苦境
次々と抗っていた人たちがやられる中、チェシャは果敢に厄災へと挑みかかっていた。
しかし、周囲の探索者たちが、組合員たちが、力尽きるたびチェシャにも襲い掛かる迷宮生物の数が増える。
苦戦が積み重なり、チェシャの体力を奪っていく。
チェシャが巨大なカブトムシの脳天を貫き、その死骸を踏み台にして厄災の体を削った。
確実に厄災の体積を削っているが、彼の槍が一度命中して削れる体積など全体の何万分の一程度。
焼け石に水だ。
せめて投げられれば話は別だが、いつもの黒槍と違ってプロトグングニルは自分で生み出せない。
よって投げる訳にもいかない。その弊害は周囲の迷宮生物との戦いにも影響していた。
崩壊した石造りの道を跳ねながら滑る大亀、スライドタートル。
今のチェシャならその突進程度は黒騎士の力を使えば受け止められる。
真正面から蹴飛ばし、大亀を宙へと打ち上げる。しかし、死んではいない。
槍を投げられれば仕留めることは出来る。しかし、隻腕のチェシャが唯一の腕でプロトグングニルを握れば黒槍を持つ余裕がない。
そんな彼の代わりを務めたのは鉄の鉛だった。
リズムよくなった発砲音が大亀が晒した中身を貫き、宙で四散させる。
仕留めてくれたアリスに目線で礼を言い、チェシャは再び厄災へと接近する。
厄災は動かない。何故かは分からないが、その場で液体のような体を流動させるだけだ。
しかし、その身じろぎでさえ周囲を破壊し、只人と迷宮生物をまとめて蹴散らす。
──くそっ……!
少しでも早く仕留めなければ周囲の人も彼の知る人も危険が増す。
少しでも早く。その一心で超硬金属の槍を振るうが、割り込むように厄災の体から水色の流体生物、アイスゲルが出現する。
物理ではなく魔術で仕留めるべきと知られるそれを刺激してしまう。
綺麗に槍に貫かれたアイスゲルがその体を膨張させ、冷気と共に爆発する。
「……~~ッ」
黒い鎧の表面を凍り付かせながらチェシャが吹き飛ばされる。
面倒な真似をしてくれた相手に苛立ちと焦りを募らせながら、チェシャが空中で態勢を立て直すと、魔力を爆発させて宙を跳躍。
チマチマ削っていてはらちがあかない。
そう考えた彼が邪魔されないよう空へ空へと跳躍を繰り返す。目指すは岩で覆われた上半身だ。
下から聞こえ続ける悲鳴、怒号、感情の入り混じった喧騒が遠くなるほど高いとことまで来たチェシャがくるりと反転し、槍と共に厄災を貫かんと落下する。
──これで一気にッ!!
対魔力兵器として十分な力を振るうプロトグングニルが濃密な魔力の体に触れると、その全てを飲み込むように削り取っていく。
「──!?」
しかし、それも途中までだった。突き進む度に増していく川底に潜った時のような重みが、チェシャの体ごと槍を弾き出したのだ。
──魔圧か!?
いくら掌握魔力の鎧が頑強で堅牢でも、単純な反発力に抗うのは限度がある。
生身の人間ならば、体のどこかがあの魔力の塊に触れた瞬間捩じ切られる程の魔圧だ。
そんな中まで突撃し、生還しただけでも驚異に値するほどである。しかし、この状況では絶望を与えるに他ならない。
途中で押し返されたせいでチェシャが期待した半分の成果も出せていない。せいぜい槍での攻撃数回分だ。
空高くまで跳躍するために必要な魔力も馬鹿にならないのだから。
「畜生ッ!!」
どうしようも出来ず、落下するチェシャの真下に大口を開けた数匹の大蜥蜴、サラマンダーが喉元にまで炎を迫らせている。
厄災への攻撃のために魔力を割かなければならない以上、回避に使う魔力すらも惜しい。
大人しく重力に身を委ねたチェシャをサラマンダーの息吹が飲み込んだ。
──このくらいなら……っ!?
腐っても新人類の力。黒騎士の鎧は彼の身をしっかりと守り切る。
だが、炎に包まれていたせいで頭部に鋭利な突起を生やした大魚、剣魚に囲まれていたことに気付けなかった。
剣魚の攻撃は点である分チェシャの鎧でも危うい。
それは後方支援に回るアリス達も理解している。
彼女たちも自分たちのことで手一杯なのだ。
クオリアは自分の元へ集まって来た者達を守ることに、アリスはクオリアの元に集う迷宮生物の相手をすることに時間を取られる。ボイドとソリッドも同じく周囲の迷宮生物の相手でチェシャの援護が出来ない。
「……ッ!!」
仕方ないとばかりにチェシャが急所を守るため鎧の一部を琥珀の魔力に染めた。
龍との死闘、アリスとの激闘。そして、現在の苦闘。
度重なる戦闘でチェシャの体力と魔力はもう余裕がない。
全身を琥珀に染めてしまえば底を尽きてしまうのだ。
「──~~~~ッ!!?」
鎧が煌めいた後、剣魚達がチェシャの体へ次々と突き刺さる。
槍を体中に生やしたかのように剣魚がチェシャの元で針山を作る。
琥珀の鎧で守られた部分はなんとか弾いたものの、それ以外はすべて剣魚の頭に貫かれ、体中から血を噴き出す。
「~~ッ……ラア゛ァッ!!」
肉がほじくり返される激痛に顔を歪めながらも気合を入れ、今度はチェシャ自身が黒槍で針山を作り、剣魚達を串刺しにし返す。
──やば、あたまが……
全ての剣魚をなんとか引きはがしたチェシャはよろよろと何歩か歩くと、倒れてしまいそうなのを槍を杖にしてなんとか堪える。
目の前の視界は出血多量でぐらぐらと揺れている。
真面に立つことすらもままならない。
それでもあきらめる訳にもいかない。
剣魚達に作られた傷を新たな黒鎧で塞ぐ。ただの応急処置であり、失った血は戻らない。
だが、生存は出来る。
「ハァッ、ハァッ……」
荒い息を吐きながら顔を持ち上げ、厄災を睨む。目の前の巨体は相変わらず流動を続けている。
まるでセントラルに付いたことで目的を達したかのようだった。
もしくは、逃げ惑う人々が悲鳴を上げるのを愉しんでいるのかもしれない。
何がどうあれ、単なる魔力生物である厄災にそのような思考回路が存在するのかはチェシャにとってどうでもいいことだ。
「……邪魔」
第二試練の蟻たち、ソルジャーアントとシールドアントが隊列を組んでチェシャをひき殺さんと進んでくる。
それらを煩わしく思ったチェシャがプロトグングニルを突き立てて大きな黒槍を生み出し、薙ぎ払うことで蹴散らした。
跳ね虫の如く跳ねのけられた蟻たちを一蹴したチェシャが震える体に鞭を打って疾走する。
だが、もう彼の体力は限界だった。足場の悪い道につんのめり、腕を突き立てる暇もなく派手に転んだ。
「チェシャ!?」
その隙を狙っていたかのように、家屋の屋根から数人の魚人が手にした剣魚を突き立てようと飛び掛かって来た。視界を広く保っていたアリスが今にも切り裂かれそうなチェシャを目にして悲鳴を上げる。
助けたいのはやまやまだが、彼女の銃では魚人を撃ち抜くには遠すぎる。一撃では落としきれない。しかし、一撃で落とせなければ弾数が足りない。
魔弾であれば話は別だが、魔力を吸収する厄災のせいで実弾のみを使っていた。
──助けないと……! でも──
手段がない。
今のアリスにスカーサハは居ない。所詮はかつての武器を手にしただけの少女に成り下がっている。
だから、彼女は指をくわえてみていることしか出来ない。
「……全く、世話のかかる」
見ていることしか出来なかったアリスの視界に幾条もの光の柱が映った。
そして、十数、数十では足りない程の光の柱が周囲にも落ちる。
落ちて来たそれのどれもが迷宮生物のみを正確に貫いている。
光の柱が登る先、セントラルの遥か空高い場所で天使がため息を吐いている。
そこには思いのほかいいようにやられている黒騎士たちへの落胆が含まれていた。
『……いいのか? 天使の権能を使えば悪魔に悟られると言っていたが』
「知らない。それに、代わりにあの少年と少女を手駒にするからいい」
頭に響く声へぶっきらぼうに返した天使リレイが再び腕を振るうと光の柱が降り注ぐ。
それらすべては狙いすましたかの如く、迷宮生物のみを貫く。
迷宮生物に組み伏せられ、密着距離にまで迫られている人であろうと誤射することなく一撃で絶命させていた。
「そんなことより、とっとと要件を済ませて。私が力を貸すのはこれっきり」
上位存在の権能が無情に下等生物を焼き払う。
あっさりと状況を一転させたリレイが静かに腕を組む。
彼女が力を貸すのはこれきりだ。権能を振るったのは只人達を救うためではない。あくまで彼女の協力者が最後の希望に話をつけるための時間稼ぎである。これからセントラルがどうなるかはすべてセントラルに生きる者達が決めること。
しかし、役目を果たしたはずのリレイはその場を動かない。
彼女の視線は僅かながらも期待している少年たちに注がれていた。
『分かっているさ。僕も死にたくはない』
「あっそ」
『帰りも頼むぞ?』
「はいはい」
リレイはため息を吐きながら彼女の期待する者たちに向かって走っている白衣の男に視線を落とした。
惨劇に見舞われたセントラルを駆ける白衣の男、烏路は後ろにかつてチェシャ達が戦った偽黒騎士を従えていた。
辺り一帯の迷宮生物はほとんどリレイが片付けたとはいえ、すべてではない。僅かながらも光の柱を逃れた個体も存在し、それらは大通りを走る巨大な黒騎士に目をつけて襲い掛かっていた。
しかし、対厄災ように生み出された兵器がたかが迷宮生物に遅れは取らない。
手に持った黒槍であっさりと吹き飛ばし、烏路を護衛している。
偽黒騎士に守られながら厄災の元にまでたどり着いた烏路はチェシャの姿を見つけると彼の元へ走り寄った。
「何をあっさりとやられているんだ」
「あんたは……」
「とにかく起きろ。偽黒騎士、周囲は頼む」
応急処置を済ませただけのチェシャが、仰向けに倒れたまま烏路の姿を見て目を見開く。
そんな彼へ嘲笑を向けた烏路は腕を引っ張り上げて立たせる。
同時に烏路から指示を受けた偽黒騎士が烏路から離れて、再び厄災から現れ始めた迷宮生物達の殲滅へと向かった。
「策はあるのか?」
「……スカーサハが持ってたみたいだけど、厄災にやられた」
「ふん、中途半端なことをするからだ」
「何か知ってる?」
知った口調で鼻を鳴らした烏路にチェシャが尋ねるも、彼は答えず、代わりに表情を真面目なものに変えてチェシャの瞳を覗き込んだ。
「一つ聞こう」
「……何?」
質問に答えられなかったことに不満を見せつつも、チェシャが首を傾げる。
一度は敵と成ったが、烏路も目の前の魔力生物をどうにかするためという目的を持っている。
チェシャ達と利害は一致している。
そんな彼がわざわざこの場に来たのだ。何かしらの手立てがあるのだと彼は勝手に推測していた。
だから素直に聞くに回る。
大人しく話を聞くチェシャに機嫌を良くした烏路は不敵な笑みを浮かべ──
「あいつを倒す手立てがあるとして、お前はどこまでの代償を払える?」
まるで、悪魔の囁きの如き問いを口にした。