タイムラグ
混乱に陥ったセントラルの裏路地。五つの青い円が家屋の屋根の高さに現れ、それぞれの円から一人ずつはじき出される。
「~~ッた!? ……?」
尻餅を打ったチェシャがお尻を摩りながら立ち上がり、セントラルの様子がおかしいことに気付いた。
いつもは静かな裏路地にも人の喧騒が絶えないどころか、血相を変えた人たちがバタバタと走り回っている。
誰も彼も向かう先は北を除く三方にある門の方向だ。
チェシャは四人が無事なことを目視で確認してから、家屋の屋根へと飛び乗る。
「……あれが、厄災ってことか」
走り回る人のせいで気付かなかったものの、セントラルの代名詞でもある塔が完全に消えている。そして、代わりに這いずるように動く岩の巨人が近づいてくるのが見えた。
その大きさは神の試練を取り囲む岩壁よりも大きい。グングニルを崩したのもあれの仕業だろう。
「あっちは……戦ってる?」
逃げ惑う人々は誰も彼も神の試練から遠ざかるように逃げている。
勿論あの巨人から逃げているのもそうだが、それ以上に試練の入り口付近が騒がしい。
悲鳴というよりは怒号というべき騒がしさか。
「ボイド! 試練の入り口が騒がしい! 多分、何かいるんだと思う!」
「分かった! 私達もすぐに追う、先に行ってくれ!」
「分かった!」
承諾を貰ったチェシャが屋根から屋根へと飛び移り、試練の入口へと向かう。
近づくにつれ、入り口付近での騒がしさが人の物だけでなく、迷宮生物やそれを迎撃する魔術によるものだと分かって来る。
「……戦ってる!」
見たところ討ち漏らしは少ない。遠目で分かる程度だが、使っている魔術の数や質も人の数に対して多い。
比較的優秀な探索者が迎撃しているのだろう。
「……いっそのこと顔を見られない方がいいか」
ここで黒騎士になることを躊躇する意味はない。場合によっては町を出歩きにくくなるかもしれないが、どうせことが終わればセントラルを離れる。迷う要素は消え失せた。
「機能変化──黒騎士」
チェシャの体が黒い鎧に覆われる。
次に、腕から黒槍を一本生やして抜き取り、投擲。
音を突き破ってセントラルの屋根上を駆け抜けたそれが、入り口付近から湧き出た大ネズミ二体を団子状に貫く。
「次っ」
繰り返し、黒槍を生やして投擲。
誤射にならないよう、狙うのは迷宮生物の元。神の試練へと入るための門だ。
何度か槍投げを繰り返していると、一定の方向から槍が飛んでくることに探索者たちが気付いた。それに伴い、チェシャが槍を投げる道を空けてくれる。
これ幸いとチェシャが槍を投げる間隔を早めていく。
現れる迷宮生物は懐かしいとすら感じる第一試練の個体。今のチェシャの敵ではない。
故に、彼が投げた槍を受けた個体はすぐさま霧散していった。
「あれ……アルマ?」
探索者組合員の制服を身にまとった少女、アルマが見えた。
しかもその少女は後方からと言えど、いくつもの魔術印を描いて防衛に貢献している。
──……普通に強いじゃん。
彼女が戦うところなど見たことがなかったチェシャが、彼女の戦いぶりを見て舌を巻く。
あれだけ戦えるのだ。あの年で組合員になったのも頷ける。
だが、今更解けた謎に満足している暇はない。
アルマの周りは比較的安定している。さらに近づいたことで彼女の周囲もチェシャの知り合いだと気付き、状況の確認のため彼女たちの元へと進路を変えた。
しかし、進路を変えたせいで槍投げの頻度が減り、それをあてにしていた探索者たちの手が追い付かなくなる。
「──チッ!」
安易な行動をとった自分を内心で叱りつけ、失態を取り返すためチェシャは戦場へ飛び込んだ。
飛び込んだ先は入り口の前、迷宮生物達が溢れかえる真っ只中だ。
最初に屋根から飛び降りながら持った槍を投げ、大ガエルを二匹貫く。
着地点にいた黒虎に膝蹴りをお見舞いし、膝から槍を生やして絶命させる。
「うぇッ!?」
急に飛び込んできた全身鎧の騎士が一息で三体仕留め、大量の迷宮生物を捌き続けていた大盾使いの探索者が呆気にとられる。
それを他所にチェシャは槍を振り回して蹴散らそうと試みた。
しかし、彼の周囲にはまだ迷宮生物が多く、槍を振り回すには狭すぎる上に障害物で槍が止まってしまう。
今のチェシャが隻腕であることを考慮すれば容易にとはいかなかった。
だからこそ、盾持ちの探索者が押しとどめ外側から処理していたのだ。
──面倒だな……。
そこでチェシャが腹を立てつつも腕を伸ばして体を広げると、上半身からいくつもの黒槍を生やした。
急に現れた彼へと襲い掛かった迷宮生物達が、針山と化した黒騎士に漏れなく貫かれる。
「………ん!」
生やした槍を息を吐き出す動作で一斉に体から切り離し、身軽になったチェシャが今度こそ黒槍を振り回し始める。
今しがた生み出した黒槍はハルバードの類。重量のある刃を振り回し、鎧を返り血に染めたチェシャは一度離脱する。
これだけ暴れれば失態を取り返すには十分という判断の元だった。
「……この状況は一体どうなっている?」
「あ、貴方は……?」
離脱した先は本来の目的であるアルマの元。
彼女の横へと着地したチェシャは彼女へ尋ねかけた。言葉を発す前の僅かな沈黙は自分の正体を言ってしまうか悩んでの物だった。
「どういう状況だと聞いている」
物語の登場人物を参考にした振る舞いでチェシャが無理やり問い続ける。
まさかこんな場所で劇のまねごとをする羽目になるとは思ってもなかったので、彼の声は少し上擦っていた。
──この声、どこかで……。
折れる気がない隻腕の黒騎士に、アルマは訝しみつつも口を開いた。
「突如ここから見える塔が崩落。その後現れた巨大生物の進攻と共に試練の入り口から迷宮生物が溢れ出てきました」
「そうか。感謝する」
「あのっ──!!」
最後に頭を下げた黒騎士に既視感を膨らませたアルマが彼を呼び止める。
片腕がないという相違点はある。しかし、その既視感と違和感はほとんど形になっていた。
「……なんだ」
「もしかして……チェシャさんですか?」
「──ッ。…………人違いだ」
「嘘です! なんだか変ですけど、雰囲気がチェシャさんですもん!!」
まさか見破られると思っていなかったチェシャは思わずうろたえてしまう。
数秒の間を置いて、再び振る舞い直すも彼の沈黙と狼狽で完全に悟ったアルマが断言した。
敏い彼女のことだ。普段であれば、わざわざ他人のふりをする知人に気付いても多少の配慮はしていた。
それをするだけの理由があるのだと考えるからだ。
しかし、両手で魔術印を描き続けて慣れない戦線に立ち続けたことにより、肉体的にも精神的にも疲れている彼女にその配慮をする余裕がなかった。
加えて、終わりも見えず、少しずつ下がって来る全体の士気に当てられ、無意識に助けを求めていた。
そこに現れた知人、さらに言えば信頼できる探索者。
子供っぽい口振りがアルマの口をついて出るくらいに反応してしまったのだ。
「……はぁ。そうだよ、ちょっと事情があって隠したかったんだけどさ」
アルマが叫んでしまったことで少なからず周囲の者がチェシャの方を見てしまっている。
そこにはアンセル達も含まれている。まさか彼女がここまで言ってくるとはチェシャも思っていなかったので、恨めし気な視線を彼女に向けながら頷いた。
いきなりのアドリブだ。出来もしない演技をしたチェシャが悪いのは彼自身も分かっている。
しかし、多少の文句を言いたいぐらいの気持ちはあった。
「あっ……その、ごめんなさい!!」
恨めし気な彼の言葉を聞いて我に返ったアルマが出すぎた真似をしたと頭を下げる。
だが、そんなことをしてしまえば彼女が保っていた魔術の嵐が止んでしまう。
「俺も悪いからいい。今は、こいつらを倒そ」
チェシャが体からいくつもの短い黒槍を生やし、切り離す。
そうして生み出した弾、もとい黒槍を投擲し、迷宮生物達を次々と魔力に還して彼女の手数を補った。
「は、はいッ!」
残像を残しながら戦場を駆けるチェシャに負けぬよう、アルマも再び魔術印を描き始める。
しかし、その速度は先程よりも遅い。彼女の疲労も要因の一つではあるが、魔術に頼らずとも殲滅が追い付いているのが大きな要因だった。
──腕が一本しかないのに……ここまで……
チェシャがアルマの戦うところを見たことが無いように、彼女も彼が戦うところを見たことが無い。
彼女に襲ってこないよう迷宮生物を捌き続けてくれるアンセルやローダ、溜まってきたところを一掃するセルリアも十分に強い。
だが、チェシャはそれ以上に強かった。
神の試練を攻略間近──あるいは攻略してしまったのかもしれないのだからこれぐらいは当たり前とも言える。
しかし、探索者たち──人間が戦う場合において前衛というのは後衛が殲滅するための時間を稼ぐ役割だ。
得体のしれない黒槍を体中から生やし、無尽蔵の武器を作り出す彼を人外として扱うならばこの役割の型にはまらないのかもしれない。
そう思わせるほど、戦場を踊るように駆け巡り、すれ違いざまに迷宮生物を魔力に還していく。
いつの間にか腕が一本ないことすら厭わない暴れっぷりにアルマは言葉を失う。
魔力に慣れ親しんだ彼女は、迷宮生物達の残骸によって生み出された大量の魔力が陽炎の如く揺らめくのを感じられた。
──こいつらが現れた時間と俺たちがセントラルに来た時間が一致してない……?
縦横無尽に戦場を駆けるチェシャにも、先程聞いた戦況から状況を考察する余裕があった。
彼が特に気になったことは、グングニルが崩壊してすぐ、チェシャ達がセントラルに移動したはずなのにもう厄災は近くまで来ていること。
このタイムラグが何故かは分からない。そもそもここに来れたのも、恐らくハルクかスカーサハが何かしてくれたと予想しているだけだ。
分かるのは戦況の悪化、準備をする時間がないこと。
さらに言えばスカーサハが提案してくれた案も知らない。そのスカーサハも崩落でいなくなってしまった。
──とにかく……皆が来るのを待つしかないか。
ハルクの安否も気になるが、何かしらの移動手段を持っているのなら生きているはずだと推測し、今は自分の出来ることに集中した。隻腕だろうと、切れ味の衰えぬ黒槍斧と人外の能力を駆使して戦場を荒らし続ける。
チェシャが加わったことで防衛線の戦力は目に見えて増加し、戦況も安定する。
その後、アリス達が駆けつけてくるまで前線が崩れることはなかった。