくと思うから」
ボイドを見るクオリアの目はとても優しげで、ソリッドは何も言うことなく作業を続けていた。
付き合いのある仲だからか、全てを知ってるような物言いはアイスに妙な説得力を感じさせた。
*
「つっかれたぁぁ!」
セントラルに戻った五人。クオリアは盾を地面に置いて背伸びをする。
登るときも大変だったが、降りるときは危険性の高い凹凸の壁を避けて。
段差のルートのみで帰るため迂回が多くなり、あるく時間も増えたため装備重量の重いクオリアの負担は計り知れない。
「このペースならさして時間はかからないか、人が来ないだけあってよく生えていたな」
ボイドは背に背負う鞄とは別に肩に担いでいる大きな袋を地面に置いて、それを軽く叩く。
パンパンに詰められて膨張した袋はボイドの手をはじき返していた。
「何日かかりそう?」
「これだけ取れるのは今日だけだろうから……八日ぐらい、だと思う」
「時間はともかくよぉ、カマイタチ二匹とかどうすんだ? 地味に怠かったしよ。はえぇのは嫌いだ……」
ベンチに腰掛けて練金砲の留め具を外しながらソリッドが不満げに言う。
「うんうん、速いから当てにくい……」
銃を手の中で遊ばせながらアイスも同意する。
「と言っても見たところ帰りの一回しか遭遇しなかったからな。その程度なら魔術を使えばなんとかなるはずだ」
「外してたじゃん」
「それを言われると弱いのだがな」
ソリッドのツッコミにボイドは言い返せず罰が悪そうに頭を掻く。
風が吹いている時のカマイタチには後衛陣がまともに攻撃を当てれていなかった。
「まあまあ、今日も無事に帰れたことを喜びなさいよ。あたしは早くご飯が食べたいの! ついでにお酒も!!」
「ついでが本音だろう?」
「あら、バレちゃった」
「──そうだな、オレも飯食いてぇ、ここで解散か?」
「かな。時間も良いしね」
天気はやや曇り、夕日が雲に隠れているせいで暗く感じる。そして、雲から覗く綺麗な夕日は一日が終わりに近づいていることを知らせる。
今日はこのまま解散となり、チェシャが去りゆく三人に手を振っているとアイスに服の裾を引っ張られる。
「チェシャ、私あれ食べたい」
無言で串焼きの屋台を見ていたアイスが目を輝かせてチェシャを見つめる。
「これ売ってからね」
チェシャはボイドから受け取ったフクミソウ以外の採取物が詰まった小袋をアイスに見せた。
「先に買ってきちゃダメ?」
こくりと首を傾げるアイス。改めて漂うタレの香ばしい匂いをかぎ取り、お腹を鳴らしたのをアイスに見られたチェシャは肩をすくめた。
「……いくらだっけ?」
「十本で250」
「一人五本?」
「そう」
「いいよ。買ってきな」
財布から銅色の硬貨を五つ出してアイスに渡す。並ぶ手間が省けるのだから彼が強情になる意味もない。
「ありがとっ!」
「買ったら戻ってきなよー」
アイスは頷くと、もらった硬貨を右手に握りしめて屋台に並びにいった。
それを見届けたチェシャは探索者組合に向けて歩き出す。が、すぐに足を止める。
「……甘いもの、好きだったっけ」
蜂蜜をかける揚げたパンの屋台を見て少し悩む素振りをする。
先に売り払いに行くと言った手前、ずるいのではないかとかぶりを振って、寄り道せずに組合の中に入っていった。
*
「それ何?」
元の場所に戻ってきたチェシャが抱えていたのは小さな紙袋。そこから漂うのは蜂蜜の甘い匂い。
それに反応したアイスが無視しきれずに尋ねた。淡白なその問いには期待の色が含まれている。
「ん?……いる?」
中身を見せぬまま問いかける。チェシャはからかうようにニヤニヤしていた。
「中身は?」
「……いる?」
「──ちょうだい」
アイスが折れた。
チェシャは紙袋の中身から先ほど見かけた蜂蜜のかかった揚げパンを渡す。
「何かかってるの? これ」
それには答えず食べる様に促すチェシャ。
「分かったわよ。食べる! はむっ─」
小さな口を大きく開いて噛り付く。瞬間、小ぶりなパンに歯跡をつけたアイスが瞠目する。
「なにこれ甘いっ!」
歓声を上げるアイス。
それを聞いてチェシャは悪戯が成功した時の子供の笑みを浮かべている。その顔の裏で実はホッとしているのを彼女には見せずに、
「蜂蜜だよ、自然の甘みだから割と好き。たまに食べてる」
と言って、チェシャは紙袋からもう一つ取り出して噛り付く。
「高くないの?」
安くはない値段のするジャムを塗りたくる彼女にとっては気になる案件だったのだろう。
「うーん、パンの質自体はそこまでだから高くはないよ、甘味としては安い方」
「そっか」
多くは言葉を返さず、手を少しベタつかせ、小さな口に似合わぬスピードでパンが消え去った。
「早くない?」
「そう?あ、これ買ってきたから食べてね」
鞄からチェシャが持っていたのよりも大きい紙袋を取り出し、そこから串焼きを五本取り出してチェシャに渡す。
「食べるからちょっと待って──ん、ありがと」
急いでパンを消化して串焼きを受け取るチェシャ。
「食べながら帰りましょ」
アイスは既に食べていた様で、取り出したのは三本のみだった。
「家入ったら手は洗いなよ?」
「当たり前よ」
そう言いながらもアイスの服にはタレが付着している。チェシャは今日が当番である洗濯の苦労が増えるのを確信して、小さくため息を吐いた。
*
「クオリアっ!」
採取地点からの帰路、チェシャは虎──深緑の森の黒いそれの白くなったものと対峙しており、薙ぎ払った槍をぶつけるとクオリアと交代する。
「はいはーい」
気楽に答えながら大盾を構えて、殴打されて体を崩した白虎の顔に体当たりをかます。
白虎は牙を折られ、甲高い悲鳴を上げた。折れた牙は宙を回転しながら飛んでいき、地面に突き刺さる。
「折れたっ!」
「そこっ!」
チェシャの声に呼応して白虎の目に弾丸が命中。白虎は右目から血を吹き出しながら倒れ、痙攣したのちに霧散した。
「白虎と黒虎じゃ牙が違うんだね」
チェシャがクオリアが折った牙を拾い上げる。半ばから折ったため長さはそこそこだった。
「脅威度はそう変わらないらしいな。特に変わった動きもなければ特段何かがあるわけでも無いならそうか」
メモ帳に書き入れながら顔を上げずにチェシャの言葉を返す。
「にしても牙ぐらい売ってねえのか? わざわざあんな所に依頼しなくてもいいだろ?」
特に何もしなかったソリッドが岩に腰掛けて足をぶらつかせて疑問を呈する。
「依頼した鍛治士さんが思ったよりも早く納品されたからってサイモンさんが言ってたよ」
その問いを弾を入れ替えながらアイスが答える。
「盾で殴打すれば取りやすいっていうのは名案ね。稼げそうじゃない?」
上手くいってご機嫌なクオリア。
「四日目で初めて遭遇したんだぞ? 遭遇率が低すぎる。素材が出回らないのも納得だ。今のペースならあと四日でフクミソウは足りる。意味もなく戦闘する必要もないさ」
「そーですかー」
「カマイタチは割と会うのにね」
「一番面倒なのに」
槍の利点である長いリーチをすぐに詰めれるカマイタチはチェシャにとって天敵とはいかずとも面倒になり得るものだった。
とは言え、チェシャだけではなく的が早いのはこのパーティでは圧倒的防御で攻撃を許さないクオリア以外では誰もが苦手とする部類だった。
「面倒っていう割には簡単に倒してるじゃん?」
チェシャのカマイタチの撃破速度は日に日に増していて、今日遭遇したカマイタチ二匹の組を一人で倒していた。
「どれも大体同じ動きっぽかった。だから釣って隙を晒したところを突いてる。それ外したら面倒かな。攻撃が通るから当てたら勝ち」
「へー、すげぇな」
近接戦闘をしないソリッドからすればその言葉は重みがあったのか素直に頷いていた。その横でボイドが鋭く声を出した。
「風が来るぞ」
暴風は前触れが無いわけではない、暴風の前には必ずそよ風が吹くのだ。
四日間毎日訪れている故か、その暴風の兆候をボイドが感じ取り、皆が耐える準備をする。
「おまけに白虎と……」
下の段差から白虎が軽快に上がってくる。
「上からカマイタチ、来てるわ」
「クオリア、虎お願い。カマイタチは俺がやる」
「りょーっかい!」
暴風が吹き荒れ始める。
頻繁に起こる暴風に迷宮生物は慣れているのか、さほど変わらない様子で白虎が駆ける。
「黒虎と変わらないと言ったがこれに耐性があるのか」
ボイドの声は風で皆に届いたかは怪しかった。
「わざわざ重し付けたんだ。そうこなくっちゃ」
槍を構えるチェシャの靴はブーツではなく鉄製のグリーブになっている。
歪な膨らみがある皮鎧の下の服には何かを仕込んでいるようだった。
「チェシャ、援護は?」
「乱入警戒で」
「だってソリッド」
「いつでも撃てるぜ!」
空の瓶を地面に捨て、錬金砲の狙いを済ませるソリッド。
上から舞い降りてきたカマイタチはチェシャに向かって急降下し出す。
チェシャは半歩引いて下から槍を打ち上げる様にフルスイング。
それはカマイタチの体ではなく鎌を折り曲げ、弾き飛ばした。
鎌をおられたカマイタチは怒りの声を上げて二度目の突撃。それを誘導する様に引き付けるチェシャ。
が、迷宮は甘くなかった。
「がっ」
突如腹に飛んできた物体。
姿を現した狸、すなわち化け狸。彼の意識外から襲われ、迎撃の姿勢が崩れる。
「チェシャ!」
アイスが慌ててカマイタチに牽制の銃弾を撃つが、それは避けられ、チェシャの右肩に一撃を入れられる。
「──ぐっ!」
「くっそてめぇ!」
悲鳴を抑えるが、肩からはかなりの血が吹き出した。
体当たりしてきた化け狸はソリッドがすぐさま焼き殺した。
「先にこっちだな」
その中でもボイドは冷静に印を書き上げ、生成された黒い球体は白虎と至近距離にいるクオリアの力を奪う。
しかし、強制的な脱力に慣れているクオリアはすぐ持ち直して無防備な白虎に深く剣を突き刺す。
そして、突き刺した剣を抜かずに放置し、チェシャの元へ駆ける。
その迅速な判断でチェシャをカマイタチの追撃から防ぐ。
「お返しぃ!」
カマイタチの弱みは攻撃の軽さ。クオリアの大盾を微動だにさせることが出来ず、カマイタチの勢いが停止する。その隙を盾で殴打。カマイタチの軽い体を吹き飛ばす。
暴風によって複雑な軌道を描きながら飛んでいくカマイタチ。ここで外せば、彼らの努力が泡に帰す。
目を細め、カマイタチのみを視界にとらえ、狙いすましたアイスの銃撃が眉間を撃ち抜いた。
「よしっ!」
思わずガッツポーズをとったアイス。しかし顔はすぐに引き締められる。チェシャの安否だ。
「少し深いが良くも悪くも切れ味が良いせいで処置自体はすぐ終わる。──痛み止めはいるか?」
傷口を洗い流して消毒し、包帯を巻こうとしてチェシャに尋ねる。
「いい、動ける」
「流石というべきか、もう少し臆病に成るべきか……。まあ良い」
少し呆れながらも包帯を巻いていくボイド。
不安そうにそれを見る二人と油断なく警戒するクオリア。
「応急処置は済んだ。ここからは迅速に動くぞ」
警戒進行を半分捨て、即刻の帰還を試みる五人。それを邪魔する様に白虎が二匹を現れる。
「チェシャ、一匹抑えられるか?」
ボイドが頼むのは撃破ではなく停滞。時間稼ぎ。
「別に倒しても良いよね?」
「その傷口で無理をするな、君がやられたら前線はきつい」
その言葉にチェシャは罰が悪そうに頰を掻いた。戦いに集中し昂るあまり、そこまでの思考は今の彼には無かったようだ。
「ちょっと余裕なかった」
「分かっている」
会話はすぐに終わり、既に二匹の前に立ちはだかるクオリアをチェシャが追いかける。
「分かっていないな、あれは」
駆ける彼の目はいつもよりも研ぎ澄まされていた。ボイドの目には彼が興奮しているように映った。
「クオリア、一匹貰う」
「頼むわ」
一言だけ交わして白虎に突きを入れる。それはいつもよりキレが増している。
しかし、突きは避けられた。
お構いなしにその体勢から無理やり槍を薙ぎ払う。肩の痛みなど忘れてしまったようだ。
薙ぎ払いは白虎の顔に命中し、小さな悲鳴を上げさせる。
薙ぎ払いによる現象を確認もせず薙ぎ払った勢いで体を捻って回し蹴り。
グリーブに履き替えていたこともあり、白虎の体に鉄の蹴りがめり込む。
やられっぱなしでは堪らないとばかりに白虎が飛びかかるが、股下を潜り抜ける様にスライディングして、すれ違いざまに槍を突く。
普段の彼よりも攻撃的な立ち回り。
それは白虎を瞬く間に絶命させる。
その間にクオリアが対峙する白虎はアイスの銃弾を受け、動きが鈍った所にソリッドによって焼き尽くされていた。
「無理をするなと言っただろう?」
ボイドがチェシャを嗜める。薙ぎ払いからの回し蹴りなど、肩が痛んでいるときにする動きではない。
「倒せそうだったし」
「そういう問題じゃないだろう。……まあ良い、進むぞ」
その後も白虎とカマイタチの組み合わせに遭遇するが、キレの増したチェシャが白虎を次々と倒すものだから、何度かボイドに詰め寄られていた。