ミレニアムカラミティ
「ついた……! チェシャは……!?」
アリス達四人は一足先にいったチェシャを追いかけ、試練の入り口へとたどり着いた。
アリスは着くや否や彼の姿を探す。そして、目的の彼の姿──戦場を駆ける黒騎士はすぐに見つかった。
「これまた分かりやすく暴れているな」
「オレらもぶっ放すか?」
「やめておきなさい。ここは迷宮じゃないの、町に飛び火したらどうするのよ」
「そりゃそうか。んじゃ……」
隻腕なのを疑うほどの奮闘ぶりに苦笑するボイド。
ソリッドは暴れまわるチェシャに当てられて魔力を灯した指先を掲げてみせた。
しかし、彼の攻撃は良くも悪くも周囲をことごとく焼き払う。とても今は使えない。
クオリアに止められたソリッドはしょんぼりしつつも、すぐに火球の印を描いて援護に回り始めた。
「……これがこの成長を見る親の気持ちってやつ?」
「否定はせんが、遊んでいる場合じゃないからな」
「分かってますって。さって、あたしはどうしたらいい?」
「チェシャの援護に行く。前お願いしていい?」
ここ最近の戦闘ではスカーサハを頼ることが多かったアリスが、やりにくさを感じながらもチェシャの姿を目で追う。
彼の元に行くには、暴れまわる迷宮生物の波を乗り越えなければならない。
今のアリスでは厳しい案件だ。
故にクオリアを頼った。
「じゃ、そうしましょうか?」
「私の意見はどうなっている」
「概ね同じでしょ?」
「……ああそうだ。行ってこい」
さらりとスルーされたボイドが苦言を呈するも、彼の内心を見透かしたクオリアが見せた微笑を前に、素直に頷くことしか出来なかった。
「花咲かせて一気に行くわよ!」
「うんっ!」
「──アイリスッ!」
クオリアが大盾を掲げ、がつんと地面にたたきつける。
同時に花開く青と紫のグラデーションが彩る花弁。
周囲が突然出て来た花の盾に顔色を変えるのを気にせず、彼女は突貫する。
襲い来る迷宮生物をものともせず、むしろクオリアが作り上げる波に巻き込み進み続ける。
それを成した彼女はボイドのいる方へちらりと意味ありげな視線を向けた。
「……初めから言っておけ。ソリッド! 爆炎をクオリアの方に撃て!」
「おうよ!」
目配せを貰ったボイドが迷いなくソリッドへ叫ぶ。
今のクオリアとアリスでは盾が邪魔で攻撃も出来ない。なのに敵を集めた。それらの状況からの推察が彼への命令となったのだ。
そして、指示を受けたソリッドが躊躇なく魔術印を描く。
完成された二重円。生まれたのは彼の勢いを乗せた火炎、それは渦を巻いてクオリアの背後から襲い掛かった。
「アリスちゃん! 避けてねっ!」
「えっ!? ──うんっ!」
クオリアが巻き込んだ波を彼女は途中で投げ捨て、横へと飛びのく。
アリスは突然のことに困惑の声を上げるも、後ろから迫る魔力の気配を感じて同じく飛びのいた。
飛びのいた彼らと入れ替わりで、迷宮生物達を炎の渦が飲み込んだ。
轟々とうなりをみせた炎が一瞬にして飲み込んだものを灰化させ、魔力へと還す。
「──みんな……!」
派手に登場してきた四人に気付いたチェシャが周囲の迷宮生物を蹴散らし、後方へ下がる
思いのほか早い到着に内心驚きつつも、慣れない片腕の戦闘は少々辛い思いがあったため素直に撤退した。
「チェシャ君、状況は? 道すがらで得たのはいきなりあの厄災が現れたことだけだ」
「あとはここで迷宮生物がうじゃうじゃ出てるってよ」
「だいたい同じ。とりあえず凌いでるみたいだけど、人手は足りてないっぽい」
「そうか」
軽い情報共有をすませている三人。
その間、クオリアとアリスは二人で連携しながら防衛線に手を貸していた。
「迷宮生物と厄災の出現が同時、関連性はあるに違いない。問題は……」
ボイドが上を見上げる。それはもう迫り切っていた。
余りにも大きすぎる故に気付いているようで誰もが見過ごしていた存在。
──オォオオォオオオ!!!!
言葉にならない雄叫びが大気を震わせる。
その音量は熟練の探索者が知る獣王などとは比にならず、チェシャ達には龍が見せた轟咆哮とはいかずとも、龍が素で見せた雄叫びと並ぶ衝撃だった。
音の衝撃が建物を砕き、生物を竦みあがらせ、あるいは意識を奪う。
悲鳴が至る所から湧き上がる。セントラルは一瞬で阿鼻叫喚に陥った。
だが、まだ終わらない。
亀裂が走る間もなく、セントラルの住人が見慣れた壁から破砕音が鳴り響く。
超えることも叶わなければ壊すことも叶わない、断崖絶壁の岩壁が砕けたのだ。
未知の鉱物の瓦礫が宙へと弾き飛ばされ、致死の雨となってセントラルに襲い掛かる。
逃げ惑う人が運悪く大きな岩に潰され、あるいは小さな破片に貫かれた。
誰かがどうにかしてくれると家に引きこもっていた者の中には、単純な質量の暴力で家屋ごと潰された者も居た。
少々の不運が人々に容易く死をもたらす。生が幸運と呼ぶのなら、足が潰されたものも運に恵まれたと言えるほどだ。
貫かれてなお運よく即死を逃れた者も、余裕のない周囲の人々に見捨てられ、苦しみながら死に至った。
あっという間に広がる凄惨な光景。石畳で丁寧に舗装された道が血しぶきに汚される。
幸い、致死の雨は一度きりだ。
代わりに、圧倒的な死をまき散らす存在がついにセントラルにたどり着く。
ぐにゃぐにゃと安定しない輪郭を持った巨人。遠目では岩の巨人に見えたそれの下半身は半透明の液体で出来ていた。反して、上半身は恐らく第七試練の物と思われる苔の生えた建物を取り込んでいた。
見上げることすら億劫だ。単純な高さなら調停者たる紅き龍も上回る。
迷宮生物の大群に抗っていた探索者たちの仲にも絶望に打ちひしがれ、地に膝をつくものも現れる。
しかし、彼らを責めることは誰にもできない。試練の近くで戦っていた者達は特に岩壁が砕かれたことによる致死の雨の影響を強く受けている。
「──あ……あああぁぁ!?」
「いてぇ。いてぇよぉぉぉ……!」
となりで戦っていた戦友が目の前で潰され、パニックに陥る者。
細かい礫の雨を受け、体中を骨折したまま倒れる者。
現れた厄災に吹き飛ばされ、倒壊した家屋に埋もれた者。
岩壁と同じく、戦線は一瞬にして砕け散る。
「……っ。……くっそ!!」
しかし、ここで立ちすくんではいられない。一度とはいえ共闘した誰かの死を横目に、やるせない思いを振り切ったチェシャがプロトグングニルを持って飛び掛かる。
対厄災を掲げ作られた兵器の試作品は、厄災の体に触れると水の如く槍を受け入れ、接触した部分が軒並み消えていく。
「──効いてる!」
手に帰って来る感覚以上に目に見えた戦果。今まで戦った誰よりも攻撃が通っている。
だが、一番槍を切ったチェシャを見て、生き残った探索者の一部が厄災へ攻撃を仕掛けるも効いていない。
直接攻撃は圧倒的な魔圧で近づくことすら許されず、それを乗り越えて突撃したものは矮小な体をひき肉へと変えた。
魔力による攻撃はむしろ厄災の体積を増やしていた。
「……吸収かッ!?」
「どういうことなんだッ?」
ソリッドの防壁に守られているボイドが探索者たちの攻撃を目にする。
武器による攻撃はともかく、目を引いたのは魔力を用いた攻撃が総じて吸収されていること。
そして、吸収されるとその分だけ体積を増した厄災。
目の前の事実をそのまま飲み込むなら、魔力を介した攻撃は聞かないどころか相手の体力を増やしてしまうということだ。
「詳細は分からん。だがソリッド、お前はあいつに魔術も魔法も撃つな。分かったな?」
「お、おうよ」
クオリアはアイリスの盾を上に掲げ、少しでも多くの人を岩の雨から守っていた。
その中にアリスの姿を確認し、とりあえず五人の無事を確認したボイドが小さく息を吐く。
死んでいった人を悼む暇などありはしない。それよりもこれから死ぬかもしれない人を減らすため少しでも早く手立てを考えることだ。
最速でも逃走手段は馬車。この混乱ならまともに走っているところも数は少ないだろうが、この図体では転移でもない限りすぐに追いつかれるのは想像に難くない。
改造を施されなかったものの、チェシャの持つプロトグングニルは十分な攻撃力を発揮している。
「ソリッド! アイツに核……! 弱点らしきものはないか!?」
「……んなもんオレにわかりゃ苦労しねぇよ!?」
岩壁の雨こそ止んだものの、厄災が身じろぎするだけで周りの建物が吹き飛ばされ、その破片がまき散らされるのだ。そのため、防壁を維持するソリッドに観察していられる余裕はない。
だが、そんな彼でも分かることはあった。
「でも、怪しいんならあのでっかいのを取り込んで見えねぇとこだろ」
「ふむ」
「のんきにしてねぇで早く決めてくれよ!?」
こくりと頷いたボイドが額に手を当て、顔を歪ませる。
魔力の攻撃に頼らずあの物理的にも魔力的にも守られている箇所を攻撃するのは至難の業だ。
そもそも第七試練の遺都で見たビル群よりも高い位置にある場所は、近寄ることすら難しいというのに。
そして、厄災はただ進軍するに留まらない。
廃ビルに覆われていない下半身から次々とどこかで見かけた迷宮生物達が現れ、手当たり次第に襲い始めた。
「──いやぁぁ!!?」
「このッ!」
厄災に攻撃していたチェシャもこれは見逃せず、周囲の人々を助けに回る。
岩壁の雨に足を貫かれた女性へ襲い掛かる魚人を一息で貫き、並んで突進してくる剣魚を槍で薙ぎ払う。
──あっちも……これ以上構ってられないッ!
「あっちに逃げて!」
地に座り込む女性に手を貸している暇はない。チェシャの視界には次の救援対象を捉えている。
出来るのは罪悪感を飲み込んで彼女の無事を祈りつつ、クオリア達の元を指さすこと。
「は、はいッ!!」
具体的な指示を貰い、女性が顔を歪めながらも体を引きづって花の盾が咲く場所を目指す。
動き出しを見たチェシャはすぐに別の迷宮生物へと突貫した。
先程は獅子奮迅の活躍を見せていたアルマやアンセル達も無事らしくチェシャと同じく救護に回っている。
現れた迷宮生物は第一から第五まで様々だ。今までは多くの人が相手取ったことがある相手であるため戦況も安定していた。しかし、未知の相手、さらに言えば普段よりもはるかに多い数を前にしては抵抗もままならない。
「こなくそッ!」
「兄貴後ろ!」
第三試練で出現する炎獣、氷獣の攻撃をローダが防ぐ。
熱気と冷気の両方受けてなお、ローダの持つ盾や防具が壊れることはない。
「サン──ッキュ!」
「退きなさい! 切り裂くわ!」
セルリアの声に反応し、アンセルが自身の魔術で生み出した鎖で炎獣たちを縛り付けて退避する。
逃げ遅れた炎獣、氷獣は風刃に切り裂かれその身を二つに分けた。
苦労しながらも、上位の探索者としてのプライドがあるアンセル達は、培ってきた経験と連携を生かして抗っていた。
しかしそれも、資料として豊富なデータを持つアルマの奮闘が大きかった。
「ごめんなさいセルリアさん。もう魔力が……」
危険な個体を優先して排除していたアルマの攻撃が途絶える。
毒を持つ蛇、ポイズンワームの溶解液や麻痺毒をばら撒く蝙蝠、パラライザーの超音波などの遠距離攻撃がアンセル達を襲い始める。
「仕方ないわッ! アンタ達! しばらく援護はなしよ!」
「了解!」
「分かりやした!!」
魔力が尽きたアルマの変わりはセルリアが務める。手数こそ彼女に劣れど、セルリアもハイスタンダードな強さを持つ魔術士だ。捻りのない火柱をまともに受けられる迷宮生物は存在しない。
だが、苦境が続くのは確かだった。
周りの探索者が一回り二回りも強い迷宮生物達に傷つけられ、どこかを噛みちぎられ、あるいは体中に回った毒で崩れ落ちる。
そんな彼らを助ける余裕はないが、倒れ伏す間際を見れる視界の広さがあるセルリアは舌打ちをしながら魔術印を描き続けた。