そこに眠るは世界の希望
文明の息を感じられない荒野の真っ只中。
亜麻色の髪の少女と赤髪の青年が並んで歩いていた。
少女は不安そうに瞳を揺るがせながら、隣を歩く青年の黒い手をぎゅっと掴んでいる。
後ろで括られ、肩まで伸ばされた髪も彼女の歩みと共に揺れている。
傷んだ髪は十分な休息が取れていないことを示していた。
「お兄さん。疲れた……」
身に着けている服も靴も、擦り切れていてボロボロだ。
まともでない靴で歩くことが少女の体力を奪っている。
「……うん、少し休憩しようか」
赤髪の青年は目を鋭くして、周囲を見渡してから近くの岩場へ彼女を連れて行った。
岩場に少女の腰を下ろさせた青年は、背負っているボロボロのバックパックから袋に詰められた棒状の携帯食料を取り出し、彼女に差し出す。
「ありがと……」
もう食べ飽きてしまった腹だけが膨れる携帯食料を、少女が複雑な表情で受け取る。
「もう少しだから頑張ろう」
「……ん」
青年が黒く染まった手で少女の頭を梳くように撫でる。
彼の手を気持ちよさそうに受け入れた少女が淡く微笑んだ。
「ねぇ、お兄さんは付いてきてくれないんだよね……?」
ふと、少女が上を見上げ、青年へと尋ねる。その目には縋るような何かが浮かんでいた。
青年もそんな少女の願いを叶えてあげたかったが、出来ないことは出来ない。下手な嘘をついても敏い少女には気付かれてしまう。
だから、彼は正直に首を横に振る。
「ごめんね。あれに乗れるのは有栖ちゃん一人だけだから……」
「……ううん。いいの。知ってるもの」
駄々をこねても仕方がないことを理解している少女が儚げに微笑んだ。
青年は少女に何かしてやりたかったが、彼に出来ることはここから唯一見える文明──雲貫きそびえる塔へ彼女を連れていくことだけ。
せめて彼女が安らかな休息を取れるよう、自身の手に頭を委ねてくる少女の意に従う。
それからしばらくして、ある程度回復した少女が立ち上がる。
「もう大丈夫。……行こ」
「分かった」
少女は青年の手をしっかり握り、彼を見上げて先へと促した。
彼女の手を放さぬよう、握り返した彼は少しずつ近づいてきた塔へと歩みを再開する。
乾いた風に乗って、砂塵が舞う。
砂交じりの風が彼らの頬を撫で、砂粒が肌を叩く。
人も、家も、何もない。彼らの知るものはほとんど居なくなった。
しかし、彼らに託されたものはある。少女をそれを成すために、青年はそんな少女を送り届けるために歩みを進める。
「ねぇお兄さん」
「どうかした?」
「……お兄さんは、わたしが行った後はどうするの?」
少女が青年の存在を確かめるように握った手をもぞもぞと動かして、尋ねる。
「うーん。考えてないなー」
青年の役割は少女をあの塔に送り届けることだけ。
青年にとって、彼の人生の中で一、二を争う重要なことだ。
それを果たした後のことは彼も考えていない。
「──けど、楽しみはあるんだよ?」
しかし、待っている誰かは居た。
きっと彼の寿命では足りないかもしれないが、待ち焦がれる者が。
「そうなんだ」
少女はぽつりと呟いた。
少女は少なからず青年に惹かれていた。五年前に窮地を助けられ、ずっと近くで自分を守ってくれた彼を。
彼に恩を売った訳でもないのに、ときには命を懸けてでも守り続けてくれる彼を。
そんな彼が、とても幸せそうな笑みを浮かべている。
ろくに恩を返せていない彼女は、その笑みを浮かべさせたものが自分でないことを悲しんだ。
すると、青年は少女の気持ちを見透かしたかのように、少女の手を握る手に軽く力をこめる。
「悲しまないで、君のお陰でもあるんだから」
「……そうなの?」
「そうだよ」
少女は青年に何かをした心当たりはなかった。
しかし、青年の断定は少女の疑念を吹き飛ばすほどに静かで、力強い物だった。
「……えへへ。──そうなんだ」
実感はないが、青年の力になれた。
そのことを少女は素直に喜んではにかんだ。
彼女の足を掴んでいた無意識の枷。
罪悪感と言う名の重りが消え失せる。
「そうだよ。……だから、がんばろう」
「うんっ!」
重りから解き放たれ、活力に満たされた少女が力強く歩き出す。
少女は責任感が強く、多くの人を助けた父の背を、そんな父を愛した母の背を見て育った。
彼女に課せられた重荷は多くの人に託されたもの。
どのような苦難があろうとも、責任を果たすと彼女は動かない足を必死に前へと動かしていた。
しかし、幼き少女の身にそれは重すぎた。
だが今、少女の中でこの重荷は形を変えた。
託されて仕方なく成すべきものから、想い人の力になれるものと。
根幹は託されたものであっても、動機が変わった。
それは少女にとって大きな意味をもつことになる。
*
何度か休息を取りながら、彼らは目指していた塔にたどり着くことが出来た。
かつて住んでいた荒れ果てた構造物群を見た少女が哀愁にかられ、そっとビルの外壁を撫でる。
「帰って来たね」
「──うん」
少女が頷く。
魔物に襲われ、逃げ出してきた少女が来るべき厄災を打倒すべくやって来た。
知り合いも、友も、家族も失ったが、意志はまだ残っている。
ビルの外壁から手を放した少女はその手でチェシャを掴むと塔の入口へと歩き出す。
そして、扉の前に立つと青年の顔を見上げた。
「開けて、いい?」
「もちろん。ちゃんと守るよ」
「うん」
青年の言葉を聞いて、恐れを消し飛ばした少女が扉を撫でる。
すると、青白い線が扉の縁を走ったかと思えば扉が両側へと開かれる。
扉の先から覗くのは、瓦礫が散乱する廊下、そして──
大量にひしめく魔物達。
「離れないで!」
青年が鋭く叫びながら黒い皮膚から生やした槍を手に取る。
廊下にいた魔物達は蛇型が主だった。
蛇たちは右へ左へ蛇行しながら、あるいは壁を這いずりながら、多角的に青年へと襲い掛かる。
そのどれもを青年は一振りで蹴散らしていく。
細長い相手に点での攻撃は無理だと思った彼は、握った黒槍の穂先を鉈に変えて、薙刀のように扱う。
黒の薙刀が風を切る度、蛇の体が両断される。
青年の服と黒い肌が返り血で赤く染まる。体中を返り血で濡らしながらも、青年は少女に血がかからぬよう振る舞う余裕があった。
蛇たちは素早いものの、特筆して厄介な点はなく、一度も青年に毒牙を突き立てることが出来ずに全滅した。
「うん。もう居ない。行こっか」
「……うん」
少女は頷く。もし青年が居なければ彼女はここに来るまでにとっくに死んでいた。
少女も腰に挿した拳銃があるものの、弾などロクに当てられない。
お世話になりっぱなしな自分を恥じつつも、彼女は大人しく青年の後を追った。
それから青年は塔の中に蔓延る魔物達を蹂躙していく。
毒牙の蛇。弾丸の如く突っ込んでくる小鳥。瓦礫の集合体で出来た人型の怪物。
電力の止まった塔を少女の案内で登り、彼らは目的の場所へとたどり着いた。
「多分ここ」
「分かった。──開けていいよ」
少女が目の前の扉に手を触れる。
入り口と同じように縁に青白い線を走られ、扉が横へと滑る。
その先にあったのは、動きを止めた巨大な何かの機械。
手前には台座の上に乗ったディスプレイがあり、安全なことを確かめた彼らが近づいていく。
「……動くかな」
不安がりつつも、少女がディスプレイに指を触れさせる。
すると、部屋中の電気が一気に点灯し、目の前に大きなホロウィンドウが現れた。
「わっ──!?」
「……」
驚く少女とは対照的に、青年はホロウィンドウに表示された電子のデータが動くのをじっと見つめていた。
やがて、ホロウィンドウはぱちんと消え、入れ替わりに声が鳴り響く。
『マスター・有栖を確認。歓迎します。私は蓄積型管理人工知能──スカーサハです。お見知りおきを、マスター』
少しちぐはぐな言葉づかいでアナウンスことスカーサハが少女たちに声をかける。
「え、えーっと……。 お兄……さん?」
突然の状況を理解できない少女は目線で青年へ助けを求める。
そこでようやく青年がこの状況にほとんど驚きを見せていないことに気付いた。
「スカーサハ。有栖を連れて来た。修さんは何か残してる?」
『サブマスター・チェシャを確認。──現在グングニル内のエネルギーは最終プログラム実行用しか残っていません。前マスター・有坂修の録音データを再生できません』
「……分かった。じゃあ、プログラムの方を進めて有栖はもう承諾している──それと、後で作って欲しい本があるからそれも」
『承知いたしました』
「お、お兄さん!?」
色々と謎めいたところがあった青年が、塔に居た人達でもほとんど知らないスカーサハについて詳しい様子を見せ、少女が困惑する。
「……何か、してほしいことはある?」
そんな少女への疑問に青年は答えず、別の質問を投げかける。
困惑のあまり、初めて知る青年の名前を聞き逃してしまった少女は、質問の答えを考えることに考えを奪われた。
「え、えっと……」
「ゆっくりでいいよ。ちゃんと待つから」
ここで成すべきことを少女はよく知っている。
ここで青年と別れることも。
つまり、青年が尋ねているのは最後に何かしてほしいことがあるか、ということ。
「……お兄さんって長生き、なんだよね?」
「うん。普通の人よりは」
「じゃあ、わたしが目覚めた時にも一緒に居て欲しい」
彼女自身も無理だと自覚している問いだった。
しかし、青年ならばという淡い期待を込めて願う。
「うん。分かった」
「……ほんと?」
「多分、有栖ちゃんの思っている通りじゃないかもしれないけど──絶対、俺が待ってる」
一片たりとも嘘を感じさせない青年の微笑み、その中で光る瞳。
無理難題を頼んでいる自覚があった少女は、押しも押されもせぬと言わんばかりの決意に満ちた瞳を見て、静かに憧れを抱いた。
「あ、あとっ!」
「……?」
思い出したとばかりに少女が青年の服の裾を引っ張る。
食い気味な少女に青年が首を傾げていると、彼女が口を開く。
「お兄さんの名前! 教えて!」
五年間共に過ごしたというのに、なぜか青年は名前を少女含め周りの誰にも教えなかった。
そのせいで彼が少女たちの信頼を得るのに時間がかかっていたが、魔物相手に怖気づく様子もなく、戦い続けたおかげで一年たつ頃には少女含め色々な人からの信頼を集めたのだ。
名前を教えてくれない。というよりは、教えられないという雰囲気に近いと少女は直感していた。
それが何故かは分からないものの、最後である今なら聞けるのではと淡い期待を抱いたのだ。
「……うん。さっき言ってたからもういいか」
「──」
ようやく聞ける青年の名に、少女が一言一句聞き逃さぬと息を呑んだ。
「チェシャ──それが俺の名前」
「チェシャ……さん」
少女が青年の名を口に出して反芻する。
噛みしめるように何度か彼の名を口にした少女はやがて満足して頷いた。
そんな彼女の背後の床に穴が開き、穴からカプセル状の躯体が姿を現した。
『マスター・有栖。準備が整いましたコフィン内にお入りください』
「……もう、大丈夫?」
「──うんっ! 今までありがとう、チェシャ兄さん!」
一点の曇りのない笑顔を浮かべた少女は軽い足取りでコフィンの中へと入る。
彼女が中に入ると共に、躯体の蓋が閉められた。
分厚い壁によって、少女はコフィン外の音が聞こえなくなる。
しかし、透明な蓋はまだ青年の姿を映していた。
『コールドスリープまであと三十秒』
コフィン内にアナウンスが響く。
少女は青年に手を振った。また会えるのだと、涙を堪えて。
青年もそれに応えようとして手を持ち上げた瞬間──
部屋の扉が開いた。
青年が魔物かと瞬時に振り向くと、少女と同じ亜麻色の髪を肩まで伸ばした女性が息を切らしている。
少女から青年の顔は見えないが、冷静な彼が珍しく狼狽しているのは分かった。
女性は涙ぐんだ表情のまま青年へと駆け寄り、勢いのままに抱き着く。
そして、青年もそれを受け入れ、力強く抱き寄せた。
「……ぁ」
少女は言葉は知らずとも、失恋という概念をこの瞬間に理解する。
それは確かに悲しいことだった。
だが、こんな何もない場所にいる青年が今後どのように生きるのかは少女にとっても気がかりで。
そんな青年が愛おしそうに、幸せそうに女性を抱きしめているのは、彼にも救いがあるのだと分かって素直に嬉しかったのだ。
加えて、少女から見える女性は少女が目指す理想に近い。
胸こそはもう少し欲しいものの、背も、髪も、凛とした雰囲気は彼女が目指す美人の理想像だった。
──いいなぁ。
嬉しいと思うのは本当だ。
しかし、妬いてしまうのも本当だ。
「スカーサハ──記憶を復元するときはチェシャ兄さんのことは思い出させないで」
『……承知いたしました』
だから、少女は眠る直前にスカーサハにそう頼んだ。
素直に青年を祝福できるように。
少女は瞼を閉じる。未来へと思いを馳せて。時の彼方で出会えるであろう、誰かを夢見て。
かくして、世界の希望は眠りについた。
そして、千年の時が経ち──少女は目を覚ます。
懐かしい匂いに起こされて。
これにて”そこに眠るは夢か希望か財宝か”は完結となります。
ここまでお読みいただき本当に、ありがとうございました。
余韻に浸って頂くためにもここではお礼だけとさせて頂きます。
後書きはいつも通り活動報告に記載いたしますが、少し大事なお話がありますので今回は普段見ない方も、リンクを記載しますので覗いて頂けると嬉しいです。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1596153/blogkey/2948220/




